【単線駅で待ってる】

 その日、私は、いつもなら通学で降りる駅を、わざと乗り過ごした。


 田舎の単線駅。乗り過ごしてしまえば、戻るまでにかなりの時間を要する。通っている高校のある駅で降りなかったのには、理由がある。


 母親とのいさかい。


 こんな事が理由で、学校をサボるなんて子供じみているな、と思いながらも何故かワクワクする。この年齢としになっても、いけない事をするのは楽しい。真夏に行われる夏期講習は正直言って憂鬱ゆううつだ。このまま終着駅まで乗って、折り返すのを待とう。そう考えて、私は車窓から外の景色を見ていた。終着駅までは30分ほど。ちょっとした小旅行の気分。


 日差しがキツかったので、窓に設置されている遮光カーテンを下ろした。車内は冷房が充分に効いていて快適だ。ボーっと向こう側の景色を見ている内に、眠気が襲ってきた。別に眠っても問題ない。そう思って、私はゆっくりとまぶたを閉じた。




 目を覚ますと、見た事のない駅に電車は停まっていた。




 一瞬、混乱して辺りを見渡す。駅名を確認しようと看板を探したが、何もない。腕時計を見ると時間が止まっていた。電池は一週間ほど前に変えたばかりだ。不思議な事が起こり過ぎて、パニックになりそう。電車には他の乗客も車掌も居ない。夢なのか?と考えながら、私は電車を降りた。


 さびれた駅だった。周りには木々が生い茂っていて、目立つ物はない。さて、どうしたものか、と思って、ふと駅のベンチに目をやると一人の老女が居た。




 半年前に亡くなった祖母だった。




「おばあちゃん?」

「あら、志帆しほちゃん。久しぶりね」

 穏やかに微笑む顔は、間違いなく祖母のものだ。夢だったとしても、会えて嬉しい。私は駆け寄って、祖母を抱きしめた。


「おばあちゃん……おばあちゃんなの?」

「そうだよ。まさか、また会えるとは思わなかったから、嬉しいねえ」

 祖母は何度もうなずいて、私の頭をでた。私は思わず泣きそうになりながら、祖母の肩に顔をうずめた。


「おやおや。あんた、もう高校3年生だろう?いつまで経っても甘えん坊さんだね」

「だって……」

「まあまあ。兎に角、ここは暑いからあっちの方に行こう」

 祖母が指さした方には、ちょっとした休憩所があった。ガラスのドアで区切られていて、空調が効いている様だ。祖母の後に続いて、休憩所の中へ入る。涼しい。


「何か飲むかい?」

 自動販売機の前に立って、祖母は私に、どれにする?と尋ねてきた。お金を入れてないのに、自販機のボタンは赤く光っていて、押せば商品が出てくるようだ。


「じゃあ、これ!」

 甘い乳酸飲料を選ぶと、祖母は目尻を下げてボタンを押した。ガタン、という音がして飲み物が出てくる。それを手渡して、祖母は微笑んだ。


「志帆ちゃんは甘い物が好きだねえ。あの子に似たんだね」

 母の事だ。急に母の話題になって、私は押し黙ってしまった。


「なにかあったのかい?」

 祖母の勘は鋭い。見透かされている様な気持ちになって、私は下を向いてしまう。祖母は、そんな私を見て何も言わずに、休憩室にあるベンチに座った。私もそれに続く。祖母は優しい眼差しで私を見ながら、ささやくように言った。


「あの子……桜子さくらこは頑固なところがあるからね」

「そうなの。おばあちゃん……少しだけ話を聞いてくれる?」

「少しだけなんて言わずに、何時間でも話しなさいな」

「うん……」

 私は、ぽつりぽつりと祖母に母親との諍いについて話し始めた。


 高校3年生になって、進路について考えた時に、私はフォトグラファーになりたい、と思うようになった。写真部に属していて、色々な写真を撮っている内に、それを将来の仕事にしたいと考えたのだ。それを母親に話すと、写真で食べて行くなんて事、出来やしないでしょう!と頭ごなしに決めつけられて、思わず言い合いになってしまった。


