第5話 烏と孔雀と小夜啼鳥
香辛料と珈琲の香る店の中、
叔父に連れられ、知人だというこの男・
薄紅色の長い髪を一つに結び、赤い瞳を細めて微笑む彼は、自分と同じくらいの年齢にしか見えない上、中性的な顔立ちや華奢な身体つきのために、声を聞くまでは性別も判然としなかった。
当初は自分と叔父を連れて出かける予定だったようだが、彼はどこからか飛んできて腕に止まった烏と顔を見合わせて『え』と言って固まった後、少し考える時間がほしいから、と近くにあったこの
そして、彼との約束を取り付けた張本人はというと、席につくやいなや何故か店主に呼ばれて外へ出て行ってしまった。
「叔父の知り合いだそうですが――」
暫し彼との接し方を考えあぐねていた文懿は、湯気の立つ手元の小さな器から視線を上げて口火を切った。
「はい。かれこれ十数年の付き合いになります」
朗らかに答える彼が見た目通りの年齢なら、永叔と出会ったのは幼子の頃ということになる。
「……失礼ですが、おいくつですか?」
「ふふっ、いくつに見えますか?」
『知るか』という言葉をぐっと飲み込み、文蔚は逡巡した。
彼は叔父の知人であるだけでなく、一応は客である。商人として客の不興を買うようなことはしたくないが、この場合の模範解答がわからなかった。彼は若く見られたいのか、それとも年長に見られたいのか。そもそも雰囲気は全く同年代らしくないが、見た目通りに二十歳程度と考えていいのか。
向かいで珈琲を啜る宵禹はそんな文懿の考え込む様子を愉しんでいるのだが、当の文懿は知る由もない。
「はあぁぁ……」
盛大に溜め息を吐きながら永叔が現れ、文懿はほっとして駆け寄った。
「ようやく戻ったか! いったいなんの用だったんだ?」
「…………文懿、ごめん。
「は……? 取られた……ってなんだ!? 攫われたのか!?」
永叔は弱々しく首を振った。
「いや、そういう物騒なんじゃないけど……引き抜き、っていうのかな……?」
「引き抜き? どこに取られたんだ!?」
「王宮」
「王宮お抱えの商団か?」
「いや、王宮そのもの。突然王子様の使いだってやつらが来てさ。魔人がどうのとも言ってたな」
「は!?」
「ああ」
それまで座ったまま二人のやり取りに耳を傾けていた宵禹が声を上げ、永叔と文懿は振り返った。
「ああ、って宵禹知ってんの?」
驚いた顔の友人に、宵禹はにっこりと微笑んだ。
「いえまったく」
「嘘つけ! 知らないやつの反応じゃなかっただろ!?」
このやや乱暴な話し方からするとやはり同年代か? と頭の片隅で考えながら、文懿は胸に浮かんだ疑問を口にした。
「それにしても、ラズワルドの王子が翡にいったい何の用があるっていうんだ?」
「さあ? なにか訊いても、賃金は立て替えるし兵士を一人貸すからって言われるだけで、とりあえず了承するしかなかったんだよね……。本当、いったいなんなんだか」
皆目見当がつかないとばかりに考え込む二人を見て、宵禹は思ったままを呟いた。
「単に愛妾にしたかったのでは?」
「……ええっ!?」
思いもよらない単語が飛び出し、永叔は一拍おいた後大声を上げ、文懿は目を見開いて固まった。
「若く美しいお嬢さんを連れて行ったなら、そう考えるのが妥当でしょう」
驚きつつも、永叔は宵禹の言い分に納得した。
故郷での翡は、容姿よりも戦闘能力の高さで知られていたし、なにより彼女の師は地域一帯を牛耳る遊侠の徒だ。そんな恐ろしいことを考える人間がいるはずもなかったが、異国の王子なら何も知らずに顔だけで見初めてしまうこともあるかもしれない。
「まあ、それは確かに……ん? ちょっと待て宵禹。なんでお前が翡ちゃんのこと知って――文懿!? どこ行く気!?」
永叔は店を飛び出そうとする文懿の肩を慌てて掴んだ。
「決まってるだろう! 今すぐ翡を連れ戻しにいく!」
「連れ戻しに……って、落ち着こう文懿!? 相手は王子と魔人だからね!?」
「だからこそ、早く助けに行くべきだろう!? いくら翡でも、そんなやつら相手じゃ歯が立たないかもしれない」
「でもその翡さんだって、王宮にいられるならそっちの方がいいのでは?」
「……なに?」
殺気立つ文懿に、宵禹は飄々と語りかける。
