【雨音スタッカート】

 いつもの様に屋根に当たる大粒の雨がスタッカートのリズムを刻む。


 私は雨女の末裔、時雨しぐれ天音あまね。雨女とは雨を呼ぶとされる日本の妖怪だ。行く先々やイベントなどの際、やたらと雨に降られてしまう女性の事もこう呼ぶ。イベント事がある度に雨が降るので、私の友人達は、また天音が雨を降らしたね、と笑ってくれるが、それが割とショックなので、大きなイベント事には参加しないようにしていた。おかげで文化祭や体育祭、修学旅行なども、小さな頃から参加しなかった。


 部活を吹奏楽部にしたのは、大会などで雨が降っても影響がないからだ。本当は運動部に入りたかったが、もしも私の所為せいで雨が降ったら目も当てられない。その日も私は担当楽器のトランペットの練習をしていた。


 ふと、窓の外を見ると、雨の中、野球部が熱心に練習しているのが見えた。うちの高校の野球部は県内でも強豪と言われていて、今年は甲子園に行けるかも知れないという。皆の甲子園への期待を膨らませた立役者、野球部部長の明石あかし太陽たいようが、大声で部員達を鼓舞こぶしていた。





 明石先輩、今日もかっこいいな!




 胸の内で、叫ぶ。練習を目で追ってしまうのは、恋心。明石先輩が打った白球が校庭の外に出そうになったが、緑色のネットがそれを受け止めて、大きく揺れた。


 明石先輩とは中学が一緒で、塾も一緒。家も近かったので、当時はよく喋っていた。その明るくて爽やかな体育会系の男らしさに恋心を覚えたのは、いつの頃からだろうか。正直、明石先輩が入学したから、この高校を選んだ。ちょっとした下心。しかし、高校での明石先輩はスターで、あの頃の様な距離は取れなくなっていた。遠い。それでも、今も明石先輩を想ってる。


 たまに廊下ですれ違う時にする、数秒の挨拶で、胸が焼けた。地区大会が始まって、吹奏楽部は毎回応援に行っているが、私は一度も参加していない。本当はトランペットで、この想いを音にして届けたいのに。


 吹奏楽部の練習が終わって、外へ出ると雨が止んでいた。ちらり、と校庭を見ると、野球部はまだ必死で練習している。明後日は決勝戦。勝ってほしいな、と願いながら、私は帰路についた。






「おー!天音!」

 次の日の登校途中で、後ろから明石先輩に声を掛けられた。驚いて振り返る。


「明石先輩、今日は朝練がないんですか?」

「ああ。今日は練習をなしにして、体力温存だよ。ところで天音……」

「はい」

 明石先輩は、少し声のトーンを下げて、言葉を続けた。


「お前、なんで応援に来てくれないの?」

 その言葉に、私は少し落ち込みながら答えた。


「私、雨女なんで、明石先輩の邪魔になっちゃうかな~って」

「そんなの迷信だろ?」

「でも、本当に私が応援に行ったら、雨が降っちゃうと思うんです」

「う~ん。そっか。でも俺は応援に来て欲しいぜ」

「……考えておきます」

 私は心の中で、ホントは行きたいんです、と呟いた。


 お昼ご飯を学食で食べた。人気の天ぷら蕎麦が売り切れていたので、きつねうどんを頼んだ。友人達と他愛のない会話をしながら、ふと目線を窓の外にやると、明石先輩が部室から校庭に、バットを持って出てくるのが見えた。食事を手早く終えて、明石先輩の元へ向かう。休まなくて大丈夫なの?と思いながら、明石先輩に話し掛けた。


「明石先輩、今日も練習しちゃうと明日に響きますよ?」

「おう、天音!体を動かさないと、なんだか不安でな」

「明石先輩でも不安になる事ってあるんですね」

「おいおい。俺だって人間だぜ?」

「でも、いつもここぞ!って時には活躍するから、緊張とかしないタイプなのかと思ってました」

「あ~。確かにピンチのほうが燃えるタイプではあるな」

「でしょ?」

「なあ、天音。朝も言ったけど、もしも嫌じゃなかったら応援来てくれよ。やっぱ、みんなの声援で、元気づけられるからさ。一人でも多くの人に来て欲しいんだよ」

「……」

「……俺、待ってるぜ?」

 明石先輩は、それだけ言い残すと、スタスタと部室へと戻って行った。


 次の日……決勝戦。吹奏楽部の皆が球場に向かうのを横目に、私は視聴覚室に居た。


 やはり、応援に行けなかった。もしも雨を降らせて、それが原因で明石先輩が負けるのが怖かったのだ。せめてテレビ越しには応援したい。視聴覚室のテレビを点けて、私は両手を組んで祈るようにして試合を見つめた。