 諍いの内容を話している内に、怒りから涙がこぼれる。けれど、母親の許可がなければ専門学校に行く事は出来ない。理不尽だ、とは思う。しかし、まだまだ私は子供だ。親の庇護ひごがなければ生きていけない。こういう時に父親が居れば、と思うが、私が幼い頃に母親と離婚して以来、会っていない。


「そうかい。困ったもんだね」

「おばあちゃん。私、どうすればいいかな」

「ちょっとした昔話でもしようか」

 祖母は、そう言って語り始めた。


 あの子もね、高校3年生の時に美大に行きたい!って言いだしたんだ。私は反対したけれど、最後には折れた。そして、あの子は美大に通い始めたんだよ。でも、周りの子達との圧倒的な技術の差に心が折れてね。途中で辞めてしまった。


「多分、志帆ちゃんに同じ道を辿って欲しくないんだろうねぇ」

 祖母は淡々と語って、最後に微笑んだ。


「そうなんだ……お母さん、画家になりたかったんだ」

「この話は志帆ちゃんにはしてないだろうから、昔、おばあちゃんから聞いたって事にして話してみたらどうかな?」

「うん」

「そしたら、あの頃の事を思い出して志帆ちゃんを応援してくれるだろうさ」

「ありがとう、おばあちゃん」

 うんうん、と頷いて、祖母は休憩所にある時計を見た。私が腕に巻いてる腕時計はピクリとも動いていないのに、休憩所にある時計は動いている。不思議だ。


「そろそろ帰りの電車が出る時間だよ」

「おばあちゃんは帰らないの?」

 素朴な疑問に、祖母は悲しそうな目をして答える。


「私はもうこの世に居ない存在だからね」

 首を横に振って、祖母は言葉を続けた。


「この駅はね、志帆ちゃん。死者と会う事の出来る不思議な駅なのさ。初盆の間ならいつでも会えるから、又おいで」

「初盆の間だけなの?」

「そうだよ」

「私の他にも会いたい人居るでしょ?今度、連れてくるね」

 私の言葉を聞いて、祖母は先程と同じように首を横に振った。


「多分、無理だね。ここに来る事が出来るのは、限られた人間だけみたいなのさ。どういう基準で神様が選んでいるのかは分からないけれど、終着駅からこっちに来られる人は数少ない。志帆ちゃんが来たのも、本当に偶然なんだよ」

 切ない目をして、祖母は言った。本当は色々な人に会いたいんだろうな。けれど、その願いを口にしないところが、祖母らしいと言えば、祖母らしい。


「おばあちゃん。私は明日も来るからね」

「うんうん。嬉しいねえ」

 祖母は目尻にしわをよせて微笑んだ。


 盆が終わるまでだけだから、祖母と会うことが出来るのは、あと2,3日の間だ。絶対に毎日来よう。私はそう誓って、帰りの電車に乗った。私が電車に乗り込むなり、ベルが鳴ってドアが閉まる。祖母は私に、ずっと手を振ってくれた。私も祖母が見えなくなるまで、手を振り続けた。


 登校して気付いたのだが、不思議なことに、それ程時間は経過していなかったようだ。ほっとした。先生に寝過ごしました、と伝えると、今度から気を付けろよ、と軽く注意される。授業を受けながら、母親にどの様に伝えるかを頭の中で整理している内に授業が終わった。


 重い足取りで帰路に就く。


 玄関を開けてリビングルームに入ると、母親が料理をしているところだった。忙しそうだったので、何も言わずに自室に向かう。荷物を部屋に置いて、はあ、と溜息をいた。どうやって話を切り出そうか。


 しばらく部屋で過ごしていると、母親が部屋の外から、夕飯の支度が出来たと声を掛けてきた。帰路よりも重い足取りでリビングルームに行く。母親はいつもと変わらぬ表情で机の上に料理を並べていた。