「だって、考えてもみてください。過酷な砂漠の旅と王宮での暮らし。王宮で何をさせられるのかはわかりませんけど、環境だけで比べたらどちらがいいと思います?」
黙り込んだ文懿を見て、永叔は慌てて宥めるように言った。
「ま、まあ、確かに心配だけど、逆らったらオレたちこの国で商売できなくなるしさ、翡ちゃんの意向も確認せずに事を荒立てたってしょうがないだろ? 後でオレがこっそり様子見てくるから、今日のところはいったんこの件は置いておこう? な?」
「……勝手にしろ。隊長はお前だ」
そう言ったきり、文懿は再び押し黙った。『どうすんだよこの空気!?』とばかりに睨みつける友人を尻目に、宵禹は自分のせいで顔を曇らせている青年に微笑みかけた。
「そうそう、力づくで取り戻すつもりなら、最低限あなたも魔人を捕まえた方がいいですよ。魔人相手に人間だけでは、どうしようもありませんから」
「魔人? 永叔の話にも出てきたが、そんなもの御伽話の存在だろう?」
「それがそうとも言えないんだよねえ。今、オレらの居場所がわかったのも、そもそも翡ちゃんのことを最初に見つけたのも、その魔人とやらの力らしいし」
「まさか、その言い分を信じるのか?」
「うーん、確かにオレも聞いてて半信半疑だったけど、実際商団にも、魔人の宿る指輪やら腕輪やらを見つけてくれって相談がたまに来るからなあ。中でも
僅かに
「その神燈が眠る湖というのが、この国にあるんですよ」
「え!? もしかして、神燈がどこにあるか知ってたりすんの!?」
驚愕と期待の入り交じった眼差しを向ける友人に、宵禹は肩を竦めて見せた。
「いえ、少し前まではわかっていたんですが……残念ながら今はもう、正確な位置はわかりません」
「なんだ。せっかくそんな情報持ってたのに、なんですぐ取りに行かなかったんだよ?」
「だってその湖、心の清らかな者以外が触れると死んでしまうそうなので」
「ああ、じゃあお前は近寄っちゃダメだな」
「え、ひどい。叔父さんこんなこと言ってますけど、文懿くんどう思います?」
馴れ馴れしい友人と表情筋を引き攣らせる甥の間に、永叔が割って入る。
「はいはい、人の甥っ子にうざ絡みすんな。で、今日の本題は?」
「それが――」
宵禹が話し始めると、永叔と文懿はその奇妙な依頼内容に顔を見合わせた。
***
カン、と金属が木を打つ軽快な音が王宮の庭園に響く。
「まったく、金銀財宝を望まないだけの分別はあるかと思えば、はした金に釣られてこんな雑用を引き受けるなんて」
丸太に腰掛けたジンは、
「あいにくあんたと違って、霞を食べて生きてはいけないんでね」
「それは魔人じゃなくて仙人でしょう」
「文句があるなら一人で辞めれば? 本来頼まれた王子の護衛にしろ、今やってる雑用にしろ、ちゃんと給金出るなら私は特に不満ないし」
王子の護衛として雇われたはずの翡とジンが宮殿に着くなり任された仕事は、薪を割ることだった。内容に多少の変更はあったものの、アミルから提示された金額は破格で、むしろ翡にとっては条件が良い。文句などあるはずもなかった。
「わかっていませんね。王宮などという権謀術数渦巻く地へ足を踏み入れて、どんな面倒事に巻き込まれるともしれないのに」
「ここに来る前は砂漠で野盗と斬り合ってたし、どこだって危ないのは一緒だよ」
西日を反射する斧が弧を描き、薪を縦に割いた。話しながら、翡は淡々と作業をこなしていく。
「そこが不思議なんですよねぇ。私の申し出を断るほど慎重なのに、敢えて用心棒のような危険の伴うことを生業としている。それだけお美しく、そしてお若ければ、もっと楽でわりのいい肉体労働だってできるでしょうに」
「ないよ、そんなの」
意味ありげな笑みを浮かべるジンの言葉を、翡は手際よく薪を割りながら一蹴した。
「体を売ればって言いたいんだろうけど、全然楽じゃないよ。周りにいたから知ってる」
翡の育った貧民街では、春を鬻ぐ者は珍しくない。ある程度の歳になれば、友人たちもそうして生活費を稼いでいた。だからこそ、多く見える報酬もその苦痛には到底見合わないことを知っている。
「力のない人間には、わりのいい仕事なんて永遠に回ってこない。一生買いたたかれるだけ」