 相手は甲子園常連校。格上の相手を前に、どうなるか、という実況が入った。明石先輩なら、なんとかしてくれるわよ!と思いながら、テレビ画面に映る試合を見つめた。一進一退の攻防が繰り広げられていたが、4回に味方のエラーで3点差がついてしまった。




 どうしよう。




 私は居ても立っても居られなくなって、トランペットを片手にタクシーで会場に向かった。明石先輩!頑張って!タクシーの中で、ラジオ中継を聞いていると、点差はそのままに回を重ねているようだった。


 会場に着いた。


 やはり、と言うか、当然と言うか、空模様が怪しくなってきた。どうかまだ降らないで、と願いながら、吹奏楽部の皆の居る席に向かった。


「天音!あんた、来たんだ?」

 吹奏楽部の先輩に肩を叩かれた。部員の皆も私を歓迎してくれた。必死でトランペットを吹いて応援を始める。神様!どうか明石先輩を勝たせて!


 ついに最終回の裏。私達の高校の攻撃になった。3点差。先頭打者がヒットを放ち、続くバッターもヒット。ここでバントか?という場面だったが、監督はバントのサインを出さなかった。


 小雨が降り始めた。


 三番バッターが打った、ぼてぼての内野ゴロがエラーとなり、満塁になった。そこでバッターボックスに立つのは4番。誰もが信頼を置くバッター、明石太陽。応援のボルテージはマックスで、誰しもが喉を枯らしながら大声で明石先輩を応援した。


 しかし、相手も甲子園常連高のエースピッチャー。すぐに明石先輩からストライクを奪った。


 雨が勢いを増し始めた。


 ピッチャーが振りかぶって、投げた球が雨の所為で指先で滑ったようだ。スピードが殺された球を見逃す事なく、明石先輩は渾身の力を込めて打ち返した。


 白球がライトスタンドに力強く叩き込まれて、私も学校の皆も、大声で勝利の雄叫びを上げた。逆転満塁ホームラン。ドラマのような展開に、私を含めて多くの生徒が涙を流した。





「よお、天音!お前のお陰で勝てたわ!ありがとう!」

 その日の晩、明石先輩から電話が掛かってきた。狼狽うろたえながらスマホのボタンを押すと、開口一番、明石先輩は嬉しそうに言った。


「え?私が応援に来たの、見えたんですか?」

「お前のトランペットから出るスタッカートは、凄く特徴的な音がするんだよ。俺、耳は良いんだぜ?」

「甲子園出場、おめでとうございます!夢みたいです!」

「なあ、天音!明日の土曜日、俺、オフなんだよ。お前、暇か?」

「え、ええ。何も予定ないです」

「じゃあさ、お礼といってはなんだけど、一緒にパフェでも食べに行かない?」

「パフェですか?」

「ん?お前、甘い物好きだったよな?」

「は、はい」

「じゃあ、駅前に12:00な」

 それだけ言って、明石先輩は電話を切った。


 どうしよう。いきなり決まったデートだけど、どうせ雨が降るだろう。念の為に天気予報を見ると降水確率80%とあって、諦めた。こんな日にまで、雨なんて降らなきゃ良いのに。デート……デートでいいのかな?私は明日の服装を決めるために、部屋で一人ファッションショーを始めた。


 デート当日。雲一つない快晴。


 なんでだろう?と思いながら、駅前に向かう。こんな天気でイベント事を迎えたのは初めてだ。


 明石先輩は既に待ち合わせ場所に来ていて、私は小走りで駆け寄った。


「よお、天音!雨、降らなかったな」

「そ、そうですね。自分でも不思議です。なんでなんだろう」

「実はさ、俺って晴れ男なんだよ。イベント事で雨が降った事がねーんだ」

「そうなんですね」

「だからさ、天音」

「はい?」

 明石先輩は、私の耳元に顔を近づけて言った。



「俺の傍に居たら、快晴、間違いなしだぜ?だからこれから、俺と、ずっと一緒に居てくれよ」

 その言葉を聞いて、吃驚びっくりして明石先輩の顔を覗き込んだ。


 そこには太陽のように眩しい笑顔があった。

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