第4話

 身体が痺れる。ソレが今の俺の状態に近いのだろうか。意識があるようでないような気がする。上も下も右も左も把握できない。

 一寸先も見えない暗闇の中、ただあるかどうかも分からない地に足をつけ、ただ立っている状況はまるで夢の中にいるようだ。


「……」


 口を開けど声は出ない。

 それどころか、口という身体の部位すらあるのかどうかも分からない状態だ。


 一体何故俺はこんなところにいるのだろう?

 確か、助けた美幼女を連れ帰って沙紀さんの帰りを待ってる途中に、彼女に首筋をガブっと一噛みされてから――うん、それからの記憶がございません。


 何があったらこんな何も無くて面白みに欠ける場所にたどり着くんだろうな。

 もしかして、ここが地獄ってことだろうか。だとしたら本当に辛い場所だぞ。


 鬼とか化け物に出くわすよりも安全ではあるが、確実に退屈な世界だろうよ。


「……」


 何も口には出来ないけれど、一応嘆息してから俺は見えない地面を踏みしめて歩き始める。

 少し身体が痺れてる状態が続いているが動けないわけでは無い。だからこそ、俺は歩き始めたんだ。


 だって真っ暗闇だしね。ただ突っ立っているだけだと心細いんだ。


 何もしない状態でいるより身体を動かしている方が気分的に楽。

 俺は何処に向かっているのかも分からないまま、真っ暗闇の空間をひたすら歩いていたのだが


「――そっちはダメだ」


 どのくらい歩いたか分からない。そんな状態であった俺の耳に初めて入って来た他人の声。

 多分男だろうと思える相手の声が耳に聞こえたと同時に、今度は手首に感じる掴まれた感触。


 振り返り見てみれば、俺の手首に巻き付く黒い影のような何か。

 腕のようにも見えるソレは不思議なことに奇妙とは思えても、怖いだとかそういう感覚を覚えない。それどころか、懐かしさを覚えるくらいだ。


「その先は君が行ってはいけない」


 手首に巻き付く黒い影を辿り、前を見据えてみれば人の形を模した黒い炎。

 まるで黒いシルエットのようにも見えるソレは、人の姿をしてはいるが肝心の姿形は鮮明ではない。


「その先は……本当の地獄だ。生者の君が行くべき場所じゃない」


「……おれ……は……生きて……るの……か……?」


 黒い炎から確かに聞こえてきた声。

 その中に俺と言う存在がまだ生きていると促す言葉を拾い、思わず聞き返す。


 口から放たれた言葉は途切れ途切れで掠れている。とてもじゃないが普通ではない。

 だが、目の前の彼には理解出来たのだろう。炎で模られた頭を縦に振ると、俺の手首をつかむ腕とは反対の腕を背後に伸ばした。


「……あれ……は……?」


「君の世界への道だ。あそこへ向かうんだ」


 彼の指さす場所に見えるのは一筋の淡い光。

 だけど、いくら小さかろうともこの暗闇の中、初めて目にした本物の輝きだ。


 光という意味では目の前の彼も炎である為輝きではある。

 だけど、彼には失礼かもしれないが真っ黒い炎は薄気味悪くも感じるからな。あの小さくとも希望を感じる光に比べれば、彼の炎はかすんで見えるものなんだ。


「君はまだ死ぬべき存在じゃない。君にはまだ……やらなければならないことがあるんだ。——さぁ、行って」


 真っ黒い炎の彼に促され、俺は小さな輝きに向かって歩き始める。

 すると、それまで淡いものでしかなかった光がその輝きを増して、その場全てを巻き込む光となった。


 目に映るのはただ眩い光のみ。

 それ以外の光景なんて目に映らない程の輝きに鮮明に見える自分の腕で目を覆い、必死に眩しさを我慢しながら俺は歩き続けた。


 そんな時、俺は背後から再び炎の彼の声を聞いた気がする。


「――頼むよ」


 鮮明には聞こえなかった。でも、切実にも聞こえるそんな声に俺は無意識に「あぁ、任せとけ」とまともに動くようになった口で答え、光にその身を投じていくのだった。







「――知ってる天井だ」


