第2話

 始まりは学校が終わり、金曜最後のバイトに精を出して疲れ果てて帰宅している最中の事だった。


 平日最後ってこともあるから俺の方からシフトを長くしてくれるように頼んでいたんだが、思った以上に辛い一日だった。


 並んでくる客は主婦の方々が主なんだが、買い物カゴに食品やらを大量に詰め込んでくる挙句に、時間が無いからと急かして来たり。値段が高いんじゃないかと、クレームをつけてきたりもした。


 本当に面倒な客が多くて気が滅入る数時間だったのは言うまでもない。


「ハードスケジュールすぎるだろ。しかも、面倒な客ばかり並んできやがって。何がレジ打ちが遅いだよ」


 悲しきかな、学生と言うのは金を浪費する人種なのだ。


 一応は親からの仕送りもあるから生活には困ることは無いんだよ。


 俺の通っている高校はそこそこ学歴の良い連中が通える学校だからな。


 将来良い職種に就けるのならと親も背中を押してくれて、今は学校近くに住んでいた叔母である#西川沙紀__にしかわさき__#さんの自宅の一室を借りて生活してるわけだ。


 そう考えれば、雨風しのげる場所も提供されてるわけだし生活に支障はないと言えるだろうけど、結局のところ確保出来たのは住む場所だけ。

 当然のことながら、親戚の家に上がり込んでるのだから親の仕送りの大半は沙紀さんの財布に吸い込まれる。


 残金だけで私服を買ったり文房具屋らを揃えたりするのは難しい。

 だからこそのバイトなんだ。


 まっ、沙紀さんも俺の預金がよっぽど少なくなったら財布のひもを緩めてやるとは言ってくれてるから、あまり心配はしていないんだけど。


「はぁ……さっさと帰ろう」


 腹の中に渦巻く嫌な客への鬱憤が晴れないままに、俺は帰路につく。

 もうすでに時間は夜の九時を回った辺り。上空からは遮る雲の一つすらない快晴から覗く星と月の光が降り注いできている。

 かなり綺麗な空だと言えるだろう。


「――とは言っても、今日の夜から雨が降るとか言ってたな。早く帰らないと」


 一応居候の身分だ。毎日仕事で夜遅くに帰ってくる沙紀さんに家事まで任せるわけにはいかないため、掃除から食事、洗濯までと家事全般が俺の家での仕事になってるんだ。


 全く、バイトから解放されたばかりだって言うのに、家に帰ってまでやることが沢山あるとなるとやっぱり疲れるものだよ。


 少しくらいは手伝ってもらいたいとは思うが、沙紀さんに任せるとほとんど失敗だらけだし。

 結局のところ、俺がやるしかない。


「――ん?」


 天気予報で言っていた雨を警戒して少しばかり早歩きで帰宅している途中、俺は妙なものを見つけた。


 夜であるから鮮明には確認できないが、大小と二つの黒いシルエットなのは間違いない。


 どちらも人の形を模しているが、明らかにただ事じゃないことを俺に教えてくれた。だって、片方がもう片方の身体を押さえつけているようにも見えるのだから。


「何やってんだよ、アイツ――ッ!」


 目を凝らして確認して見れば、片方は貧相な衣服を身に纏ったオヤジ。

 まるで、風呂というものに数年浸かっていないのではないかと思えるその見た目は、嫌気以外の感情を覚えない。


 そして、そんな気持ちの悪い親父の手によって壁際に押さえつけられているのは少女だ。


 見た感じ小学生くらいだろうか。

 口元をオヤジに抑えられて悲鳴の一つすら許してもらえない状況で、そのピンクパールのように綺麗な瞳に恐怖の感情を露わにしている。


 明らかに非常事態。

 俺は瞬時にソレを理解すると、その場から走り出す。中学時代は陸上部に入部していた俺の足は奴との距離を瞬時に埋めてくれて、相手が俺の存在に気付いたころには


「このクソ野郎ッ!」


 相手の顔面に渾身の拳を叩きつけることに成功していた。

 無論、オヤジは少女を襲うことしか頭になかったらしく受け身もとれないまま地面に倒れ伏せた。だが、意識までは奪えていなかったのだろう。


 奴は驚愕と憎悪に満ちた視線を俺に向けて来ていた。


「よくも、邪魔を……」


「まぁ、お楽しみの所を邪魔したのは悪かったよ。でも良いのか? 俺が通話ボタンを押せば、警察がやってくるぞ?」


 あらかじめ110番を押しておいた携帯を見せびらかして俺は笑う。

 残りは通話ボタンをプッシュするだけ。そうすれば警察がやって来てこのオヤジは逮捕だ。


「警察のお世話になってまでこの子を襲いたいのか?」


「……チッ」


 オヤジは舌打ちをして俺に背を向け走り出す。

 殴られた頬を押さえて走るその姿は見ていて滑稽ではあるが、奴の姿が見えなくなったと同時に身体から力が抜けるのを感じた。


 俺だって喧嘩の一つはする。だけど、あんな見ず知らずの確実にホームレス的なオヤジを相手にしたこと無いからな。


 さらに言えば、あんな風に殺意の籠った眼差しを受けたのも初めてだ。

 恐怖を覚えないはずがない。


「……って、俺が気絶してどうすんだよ。とにかく、この娘をどうにかしないとな」


 高ぶっていた気分が静まると同時に倒れそうになる身体を必死に抑えて俺は振り向く。

 そして、先程まで襲われていた少女を見据えてみれば、彼女は困惑した表情で俺を大きな瞳で捉えていた。


 その人形のように華奢な身体を両手で抱きしめて、恐怖に震える様は小動物を連想させるが場合が場合だ。

 普段であれば悶えていそうな状況に苦笑して、俺は彼女の目の前で屈みこむと


「もう多分大丈夫だよ、怪我は無かったか?」


 心配させまいと笑みを浮かべて聞いてみれば、彼女は小さく頷く。

 見たところ大きな外傷も見受けられないし、本当に大丈夫なんだろう。


 まぁ、多少は彼女の身に纏っている服。所謂、ゴスロリに近い衣装がはだけてあられもない格好になってしまっているが、その他に目立ったところは無いからな。

 心配はない……と思っていたのだが


「――お、おいっ!?」


 恐怖から解放されたからなのだろう。

 彼女は糸の切れた人形のように俺にもたれかかって来た。思わず彼女の身体を抱きしめて支えるのだが、見た目同様に彼女の身体は小さくて少し力を入れただけで壊れてしまいそうなほど繊細な気がした。


 こんな少女の身体を抑えつけてたとか、あのオヤジは本当にクズ野郎だな。

 あの時110番押しとけばよかったかもしれないよ。


「家も近いし、一度帰るか。このまま放っておくわけにもいかないし。それに、こういうことは警察官の沙紀さんに任せた方が一番だしな」


 何を隠そう、我が叔母は警察官だ。しかも、割と活躍している刑事さんで腕は立つし美人だしと、署内では有名だという噂があるくらいだ。


 ほぼ警察沙汰の今回の事件、学生の俺がでしゃばるよりも沙紀さんに任せた方が良いだろう。


 ほとんど任せてるようで悪い気もするが、俺に出来るのはせいぜい殴りかかるくらいなものなのだから仕方ない。


「さてと、帰るか……」


 自宅まではここからものの数分で着く。

 さっきのオヤジが帰ってくるかも分からないし、安全な場所に移動した方が良いだろう。


 俺はまるで誘拐にも近いなと苦笑して、全体重を預けて眠る少女の身体を担いで自宅に向かって歩き出した。

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