【サレ妻ライターがサレたこと】

「サレ妻」って言葉をご存じかしら?


 端的に言うと、夫に浮気されている妻のこと。言葉って不思議だな、って私は思う。カジュアルな響きからは、そんな内容を想像出来ないからだ。そういえば「パパ活」だって「売春」をポップな響きにしただけで、内容はエグい。まあ、有り体に言えば、「サレ妻」という言葉も、そんな感じだ。


 そして、人は、話を聞くのが好きである。


 私……柏森かやもり美香みかは「サレ妻」を題材に扱ったシナリオを書くライター。この題材は今の時流に乗っていて、とにかく売れる。売れすぎて、設定の似たり寄ったりの作品ばかりだ。そんな中、私の書いた「自分の妹と夫が浮気した話」は、そこそこのヒット作になった。それから私はシナリオライターとして生計を立てている。


 その日も朝からシナリオを執筆していると、娘のあやが私の部屋にやって来て、朝食を強請ねだってきた。もうそんな時間か、と、時計に目をやって慌てて朝食の準備をする。


 しばらくして夫の紘一こういちがリビングにやって来た。綾に、おはよう、と言って食卓に座る。


 結婚して今年で10年。


 夫婦仲は良い方だと思う。娘の綾は来年、小学生。なんでもない日常が続く。とても幸せだ。ただここ最近、私の心には小さなとげが刺さっていた。


 紘一に対して、不貞の疑いが生まれてきているのだ。


 自分がサレ妻のシナリオを書いているのもあって、その辺りの勘は鋭い。夫が浮気をしている予感を、私は感じていた。


 先ず、ここ最近、紘一の帰りが遅い。休日出勤や出張も増えた。一度、気になって他人のフリをして、会社に電話すると、出張中です、と事務の女性が答えたので確信は持てない。けれど、女の勘がささやく。


 紘一は浮気している。


 実際、最近、夜の営みもなくなった。やたら身だしなみに気を遣うようになった。急に私に優しくなった。スマホを手放さなくなった。


 ……紘一への違和感を消したくて、私は行動することに決めた。


 紘一が寝ている時に、紘一のスマホをチェックする。女性へ送っているメールの内容を一つ一つ調べたが、どれもこれも他愛のない話か、業務連絡。クレジットカードの明細や、車の中身も調べたけれど、確証はない。ここまで来ると、浮気を疑っている事への罪悪感みたいなものが生まれてきて、さいなまれる。


 最終手段として、興信所を使うことにした。


 早速、ネットで興信所に申し込む。費用は浮気調査の場合は30万円~120万円程度とあった。高い。だが、これで紘一への疑いが解消されるなら……。色々な興信所のHPホームページを見ていると、「証拠が取れなければ0円!」という興信所を見つけた。ここにしようと決めて、申し込む。


 仕事で使っているメールアドレスを入力すると、直ぐに興信所から返答があった。


「メール、電話、どちらでも調査内容についてご相談させて頂きます。詳しくご相談をご希望される方は弊社の相談室へお越しください。」


 どうしようか……。私は少し悩んで、直接相談する事にした。希望の日程をメールに記載して送信すると、又、直ぐに返答があった。少し緊張する。


 当日。秋晴れの空には雲一つなかった。私の心の中とは真逆だ。肌寒かったので、薄いコートを羽織って家を出た。ここから電車で30分ほど。雑居ビルの3階に興信所はあった。


 ドキドキしながら、ドアを開ける。柏森です、と告げると受付の男性が頭を下げて、こちらへどうぞ、と部屋へ案内してくれた。相談室は防音機能があるようで、扉が分厚かった。


 部屋に入ると、直ぐに温かいお茶を持ってきてくれて、人心地つく。冷えた体に染みた。数分ほどして、ドアがノックされて50代前半くらいの男性が部屋に入って来た。


「こんにちは、柏森様。私、ここの所長をしている金田かねだと申します」

「宜しくお願い致します」

「こちらこそ」

 軽くお辞儀をする姿を見て、意外だな、と思った。テンプレートの興信所や探偵事務所のイメージとは全く違う。こういった職業のイメージといえば、少し怪しくて危険な存在な存在が頭に浮かぶが、目の前に居るのは何処にでも居る平々凡々な男性だ。


