【駄菓子屋の珠江おばあちゃん】

 僕達の通う小学校の近くには「三島みしま商店」という駄菓子屋がある。


 店のシャッターは、いつも半分閉まっていて、屋内なのに床板がない。所謂いわゆる、土間だ。夏は涼しいけれど、冬は寒い。冬になると石油ストーブをつけて、暖を取っている店主……珠江たまえおばあちゃんの姿は、たまに仏像に見える事があった。柔和な顔つきに加えて、おばあちゃんはほとんど動かないからだ。僕が六年生になった、とある冬の日もおばあちゃんは殆ど動かずに、レジの前で椅子に座って接客をしていた。


「珠江おばあちゃん、これとこれ!」

 僕の友人が、駄菓子をいくつかおばあちゃんの方へ持っていくと、珠江おばあちゃんは、はいはいと言いながら駄菓子の値段を瞬時に計算して、友人に100円だよ、と言った。友人は100円玉をおばあちゃんに渡すと、ガムやら飴玉やらスルメやらを袋に詰めて、目の前にある公園へと走って行った。


 コンビニだと消費税が掛かってしまう上に、種類も多くは買えない。そんな僕達にとって、三島商店は憩いの場でもあった。物珍しい商品が色とりどりに並んでいて、まるで宝石店のようだ。ここに来るだけでワクワクする。僕はポケットの中の小銭入れから50円玉を取り出して、何を買おうか悩んだ。本当はチョコレートとガムが欲しい。でも、二つ買うのは金額的に不可能だ。どうしよう、と考えていると、殆ど動かない事で有名なおばあちゃんが、スッと立ち上がって僕の傍にやって来た。


「アンタ、何と何で悩んでいるんだい?」

「チョコレートとガム。二つだと60円だから、買えなくて」

「いいよ。じゃあ、今日だけサービスしてやる」

「え?良いの、珠江おばあちゃん!」

「ああ。他の奴らには内緒だよ」

「ありがとう!」

 こんな風に珠江おばあちゃんは、いつも僕達に優しく接してくれた。ニコニコと笑う珠江おばあちゃんは、優しくて、僕はそんな珠江おばあちゃんが大好きだった。珠江おばあちゃんは、昔は教師をしていたらしく、とても怖かったんだけどね、と近所の人が言っていたけれど、今はそんな面影は少しもない。


 ある日の事、僕がいつもの様に三島商店に向かっていると、1匹の猫がスッと塀の上に現れた。三毛猫だ……体は丸々と太っていて、とても野良猫には見えない。その三毛猫はそのまま僕の足元へと移動して、上目遣いで僕を見つめた。そしてニャーと鳴いた後に、こう言った。


「坊ちゃん。三島商店ってのは何処にあるんで?」

 急に言葉を話し始めた事に吃驚びっくりして、僕は目を見開いた。そんな僕の様子を見て、三毛猫はクックッ……と笑って言葉を続ける。


「おやおや。猫が人語を話すのが、そんなに珍しいんですかい?」

 僕は首をブンブンと縦に振った。


「言葉を話す猫なんて初めてだよ」

 それを聞いて三毛猫は不思議そうに首をかしげた。


「坊ちゃんは三島商店の常連さんですよね?珠江さんの匂いがしますし……珠江さんのお知り合いなのに、人語を話す猫が珍しいってのはどういう事なんです?」

 僕は三毛猫の言っている意味が全く分からなくて、目を何度かしばたかせた。


「君は珠江おばあちゃんの知り合いなの?」

「知り合い……というか、珠江さんはここいらのあやかしたちの顔ですよ……ご意見番とでも言えばいいのかな。あっしは近くの町から引っ越してきたんで、ずは珠江さんにご挨拶を、と思いましてね。会合なんかで珠江さんの顔や匂いは存じ上げてるんですが、店の場所を知らなくて」

 妖?ご意見番?珠江おばあちゃんは、一体何者なんだ?


「で、三島商店は何処にあるんで?」

「今から行くところだから付いてくる?」

「お!助かりやす」

 ニャーと鳴いて、三毛猫は僕の後ろに移動した。不思議な事が起こったなあ、と思いながら三島商店へ向かう。これからどうなるのかと思うと、少しだけワクワクしてきた。


「そろそろだよ」

 5分ほど歩くと、三島商店が見えてきた。あと100メートル位だ。目的地の三島商店を指差すと三毛猫は、ありがとうございます、と言って僕を追い越して行った。三毛猫は、そのまま三島商店の中へと入って行く。何が起こるのか?と思うとドキドキしてきて、僕は足早に三島商店へと歩を進めた。