 まるで悪夢のような真っ暗闇から解放されて、俺が一番初めに目にした物は毎日目が覚めると必ず視界に入る自室の天井だった。


 シミの一つも見つからない真っ白なクロスの天井は、何度見ても何の感情も芽生えない。

 もう見慣れたものだからね。どれだけ綺麗だろうと、感動なんて全くしない代物なんだよ。


「クソ……身体ダルいな」


 まだ微妙に重い気がする頭を押さえて上半身を起こしてみる。

 頭どころか身体全体が重りをつけてるみたいに気だるい。おそらくはあの奇妙な幼女に彼女曰く好物の”血”を大量に吸われた作用だろう。


 あの幼女。吸われた側が意識をなくすことを知っていて吸ったんだろうか。

 だとしたら、無自覚に性格悪いぞ。


「つーか、俺っていつの間に自分の部屋に戻ったんだ? もしかして、沙紀さんが運んでくれたのか?」


 俺が倒れたのはリビングのはずだ。

 ソレが知らない間に自室に戻っていたとするなら、確実に第三者の力を借りたことになる。


 俺の身体から血液を大量に吸ったあの美幼女を省くとするなら、残るはこの家の主である沙紀さんくらいなものだ。

 帰ってきた途端に倒れた俺を見つけて看病してくれたんだろう。後で謝らないとな。


 そんなことを考えながら、俺は自分の机の上に置いてある時計を見据えて時間と、そして時計の機能として供えられたカレンダーを確認すると


「五月六日……間違いない。日をまたいでるな」


 昨日が五月の五日だったからな。

 記憶が吸血のおかげで改変されて無ければ日が一日過ぎている。つまりは、あの出来事は夢ではないということだろう。


 全く、最悪な現実だな。

 バイトから帰る途中に変なオヤジから美幼女助けたかと思えば、今度はその女の子に襲われて挙句血を大量に摂取されたんだ。

 献血でも人が気絶するほど摂取することないのにな。


 とんでもない幼女だったと言えるだろう。


「まぁ、何にせよ生きてるんだし問題ない。それに今日は土曜日だ。昨日のことは忘れて遊びつくすとしますかね」


 とは言っても、俺のような現代っ子は外で遊ぶような子供らしいことはしない。

 有り余る体力を消費して騒ぐのは、中学二年生くらいで卒業だ。今は絶賛オンラインゲームが主だろう。


「今日は良平もインするらしいし、さっさと始めないとアイツ怒るだろうな」


 俺と同じくオンラインゲームに熱中している親友のことを思い出しながら、俺は手を支えにベッドから降りようと右腕を身体のすぐ横に置く。

 そして、力一杯立ち上がろうとしたのだが


「――うん?」


 俺の手のひらはいつも触っているベッドとは別の柔らかさを俺の身体に伝えてくれた。

 ソレは布団よりも弾力があって、少し硬い。それでいて生きているかのように暖かく、触り心地もまた良いのだ。


 まるで、スベスベな赤ん坊のような感触に俺は疑問符を頭に浮かべ、その存在に視線を向けた。

 そこにあったのは俺の布団。うん、ソレ事態は別に問題はない。

 だって俺のベッドの上だからな。布団があるのは別段おかしなところは無いだろう。


 だけど


「――誰、この娘」


 俺の布団にくるまって静かに寝息をこぼしている見覚えのない女の子。

 いつからここにいたのかは把握できないが、何故俺の部屋の俺の隣で寝ているのだろう?


「まさかとは思うけど……俺が連れ込んだ? いや、絶対ないッ!」


 俺に女の子を強引にベッドへと連れ込む度胸が無いのは自分が一番よく知っている。

 だから、俺自身がこの娘を部屋に連れ込み、ベッドインしたのは間違いないくないだろう。


 だとしたら、この娘が勝手に潜り込んだ。それしかない。

 けど……何故なんだ?


「と、とにかく……顔を洗ってこよう。――夢かもしれないしな」


 肌触りを感じたのだから夢という線は消失するが、俺の思考がソレを否定する。


 こんなことが現実にあってたまるか。昨日の夜から俺はずっと夢を見てるに違いない。というか、それしかありえないんだ。


 起きたら隣に美少女が寝ていた?

