幸せの瞬間
新井住田
幸せの瞬間
「ごめん。他の女性と結婚することにした」
この一言で別れを告げられた女がいた。
このとき女は、壊れたからくり人形のようにぽかんと口を開けるばかりで、泣きも怒りもしないうちに話が終わってしまった。
それから時間が経つにつれて意識がはっきりとしてきて、気付けば、激しい憎悪が女の心を支配していた。
そして、女は復讐の計画を練り始めた。
最初のうちは、いつか恐ろしい目にあわせてやろうという一心で色々な方法を考えていた。
しかし、それを二年三年と繰り返していくうちに、復讐に成功したときの男の反応を想像するのが楽しく感じてきた。男が驚いたり、泣
いたり、悔しがっているところを想像するだけで、くすくす笑うようになった。
男に別れを告げられてから五年後。女は別の男と結婚した。
結婚してからは、一人暮らしのとき以上に手間のかかる家事と、子育ての日々のおかげで復讐のことなどすっかり忘れていた。
年月が経ち、子供は兄弟全員が一人立ちしたり、結婚したりで家からいなくなった。さらに時が経つと、主人が病気で倒れ、先立ってい
った。
再び一人になると、趣味もあまりないせいか、時間を持て余すようになった。そして、数十年前の、自分をふった男を思いだし、また、
復讐の計画を立て始めたのだ。
数年後、女は病に倒れ、入院生活を強いられた。それでもまだ、あの男の顔を思って笑い出すという癖は抜けなかった。
ある日、容態が急変したと連絡があり、家族が病院に駆けつけた。病院の個室の中で医師達が、ドタドタと慌ただしく治療に専念してい
る様子が、病室の外からでも窺えた。
その騒ぎの中、女は男に対する最高の復讐劇を想像の中で完成させた。その復讐が成功したときの男の顔が頭の中に浮かび、大きな笑い
声を上げた瞬間、女の心臓が止まった。
葬儀の日、棺桶に入った笑顔の女の亡骸を見た親族は、女の人生がいかに幸せだったかを、しみじみと感じたという。
~END~
幸せの瞬間 新井住田 @araisumita
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