第17話

「――ここは……?」


 目が覚めた時、俺の視界に入って来たのは薄暗闇に包まれたコンクリートの壁だった。

 所々からは錆びついた鉄筋が顔を覗かせ、深呼吸でもしようものなら確実に咳き込んでしまうと思えるほど辺りには埃が舞っている。


 天井を見上げてみれば、おそらく放置された倉庫か工場なんだろうな。

 所々に穴が開いてしまっていて、そこから月の光が差し込んできていた。


「クソ……何が起きたんだ?」


 視線を辺りに向けてみても目が慣れていないからかよく見えない。

 おそらくは俺をこの場に連れて来た相手は不在で放置されている状態なんだろう。しかも、ご丁寧に逃げられないように俺の身体を頑丈そうな鎖で柱にくくりつけている状態でな。


 身動き一つとれないし、視界の確保が出来るのは正面だけ。

 柱の背後には視線を向けることも出来ないし、足の先から首の辺りまでグルグル巻きだからな。


 何一つとして行動を許してはくれない様だ。


「……つまり、俺は誘拐されたうえに監禁されたということですか。一体誰が俺みたいな男を監禁して得するんだろうな」


 まぁ、美人で有名な沙紀さんを脅すために使うとなれば確かに脅迫素材にはもってこいだろうけど、今回その線は無いだろう。


 何故なら、俺が意識を失ったのはサムエルとか言うトカゲ男を追ってエレナが姿を消した後。

 普通の人間ならトカゲ人間を目の当たりにすれば一目散に逃げるだろうし、例え対象がいたとしても冷静に誘拐なんて真似は出来ないだろう。


 よっぽど図太い精神をお持ちの方ならやりかねないが、今回ばかりは絶対に無い。


 俺はそんなことを考えながら辺りに注意を配り、やがて薄暗闇に目が慣れたのか部屋の隅で胡坐をかいて座りジッと俺を睨んでいる存在を確認し嘆息。

 苦笑して俺はソイツを見据えると


「やっぱ、俺をここに連れて来たのはアンタだったか。サムエルさん……だったかな?」


「ほぉ、意識を取り戻したのか、人間」


 サムエルは感心したかのように俺に告げると、立ち上がり俺の前まで移動してきた。


 穴の開いた屋根から差し込む月の光に照らされたその身体はところどころに傷が確認できて、青い液体が流れ出ている。

 おそらくはエレナとの戦闘に関係があるんだろうけど、ソレにしては傷の深さが浅い気がする。


 切り傷は少し前まで存在していたけど、ソレが超回復か何かで凄まじい速さで治り傷跡になりつつある状態だろうか。

 とにかく、随分と酷い有様なのは確かだ。


「どうしたんだよ、その傷。まさか、エレナみたいな女の子を相手にして出来た傷だとでも言うのか?」


「フッ、まぁそういうことだよ。彼女は魔王様の娘、それだけのお力を持っているということだ。――ところで……」


「? ――がっ!?」


 サムエルは俺の前まで移動してくると、躊躇なくその丸太のような腕で顔面を殴打してきた。

 まるで木製のバットで顔面を叩かれたっかのような激痛に悲鳴がこぼれてしまうが、俺の身体は思ったよりも頑丈な様です。


 そんな衝撃を顔に浴びながらも意識は刈り取られずに、激痛を全身で分かち合っている状態だよ。頑丈な身体も考え物だな。


「貴様のような下等な存在が、気安くワタシの花嫁の名を口にしないで貰おうか。エレナ様の名が汚れるではないか」


「……花嫁ってな……まだ決まっても無いのに、よくそんなことが口にできるな。……エレナは了承したのかよ、トカゲ野郎」


「了承するだろうよ。あの小娘は君のことを偉く気に入っているようだからね」


「――なるほど……そのための人質ってことか」


 コイツの言う通り、俺に対して無償の愛を貫いているエレナの事だ。

 俺の命がかかっていると知れば、確実に自分より俺のことを優先するに決まっている。


 短い付き合いだが、アイツの態度を見ていればそれくらいは容易に分かるよ。おそらく、コイツもそんなエレナの反応を利用して俺を殺すのではなく#監禁__・__#したのだろう。


「その通りだよ。ワタシがエレナ様の婿になるためには、君と言う存在は邪魔者でしかないのだがね。利用価値があるのであれば、ワタシも少しのことくらいは目を瞑ろうと思ったわけだ」


「ぐっ!」


 サムエルは俺に告げると同時に硬い鱗で覆われた指先を俺の額に当てると、グリグリとまるで指圧するかのように押し付けてきた。

 しかし、相手はリザードマン。

 マッサージ師のような心地の良さを提供してくれるはずも無く、ただいま額にはとてつもない激痛が流れてきているよ。


「ありがたく思いたまえ。ワタシの機転のおかげで君は命を取られないで済んだのだからね」


「けっ、さらには人の額に指を押し付けてくるトカゲに礼を言ってたら口が腐るわ。後よ、気持ち悪いからその指どけてくれないか? 臭い上にぬめっていて気持ち悪いんだけど」