 三島商店に着いて中を覗き込むと、三毛猫が珠江おばあちゃんの膝に座っている。僕は珠江おばあちゃんに、こんにちは!と言って店の中に入った。


「あんた、この子を案内してくれたんだったね?ありがとよ」

「うん!ねえ珠江おばあちゃん……その猫は妖怪なの?」

「そうだよ」

 ふふふ……と珠江おばあちゃんは笑った。


「すげー!妖怪って本当に居るんだね!」

「皆には内緒だよ」

「うん!」

 僕は興味津々に珠江おばあちゃんに色々な質問をした。妖怪たちは今でも人間の世界でひっそりと暮らしており、ほとんどの人はその存在を知らないようだ。この街は住処すみかとしての環境がとても良いらしく、多くの妖怪たちが住んでいるとの事だった。


「他にはどんな妖怪が住んでいるの?」

「山には天狗が居るねえ。狸は人間に化けてそこら中に居るよ。裏にある池には河童が居るし、神社には狐も居る。この街は妖怪だらけだよ」

「珠江おばあちゃんは妖怪たちと仲が良いの?」

「そうだよ。亡くなったあたしの旦那が昔、人間の代表として妖怪たちの会合に出ててね。その縁で、今ではあたしが代表をしている」

「すげー!すげー!」

「何も凄くないよ。あたし自身には何の能力ちからもないしね」

 珠江おばあちゃんは、目尻にしわを寄せて、ふふふと笑った。僕は矢継ぎ早に珠江おばあちゃんに質問を続ける。珠江おばあちゃんは、そんな僕の質問に笑顔で答えてくれた。一通りの質問を終えると、珠江おばあちゃんの膝に乗っていた三毛猫が床に飛び降りて話を始めた。


「珠江さん、お初にお目にかかりやす。あっしはミケと申します。隣町から越してきたした」

「ミケ?あんた飼い猫かい?そう言った名前は人間が付けるもんさね」

「はい。あっしは飼い猫でやんす」

 そう言うとミケは項垂うなだれた。


「妖怪が人に飼われてるなんて情けない話でやんすが……」

「そんな事はないよ。人と関わることは悪いことじゃない」

「そう言って頂けるとありがたいでやんす」

「で?あたしに会いに来たのは挨拶の為かい?」

「それもあるんですが……」

 ちらり、と僕の方を見てミケは口籠くちごもった。何か聞かれたくない話でもあるのだろうか?


「ミケ。もしも聞かれたくないなら、奥の部屋に行こうか?」

「いえ……大丈夫でやんす」

 ミケは少し言いにくそうに話し始めた。


「実は最近、化け猫たちが人間に襲われるって事件が起こってまして」

「なんだって!?」

「化け猫に限らず、ここいらの野良猫たちが、エアガン?っていうんですかね……あの玩具おもちゃの鉄砲で打たれてるんでさあ。なんとかしたいんですが、我々妖怪は人間たちに干渉してはいけない……って契約があるんで」

「ああ……そうだったね。私達とあんたらはお互いに不干渉ってことになってるからねえ」

「そこで珠江さんに、この事件をなんとか解決して欲しくて……」

「なるほどねえ。これは大問題だ」

 珠江おばあちゃんは、う~んと首をかしげて天井を見上げる。すると、何かを思いついたように僕の方へと視線を動かした。


「あんた、学校の友達とかに聞いて、猫にイタズラしてる連中を探してやくれないかい?」

「いいけど、そいつらを見つけたらどうするの?」

 僕はおずおずと言葉を続けた。


「殺しちゃうの?」

「はははは!何を馬鹿なことを言ってるんだい」

 珠江おばあちゃんは、僕を見つめた。


「そうさねえ……まあ、ちょっとお仕置きするだけだよ」

「分かった!学校の友達に聞いてみるよ」

「よろしく頼むよ」




 次の日、僕は学校で情報収集を始めた。と言っても、何気なく友人達に最近何か変わった事はないか?と聞く程度だ。僕は警察でもなければ探偵でもない。友人達は色々な話を聞かせてくれたけれど、事件に関わるような内容の話は無かった。珠江おばあちゃんに、どう報告しようか悩んでいると、花壇の方で友人が野良猫に餌をやってるのが見えた。同じクラスの大人しい女の子。水やりの係だった筈だ。