 そんな美味しい展開が、俺のような平凡な高校生に恵んでくるはずがないだろ。


「そうだよ……コレは絶対に夢だ」


 呪文のように何度もつぶやきながら一階に移動。

 そして、非番であるのにも関わらず、毎日の習慣で朝早くから起床し洗面所にて寝癖を直したり歯を磨いている沙紀さんの隣に立った。


「おはよう、颯くん。昨日はぐっすり眠れた?」


「おはよう、沙紀さん。ごめん、いつの間にか寝てたみたいだよ」


 朝の挨拶を交わすと同時に迷惑をかけたことに関して謝罪してみれば、沙紀さんは「良いのよ、別に」と短く答えながらニヘラと笑みを浮かべる。


 仕事が終わってクタクタだって言うのに、更に帰ってから大人と変わらない体重の俺を二階まで運びベッドに下してくれたんだ。

 かなりの重労働だったのは言うまでもないことだろう。


「颯くんにはいつもお世話になってるしね」


「はは……そう言ってくれると嬉しいよ」


「本当に感謝してるわ。――それで、話は変わるんだけど」


 口に含んだ水を吐き出すと沙紀さんは口元に着いた水滴をタオルで拭き、俺に視線を向けて来た。

 瞬間、俺の身体を嫌な寒気が襲う。


 それはまるで獲物を見つけた狩人のようだ。しかも、女性が恋に関する話題に敏感に反応したかのような甘く、それでいて興味深々なところが隠れることなく表れていた。


「昨日の女の子の話だけど、聞けば――」


「うおあぁぁぁぁぁぁあああああ~~ッ!?」


 忘れたかった内容に俺は思わず悲鳴を上げる。

 出来れば夢であってほしかった。


 何があったら美幼女に首筋を噛まれて血液を摂取されるのだろうか。何があったら俺は美少女と同じベッドで寝ることになるのだろうか。

 分からないことだらけだが、とにかく今一番考えたくないこと。

 ソレは彼女に対して俺が寝ている間に何かしてないかということだ。


「ちょっ、颯くん!? 落ち着いて、まずは深呼吸よ! 何があったのかは知らないけれど、まずは深呼吸して落ち着きを取り戻してから……あの娘に会いに行きなさい!」


「あの娘ってアレだよな!? 俺の隣でいつの間にか寝ていた美少女の所にだよな!?」


「――えっ? そ、颯くん。彼女と一夜でそんな関係になったの? あらやだ、もう颯くんなんて子供らしい呼び方出来ないじゃない」


「やめてッ! 今、一番考えたくないことなんだからさッ!」


 俺はそれだけ告げて逃げるように沙紀さんの前から姿を消す。

 無論、向かう場所は俺の部屋だ。


 沙紀さんの反応を見る限り夢でなく現実と言うことは容易に理解できたよ。いや、そう自分に言い聞かせなければならない状況に陥ったのだ。

 ここは覚悟を決めるしかないだろう。


 何か粗相をしでかしていたのなら素直に謝るのが一番だ。

 土下座でもなんでもやって彼女に許しを得る。ソレが容認されないようなら、我が命を差し出してでも……。


「――ッ!?」


 そんなことを考えながら自室に急いで向かった俺を迎えてくれたのは、いつの間に目を覚ましたのかは分からないが、俺の隣でスヤスヤと寝ていた美少女だった。


 彼女は上半身を起こして惚けたように真っ直ぐ部屋の壁を見ていたが、部屋に入って来た俺の存在に気が付いたのだろう。

 ゆっくりと俺に顔を向けて来て、その綺麗なパールピンク色の瞳で俺という存在を確認すると、大きな瞳を見開き硬直。


 そして、目にも止まらぬ速さでベッドを抜け出すと


「アモンドレイク様ッ!」


「ぬおっ!?」


 見当違いにも程があるというか、まるで別の誰かの名前を口にして俺の首筋に抱き着いてきた。 


「久しぶりです……グスっ、アモンドレイク様……」


 俺は正直、先程から現実が理解出来ないでいた。


 窓から差し込む朝日の光をいっぱいに浴びて美しく輝く白銀の髪が印象的な美少女。

 その大きな瞳からは涙を流し、控えめながらも俺に抱きつくその様は何処かのご令嬢を連想させる。


 そんな彼女が俺の身体に抱き着き、さっきから得体の知れない誰かの名前を連呼しているんだ。


 誰だよ”アモンドレイク”ってさ。

 俺の名前は龍宮颯馬であって、他の名前は持ち合わせていないはずだ。あったとしても、呼び方を逆にして海外っぽくするだけ。


 もはやイジメでもつけられないようなあだ名をもった覚えは無いぞ。


「あ、あの……すいません、さっきから君が何を言ってるのか全然――」


「あなたを愛しています。勿論、この世界の誰にも後れを取らないほどに……」

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