赤と青。

文乃 雛

雨宿りの主との蜜事


ざあざあ、と雨が降っていた。天気予報では晴れが明日の朝まで続くとあんなに自信ありげに言っていたから今歩いてる奴らは不幸だな、と赤は小さく笑いながら思案した。他人と触れ合うことをあまり良しとせず、家の中で済むような職を生業にしている男だ。外のことなどあまり関係ないが他人が雨に降られていると思うと少し機嫌がよくなる。そんな男ことアカは並より少し広いアパートで一人ひっそりと住んでいる。書類や好きな本がきっちりと本棚に整頓された様子は性格を反映しているようで。リビングに鎮座するにはほんの少しだけ息が詰まりそうな代物だ。だがそれを用意し整頓したのは紛れもなくアカであるため、彼自身息苦しさに似た何かを体内に得ることはないだろう。綺麗に並んだ本棚の近く、二人掛けのソファの端に座り、背筋を正したまま本を読む。ぱらぱら、と雨と本のページが捲れる音が暫く部屋の中を支配していると突然その空間を引き裂く音が聞こえた。

ガチャガチャと鍵穴に鍵を入れて乱雑に回すような、もっと悪意を増して言うなら馬鹿な盗人が人の目を気にせず鍵を殴っているような音。その音を聞いて反射的にアカは本を持ったまま体を音のほうへと向け玄関を見た。数分もかからないうちに玄関の鍵はガチャンという音を立てて開く。アカは仲の良い友人の数人には合鍵なるものを渡している。鍵が開いてという事はその友人のうちの誰かの可能性が高いが、あまりの音と恐ろしさに身構えるしかなかった。読んでいた本に栞を挟んでそっとテーブルへ置き、鍵が開いた音を聞いて扉の向こう、短い廊下の先にある玄関をそっと覗いた。

そこには部屋の明かりが少ししか届いていないにも関わらず煌めく瞳が見えた。あまりにも青く澄み人形じみたその瞳があり。雨に降られ濡れたであろう髪はぐちゃぐちゃに崩れており、着ている黒一色の普段着もずぶ濡れだ。アカはそんな光景を見てようやく心から安堵した。盗人でなくてよかった、と。

だが続けて心配事が増えたためアカは慌てて玄関先に立つ男、アオに声をかけた。

「そんなずぶ濡れで入らないでくれないか。」

足音だけでぐちゃぐちゃと中に水が染みている様子が分かる。アカは自宅の廊下を

濡らしたくない一心で声をかけた。その声を聴き靴を脱ごうとしたアオは二秒程度だけ固まって相手の声を思案してから靴を脱いでぐちゃぐちゃに濡れたままの靴下で廊下を歩いた。アカが危惧していたことを平然と行っては歩幅を大きく取り、廊下に自身の跡を記録していく。アカはそんな様子をソファに座っていたまま眺めていたが隣まで来られさらに濡れた衣服を脱がないまま自分のお気に入りである布製のソファにアオが腰かけるまでを見てから深くため息をつき、そして努めて冷静に声をかけた。

「アオ、私は濡れたまま私の家に入ってくるなと言ったはずだが?」

怒っているはずだが声にも態度にもその一片たりとも出していない、いつも通りの様子で声をかけたアカ。だが、それを聞いたアオはそのガラスのような双眸を細めいやらしく口角を上げて声を発した。

「それはすまない、なにせ雨に濡れて体を冷やすところでな。それに玄関は扉が閉まっているとはいえ隙間から風が入り、外に近い分気温が低い。濡れたままの私には些か辛い場所でね。」

謝ってはいるがきっと心からの謝罪ではなく、むしろ揶揄っているような声色だった。子供の言い訳のような文章に笑ったような声色にアカはまた深くため息をついた。

「合鍵を持たせているのは遊びに来てもいいから、とは言ったが。何の前触れもなく来るために渡したわけではない。」

「だが使わないのは勿体ないだろう。」

「勿体ない以前の問題だ。大体こんな雨の日に、ずぶ濡れになって注意も聞かず、家に上がるのは、家主の私に対して無礼だとは思わないのかい。」

先ほどまで外で雨に降られた奴はかわいそうだなぁと他人事で、むしろあざ笑う程度には優越感に浸っていたが今じゃ逆。雨降らせたやつ出て来いと言いたい内心を抑えて目の前の無礼な男の対応をする。すでにいくつかの会話だけと長年の付き合いでこいつに口では勝てないと分かってはいるが、それでも何か言わないとやってられない。アカの心境はそんな様子だった。だがそんな堪えるような性格や心根を踏みにじるようにアオが声を発する。

