【酒客のリグレット】
テキーラはホセ・クエルボ。
カクテルはマティーニ。
ウイスキーはアードベック。
彼との思い出は、いつもアルコールの匂いがした。
今では高い酒をBARで飲める身分になったが、学生時代は、そんな高い酒など買える
彼とは学生時代からの付き合いで、同じアメリカンフットボール部に所属していた。私は中学からアメフトを始めて、そこそこの成績の持ち主。高校も大学もアメフト推薦で入ったので、頭はそれほど良くなかったが、運動神経には自信を持っていた。それに対して彼は身体能力も高く、主席で大学に入るほどのインテリ。
部活動の歓迎会の時に、初めて顔を合した彼と、不思議と気が合った。昔からの知り合いの様な気になったし、彼も私に対して好意を持ってくれているようだった。歓迎会で先輩達から酒を強要され、周りがドンドン潰れていく中で、私と彼だけは顔色一つ変えずに、用意されていた缶ビールやら缶チューハイを飲み干していた。
先輩達も、こいつらは潰れないな、と思ったのか、他の学生に絡み始めて、私と彼は部屋の隅っこで二人きりになった。
「お前、酒強いな」
「お前こそ」
戦友同士が認め合うように、何故か連帯感みたいな物が生まれた気がした。急激に距離は縮まって、いつしか彼といつも一緒に居る様になった。出席番号も近かったので、語学の授業も一緒だったし、バイト先も一緒だった。あいつら、出来てるんじゃないか?と噂されるほど、私達の仲は良かった。
私は実家暮らしだったが、彼は一人暮らし。実家に居る時間よりも、彼の家に居る時間の方が長くなっていったのは自然の摂理だ。毎日の様に酒を飲んで、下らない会話をした。
自慢ではないが、二人とも異性にモテた。お互い、それなりに顔もスタイルも良いし、雰囲気もある。彼は気が利くタイプで、優しくて甘い感じ。酒に例えるなら果実のリキュール。それに対して私は、よく喋り周りを盛り上げる華やかなタイプ。酒に例えるなら食前に飲むシャンパン。
二人で合コンに行って、どちらが多くの女の子の連絡先を聞けるかとか、クラブに行ってどちらが早く女の子を持って帰れるか、などの勝負もした。今、考えると若気の至りとは言え、悪趣味だったと思う。
そんな私達には夢があった。夢と言っても具体的な物ではなく、「ビッグになってやる!」と言う、若者特有の病の様な物だ。ビッグになって、良い服を着て、良い女を抱いて、良い飯を食う。それを目標にしていた。
就職活動の時期になって、私達は
面接もお互いに苦手ではなかったので、スルスルと就職試験に合格していった。なんだ、就職活動なんてイージーだな。そんな風に思っていた。
だが、日本で一番年収の高い商社の試験だけは緊張して、上手く面接で喋る事が出来なかった。落ち込んで彼に相談したら、いつもの様に酒でも飲もうぜ、と言って私を夜の街に連れ出してくれた。
「なあ、今日、俺達、給料日だろ?どうせなら、BARとかに行ってみないか」
彼の提案に乗って、彼の知り合いが働いているBARに行った。ドキドキしながら、扉を開けて、中の雰囲気に圧倒された。大人の世界。レコードからジャズの音がする。
何を飲まれますか?と聞かれて、彼は正直にBARに来た事がないので、おすすめを下さい、と言った。バーテンダーは
カクテルグラスに入った強いアルコールを、舐める様に口にした。その美味しさに、私は感動してしまって、そのまま直ぐに飲み干してしまった。彼は、もっと味わえよ、と笑った。
その後も、ジン・トニック、テキーラ・サンライズ、モスコ・ミュールと次々にカクテルを楽しんだ。しかし、初めて口にしたマティーニの感動を超える事はなかった。それから先、私はBARでカクテルを頼む時の一杯目は、必ずマティーニを頼む様にしている。