「猫、可愛いね」

 後ろから女の子に話掛けると、彼女は少し驚いたようで体をビクッと震わせてから振り返った。僕の姿を確認して、ホッと溜息をく。


「もう!焦ったじゃない」

「どうして?」

「先生かと思った」

 女の子は怒りの表情を見せながら、僕に言った。


「先生に見つかったら怒られちゃうし……猫に餌をやるな、って」

「そうなの?」

「うん。前に餌をあげた時も怒られちゃったんだよね」

 女の子は給食の残りのパンの欠片を、猫に与え続ける。


「猫好きなんだね」

「うん。家では飼えないからさ」

「ここには他にも猫が来るの?」

「ん~。二、三匹は居るかな。でも高架下の方が多い」

「へえ。猫の溜まり場があるのか」

 僕は何度か頷いて、女の子に言った。


「そこ、案内してくれない?僕も猫好きなんだよね」

 嘘だ。本当は犬派。


「いいよ。じゃあ、今から行く?」

 女の子は目を輝かせて言った。うん、と頷いて僕は女の子に付いて行く。女の子は足取り軽く、高架下に向かった。高架下までは校門を出て10分もしない程度の距離。高架下に着いて、女の子があそこだよ、と指さした場所には十数匹の猫がたむろっていた。


「さあ、皆、ご飯だよ~」

 女の子が給食袋からパンの欠片を取り出すと、猫達が一斉に女の子の元に来た。女の子は一匹一匹を撫でながら、少しずつ平等に餌を与える。


「あ……この子、また怪我してる」

 女の子の足元に来た一匹の黒猫の腹には、傷があった。


「なんの傷なんだろ?」

 僕が尋ねると女の子は少し悲しそうな目をして、話始めた。


「実は近くに住む中学生達がイタズラで、この子達をエアガンで撃ってるみたい。何度か見掛けたんだけど、怖くて何も出来なかった……」

 泣きそうになっている女の子を見て、僕は大丈夫だよ、と言って胸を張った。今から三島商店に行こう、と言うと女の子は不思議そうに僕を見つめた。


「三島商店に?どうして?」

「良いから付いて来いよ」

「うん、分かった」

 僕は女の子を連れて、三島商店に向かった。






「って訳なんだよ、珠江おばあちゃん」

 僕が事のあらましを話すと、珠江おばあちゃんは険しい顔をした。そして女の子を見つめた後、頭を撫でながら、辛かっただろう?と声を掛けた。


「うん、珠江おばあちゃん、悲しかったよお」

 女の子はわんわん泣きだした。僕は何も出来ずにその場に立ち尽くして、無言で女の子から目を逸らす。痛々しくて見てられなかったのだ。


「先ずは警察に報告しよう。動物虐待は立派な犯罪だ。中学生だからって許される事じゃない」

 珠江おばあちゃんは、険しい表情のまま立ち上がった。今から行くよ!と言って僕らの手を引いて店の外に出る。僕も女の子も、珠江おばあちゃんが店の外に出るところを見たことがなかったので、少し驚いた。


 近くの交番に着いて、警官を呼び出す。女の子は、おどおどしながらも、しっかりと中学生の事を話した。警官は真剣な眼差しで僕達の話を聞いて、直ぐに対処します、と言ってくれた。


「これでなんとかなるといいんだけど」

 女の子が不安そうに呟く。僕も珠江おばあちゃんも、大丈夫だよ、と言って三島商店に戻った。珠江おばあちゃんが、店にあったジュースとお菓子を僕達に渡して、私の奢りだよ、と言ってくれた。女の子は嬉しそうに笑って、珠江おばあちゃん、ありがとう!と微笑んだ。





 しかし事件は終わらなかった。





 中学生は直ぐに捕まったのだが、その後も野良猫がエアガンで撃たれ続けたのだ。その事を女の子から聞いて、珠江おばあちゃんは、吃驚びっくりするほど怖い表情になって、私に任せな!と息巻いた。女の子は珠江おばあちゃん、お願いします、と頭を下げて、また泣き始める。そんな様子を見て、僕も居ても立ってもいられなくなった。女の子が店を出た後、珠江おばあちゃんに僕にも手伝わせてよ、と言うと珠江おばあちゃんは首を縦に振った。


「先ずはここいらの妖怪たちを集めて、会合をするよ!」

 珠江おばあちゃんは鼻息荒く僕に言って、夜になったらウチにおいで、と言った。


 夜になって、友達に宿題を教えてもらう、とお母さんに言って家を出た。凍えるように寒くて、マフラーをしていても震えが止まらない。三島商店に着くと、珠江おばあちゃんが暖房の効いた店に直ぐに入れてくれて、温かいペットボトルのお茶をくれた。