「それで腕っぷしを鍛えてこんな泥臭い仕事に就いている、と。力仕事なんて、買いたたかれ使い捨てられる職の典型だと思いますけどね。――では尚更、なぜこのようなところへ来たのです?」
「へ?」
問いかけの意味がわからず、翡は手を止めてジンを見つめた。
「身辺警護に当たるだけの者を、わざわざ容姿で選りすぐるとお思いですか?」
「そりゃ普通はそんなことしないだろうけど、あの王子様には見た目の気に入った人しか近づけたくないっていう謎のこだわりがあるんでしょ?」
「それも事実かもしれませんが、夜の相手も命じられると考えるのが妥当でしょう」
呑気な主に、ジンは大袈裟に溜め息を吐いて見せる。
「……えっ、まさかぁ……」
「市中であれば狼藉者などご自慢の腕力で投げ飛ばしてしまえば済みますが、王子相手にそれをやったら貴方の首が飛ぶでしょうね」
「いやいやいや、あの変わり者の王子様に限ってそんなことは……」
ない、と言い切るにはまだ相手のことを知らなすぎた。
勢いを失って黙り込んだ翡に、そう仕向けたはずのジンもなぜか不機嫌そうに眉根を寄せた。しかし、すぐに笑顔を取り繕い、猫撫で声で語りかける。
「……まあ、たとえ向こうにそういうつもりがあったとしても、貴方には私がいるわけですから、何の心配もございません。砂漠の向こうの故郷でも、遥か彼方の異国でも、一瞬でどこへなりとお連れできますし、なんなら無体を働こうとする王子なんて一瞬で抹殺して――」
「ちょ、やめて! 物騒なこと言わないで! 誰が聞いてるかわからないでしょ!?」
翡は斧を投げ捨てると、慌ててジンの口元へ両手を伸ばした。
「なぜです? 今や貴方は
「だから、私は正式な持ち主になったつもりはないんだって! ……あ、もしかして、なにか願わせようとしてわざと脅してる!?」
「脅すだなんて人聞きの悪い。警告して差し上げているだけですよ」
ジンは大袈裟に肩を竦め嘆息した。
「だいたい、生活費でも食糧でも、私にお命じくださればいくらでもご用意いたしますが」
「やだよ。神燈とか魔人とか怪しいし、なによりあんた自身が信用できないし。それに、もし何十年もその力に頼って働かずに生活してて、ある日突然神燈がなくなっちゃったらどうしようもないでしょ?」
「杞憂ですね。そうなることがないよう、私に命じれば済む話です。」
落とした斧と新しい木材を拾いながら、翡は頭に浮かんだ疑問を口にした。
「さっきから気になってたんだけど、なんでそんなに隙あらば願いをきこうとするの? 別にその……神燈? から出て来られたんだから、無理に私の願いを叶える必要もないよね?」
「願いを叶えなければ、あなたにお仕えしたことになりませんから。私は自由になるため、八十八人の主に仕えなければならないのです」
「魔人ってそういうシステムだったの!?」
「いえ。これはあくまで私の場合です。他の魔人たちは、何をしようと永遠に魔人のままだと思いますよ」
ジンの説明に、翡は目を丸くした。魔人の中でも最強だったり、なぜか一人だけ解放の条件が定められていたりと、彼だけ特別な点が多い。
不思議には思ったものの、どうせ短い付き合いなのだからと、翡は余計な詮索はしないことに決めて再び薪を割り始めた。
「それで、仕えないといけないのってあと何人くらいなの?」
八十八という多いのか少ないのかよくわからない数字を聞いて、翡は何気なく尋ねた。残りの人数を知れば、まだまだかかりそうだね、とか、もうちょっとだね、とか適当に相槌が打てるだろうという軽い気持ちだった。
「一人です」
「じゃあもうすぐじゃん、よかっ……た、ね……?」
思わず語尾が疑問形になる。一人って何人だっけ? と混乱する翡に、ジンが明るく畳み掛けた。
「ええ、ですから
知りたくなかった新情報に、翡の顔が引き攣る。どおりで必死になるわけだ。
「しかしこうしてただ近くにいるだけでは、魔人として主に仕えたとは言えませんから、ご用命をお待ちしている次第です」
「それって、私の願いを一つ叶えればもう自由になれるってこと?」
それで済むのなら、なにか簡単な頼みごとくらいしてもいいかもしれない、と翡の心は揺れ始めた。