BARでカクテルを楽しんだ次の日、なんと商社の合格通知が来ていた。喜んで彼に報告すると、どうやら彼も合格していたようで、二人して祝いの為に先日行ったBARに行こうと言う事になった。まあ、そんなのは言い訳で、昨日の様に酒を楽しみたかったのだ。
大学を卒業し、彼と同じ会社で同じ部署に配属された。営業だ。学生時代の様に二人でゲーム感覚で競い合った。お互いに一進一退。華やかな未来が私達を待っていた。
十年もすると、お互いに管理職まで上り詰めた。異例のスピード出世。能力重視の会社で良かったと、つくづく思った。年功序列なんてクソくらえだ。私達は管理職になっても、夜になると酒を酌み交わし、更なる華やかな未来を語り合った。
お互い、家庭を持ち、子供にも恵まれ、このまま幸せという名の酒を飲み続けるのだと思っていた、ある冬の日。彼を懲戒免職するという社内メールが流れた。
理由は下らない物だった。
沖縄出張に行った彼が、取引先の人とのアポイントを急にキャンセルされた為、どうせならと家族を呼んで休暇を楽しんだらしい。ちゃんと有給は取っていた。それが、どう言う訳か有給の申請が成されておらず、それを耳にした上が判断したようだ。こんなの
蓋を開ければ、単なる社内政治に巻き込まれただけの様だった。
私も会社に不信感が湧いたが、辞める決意が出来ずに会社に残った。彼は別の業種のベンチャー企業に入社したと、私に報告してくれた。
段々と疎遠になっていたある日、ニュースで彼の勤めていたベンチャー企業が不適切会計問題を起こしたと知った。直ぐに彼に連絡したが、彼は電話に出なかった。
久方ぶりに彼に連絡すると、彼は喜んで飲みに行く事を承諾してくれた。私は駅前で彼を待った。駅の改札から出てきた彼は、昔の面影が殆どなくて、
二人して地元のBARへ行った。彼は数杯だけ飲んで、そろそろ帰ると言い出した。私は、まだまだ飲もう。お前と会うのは久しぶりだし、飲み足りない、と言ったが、彼は、すまないな、と言って一万円札をカウンターに置いて、店を出た。
直ぐに彼を追いかけて、その手を引いた。
「もう少し飲もう。お前の話が、まだ聞きたい」
その言葉に彼は悲しそうに呟いた。
「金がないんだよ」
私はどうしていいか分からずに、軽く彼に言った。
「そんなの出さなくていい。俺が全部だす。お前と語り合いたいんだ」
「ありがとう、とでも言うと思ったか?お前からだけは。お前からだけは同情なんてされたくなかった!」
その言葉に私は凍り付いてしまって、彼の後ろ姿を見守る事しか出来なかった。
私はBARに戻って、一人で飲むことにした。ジン・トニック、テキーラ・サンライズ、モスコ・ミュール。あの頃、飲んで感動した味が、今は虚しく乾く。
次の日、彼から謝罪のメールが来ていた。俺は、こちらこそ、すまなかった。良かったら、今日も飲まないか。あの頃のように、安い酒で乾杯しよう、と返信した。
待ち合わせ場所に、彼は遅れてやってきた。居酒屋でも探すか?と聞くと、思い出の味を思い出さないか?と言われて、コンビニエンスストアに二人で入った。安い缶チューハイ、焼酎の大瓶。懐かしい気持ちがこみ上げてきた。
彼の家で、乾杯して、買ってきた酒を急ピッチで飲んだ。いつの間にか、学生時代に戻った気持ちになって、私は彼に言った。
「なあ、もしも困ったことがあったら、連絡してきてくれ。これは同情なんかじゃない。俺にとってお前は大事な大事な友人なんだ。だから、お前が困ってるなら助けたい」
ありがとう、と彼は言った。その日はお互い、潰れるまで飲んだ。
テキーラはホセ・クエルボ。
カクテルはマティーニ。
ウイスキーはアードベック。
そんなものよりも、今日飲んだ150円もしない缶チューハイの方が美味しかったな、と思いながら眠った。
彼との思い出は、いつもアルコールの匂いがした。
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