第16話

 自らの背に吸血鬼特有のコウモリのような翼を生やして、エレナははるか上空を飛んでいた。

 理由は、先程自分が投手したサムエルの存在を探すためだ。


 別にあの場でサムエルを完全に亡き者にしても良かったのだが、アモンドレイクであるはずの颯馬もその場に居たし、おそらく被害を大きくすれば彼に嫌われてしまう。

 そんな考えから、エレナは場所を移すことを決行したのである。


「――適当に投げるものではありませんね。何処に行ったんでしょう?」


 とりあえずあの場では戦えない。

 だからこそ場所を移すために投げ飛ばしたのだが、ハッキリ言って特定の場所を選んで投げたわけではないのだ。

 今もなお空の旅を経験しているのか、それともすでに地面に叩きつけられて悶絶しているのか。投げ飛ばした自分にも理解できないところである。


「早く見つけて颯馬様の下に戻らなくては……」


 こちらの世界に渡って来てから、エレナの心中は決して穏やかとは言いきれなかった。


 十年もの長い間、ただアモンドレイクという存在のためにドラゴンの魔力を探し続け、魔界からこちらに渡るために更に七年という時間を費やしたのだ。

 計十七年もの間お預けをもらっていたエレナにとって、これ以上颯馬と別れているのは耐え難いことなのは必然だった。


 故に別れ際、彼の頬に唇を落としたのだが満足など出来るはずも無く、今現在も身体の火照りが治まらない状態が続いている。

 この状況が長引けば確実に自分はおかしくなるだろうとエレナは苦笑して、最大限に魔力を活用。

 魔力探知でサムエルの存在を確認すると


「なるほど、そこですねッ!」


 たかがリザードマンと言えど、騎士の称号を得ている存在だ。

 並外れた魔力を持っているのだから探し出すのは困難ではない。


 エレナは標的の魔力を感じ取ると、翼を羽ばたかせてそのスピードを上昇。

 短時間で未だ空中を目的地も無く飛んでいたサムエルとの距離を詰めると


「先程ぶりですね? そろそろ、降りますよ?」


「――がふっ!?」


 奴を通り過ぎて先回りし、飛んできたサムエルの顔面へと容赦なく空中で一回転して速度と破壊力を増した踵落としで強打。

 何の抵抗も無しにその攻撃を受けたサムエルは、なす術もなく誰一人として人の存在を確認できない荒野に叩きつけられた。


「ここら辺でなら、おそらく戦っても被害は出ませんよね?」


 この一帯に人はおろか生き物のが住んでいないのは魔力探知ですでに確認済みだ。

 多少の植物は生えているものの、地面のほとんどは幾度となく豪雨と照り付ける太陽の光を受けたからか硬い地面に覆われていて、地形を利用した戦いにも有効だといえるだろう。