「失礼とは思っているが…、それより風呂は沸かしているのか?数少ない友人が雨に濡れているのに優しく出来ない男は嫌われるだけだぞ?」

内心はこいつをどうにか外に追い出したい。だがそれを押し込め声を返す。

「………風呂は、お前が来る前から個人的に沸かしていた。あと一分もしないうちに入れるようになる。」

何とか思考を押し込め額に血管を浮かばせながらもアカは笑顔で対応した。だがアオの口撃はそこで留まることはなく、自身が風呂に入れると分かるや否や。

「友人にも女にも会う予定がない中でよくそんなに身だしなみに気を使えるな」

「流石はお前だ、綺麗好きは俺の耳にも入っているからなぁ」

などと、明らかにアカを下に見るようなニヤついた笑みでの発言が羅列された。普段の生活でも時々見せる人を馬鹿にしたような態度とケタケタという擬音がぴったりな笑い方。そんな様子を見せながらアオは自身の口元に白く骨ばった指を当てている。流石に良い事をしてやったのにこの扱いではアカも脳内に怒りが溜まっていき、最終的には堪忍袋の緒が切れた。アカは己が知りうる語彙の中で目の前で笑うアオを罵りながら一旦席を外し、罵ったまま脱衣所にあるバスタオルをもって戻ってきた。ソファに座るアオの背もたれ越しに立ったアカはタオルで乱雑に彼の髪を拭いたまま声を発する。読書を趣味とする彼の罵倒にはレパートリーが多く、また早く乾けと言わんばかりに乱雑にアオの髪を拭いてやった。アオの笑いは増すばかりだった。

アカが一つ罵倒に似た何かを口にすれば、その五倍ほどの質と量の言葉が返ってきた。自身が責める側に立っていたはずのアカだったが打てば返ってくる言葉の応酬に飲み込まれそうな感覚がした。長く思える密な問答を何度も繰り返し、すでに罵倒も質問も答えも舞台のような長台詞へと変わっていた。だがその終わりは呆気なく、また思いもよらぬ方向で幕を閉じた。

濡れた髪をタオルで拭いていた手を取られる。

ソファの背もたれより後ろに立っていたアカは。

嫌がるそぶりを見せる間もなく体勢を崩し。

吸い込まれるようにして。

目を細めて笑うアオに唇を奪われるのだった。

そして呆然とするアカに青い瞳の彼は続けた。

「そんなに嫌でも私を捨てられないのは貴様が余程の物好きか、阿保だからだな。」

唇を奪われた後は、手を引かれ青い瞳の彼の思うまま。アカの自宅だというのに彼は慣れた様子でアカの寝室にアカ自身を引き摺り込む。途中アカは何度も嫌だという意思をはっきりと言葉で示したが。

「貴様の嫌は、好い、だろう?」

という暴論で揉み消されてしまった。雨に濡れた体温の低い手が繋がれる、対照的に部屋の中で本を読んでいた手は燃えるように熱く感じた。手を引かれ、扉を閉められ、最初に家に来た時のような乱雑な鍵の音が鳴る。これからされることが分かってアカは己の顔がどんな顔をしているのか分からなくなった。寝室は暗い、外は雨だ、顔は見えないだろう。これから愛がなければ行われない行為をするというのに自身さえも雑にベッドへと投げられる。柔らかなベッドが自分を支えるのを感じながらアカは声をかける。

「明日の朝食は作りたいんだが?」

声が震えている、だが平常心を取り繕った。

「明日の朝食は俺の当番だろう?」

最終通達、死刑宣告。そんな言葉にも似た言葉を返されようやくアカは覚悟を決めた。暗闇なのに青く輝く瞳を持つ男の指が自身の服を脱がしていく。くすぐったくて漏れ出た笑いが暗闇の中で二つ、交わった。

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赤と青。 文乃 雛 @atelier-yasyoku

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