「――調子に乗るなよ、人間風情がッ!」


 今のは俺が悪いとは思う。

 しかし、本当に気持ち悪い思いをしていたからな。正直に答えてみれば、案の定怒りを買ったようで奴の平手打ちが再び俺の顔面を襲った。


 女子にやられる平手より間違いなく痛いソレは、俺の頬を叩き凄まじい音を周囲に響かせた。


「誰のおかげでその命があると思っているのだ? ワタシの情けがあるからだろうが。……ちっ、ワタシの汚れ無き身体に貴様の血がついてしまったではないか」


「――へへ……すでに自分の身体は流れ出た血液で汚らしいじゃねーか。……そこに、俺みたいな奴の血液が混ざろうとも、大して変わらねーだろ」


「貴様の汚らわしい血液と、ワタシの神聖な血液を一緒にしないでもらおうか」


 返り血が少し腕に着いた程度で大げさな奴だな。

 軽い潔癖症なのだとしたら、これまで魔界で今の地位を手に入れるまで相当苦労しただろう。主に、返り血を浴びないようにするためにさ。


 だが、俺の血は#汚らしい__・__#か。良いことを聴かせてもらったよ。


 俺は奴に見えない程度にほくそ笑むと同時に、身体を強張らせて全体的に震わせると、上目遣いにサムエルを見据えて


「ところでよ、サムエルさま……少しだけ俺の願いを聞いてくんねぇ?」


「何故ワタシが貴様のような者の言うことを聞かなければならない?」


「いやさ……潔癖症のアンタに対して悲報だ」


 俺はそう告げると同時に見えているのかどうか分からないが、足を見るからに不自然な内またに変えてモジモジと動かし非常事態をアピール。

 それから、俺の異変に気付いたサムエルに対して


「俺さ……結構前から小便我慢してるんだけど、コレ外してくんない?」


「……何故外さなければならない? その隙に逃げられでもしたら、ワタシの計画に支障が出る。そこで漏らし醜態を晒せば良いではないか」


「まぁ、そうなんだろうけどさ。そうなると、アンタは後悔することになるぞ?」


「何?」


 明らかに不審がっているサムエルの視線が俺を貫く。

 そりゃそうだ。小便に行きたいから拘束を解いてくれなんて監禁している側からすれば不自然極まりないし、逃げる可能性もあるのだから相手の要求を呑んでやるわけにはいかないだろう。


 だがしかし、逃す理由があればソレは別だ。


「アンタ知ってるのか? この世界の人間の尿ってのは少しばかり特殊なもので構成されているんだが、ソレを浴びると俺の今着ている服なんかは簡単に溶けてしまうんだ」


「――ソレがどうしたというのだ? たかが服が溶ける程度……」


「じゃあ、その光景をエレナが見たらどう思うのかな? 下半身を露出させた俺をアンタが気持ちの悪い顔で襲い、ヨダレを垂らしている状況を考えてみろよ」


「――うぐっ!?」


 服を溶かす能力があるなんてのは勿論嘘っぱちだ。

 しかし、あちらの世界にもBLに近しい文化はあるんだろう。


 騎士と名乗る程の高名なサムエルは、自分が同性愛者と勘違いされるのはお気に召さないらしい。目に見えて分かるようにたじろぎ、俺の顔を凝視していた。


 まぁ、普通に考えればおかしいと思える話だが、この世界の住人ではないサムエルに対しては効果を発揮しているらしい。

 知らない世界の文化など、奴が知ってるはずも無いのだから。


「……信じないのは勝手だが、エレナに誤解されたまま結婚を迎えても良いのなら……」


「分かったッ、分かったから少し待てッ!」


「――なら、出来るだけ早くお願いします。正直、お前に殴られたりしたせいで限界が近いんだけど」


「――うるさいッ!」


 馬鹿みたいな計画だというのに、アッサリ信じたサムエルはその長く鋭い爪を伸ばして俺の身体を拘束している鎖に引っかけると、まるで糸を切るかのように簡単に切ってみせた。


「これで良いだろう? さぁ、行くぞ」


「おう、ありがとさんッ!」


 俺は解放された瞬間を見計らい、殴られたり平手打ちされて無茶苦茶に切れた口内に溜まった血液を、サムエルの顔面に向けて噴射。

 霧吹きにも似た感じで飛んだソレは、見事に奴の顔面に降りかかり


「お、おのれェッ! 貴様、図ったなッ!?」


「こんな子供だましに引っかかっているお前が悪いんだよッ!」


 片手で顔を拭いながら残った片方の腕を周囲に向かって無茶苦茶に振り回すサムエル。

 しかし、当然のごとくその腕が俺を捉えることはなく、俺はほんの一瞬だけ生まれたその隙を突いて拘束されていた間に見つけた大人一人分が通れそうな穴を通り外へと這い出した。


「……まっ、そう簡単に俺を逃がしてくれるわけは無いよな」


 這い出た先にあったのは人がごった返している街の中ではなく、未だ人里離れた廃工場のような場所なんだろう。

 ボロボロなコンクリートと錆びた鉄筋の除く壁や天井が俺を迎えてくれたのだった。

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