第4話 瑠璃の王子

 俺の翠玉エメラルド

 言われたことの意味が全く分からず、いきなり射かけられた怒りも忘れて翡は目の前の青年をまじまじと見つめた。

 長い睫毛に縁どられた瑠璃色の瞳を眇め、形の良い唇にはなぜか笑みを浮かべている。やはり全く見覚えはない。

「……もしかして私、宝石泥棒かなにかと間違えられてる?」

 弓を持つ手をはじめ、腕や首元にまで色とりどりの貴石が輝き、いつ追い剥ぎに遭ってもおかしくなさそうな格好だが、盗人の追捕にしてはどこか愉しげに見える。

 その周囲には彼の連れと思われる若い兵士たちが数人佇んでいた。彼らは翡に何かをする気はないようで、黙ってことのなりゆきを見守っている。

 青年の隣に控えていた従者らしき人影が、翡の前へ進み出る。

「失礼。事情は私の方から説明させていただきます」

 そう切り出したのは、落ち着いた雰囲気の茶髪の若い男性だった。

 右目に片眼鏡を掛け、金縁から垂れ下がった同じく金色の細い鎖は、右耳の飾りに連なっている。左耳にも意匠の異なる耳飾りが揺れ、服装の色合いが暗めなこともあって、本人の堅そうな印象とは対照的に華美な装飾品が際立っていた。

「こちらは、とある高貴なお方なのですが――」

「俺はファルシャード・ラズリ。この国の第二王子だ」

 金髪美青年が堂々と正体を明かすと、生真面目そうな従者は舌打ちをした。

「城の外で軽率に名乗るなと言ってるでしょう!」

「別にいいだろう、アミル。どうせこの者はこれから俺に仕えるんだ」

「まだこちらの用件すら伝えていませんし、彼らの素性だってよくわからないんですよ!? もう少し慎重になさってください」

 悪びれる風もない第二王子に従者が小声で説教するのが聞こえ、翡は首を傾げた。

「……仕える? 誰が誰に?」

「あなた衛兵の職に応募でもしたんですか?」

「まさか! この国に来るのは昨日が初めてだし、なにより、今は永叔ヨンシュさんに雇われてるんだから、他の仕事なんて考えてないよ」

 ジンの問いに翡が勢いよく首を横に振ると、アミルと呼ばれた従者は事もなげに言い放った。

「ああ、隊商の護衛としてインからついてきたとのことでしたね。そちらにはもう話をつけてありますので、ご心配なく」

「は? どういうこと? 私に無断でなんの話をつけたの!?」

 翡は、アミルに掴みかかる勢いで詰め寄った。『ご心配なく』と言われても、心配しかない。

「あなたを譲ってほしいという話です。突然人手が減っては彼らも困るでしょうから、代わりの人材も紹介してあります」

「随分と一方的なのですね」

 ジンは棘のある言葉とは裏腹に、どこか面白がるような口調で言った。アミルはジンと目が合うと、一瞬表情を強張らせてから視線を逸らした。

「……だからこそ、できる限り誠実に対応しているつもりです。そういうわけですから、あなたにこちらのファルシャード殿下の護衛をお願いしたいのです」

「護衛……って、つまりその王子様を護れってこと?」

「ええ。あなたが普段からやっていることでしょう? 少し調べさせていただきましたが、あの永叔という商人だけでなく、いろいろな者から道中警護などの依頼を受けて生活しているとのこと。であれば、こちらがお願いしたいことも、あなたが日頃生業としていることとさほど変わりはありません」

「ちょ、ちょっと待ってください! 商人の護衛と王子様の護衛じゃ全然違うし、そもそもなんで私なんですか?」

 唐突すぎる申し出に、翡は当然の疑問をぶつけた。彼らとは面識もなければ、この国を訪れたのさえ昨日が初めてだ。王子の護衛を頼まれる理由など、全く思い当たらない。

「この俺をそばで守るのだから、それなりの容姿の者でなくてはならない」

「なるほど」

 ジンは辺りを見回し、兵士たちの顔立ちが無駄に整っているのはそういうわけだったのかと納得した。

「いや、なにがなるほど!? 私には全然意味が分からないんだけど……」

「俺は醜いものは嫌いだ。一切視界に入れたくない。宮殿の門番くらいならむさくるしくても構わんが、日々俺のそばに控えて身を護るような者は最低限の見目でなければ認められん」

「はあ……」

 異国の王子の謎のこだわりを、翡はただただ呆気にとられて聞いていた。出会ったばかりの魔人を横目で見ると、小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている。

「その点、お前はいい」

 突然伸びてきた指輪だらけの白い手に、翡はぎょっとした。

「な――っ!?」

 振り払ってもいいものかと翡が逡巡する間にも、ファルシャードは翡の顎を掴んで上向かせ、澄んだ翠色の目を覗き込んだ。

「特に瞳が美しい。顔の造りも悪くない、いや、むしろ宮女にも引けを取らないくらいだ。やはり俺の目に狂いはなかった。兵にしては逸材といってもいいだろう」

 翡が唖然としているうちにファルシャードは至近距離で好き勝手に捲し立てると、気が済んだのか翡から手を離し、腕組みをしてふんぞり返った。

「要するに、この俺がお前を雇ってやると言っているんだ。黙ってついて来い」

「――は?」

 ファルシャードの傲慢な態度に翡の堪忍袋の緒が切れかけたとき、アミルが慌てて二人の間に割り込んだ。

「勝手な要求なのは百も承知です。その分給金には色をつけますし、なにも一生護衛の任に就けというのでもありません。一月だけでも引き受けていただけるとありがたいのですが……」

