【金持ち令嬢と貧乏美大生】
「凄く美味しいイタリアンのお店を見つけたんです!」
彼女は、とある大企業の令嬢だ。筋金入りの箱入り娘。僕の様な貧乏美大生とは住む世界が違う。
「へえ~。なんて名前のレストラン?」
「サイゼリ○って言うんです!」
「ファミレスかよ!!!」
彼女……神代は世間知らずで世俗に
僕の在籍する美大まで、わざわざやって来て話す内容がそれかよ、と思いながら、僕はすぐ傍にあった自販機に小銭を入れた。自分の分と、神代の分の缶コーヒーを買って、彼女に手渡す。神代は嬉しそうに、缶コーヒーのプルタブを開けた。缶コーヒーの開け方も最近知った様で、缶に入っている飲み物を手渡す度に、嬉しそうにするのが凄く可愛い。
「
「いや……そんな余裕ないし」
「私が出しますよ」
「それは男としてのプライドが……」
「店ごと買い占めるんで、恥をかく事はないですよ」
「神代……お前の発想はぶっ飛んでるな」
「兎に角、行きましょうよ!」
「う~ん。まあ、考えておくよ」
僕、
正直に言えば、彼女のおっとりとして優しいところに惹かれていたけれど、あまりにも住む世界が違いすぎるので、恋愛関係にはなりたくない、と言うのが本音だ。
「服部さん、いつも私からの誘いに良い返事をくれませんね」
少し悲しそうな顔をしながら、神代は頬を膨らませた。その顔を見て、思わずOKしそうになったけど、グッと
「ところで、絵のモデルになってくれる気にはなった?」
「服部さんがデートしてくれるなら考えてもいいですよ」
「なんだよ、それ」
神代が何故、僕にここまで執着しているのかは分からないが、毎回、絵のモデルをお願いする度に、彼女は決まり文句のように僕をデートに誘う。僕は一介の美大生でしかないし、容姿が優れてる訳でもなければ、背が高い訳でもない。普段から抱いていた疑問を、僕は口にした。
「なあ、神代。お前、僕の事が好きなのか?」
その問いかけを聞いて、神代は顔を真っ赤にしながら何度も
「僕はさ……『平々凡々』を絵に描いたような人間だぞ?こんな僕の何処が良いんだ?」
「DNAが叫んでるんです」
「遺伝子レベルの話!?」
「って言うのは冗談で……」
神代は目を伏せて言葉を続けた。
「絵のモデルに誘われた時、あ、私を必要としてくれる人が居るんだなあ、って」
「今まで必要とされてこなかったのかよ?」
「いえ、そういうことではなくて。服部さんは、あの時、私の家の事を知らなかったでしょ?一人の人間として、評価してくれたのが嬉しかったんです」
「……まあ、神代の容姿に惹かれただけだから、なんとも言えないと思うんだけど」
「それでも嬉しかったんです。あの時の事、覚えてますか?」
「覚えてないよ。もう半年近く前じゃないか」
嘘だ。春の
「そうですか……なにはともあれ、私にとってはとても衝撃的な出来事だったんですよ」
目を輝かせて、神代は僕の顔を覗き込む。その瞳の輝きが眩しすぎて、僕は目を背けた。
「じゃあ、今日はこの辺で。また会いに来ますね」
「うん。絵のモデルの事、考えておいてくれよ」
「服部さんもデートの事、考えておいてくださいね」
ふふふっ、と素敵な笑顔で
「君が服部廉次くんだね?」
大学での授業を終えて、バイトへ向かう最中、サングラスを掛けた黒服の男に呼び止められた。明らかに堅気の雰囲気ではない。恐怖で足が
「俺は神代家に
「あ……はい……」
「ちょっと顔を貸してくれるか?」
「こ、これからバイトがあるので」
「あー、安心したまえ。君のバイト先には、もう連絡してある」
なんで僕のバイト先まで知ってるんだよ!と心の中で突っ込みを入れて、僕は渋々、男の後に付いて行った。近くの喫茶店に入って、男はサングラスを外す。予想した通りの
「何か飲むだろ?支払いは俺がするから、何でも頼んでくれ」
「……じゃあ、アイスコーヒーを」
「分かった」
ウェイトレスの方を見て、男は手を挙げた。それに気付いたウェイトレスが、直ぐに近寄って来る。
「ご注文、お聞きいたします」
「アイスコーヒーを一つと、クリームソーダを一つ」
「かしこまりました」
ク、クリームソーダ!?あまりにもイメージと違う飲み物を頼む姿を見て、思わず吹き出しそうになる。
「なんだよ、俺みたいな人間が甘いもの頼むのは、そんなにおかしいか?」
「い、いえ……」
ふん、と鼻息を鳴らして男は僕の目をジッと見つめた。
「お前みたいな男が、美沙様の恋の相手とはな……」
はあ、と溜息を
「神代……あ、美沙さんとは何もないですよ?」
僕は言い訳がましく、男に言った。