「あの、お母さん。話があるんだけど」

 その一言を聞くなり、母親は顔をしかめた。思わず黙ってしまいそうになるが、勇気を出して言葉を続ける。


「私、やっぱりフォトグラファーになりたいの。でも、お母さんの許可なく家を出たりしたくない。だから話を聞いて欲しい」

 それを聞いて、母親は嘆息混じりに椅子に座った。


「話、聞くわ」

「ありがとう」

 私は、どれだけフォトグラファーになりたいか、そしてその覚悟がどれ程のものかを話した。けれど、母親は首を縦には振らない。どうしたものか、と考えて、今朝、祖母に聞いた話をする事にした。


「お母さんも、画家になりたかったって聞いた」

「……どこでそれを?」

「昔、おばあちゃんに聞いたの」

「そう……」

 母親はうつむき加減になって話を始めた。


 昔から絵が好きだったこと、それを将来の夢にしたこと、必死になって努力したこと、それでも夢半ばにして諦めたこと。


「あなたには私と同じ道を歩んでほしくないのよ」

 目に涙を浮かべて、母は呟いた。


「おかあさんは、美大に行ったことを後悔してるの?」

「……後悔はしてない。けれど、とても辛かった。周りの人達とのレベルの差に、苦しんだの」

「私がお母さんと一緒の道を辿ると思ってるのね」

「うん。実はそうなのよ。貴方には辛い目にあって欲しくない」

「ねえ、お母さんは『後悔はしてない』って言ったよね?それは何故?」

 私の発言に母親は少し逡巡しゅんじゅんして、腕を組んだ。


「楽しかったから……かな。辛かったけど、とても楽しかったの」

「お母さん。もし専門学校に行けなかったら、私、一生後悔する。お願い!進学を認めて欲しい!」

「……少し考えさせて」

 母親は、そう言うと夕飯に手を付け始めた。多分、母親は私の希望を叶えてくれるだろう。そう思って、私も箸を手にした。




「でね、お母さんが今朝になって、渋々って言った感じだったけど賛成してくれたの!」

 次の日、終着駅を超えて祖母に会いに行った。私の報告に祖母は満面の笑みで、良かったね、と答える。


「おばあちゃん、お母さんに会いたいよね?」

 私は、ふと気になって祖母に尋ねた。何故か、祖母は戸惑っている様子だ。何かあったのだろうか?私は率直に疑問をぶつけた。


「会いたくないの?」

「会いたいんだけどねえ……桜子は、どうだろうね」

「お母さんも会いたいんじゃないかな」

「……死ぬ間際に、ちょっと喧嘩しちゃってね」

 祖母は、少し辛そうに話を始めた。


 私がね、足を悪くして家から出なくなったのを見て、同居しようって言ってくれたんだよ。でも、私は自分でも分かるくらいに死期が近かったし、お爺さんと過ごした家を出るのが嫌だったんだ。それで同居を断ったら、じゃあ強引にでも施設に入れる!って言いだし始めてね。あの子は頑固な子だからねえ。自分が言った事を曲げないというか……。まあ、そんなこんなで揉めてる内に死んじまってね。


