【ショートケーキとチーズケーキ】

 今日も、あの人はやって来るのだろうか?


 毎週金曜日の夕方、私が勤める「ケーキハウス・ショコラ」に、一人の草臥くたびれたサラリーマンがやって来る。毎回、買っていくのは「ショートケーキ」と「チーズケーキ」の二つ。ウチの店の名物はチョコレートケーキで、ほとんどの客はその名物のチョコレートケーキを買っていく。私がこの店に勤める様になった切っ掛けも、チョコレート好きが高じてだ。


 しかし、くだんのサラリーマンは、一度もチョコレートケーキを注文した事がない。今日こそはチョコレートケーキを買って欲しいな、と私は彼が来店する度に願うのだが、その願いが叶う事はなかった。


 別に顔が良い訳でもなければ、お金を持っていそうでもない。ここまで気になるようになったのは、ひとえに彼の人柄ゆえである。


 老若男女問わず、兎に角優しい。


 雨降りの日に、お客さんが来店するのを見ると、そっと扉をあけてあげたり、子供連れの母親がケーキを選んでいる最中、子供に向かって変顔をして喜ばせてみたり。他にも、老人が重たい荷物を運んでいるのを見て、手伝ってあげたりするのを街中で見掛けた事もある。


 いつも話し掛けようと思うのだが、話題もなければ人見知りな性格が邪魔をして、彼との距離を縮める事が出来ない。


 夕方になって、客の入りも減ってきた。そろそろ来るかな?と思って、ぼーっとガラスの扉を見つめていると、いつものように草臥れたスーツに身を包んで、そのスーツより草臥れた雰囲気をまといながら、彼がやって来た。


 扉を開けて、ショーケースをチラリ、と見る。ショートケーキとチーズケーキが残っているのを確認して、彼はゆっくりとカウンターへ歩を進めた。


「ショートケーキとチーズケーキを1ずつ下さい」

「はい。いつもありがとうございます」

 毎回同じ台詞せりふをお互いに口にして、私はショーケースからケーキを取り出し、箱に詰めた。箱を袋に入れて、レジに立って値段を伝える。既に用意してあった千円札とポイントカードを、彼は銀色のトレイの上に置いて、私が商品を手渡すのを待っていた。


 ふと、ポイントカードにスタンプを押すタイミングで、ポイントが満タンになっている事に気付く。


「あの……ポイントが溜まっているので、500円以下の商品をお一つ無料でプレゼントさせて頂きたいのですが……」

「そうなんですね……どうしようかな」

 チャンスだ!と思って、私は話し掛ける事にした。


「いつもとは違う商品を試してみませんか?ウチ、チョコレートが有名なので、よろしければチョコレートケーキなど如何いかがでしょう?」

「チョコレートケーキか。そうですね。じゃあ、それにします」

「ありがとうございます!」

 私は嬉しくなって、さっき商品を入れた箱を開けて、チョコレートケーキを詰めた。


 ぺこり、と頭を下げて彼が店を後にする。その背中を目で追いながら、話題が出来たな、と思って私は破顔した。


 それから、少しずつ会話をする様になった。


「あの……チョコレートケーキの味、如何でしたか?」

「とても美味しかったです」

「良かった……私、ここのチョコレートのファンで、ここで働く事になったんですよ」

「へえ……バイト募集か何かに応募したんですか?」

「いえ。店長に直談判しました」

 ふふふ、と笑って私は続ける。


「私、割と人見知りな方なんですけど、これだ!と思ったら周りが見えなくなる性質たちなんですよ」

「ここのチョコレートを愛してるんですね」

「はい!」

 彼は微笑みながら、ショーケースを確認して私に言った。


「じゃあ、ショートケーキとチーズケーキ……あと、前に買ったチョコレートケーキを頂けますか?」

「ありがとうございます」

 それから毎週金曜日、彼と話す事を楽しみに、私は仕事にいそしんだ。





 しかし、ある日から彼は何故かチーズケーキだけを買うようになった。気になって理由を聞いても、まあ色々あって……としか言わない。私も、そんな風に言われてしまうと壁を作られた様で、何も聞く事が出来なかった。


 それが、数週間続いた。


 小雨の降る、とある水曜日、彼が店にやって来た。水曜日なのに?と思いながら、こんばんは、と挨拶をする。彼はいつもの草臥れたスーツではなく、真っ黒でピシっとしたスーツに黒いネクタイをしていた。


 喪服。


 気になって、私は彼に尋ねた。


「誰かのお葬式帰りですか?」

「……ええ。実は母を亡くしまして」

 思わぬ言葉に私は立ち尽くした。


「母は、重病で、そんなに長くないと言われてました。自宅療養中の母は、ショートケーキが大好きだったんです。だから、仕事の早く終わる金曜日に、ここでショートケーキを買っていました。実は僕は甘い物がそんなに好きではないんですけど、母と一緒に食べるチーズケーキは特別な味がしましたよ」

 私は彼の言葉を聞きながら、思わず泣いてしまった。


「泣かないでください、店員さん。母が病室に入って、延命治療を受けてる時も、チーズケーキを食べながら、母のベッドの横で色々な話をしました。ここのケーキに、沢山助けて貰いました」

 彼は笑って続けた。


「今日は母にショートケーキのお供え物をしようと思って。いつもの様に、ショートケーキとチーズケーキを頂けますか?」

「はい」

 私は涙を拭いて、ケーキを箱に詰めて袋に入れた。


「あの……ひょっとして、これっきりですか?」

「ははは。大丈夫ですよ。なんだかんだ言って、ここのケーキのファンになりました。毎週金曜日、いつもの様に買いに来ます」

「待ってますね」

 私は祈る様に彼に言った。


 それからも、彼は毎週金曜日、いつもの時間に来店してはチーズケーキを買ってくれた。その5分ほどの逢瀬おうせが私の恋心を加速させる。どうやって彼に気持ちを伝えればいいんだろうか。


 その日も彼が店にやってきて、いつものようにチラリ、とショーケースを確認する。そこにチーズケーキがないのを見て、残念そうにしていた。


「すいません……先ほど、チーズケーキが売り切れてしまいまして……」

「仕方ないですよ。ここのチーズケーキ、凄く美味しいですから」

 彼は、どうしようかな?と首をひねりながら、ショーケースの中を見渡した。


「何か他におすすめのケーキってありますか?」

 ここしかないな、と思いながら私は返答した。


「新作のガトーショコラがおすすめですよ。ちなみに……」

「はい?」

「ちなみに私もおすすめですよ。今度、お茶でもしませんか?」

 私の突然の誘いに彼は笑って答えた。


「最近、甘い物が好きになってきたところなんです。では、来週の土日にでもお茶しましょう」

 私は嬉しくて、思わずその場で飛び上がった。



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