「さて……今回は浮気調査依頼ということで、よろしいですね?」

「はい……」

 私は弱々しくうなずいた。


「どうしてご主人が浮気していると?」

「女の勘としか言えません。確証はないのですが、最近、違和感を感じておりまして」

 私は詳しく、その違和感について金田に話を始めた。


「なるほど……正直申し上げて、その内容だとご依頼を受けるのは難しいかと。ウチは浮気が確定しない場合、料金を頂いていないので、ある程度の証拠は欲しいんです」

「そうですか……」

「ただ個人的に言うと、勘……というものは大事だと思ってます。どうでしょう?一度ウチに任せてくれませんか?数日の調査なら無料に致します。勿論、浮気の証拠を掴んだ場合は正規の料金を頂く事になりますが」

 親身になってくれているのが感じ取れた。私はすがる様に、ゆっくりと頷く。金田は、そんな私を見て微笑んだ。


「では、こちらの秘密保持契約にサインを頂けますか?」

 金田が渡してきた書類と、高級そうなボールペンを手にして、サインをした。


 調査のスタートは紘一が出張に行く日。交通費などは請求させて頂きますよ?との連絡を快諾する。心臓が張り裂けそうな不安感。これが消えるなら安いものだ。


 1時間に一回ほどのペースでメールが届く。その度に目を閉じてから、メールを開いた。新幹線に部下の男性と乗った。車内で弁当を食べている。駅に着いた。宿泊先にチェックインした。


 今のところ、何もなさそうだ。


 その後も取引先へ移動しての商談。部下の男性と夕食。宿へ戻って就寝。と報告が届く。ああ……杞憂に終わってくれるのか。私は嬉しくなって、綾にキスをした後、ベッドに入った。


 次の日、電話が鳴った。


「はい。柏森です」

「柏森様。調査が終わりましたので、一度、弊社に来て頂けますか?」

「はい。でも紘一は浮気してなかったんですよね?」

「……その事を含めて、お話させて頂ければ」

 なんだろう?やはり浮気していたのだろうか。涙がこぼれそうなのを我慢して、綾を幼稚園に送ってから、その足で興信所へ向かう。


 興信所に着いて、バクバクと音を立てる心臓を落ち着かせるように深呼吸をする。ゆっくりと興信所のドアを開けた。


「こんにちは、柏森様」

「金田さん……」

 私は不安で不安で言葉が出てこなかった。


「こちらへどうぞ」

 招かれるまま、相談室に入る。


「で?紘一は浮気してたんですか?」

 私は語気を強めて、金田に質問した。金田は、何も言わずに机の上に写真と書類を置いた。


「結論から申し上げますと、柏森様の勘は当たってました。御主人は浮気してます」

 その言葉に私は気を失いそうになった。頭が揺れる。足元がフワフワする。


「お気を確かに」

「……相手はどんな女ですか?」

 思わずトーンが低くなる。絶対に許さない。紘一も、その女も。


「……写真を見てください」

 私は怒りで震えながら、写真に目をやった。





 そこにはが紘一と抱き合いながらキスしているところが写っていた。





「……これは?」

 体だけでなく、声も震えた。


「柏森様。御主人は浮気してます。男性と」

「そんな!主人はゲイなんかじゃない!」

「柏森様、落ち着いて」

 思わず立ち上がった私を制止するように、手を差し伸べて金田は私を見つめた。


「ゲイ、というのは差別的ですよ」

「失礼しました……でも」

「ここからは『浮気』の定義の話になります」

 金田は、少し嘆息して話を始めた。


「浮気……つまりは不貞行為とは、既婚者が異性と性行為をすることを指します。相手が異性なら同衾どうきんしただけでも証拠になることがあるのですが……例えば、同性の友人宅に宿泊するのは証拠にはなり得ません。今回は偶々たまたま、写真を撮ることが出来ましたが、これも酒に酔っていたから、と言い訳することも出来るでしょう」