 アミルの切実さと高額な報酬に翡の心は揺れたが、言いにくそうに切り出した。

「……あの、それがですね……実は報酬の大半を前払いで受け取ってしまっていて……」

「その点については、先ほども申し上げたように心配無用です。雇い主があなたに支払った報酬は全額こちらが立て替えた上で、傭兵を一人貸しておりますので、彼らに損はありません」

「そ、そこまでする……!? かえって費用がかさんじゃってますよね!?」

 永叔らの隊商に貸した傭兵をそのままファルシャードの護衛に当てれば、翡の報酬の立て替えが発生しない分費用は浮く。翡の疑問はもっともなものだったが、アミルは大真面目に言い切った。

「私はファルシャード様の望みを叶えるだけですから、費用などいくらかかろうが関係ありません」

「ええー……」

 比較的まともそうに見えた彼も大概なことに気付き、翡は絶句した。

「見たところそこまで人手不足に陥っているわけでもないようですが、顔採用の彼らでは護衛として心もとないということでしょうか?」

 ジンが周囲を見渡して挑発するように言うと、一瞬兵士たちの間に険悪な雰囲気が漂ったが、アミルがきっぱりと否定した。

「いえ、彼らは実力も申し分ありません。皆由緒ある貴族の家に生まれ、王に仕えるべく幼い頃から剣の腕を磨いてきた者たちです」

「ではなぜ?」

「……実は、わけあって警護に当たるものを増員するようにとの王命が下ったのですが、ファルシャード様のワガマ……ご要望のおかげで人選が難航しておりまして。そこで見かけたあなたに、白羽の矢が立ったというわけです」

「たまたま、ねえ……」

 ジンが意味ありげに繰り返すと、翡は不思議そうにアミルを見上げた。

「見かけたって、どこでですか? 私たち初対面ですよね?」

「会わずとも見ることくらいできるぞ。アミルは魔人だからな」

「魔人!?」

 得意そうに胸を張ったファルシャードは翡の驚いた様子に満足げだったが、続く言葉に眉を顰めた。

「魔人ってそんなにたくさんいるの!?」

 一日二人の遭遇率のどこが『稀有な存在』なのか、翡は思わずジンを振り返った。

「ええまあ、ある程度の数はおりますよ。かといって全員一斉に下界に出払うことはまずありませんから、一生出くわさない人間の方が遥かに多いでしょう」

 そんなことも知らないのかと言わんばかりに、ジンが面倒くさそうに答える。そのやりとりを見ていたファルシャードが、怪訝そうに翡に尋ねた。

「お前は他の魔人にも会ったことがあるのか?」

 翡が無言で隣を指差すと、アミルが主のために説明した。

「彼は神燈シェンドンの魔人です」

「なんだ、お前ら知り合いだったのか?」

「知り合いと言いますか……彼のことはたいていの魔人が知っております。魔人の中で、最も力のある者ですから」

 そう聞いて、翡はようやくジンの偉そうな態度とアミルからそこはかとなく漂っている緊張感に合点がいった。

「それで、アミルさんはその王子様に仕える魔人ってことですか?」

「ええ。私はファルシャード様の持つ指輪の魔人です。ですから、ファルシャード様が望む以上、なんとしてでもあなたを護衛にしなければならないのですが……」

 ジンをちらりと見て、アミルは溜め息を吐いた。

「彼がついているとあっては、私の力では無理矢理連れ去ることもできません。ここはどうか、お金で解決させていただけませんか? ……まあ、神燈の持ち主にとってはそんなもの道端の石ころ同然の価値でしょうが」

「いや、私は別に神燈ソレの持ち主ってわけじゃ――」

 アミルの勘違いを訂正しようとした翡は、黙っていた方が賃金交渉に有利そうなことに気付き口を噤んだ。

「……まあ、永叔さんと話がついているなら断る理由もないですし、いいですけど」

「本当ですか? 良かった……!」

「ひとつ、よろしいですか?」

 しばらく静かにことの成り行きを眺めていたジンが口を開いた。

「私はこの方にお仕えする身。離れるわけにはまいりませんので、共に雇っていただけるとありがたいのですが」

「えっ!? そんなところにまでついてくるの!?」

「それは私の一存では――」

「ああ、お前の容姿なら構わん。採用だ」

 ファルシャードの即決に、アミルはこめかみを押さえて嘆息した。



***



「なにこれ……?」

 翡は目の前に聳え立つ建物を見上げ、呆然と呟いた。

「宮殿でしょう?」

 ジンが馬鹿にしたように答えるが、苛立ちよりも驚きが勝った翡の視線は、なおも正面の巨大建造物に注がれている。

「それはそうだろうけどさ……」

 紺碧の空を背に立つ壮麗な白亜の宮殿は強い日差しを反射し、直視すると目が痛いくらいだった。

「なんでいきなり宮殿? さっきまでこんなのなかったよね!?」

 そればかりか、背後では巨大な噴水が絶えず水しぶきを上げている。噴水へと続く水路の両脇には薄紅の花の咲き乱れる花壇、更にその外側には刈り揃えられた灌木が左右対称に連なる。