「そんな事はとっくに調べがついている。神代家の情報網を舐めるなよ?今回、俺がお前に会いに来たのは、美沙様を諦めさせる為じゃない」
「……と、言うと?」
男は何度か咳払いをして、言いにくそうに言葉を続けた。
「お前、美沙様とデートしろ」
「は?」
クリームソーダとアイスコーヒーが机の上に並んだ。アイスコーヒーが男の前に、クリームソーダが僕の前に置かれて、恥ずかしそうに男は飲み物の位置を入れ替える。男はまた咳払いをして言った。
「俺はな、幼少の頃から美沙様の付き人をしている。だから、美沙様がここ半年、お前の事で悩んでいる事を知っているんだ。あの方はな、ずっと孤独だった。家柄が高貴な
「……」
「だが、お前は違った。美沙様の家柄を知った後も、態度一つ変えずに美沙様と付き合いをしている。お前しか居ないんだよ」
「もし……もしも、神代と付き合う事になっても、住む世界が違いすぎます。彼女はファミレスの存在すら知らない女の子ですよ?そんな子と、どうやって幸せになれって言うんですか?恋人にはなれるかも知れないけれど、
僕は必死に言葉を選んで、男に言った。
「そんな事は分かっている。それでも美沙様の孤独を埋めるのは、お前しか居ないんだ。頼む!」
机の上に額を
「……分かりました。デートはします。でも、それだけですよ」
「ああ、構わない。美沙様が少しでも喜んでくれるなら」
「次、会った時に誘ってみます」
「ありがとう」
それから男は、神代が
「これ、デート代にしてくれ。裸のままですまんな」
男は懐から黒い皮財布を取り出して、一万円札を僕に差し出した。
「いや、それは……」
「いいから受け取れ。恥をかきたくないだろう?本当はこれの十倍は渡したいところだが、美沙様は庶民的なデートをしたいだろうから……」
「分かりました。そういう事なら遠慮なく受け取らせて頂きます」
丁寧に両手で一万円札を受け取って、僕は自分の財布にそれを仕舞った。
「じゃあ、よろしく頼むぞ」
「はい」
男は半分ほどになったクリームソーダを一気に飲み干して、席を立った。伝票を持って、レジに向かう。僕は
数日後、神代がいつもの様に僕の大学に遊びに来て、僕を見掛けるなり満面の笑みで近づいてきた。まるで子犬だな、と思いながら僕は手を振って微笑む。
「服部さん!こんにちは!」
「ああ、こんにちは」
よし。デートに誘おう。最低のデートに。そして彼女から軽蔑されて諦めてもらおう。そう画策して、僕は彼女に向かって言った。
「なあ、神代。そろそろ絵のモデルになってくれる?」
「服部さんがデートしてくれたら考えます」
「あー、そうだな」
僕は少しドキドキしながら言葉を続けた。
「いいよ。ずっと誘ってくれてたし、そろそろ絵のモデルにもなって欲しいし」
そんな僕の言葉を聞いて、突然、神代の頬にツーっと涙が
「え?え?どうした?頭でも痛いのか?」
ぶんぶんと首を横に振って、神代は笑顔で答えた。
「嬉しくて泣いたの、初めてです。日取りはいつにしますか?」
神代が手で涙を
「じゃあ、今度の日曜日に。場所は駅前の改札で……時間は13:00でどう?」
「分かりました。楽しみにしてますね」
そういって小走りに去っていく神代の後ろ姿を見て、僕は大きく溜息を吐いた。
デート当日。
僕はわざと遅れて行った。少しでも印象を悪くする為だ。今日は彼女に軽蔑される為に色々と最低な事をする予定。デートを取り付けた、あの日の様に心は痛んだけれど、覚悟を決めて、僕は集合場所に向かった。
そこに居たのは髪を巻いて、綺麗な桃色のワンピースに身を包んだ女神。
お世辞抜きに、凄く可愛い。そんじょそこらの芸能人に引けを取らない。いつも以上に可愛い、その姿に僕の心は射貫かれてしまう。
神代はキョロキョロと辺りを見渡しては、腕時計を見て、その度にスマホを取り出して自分の髪型をチェックしていた。恋する乙女。そんな神代を暫く観察してから、僕は彼女の方へと歩を進めた。
「あ!服部さん!」
僕を見掛けるなり、神代がスキップでもしそうな軽い足取りで、僕の方へとやって来る。本当は遅れた事を謝りたかったけれど、印象を最悪にする為に、僕は無表情で彼女に手を振った。
「じゃあ、行こうか」
「何処に連れてってくれるんですか?」
「
「中華!私、大好きです」
彼女がいつも食べてるのは、高級中華だろう。僕は昔バイトしていた、中華の店に向かった。五分ほど歩いて、店の前まで来た。
「ここだよ」
さあ、軽蔑しろ。古くてボロい店構え。床は油でヌルヌルしている。初デートで、こんな小汚い店に連れてきたんだ。印象は最悪だろ?