「私はどうすれば……」

「柏森様。このまま調査を続けますか?それとも」

「それとも?」

「なかったことにしますか?」

 金田の言葉に私はカッとなって語気を荒げた。


「なかったことになんて、出来る訳ないでしょう!紘一が男と浮気してたのよ!?女と浮気してくれた方が良かった!綾に何て言えばいいの?私の両親には?友人には?」

「柏森様、とにかく落ち着いてください」

 一気にまくし立てて、呼吸が乱れる。金田の言葉通りに、自分を落ち着かせようと深呼吸をした。それでも体の震えは止まらない。これは怒りか、悲しみか。


「では、この写真の他に何点か証拠を集めますか?」

「……そうして下さい」

「つまり、離婚を前提に行動すると言う事で宜しいんですね?」

「ええ!こんなの耐えられないわ!」

「分かりました」

 抑揚のない金田の声。今はそれが心地良くさえある。


 帰宅して、PCに向かう。こんな日でも仕事をしなければならない。まさかサレ妻のシナリオを書いてる私が、浮気をされるなんて。しかも男と。情けなくなってきて、涙が零れた。何度もそれをぬぐって、キーボードを叩く。


 綾を迎えに行く時間になって、いそいそと外へ出た。車のキーを差し込んで、ハンドルを握った瞬間、自分の中で何かが切れる音がする。ダラン……と全身の力が抜けた。ああ……ダメだ。もう無理。死にたい。


 暫く動けずに居ると、電話が鳴った。幼稚園からだ。重い体を動かして、携帯のボタンを押した。


「柏森さん?綾ちゃんのお迎えの時間なんですが」

「はい……すいません。直ぐに向かいます」

 私の声で何かを察したのだろう。保育士が大丈夫ですか?と聞いてきた。


「あー……実は少し体調が悪くて」

「……少し料金は掛かってしまいますが、延長保育を利用されますか?」

「そう……ですね。そうして頂けると助かります」

「閉園時間は19:00です。それまでに迎えに来れそうですか?」

「ええ……それまでには」

 通話を切って、暫く車の中で動けずにいた。シートを倒して、横になる。19:00まで。19:00まで眠ろう。そう思って私は目を閉じた。


 電話の着信音で目を覚ました。紘一からだ。本当は出たくなかったけれど、無理矢理に体を起こして電話に出た。


「美香?今、何処だ?幼稚園から迎えが来ないって電話が来たんだけど」

「……」

「美香?」

「今から向かうわ」

「いや……俺が行くよ。今、近くまで来てるし」

「じゃあ、お願い」

 それだけ言って、電話を切った。そのまま車を降りて家に戻る。


 30分程して、紘一と綾が帰って来た。


「美香?体調が悪いって聞いた。大丈夫か?」

「まだ少し調子悪い」

「そうか。休みな。後は俺がやっておく」

「うん」

 ベッドに入った。目を閉じても綾と紘一の声がして、眠れない。二人で夕飯を食べる音、お風呂に入る音、TVを見る音。どれもこれもが私の眠りをさまたげる。苦しい。


 ようやく綾が寝たようで、紘一が寝室にやって来た。私を気遣ってか、無言でベッドに入って来た。気持ち悪い。私以外の誰かと寝た紘一の存在が、汚らわしくて耐えられなかった。


「ねえ、紘一」

「なんだ?」

 私は覚悟を決めた。


「他に好きな人が居るでしょ?」

 その発言に紘一の呼吸は止まった。


「……浮気はしてない」

「ねえ、紘一。全部分かってるの」

 クルっと体を紘一の方へ向けて、私は上半身を起こした。


「全部?」

「あなた、男の人と浮気してるでしょ」

「……彼とは寝ていない」

「そういう問題じゃないでしょ!」

 私は怒りで唇を震わせながら言った。


「離婚しましょう。綾の親権は貰います。勿論、慰謝料も」

「美香、俺は……」

「うるさい!出てって!」

 私は枕を何度も紘一の頭に叩きつけた。それを制止して、紘一は続ける。


「美香。彼とは寝てない。本当だ。離婚だなんて言わないでくれ。もう彼とは会わない」

「……違うのよ、紘一」

「何がだ?」

「あなたのソレ、本物の愛だわ。寝てないのが、愛してる証拠よ」

 私の発言に紘一はもう何も言えない様だった。





 その後、別居して半年。私は籍を抜いた。綾の親権は私にある。傷は深く、まだ癒えそうにない。事実は小説より奇なり。私の書くシナリオ以上のオチ。次に書くシナリオの題名は「旦那の浮気相手は部下の男性だった」にした。こけてもただでは起きない。


 生きていく為に私は今日も筆を取る。悲しいけれど、今回の話は売れそうだ。






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