 今の今まで草木生い茂る森の傍らで話していたはずが、辺り一面が一瞬で見慣れない景色に変貌していた。

「落ち着いてください。移動しただけです」

 アミルの冷静かつ簡潔な説明を聞いて、翡はますます混乱した。

「してませんよ!?」

「あなた自身はしていなくても、私がさせたのです。魔人であれば、この程度の距離は一瞬で移動できます」

 アミルは、いったいなにを驚いているのかと怪訝そうに翡を見つめた。

「え? これ私がおかしいの?」

 ジンもファルシャードも、彼が引き連れている兵士たちも皆、平然としている。

 宮殿の入口へ足を向けようとしたファルシャードは、翡のひどい格好に目を止めて顔を顰めた。

「アミル、こいつの着ているものをどうにかしろ」

 湖に落ちた翡の服は、乾燥した空気のおかげで多少は乾いたものの、未だ触れなくてもわかるほどには湿っていた。

「承知いたしました」

 何をされるのかと翡が身構えると、次の瞬間には濡れた衣服は消え去り、代わりに真新しい上衣カミーズ下衣シャルワールに置き換わっていた。

「えっなに⁉ なにこの格好⁉ 私の服はどこにやったんですか⁉」

 すっかりラズワルド仕様になった自分の身体を見下ろして翡が騒ぐと、アミルは呆れたように言った。

「衣服を新しいものと取り替えただけです。あなたの服は今、宮殿の洗濯場にあります。なにをそれほど驚いているんですか? 彼が持っているのと同じような力だと思いますが」

「同じような?」

 口の端に嘲笑を浮かべるジンから、アミルはばつが悪そうに視線を逸らした。

「……いえ、私の力はあなたに比べれば数段劣るものですが。今のような着替え程度であればさほど差異なく行えるかと。……ところで、一つお聞きしてもよろしいですか?」

「なんですか?」

「魔人がいるのに、何故濡れた服を着たままだったのですか?」

「えっ、だってそんなの宿に帰って着替えれば済むことですし……?」

 きょとんとした顔で答えた翡を、アミルは奇妙な生き物でも見るような目で見つめた。

「ですが、魔人を使った方が――いえ、よしましょう。私が口を出すことではありませんね。ではファルシャード様、私は彼らを案内して参りますので、なにかあればお呼びください」

「ああ、わかった」

 ファルシャードが兵士たちを引きつれて宮殿に入っていくのを見送りながら、翡は首を傾げた。

「あれ? 私たち、あの人の護衛をするんじゃないんですか?」

 アミルは片眼鏡から垂れ下がる鎖をしゃらしゃらと揺らして、不服そうに溜め息を吐いた。

「ええ、もちろんやっていただきますよ。……ですが、王宮内に無断でよそ者をいれるわけにもいきませんから、その辺りの手続きが終わるまでは外で他の雑用でもしていてください」

「おや、話が違いますね? 王子の護衛とだけ聞いていたのに、他の労働にまで従事させるのなら、それ相応の対価をいただかないと」

「いや、別に雑用くらい――」

「わかりました。用意しましょう。では、ついてきてください」

 ジンの要求をあっさり承諾すると、アミルは二人に背を向けて歩き出した。

 その後に続きながら、翡はこそこそとジンに話しかけた。

「ねぇ、なんのつもり? なんで私の代わりに勝手に賃上げ交渉するの?」

「魔人が主のために行動するのは当然のことです。あなたが汗水垂らして小金を稼ぐのが生き甲斐の狂人のようなので、ご協力差し上げたまでですよ」

「狂人って……」

 『主のため』と言いつつ全くこちらを敬う気のない様子に、翡は呆れて閉口した。

「そういえば魔人ってお金はどこから持ってくるの? 作り出すの?」

 翡はアミルに聞こえないよう、一段と声を低めてジンに尋ねた。賃金の出どころというよりは、受け取った後で消えてしまうようなことがないのかが心配だった。

「私なら金貨を作り出すくらいのことなど造作もありませんが、彼の場合はどこかから持ってくることになるでしょうね。国庫からちょろまかすとか」

「……聞こえていますよ。ファルシャード様の身の回りに関することに割り当てられた予算がありますから、そこから出すだけです」

 立ち止まったアミルは、振り向いてそれだけ言うと再び背を向けてすたすたと歩きだした。

「そこは人間と同じ方法なんだ……?」

「あの程度の魔人は、少し器用な人間とでも思っておけばよろしいんですよ」

 事実なのか悪口なのか翡には判別がつきかねたが、前を歩くアミルの背中は心なしか震えているように見えた。

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