そんな僕の思惑とは裏腹に、神代は目を輝かせて、店の前にあるガラスケースに並べられた食品サンプルを見つめている。あ……こいつ、こんなのも見た事ないんだな。
「お!服部、久しぶりだな」
店に入るなり、店主に声を掛けられる。僕は、お久しぶりです、と返事をしてカウンターに座った。それを見て、神代が隣に座る。赤い丸椅子が、ギィっと音を立てた。
「おい、服部、お前、何処でこんな可愛い子を引っかけたんだ?」
「絵のモデルになってもらうだけですよ」
「へえ~。お嬢ちゃん、いっぱい食べていってくれよ」
店主の元気な声を聞いて、神代も元気いっぱいに、はい!と答えた。
「何を食べる?」
古くて、日焼けしている、ところどころに染みのある黄色いメニュー表を手渡す。神代は少し悩んで炒飯とエビチリを頼んだ。僕は餃子とニラレバ炒め。口臭をキツくして、印象を悪くしよう。
雑談しながら料理が出てくるのを待った。神代は店主が手際良く料理をする姿を興味深そうに見つめている。
「何?料理してるの見るの楽しい?」
「私、この距離で中華料理が作られるの初めて見るんです。まるで魔法みたい……」
店長が中華鍋を振るう。強い火がボッ!と上がったのを見て、思わず神代は歓声を上げた。サーカスのショーを見てる子供みたいだ。
料理が出来て、机の上に置かれた。
「わあ、美味しそう!頂きます!」
「……」
手を合わせてから、備え付けられた割り箸に手を伸ばす神代の横顔は、とても綺麗だ。
「凄く美味しいです!」
美しい所作で食事を取りながら、何度も美味しい美味しい!と言う神代が、愛おしくなる。ああ……彼女が恋人なら、毎日楽しいだろうな、と思いながら、僕も食事を始めた。ニンニクの匂いに食欲が刺激されて、空腹感は増す。ガツガツとスピーディーに食べていると、その姿を見て神代が笑った。
「なんだよ」
「いえ……服部さん、意外と
「ん?それがどうした?」
「……素敵だな、って」
くそっ!なんでポイントが上がるんだよ!普通はこんな食べ方したら、嫌がるだろうが。
店を出て駅の方に向かう。神代が次は何処に連れてってくれるんですか?と微笑みながら尋ねてきた。僕は着いてからのお楽しみさ、と言って切符売り場へと歩き出す。目的の駅までの切符を買って、電車に乗った。神代は
「ビルの間をすり抜けていくの、なんだかスリリングですね」
「そうか?」
「はい。遊園地のジェットコースターみたい……」
神代は、どんな事にも感動して楽しめるやつなんだな、と再認識した。
目的の駅に着くと、そこにはスポーツ新聞を持って
「わあ。お祭りか何かですか?」
「競馬だよ。僕はギャンブルが大好きなんだ」
実際はギャンブルなんてした事がない。楽しいのかも知れないけれど、金銭的に余裕のない僕からしてみれば、とてもハードルの高い物だった。ギャンブル好きの男なんて、最低だろう。そう思って、僕は鼻息荒く競馬場の入り口へと向かった。
「競馬!一度経験してみたかったんです!」
「はあ?」
その意外な言葉に、僕は足を止めた。
「神代……競馬っていうのはギャンブルだぞ?」
「ヨーロッパ旅行した時に、正装をして観覧に行きました。お金は賭けませんでしたけど、まさか日本で楽しめるなんて!」
全てが裏目に出る。
「と、兎に角、馬券を買うぞ!」
「はい!」
パドックと呼ばれる、レースに出走する馬が、スタッフにひかれて周回する場所へと向かった。歴戦のギャンブラーは、ここで馬の状態を観察して馬券を買うらしい。僕はそんな事、何も分からないので、ボーっと馬を眺めていた。
「服部さん!あの子、絶対に一位を取りますよ!」
神代が指さした
「おー、じゃあ、あの馬にしよう。今日持ってるお金、全部賭けるわ。外れたら、今日は解散な」
そう言って、