「で、今に至る、ってわけさ」

「そんな事があったのね」

「だから、死に際はあまりいいものではなかった。あの子の私に対する最後の記憶ってのは、大喧嘩してお互いに酷い言葉を言い合ったままさ」

「ねえ、おばあちゃん」

「なんだい?」

「お母さんに会いたい?」

 私は、祖母の目を見て優しく囁いた。


「……そうだね。会いたいね」

 祖母は、ようやく素直に自分の心の中を吐露とろした。


「分かった!明日、お母さんを連れてくる!絶対に連れてくるから!」

「志帆ちゃん……ありがとうね」

 祖母は私の手を握って、ニコニコと微笑んだ。


 次の日は偶然にも土曜日。母の仕事も休みだ。私は母に、どうしても付いてきて欲しいところがあるの、と言って母を連れ出した。地元の駅から電車に乗り込む。


「志帆、私を何処に連れていくの?」

「終着駅の向こう側よ」

「終着駅の向こう?この単線は乗り換えなんてないわよ」

「いいから」

 車内で母と色々な話をした。こんな風に親子の時間を過ごしたのは、久しぶりだ。私が幼い頃の話、将来の夢の話、そして祖母の話。


「おばあちゃんってお母さんと顔は似てるけど、性格は似てないよね」

「そうね。おばあちゃんは割と優しくて大らかな人だから。悪く言うと大雑把よね」

 ははは、と笑う母の顔を見ると祖母に悪い感情は持っていない。これなら二人を会わせても大丈夫だろう。問題は、終着駅の向こう側へ行けるかどうか。


 終着駅に着いた。


 ダメだ。そこから電車は動かない。


「志帆、終着駅の向こう側って言ってたけど、ここから歩くの?」

「……違うの、お母さん。信じてもらえないかもしれないけれど、私、おばあちゃんに会えたの。このまま終着駅を超えて、次の駅に移動できる筈なのよ」

「夢でも見たんじゃないの?」

「……お母さんが美大に行った話。あれ、一昨日におばあちゃんから聞いた話なの」

 母は驚いた様子で目を見開いて私を見た。


「お母さん……おばあちゃんはね、もう一度会いたいって言ってたよ。最後、大喧嘩しちゃったから、仲直りしたいみたい」

「そう……そうなの」

 母は俯きながら、はあ、と大きく嘆息した。


「私も……会いたい。お母さんに会いたい」

 母がそう呟いた瞬間、ドアが閉まって電車が動き始めた。終着駅の向こう側。単線駅で、祖母が待っている。


 直ぐに電車は終着駅の向こう、祖母の居る駅に着いた。私は母の手を引いて、行こう、と電車を降りる。母は少しおどおどしながらも、私に続いて駅に降り立った。


「桜子、久しぶりだね」

 祖母が待っていた。


「お母さん……」

「桜子、私はね、ずっとアンタと喧嘩別れしたことを後悔していたんだ」

「お母さん、私も。ずっと謝りたかったの」

「アンタは頑固だからね。でも、とても優しい子だって知ってるよ。何年、アンタの母親やってると思ってるんだい」

「もう42年目ね。私も年を取ったわ」

 二人は、ははは、と笑った後、お互いに涙を浮かべて抱き合った。その様子を見て、私も涙が零れてきて、二人の元に駆け寄った。


「神様には感謝しないとねえ。今日が盆の終わりだよ。つまり、お前たちに会えるのは、今日までさ。さ、ゆっくりと、色々な話をしよう」

 その日、私達は祖母と語り合った。このまま時間が止まればいいのに、と思ったけれど、あっという間に時間は過ぎて、帰りの時刻になった。


「さ、お別れの時間だ。毎年、盆には帰ってくるよ。こうしてじかに会う事は出来ないけれど、ちゃんと見守ってるからね」

 電車に乗り込んだ私達を、祖母は見えなくなるまで見送ってくれた。


 穏やかな光に包まれて、私達は終着駅のこちら側に戻って来た。


「志帆、ありがとうね。おばあちゃんに謝れた事が、とても嬉しい。ずっと心残りだったの」

「うん。おかあさん。二人が仲直りしてくれて、私も嬉しいよ」

 手を取り合って、二人で抱き合った。


 それから母は私の夢を応援してくれるようになった。祖母と似てないと言ったが、親馬鹿なところはそっくりだ。カメラまで買ってくれて、既に専門学校の資料まで取り寄せている。私はというと、夢を追いかけられることが嬉しくて、毎日充実した暮らしを送っていた。


 たまに祖母に会えるんじゃないか、と思って、電車に乗り終着駅の向こうを目指す。けれど、一度も向こう側へ行けた事はない。


 いつか又、会えたらいいな、と思いながら今日も私は写真を撮りに電車で移動する。


 もう直ぐ夏が終わる。














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