 店の奥に行くと、そこには何匹もの妖怪たちが座って待っていた。彼らは僕を見るなり、一斉に頭を下げ始める。僕は恐縮してしまって、直ぐに頭を下げ返した。


「この子が今回の事件の糸口を掴んでくれた子だよ。皆、よろしく」

 珠江おばあちゃんが、そう言うと部屋のすみに居た天狗が立ち上がって僕に一礼した。


「坊ちゃん、私はここいらの妖の代表をしている者です。今回は我々の問題にご尽力頂き、感謝します」

 初めて天狗を見た僕は、心の中で、すげー!すげー!と叫びながら、一礼を返した。


「さて……今回の事件についてだが、どうやら黒幕が居るみたいだね。こんなに酷い話はないよ。妖と人は不干渉、という盟約があるけれど、今回に関しては例外だと思う。皆は、どう思う?」

「珠江さん、あっしらも同じ考えでさあ」

 天狗の隣に居た大きな化け狸が、何度も頷いて言った。


「正直、化け猫たちは怖くて昼でも街を歩けねえ。化け猫たちだけじゃない。最近じゃ、あっしら狸も恐怖を覚えています」

 化け狸の発言に、周りの妖怪たちも同意の声を上げた。


「そこで……だ。少しアンタらには被害が出てしまうが……」

 珠江おばあちゃんは、少し言いにくそうに言葉を続ける。


おとり役を一匹出して欲しい。その代わり、絶対に犯人を捕まえる。どうだい?」

 珠江おばあちゃんの発言に妖怪たちは、う~ん、と皆が首を傾げた。そりゃあそうだ。皆、エアガンで撃たれるなんて、怖くて仕方ない筈。


「あっしが囮になりやす!」

 入口近くに居た、ミケが部屋の中央に飛び出して言った。


「天狗の旦那、珠江さん。これは、あっしら化け猫たちの問題でありやす。囮役なら化け猫のあっしがやるのが筋ってもんでしょう!」

 ミケは尻尾を逆立てながら、大きく声を張った。珠江おばあちゃんは、そんなミケを数秒見つめた後、ふーっと吐息を漏らして言った。


「分かった。私はミケに頼もうと思う。天狗、アンタはどうだい?」

「はい。珠江さん。私もミケでいこうと思います」

 二人の発言を聞いて、ミケは、ありがとうございます、と言って部屋の隅に移動した。


「じゃあ、作戦会議を始めるよ」

 珠江おばあちゃんの言葉に、妖怪たちは頷いた。


 次の土曜日、高架下には妖怪たちが集まった。ミケは囮役なので、見晴らしの良い場所で寝たふりをする。もう直ぐ日が暮れる……という時間帯になって、ミケの足元にBB弾が撃ち込まれた。瞬時にミケが反応して、逃げ出す。僕達はBB弾が放たれた方向を見た。そこには軽自動車が停まっていて、窓から銃口が見える。


「さあ、あんたら!行くよ!」

 珠江おばあちゃんの言葉を聞いて、妖怪たちは怒号を上げて軽自動車に突進する。軽自動車は、妖怪たちの姿を視認したのか、急発進した。しかし、妖怪たちの方が速い。力自慢の河童が軽自動車のバンパーを両手で止めて、軽自動車は動けなくなった。


 珠江おばあちゃんと天狗が、車に近寄ってドアに手を掛けた。天狗が力づくでドアをこじ開ける。軽自動車の中に居たのは30代くらいの男。その姿を見て、僕は思わず声を上げた。


「先生!?」

 僕の声を聞いて、車の中に居た先生は目を見開いた。




 妖怪たちに懲らしめられて、ボロボロになった先生は、皆の前で話を始めた。昔から猫が嫌いだった事、猫アレルギーな事、不衛生な野良猫を可愛い生徒達に触れさせたくなかった事。そして近くの中学生にエアガンを与えて、猫を打たせていた事。それを聞いて、珠江おばあちゃんは先生の頬を張り倒した。


「あんた教師だろ!教師ってのは子供たちの模範となるべき存在なんだよ!あんたみたいなのは教師じゃない!とっとと辞めちまいな!」

 珠江おばあちゃんは、そのまま教師の首根っこを掴んで、警察を呼んだ。警官達に連れていかれる先生を、僕は悲しいやら虚しいやら……なんとも言えない気持ちのまま見ていた。


 後日、新聞に事件が載った。その後、僕は毎日のように女の子と高架下に行って、野良猫達に餌をやりに行く様になった。ミケは、事件の後、皆から認められて出世したようだ。僕はたまに妖怪たちと関わるようになった。彼らの抱える問題を解決する、トラブルシューターになりそうだ。珠江おばあちゃんは、自分の後任を僕にしたいと言い始めている。


 今日も三島商店には様々な客が訪れる。駄菓子屋の珠江おばあちゃんは、今日もレジ前から動かない。








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