神代の元へ戻って、レースが始まるのを待つ。さっきの僕の発言で落ち込んでいるだろうと、神代の顔をチラリと見た。神代は、まるで勝ちを確信しているかのように落ち着いている。
レースが始まった。僕が賭けた葦毛の馬が一気に飛び出して、先頭を走り始める。まるでペース配分が出来ていない。これなら大丈夫だろう。そう思って、安心していると神代がポツリと呟いた。
「絶対に勝ちますよ」
「大穴、倍率100倍の馬だぞ?」
「もし外れたら、さっきの言葉通りに、今日は大人しく帰ります」
「……」
段々と後方から馬群が上がってきた。葦毛の馬に追いつくまで、あと少し。ゴールまでは、まだほど遠い。葦毛の馬の負けを祈って、僕はレースを見守った。
しかし、葦毛の馬はしぶとく、中々スピードを落とさなかった。目は血走り、息も荒くなっているのが遠目からでも分かる。あと300メートル、というところになっても、まだ先頭。
「頑張って!負けないで!」
神代が叫んだ。
残り100メートル。本命馬を含めた馬群が、いよいよ葦毛の馬に追いついた。
そして、葦毛の馬は、神代の祈りに応えるように先頭のままゴールした。
「やった!勝ちましたよ、服部さん!」
「あ、ああ!」
100倍。震える手で換金すると数十万の札束が、機械からスッと出て来た。
「夕飯、ご馳走してくださいね!」
満面の笑みで言う神代に、僕は完全にお手上げだった。
地元の駅に戻った。最後に向かったのはファミレス。神代が美味しいイタリアンの店だと言った、例のチェーン店だ。
「わあ。ここ、私、大好きなんです」
「そうか」
ケチ臭い男を演じようと、安い料理だけを頼んだ。しかし、神代はどんな料理を食べても、美味しい美味しいと目を輝かせていた。
ダメだ。どうしたって、神代の心を折る事は出来ない。
僕は最終手段に出る事にした。
「なあ、神代……」
「はい」
「僕の家に来ないか?」
初デートでの、この誘い。これなら断るだろう。そう思って神代を見つめていると、神代は嬉しそうに頷いた。
「服部さんの家、行ってみたいです」
おい……マジかよ。これも失敗か、と思って会計を済ませた後、自宅へと向かった。
「ここだよ」
築30年のボロアパート。二階へ続く階段は、足を乗せる度に
部屋の鍵を開けて、神代を中に招いた。襲い掛かるふりをして、嫌われよう。そう思っていると、神代は僕の部屋を見渡して、うわあ、と歓声を上げた。
「なんだよ?」
「これ、服部さんが描いたんですか?」
部屋には何枚かの絵があった。全部、僕の作品だ。
「そうだよ」
「なんて素敵な絵……」
神代は僕の絵を見て、本当に感動しているようだった。お世辞じゃないのが、その
それから神代は丁寧に僕の絵を見つめて、何度か頷いた。
「服部さん。約束通り、私、モデルになります。綺麗に描いてくださいね」
「うん」
もう僕は神代に嫌われる事を諦めた。
その日から神代をモデルにして、僕は何枚もの絵を描いた。
そんなある日、大学で絵を描いていると、スマホにメッセージが届いた。内容を確認すると、コンテストに出していた僕の作品が受賞した、という内容だった。嬉しくて、直ぐに神代に電話を掛ける。神代は自分の事のように喜んでくれて、電話越しに笑顔が見えるようだった。
「なあ、神代。僕、絵で有名になるって決めたよ」
「服部さんなら、絶対になれます!」
「ありがとう。もし良かったら、今日、デートしない?」
「良いんですか?」
「うん。あと、もう諦めようと思って」
「何をですか?」
「お前の気持ちから逃げることを。今日、僕の気持ちを伝えるから、返事、考えておいて」
告白を宣言して、僕は絵筆を仕舞った。
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