【一つ傘の下で】

 駅に着いた瞬間に雨が降り出して、憂鬱ゆううつな気分になる。朝のニュースで降水確率30%とあったので、念の為に傘を持ってきてよかった。鞄の中から黒い折り畳み傘を取り出して、ゆっくりと広げる。ここから高校までは歩いて5分ほど。小さな折り畳み傘では心許こころもとないけれど、少し濡れるくらいだろうと思って、俺は雨雲の下を歩きだした。刹那せつな、後ろから聞き慣れた声がする。


霜崎しもさき!ちょっと待って!」

 急に名前を呼ばれて振り返ると、そこには俺、霜崎しもさきかけるの想い人である三井みつい透子とおこの姿があった。三井透子は申し訳なさそうな顔をしながら、俺に近づいて、こう言った。


「私、傘忘れちゃったんだけど、学校まで入れてくれない?」

 勿論もちろん!と言いたかったけれど、恥ずかしさから素直になれなくて、俺は首を横に振った。


「嫌だよ!俺ら付き合ってもないのに、そんな事出来るわけないだろ」

「なによ、霜崎。あんた恥ずかしいわけ?」

「……」

「それって私の事、意識してるって事かなあ?」

 挑発的な目であおってくる三井透子に、俺は無言で傘を彼女の方に傾けた。あー、なんでこういう時に素直になれないんだろう。本当は小躍こおどりしそうなくらいに幸せな気分なのに。


「さ、行きましょ!」

「お……おう」

 三井透子は天真爛漫てんしんらんまんを絵に描いたような笑顔を浮かべて、ゆっくりと歩きだした。慌てて傘を三井透子に向けて、横に並ぶ。空から降り注ぐのは幸運にも小雨。ミストシャワーくらいだ。


「ちょっと霜崎!肩濡れてるんだけど!」

 頬を膨らませて言う三井透子に、俺は少しだけ傘を彼女の方に寄せた。


我儘わがまま言い過ぎ!少し濡れるくらい我慢しろよ」

「あーもう!仕方ないわね!」

 三井透子は、やれやれといった感じで俺と肩を合わせた。急に近づいた距離に、思わず声が出そうになる。


 三井透子に気持ちを悟られない様に、ポーカーフェイスを張り付けて明後日の方角を見た。多分、俺の頬は真っ赤に染まっているだろう。


「あんまりくっつくなよ。熱いだろうが」

 梅雨が明けて、季節は夏真っ盛り。温度も湿度も高くて、不快感はマックス。汗が噴き出して制服が肌にくっ付くのを感じた。それでも、幸せな気分になるのは、惚れた弱味か。ドキドキと心臓の鼓動が早くなるが分かった。


「そう?私、平熱低い方なんだけどな……むしろ霜崎の方が体温高くない?」

「……そうかな」

 お前の所為せいだよ!と心の中で叫んで、俺は三井透子の目を見る事が出来ずに、呟く。


 ようやく少し落ち着いて、三井透子の方を見ると、何?と言った風な目をして微笑んできた。長い黒髪から、ふんわりとシャンプーの匂いが香る。その香りにクラクラしながら、何か話さないと間が持たないや、と思って、頭をフル回転させたけれど、何も思いつく事が出来ずに俺は押し黙った。


「今日の英語の小テスト、憂鬱だわ」

 その空気に耐え切れなくなったのか、三井透子がささやく様に言った。


「え!?今日って小テストあるんだっけ?」

「忘れてたの?」

「あー……うん。まあ、なんとかなるとは思うけど」

「霜崎、英語は得意だもんね」

「英語『は』ってなんだよ」

「数学、毎回赤点じゃない」

「うっ……なんで知ってるの!?」

 少しは俺に興味を持ってくれているのかな?と思って、嬉しくなった。


 あと少しで高校に着く、といったところで雨が止んだ。手を傘から差しだして、それを確認すると、三井透子は俺から距離を取った。


「ありがとう、霜崎」

「ああ。帰りも降るかも知れないから気を付けろよ。置き傘とかあるのか?」

「うん。帰りは大丈夫だと思う」

「そうか」

 残念だ、と言いたかったけれど、勿論そんな事は言えずに、俺は傘を仕舞った。


 教室に入ると、皆が英語の小テストの勉強をしている。いつもは騒がしい教室が、少しだけ静かだ。


「お!霜崎!ここ教えてくれ!」

 友人が近づいてきて、頭を下げてきた。いいよ、と言って、文法やテストに出そうな単語を教える。もう直ぐ一限目が始まるな、といったタイミングで、生活指導の先生が入って来た。


「よーし、今から抜き打ちの荷物検査するぞ!」

 教室がどよめく。


「皆、鞄を机の上に置け!」

「えっ!」

 三井透子が動揺して、思わず声を上げた。


「なんだ、三井。お前、怪しいぞ」

「い、いえ。なんでもありません」

「ほう……ちょっと鞄見せろ」

 生活指導の先生が険しい目をして、三井透子に近づいた。三井透子は覚悟を決めた目で、自分の鞄を先生に手渡す。チラリ……と僕の方を見て、項垂うなだれるのが見えた。


「ん?別に変な物は入ってないな……」

 そう言いながら、弁当箱などを取り出した後に、先生は鞄を逆さまにして何度か振った。中からは何も出てこなかったが、三井透子の動揺は止まらない。


「ほ、ほら。先生。何もないでしょ?もう良いですか?」

「う~ん。仕方ないな」

 三井透子が素早く机の上にあった物を手早く仕舞った。その中にバーバリーの折り畳み傘があるのを見つけて、俺は思わず、あっ!と叫んだ。


「なんだ、霜崎。お前も怪しいな」

「いえ。何でもありません」

 その後、荷物検査が終わるなり、俺は三井透子に近づいて、顔を覗き込んだ。三井透子の顔は紅に染まっている。


「な、なによ」

「三井、お前、傘持ってきてるんじゃん」

「……持ってきてるのを忘れてたのよ!」

「へえ。なあ、もし帰りに雨が降ったらさ」

「うん」

 俺は勇気を出して、三井透子を見つめて言った。


「相合傘して帰らない?」

 帰り道、どうか大雨が降りますように。


 三井透子は耳まで真っ赤にしながら、うなずいた。















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