第26話

 


 純香は、背筋に悪寒が走るのを感じた。そこには、予想だにしなかった真実が赤裸々に綴られていた。純香は、探偵気分で調子に乗っていた自分を恥ずかしく思った。母の自殺の原因は全く違うところにあったのだ。父は何も教えてくれなかった。父は一人、その屈辱に耐えていたのか……。


 ――純香は、帰宅した柴田に無言で抱きついた。


「……どうしたんだよ」


 不意に抱きつかれて、柴田は当惑した。


「……ううん、なんでもない。おかえりなさい」


「お母さん、子どもの前やちゃ」


 美音が呆れた顔をした。


「あら、いたの?」


 純香がとぼけた。


「ずっといたわちゃ」


「どうしたんだ? 二人とも」


 ネクタイを緩めながら美音を見た。


「私はいつもと変わらんわちゃ。お母さんがおかしいのちゃ 」


「イッヒヒヒ……」


 純香が変な笑い方をした。嬉しかった。幸せだった。純香は、柴田と美音との、この生活が天国に思えた。


「お父さん。きょう、すき焼きやちゃ」


「おう、うまそうだな」


「美音、卵持ってきて」


「は~い」


「松崎んちに寄ってきたよ」


 ジャケットを手渡した。


「……」


「家は無かった。火事に遭ったんだと。お隣に聞いたら」


「えー?」


 純香は、初耳の振りをして驚いてみせた。


「ご両親が亡くなって、親戚の家に引っ越したんだと」


「あのね、例の医者だけど、名前、徹じゃなかった」


 この件は終わりにしようと思い、純香は嘘をついた。


「だろ? ったく、早とちりなんだから」


「お父さん、卵二つ入れたちゃ」


 美音が、卵を入れた呑水とんすいを盆に載せて運んできた。


「お、サービスがいいな」


「元気で働いてもらわんにゃ。四人家族になるんやさかい」


 美音はそう言いながら、大きな牛肉を選んで自分の呑水に入れた。それを見て、純香と柴田は目を合わせて笑った。



 ――夏休みが終わる頃、意外な人物から電話があった。……徹だった。


「…… ひょつんとすみません。父からの手紙ちゃ読んどっただいたでしょうけ 」


 へりくだった言い方だった。


「あ、はい」


「晴樹に会うてもらえませんか」


「……ええ」


 宿敵だった徹が、今は味方になった。……そう。仮に母と入籍していれば、継父けいふになるのだ。純香は、待ち合わせ場所を、母と徹が出会った実家跡にした。



 約束の時間より少し遅れて行くと、同じ背丈の二人の男が神妙な面持ちで浜辺にたたずんでいた。日傘を片手に小走りでやって来た純香に、二人はお辞儀をした。例の医者が松崎徹で、例の青年が炭谷晴樹だということが、目の前で明らかになった。


「……ハルキです」


 徹の紹介に、晴樹は謹厳実直きんげんじっちょくな面持ちでお辞儀をした。


「……スミカです」


 自己紹介しながら、繁々と晴樹の顔を見つめた。あの時は遠目で判断できなかったが、目の前の晴樹は、私の容貌ようぼうと、徹のクールな眼差しを受け継いでいた。それはつまり、母と徹の子供であることを証明していた。


「晴樹が来週には東京に帰るんで。東京の大学に行っとるがで」


「……そうなんですか」


「晴樹、ちょっこし向こうに行っとって」


「はい」


 晴樹は純香に軽く一礼すると、ゆっくりとなぎの海に向かった。


「……僕を恨んどるでしょうね」


 暗い目を向けた。


「……あなたのお父様から手紙をいただくまでは」


「当然や。お母さんを彷彿ほうふつとさせるあんたが病院に来られた時から分かっとった。お母さんの自殺の原因ちゃ僕にあるて思うて、探りに来たんやと。僕のしたことは恥ずかしいことや。弁解はしません。

 僕はあの時、理性を失い、お母さんを犯した。あの光景が眩しかったがや。ミニスカートから伸びた綺麗な脚が……。無我夢中でした。背後から口を押さえると、激しゅう抵抗するお母さんを力ずくで……。

 しかし、……信じてもらえんでしょうが、途中から互いに求め合うたがや。その一度の行為で、僕たちは愛し合うたがや。互いに見つめ合い、そして唇を重ねた。恋人同士のように……。僕は、あんたのお母さんを愛ししもたがや。理解できんでしょうが、嘘じゃありません」


 徹は想いを込めて、熱く語った。

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