第12話

 


「お姉ちゃん! 美音っ!」


 ただ事ではないその美音の叫びは、純香の心臓の音を激しく打った。急いで開けたドアの向こうには、普通ではない美音の顔があった。おののきのあまり、純香は目を丸くしたまま言葉が出なかった。


「お父さん、いっけ?」


「ううん、来てない。どうしたの?」


「お父さん、帰って来なんだ」


 美音は今にも泣き出しそうだった。


「入って」


 美音を中に入れると、急いで炬燵と電気ストーブのスイッチをオンにした。


「電話もなかったの?」


「うん」


 炬燵に入った美音が暗い顔で俯いていた。


「こんなこと初めて?」


「うん」


「……何があったのかしら」


 純香は長大息ちょうたいそくをつくと、台所に行った。――


 美音に湯煎ゆせんで温めた牛乳を飲ませると、チキンライスを作って食べさせた。「後で会社に電話してみるから」と美音を安心させて帰した。


 事故にでも遭ったのではと思い、朝刊とテレビのニュースを見た。……柴田の身に何があったのだろう? 電話一本できない事情とは? 何か事件に巻き込まれたのだろうか……。


 柴田の出勤時間まで仮眠しようと横になってみたが、結局眠れなかった。――焦燥感からか、九時前からその誰も居ない会社に何度も電話をしていた。その度に、呼出音だけが空しく鳴っていた。――九時ジャスト。五回のコールで繋がった。


「はい、ドリーム出版です」


 若い女の声だった。


「在宅校正の森ですが」


「あ、はい」


「社長は?」


「いえ、まだ出勤していませんが」


「昨日は何時頃帰りました?」


「えーと、五時前です。急用ができたからと言って」


「その時、誰かから電話があって出掛けたのかしら」


「さあ……。あったとしたら、社長に直通だと思います。私は受けてないので」


「そう。社長からはその後なんの連絡も?」


「ええ。ありません」


「ありがとう……」


 受話器を持ったままたたずんでいた。心配でたまらなかった。柴田の声が聞きたい、顔が見たい。寝不足と不安で、食欲が無かった。テレビを点けてみたが、内容など耳に入っていなかった。何をすればいいのか、気持ちの整理もつかず、無駄な動きばかりをしていた。


 ――その電話の音にギクッとしたのは、コーヒーを淹れている時だった。これほどまでに電話のベルを大きく感じたことは、かつて無かった。慌てて受話器を取った。黙っていると、


「……もしもし」


 声が聞こえた。柴田だった。


「はいっ」


 純香は昂奮こうふんしていた。


「……すまなかった。詳しいことは後で話すから」


「それより、美音ちゃんに連絡して。留守電にでも」


 柴田が無事だった安心感と、心配させた怒りで、純香にそんな無感情な言い方をさせた。


「分かった」


「心配して、うちに来たのよ」


「そうか。悪かったな、心配かけて」


「……ううん。何事も無くて良かったわ」


「……今夜、行くから」


「……ええ」


 柴田の声が聞けた安堵感から、純香は俄然がぜん食欲が湧いた。だが、柴田の雰囲気から何か深刻な事情を感じた。本当は開口一番に連絡できなかった理由を問いただしたかったが、後で話すと言われた以上、柴田の意思に任せるほかなかった。


 三人で食事をする予定の純香は、食材を買ってくると、ついでにドアの郵便受けから夕刊を抜き取った。食材を冷蔵庫に入れると、新聞の社会面を広げた。――そこに、気になる記事があった。

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