 そして、何よりリザードマンはどちらかと言うと卑怯な性格で有名だ。


 物影から相手を暗殺するのは勿論のこと、多対一などを躊躇なく行う卑怯者。

 これほどまでに正々堂々という言葉から無縁な魔族は存在しないだろう。故に、この荒野を選んだのだ。


 隠れる物影も無ければ、毒としてその場で使えそうな花や草木も存在しない。

 リザードマンからすれば、戦い難い場所この上ないのは確かだろう。


「さて、起きてください、サムエル。私としては早く済ませてしまいたいんですよ」


「……あ、相変わらず無茶苦茶な戦い方をしますね、エレナ様」


 猛スピードで叩きつけられた際に生まれたクレーター。

 そこから這い上がりながらサムエルは呟くと、何事も無かったかのように立ち上がりエレナを見据えた。


 流石は性根が腐っていようとも魔族。その身体の頑丈さは他の魔族と変わらないようで大したダメージを受けてはいない様だとエレナは思いつつ


「――はぁッ!」


「おがぁッ!?」


 立ち上がったサムエルに対して情け容赦のない拳を腹部へと叩きつけた。

 瞬間鳴り響くのは、何かが砕けた音と、そのおかげで身体中を襲う激痛に悶絶し悲鳴を上げる奴の声。


 しかし、無情にもそれだけでは終わらない。

 雑音にも等しい悲鳴を耳に入れることも嘆かわしいとばかりにエレナはサムエルの口を自らの小さな腕で押さえると、再び地面へと叩きつけたのだ。


 もはや悲鳴の一つも許されない状況に、サムエルは極限の恐怖を覚えたのか目元に涙を浮かばせてエレナを見据えていた。


「まだ、続けますか?」


「か、かかか……相変わらず、恐ろしい強さと残忍さ……ですね。魔王様の娘であるだけのことは……あります」


「私はそんなことを聞いた覚えはありませんよ? まだ続けるのか、続けずに魔界に帰るのか。どちらかお好きな方を選んでください」


 エレナは冷たく言い放つと口元に添えていた手を首へと移動。それからサムエルの首を鷲掴みにして二つの選択肢を突きつけた。

 と言っても、颯馬や自分を襲いに来たのだ。ただで返すつもりは毛頭ない。それは、命を握られているサムエルも察しているのだろう。


 その猫目に見えなくもない瞳を自分に向けて、サムエルは掠れた声で笑うと


「どちらを選んでもただでは終わらない……様ですね……。さて……どちらを選ぶべきか……」


「無駄口を叩く暇があるのなら、ハッキリと答えてはくれませんか? 私は正直、あなたの首をへし折りたくて仕方ないのですから」


 口にすると同時に首元を持つ腕に力を籠める。

 途端にサムエルは余裕を持った笑みを苦痛に歪めてしまうが、それでもなお不思議なことに余裕を感じさせる雰囲気が消えない。


「……その様子だと、私に何か隠しているみたいですね」


 今の状況は十中八九自分の方が有利と言えるだろう。

 ほんの少し奴の身体を見てみれば、腹部の損傷に頭部から流れ出る滝のような青い血液。医療に携わる存在に見せなくとも瀕死状態なのは明らかだ。


 しかし、それでも奴の顔からは苦痛に混じって何か確実な勝機を得ている余裕感を覚えてしまう。


 エレナは一思いに首をへし折ってやろうかと思いながらも、サムエルが感じている勝機に疑問を持ち問いかけた。

 瞬間、サムエルはエレナをその猫目で見据えると、首を絞められていることをまるで気にしていないように大声を上げて笑った。


 薄汚い、気持ち悪いとさえ思える嫌な笑い声が辺りに木霊し、奴がその声を止めて口にした言葉を自分の耳が捉えたその時


「――このッ!」


 あまりの怒りにエレナは握っていた奴の首をへし折るどころか握りつぶしてしまっていた。

 首から噴水のように飛び出る青い血液を全身に浴びながらも、エレナはその思考を別の方へと向けざるを得ない。


「やってくれましたね、サムエル……。そうですか、これは元々颯馬様をその手中に収めるための作戦と言うことですか」


 頭に血が上るのを感じながらも、エレナは冷静に思考を巡らせ魔力探知を遂行。

 そして、先程まで自分とサムエルがいた場所に颯馬の魔力、いや#アモンドレイク__・__#の魔力を感じないことを確認すると同時にその背に翼を生やし天高く舞い上がった。


 目指すべき場所は、アモンドレイクとそして……つい先程自分が殺したはずのサムエルの魔力を感じる場所。


「『大事な人は預かった』とは。私に対してその方法をとることが、どれほどの自殺行為なのか知っているのでしょうか?」


 自身の不甲斐なさに怒りを覚えながらも、それ以上の感情をまだ見ぬサムエルに対して募らせ、エレナはただひたすらに飛んできた空を引き返していく。


 そんなエレナを見送るのは首から上の無くなったトカゲ人間ではなく、彼の物なのだろう微動している尻尾だけだった。

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