「いえ、自由になる条件はあくまで八十八人に仕えることです。一つ二つの願いを叶えるだけでは終わりません」
「じゃあいくつ叶えたらいいの? その『仕える』って、具体的にどういうこと?」
「これまでは、主が亡くなるか、神燈の持ち主が代わることによって一人と数えられていました。今回八十八人目であるあなたの願いを叶えれば、次の主は発生しませんから、あなたが亡くなるまでお仕えしてようやく終わりとなるわけです」
「なんだ、願いを叶えてもすぐ自由になれるわけじゃないんだ。それなら別に急がなくても……ん? それってもし今私がなにか願って叶えてもらった直後に死んだら、ひょっとしてそれが最短?」
「おっしゃるとおりです」
にっこりと満面の笑みを浮かべたジンを、翡はその魂胆に気付いて睨みつけた。
「……ってことはつまり、私がなにか願った途端に殺す気だよね!?」
主人から向けられた鋭い視線に、ジンはわざとらしく驚いてみせる。
「おや、なぜです? あなたさまは私の主。殺すどころか、身を守るよう命令すればそのとおりにいたしますし、そうでなくとも、あなたの命に背くようなことはできません。……まあ、なにか不測の事態が起きて『殺してほしい』と懇願されるようなことがあれば、従うまでですが」
"不測の事態"を無理矢理にでも作り出しそうな不穏な笑みに、翡は背筋が寒くなった。
「とはいえ、今あなたが何も願わないまま亡くなってしまえば、私は神燈に逆戻り。そうはなりたくありませんから、望まれずともあなたの身は勝手に守らせていただきますよ。……ところでこれ、いつまで割り続けるつもりです?」
うんざりした様子で、ジンは足元に転がる木片を見下ろした。
「さあ? アミルさんか誰かが呼びに来るまでじゃない?」
適当に答えながら斧を振り上げようとしたとき、視界の端に青緑色の輝きを捉え、翡はその手を止めた。
樹上から宝石のように鮮やかな尾羽を棚引かせて滑空した鳥は、地上に降り立つと玉虫色に輝く緑の羽を広げた。
「見て! あれって孔雀じゃない? ここで飼ってるのかな?」
絵でしかみたことのない美しい鳥の姿に翡は目を輝かせたが、その指差す方を一瞥したジンは吐き捨てるように言った。
「鳥は嫌いです」
「あっ、そう……」
この調子で今までどうやって八十七人もの主人に仕えてきたのかと呆れながら、翡は薪割りを再開した。
***
アミルには、考えを整理するために魔法を使わず、あえて歩いて移動することがあった。
このときも、王宮の回廊を歩きながらこれからどうするべきか考えを巡らせていた。
仕える主人はファルシャードただ一人だが、彼が王太子という立場であるためにしばしばアミルは壁にぶつかった。
今回の護衛の増員についても、国王や重臣らが決めたことであり、アミルには何の権限もない。にもかかわらず、当のファルシャードはああしろこうしろとアミルに命じるのだから、アミルは魔人として指輪の主人に従い、要望に沿う者を見つけ出すほかなかった。
(……見つけるまではまあいい。主人の願いを叶えることが私の役目であり、手こずったのは単に私の力不足だ。しかし――)
アミルは拳を握りしめた。
『……却下。王太子の警護に異人だと? いったい何を考えているんだ?』
ファルシャードの兄・ベフルーズ王子の副官、ザカリア・カイヴァーンの冷ややかな視線と物言いを思い出す。中級貴族の出ながら、能力の高さを買われて第一王子の補佐を務める彼は、三十路手前の若さで王太子警護の実質的な責任者となっていた。
彼の言い分はもっともだ。警護の指揮官として、この突飛な人選に反対するのは当然だろう。あえて彼女の年齢や性別は伏せて伝えたが、それでも取りつく島もなかった。
とはいえ、アミルが従うべき人間はファルシャードだけなので、却下されてもどうしようもない。
(……同じ王族でも、メフルヌーシュ様のときにはこのような事態は起きなかったのに……!)
アミルは遠い目で、ファルシャードの祖母であり、王太后でもあった前主人を懐かしんだ。
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