【理系ちゃんと文系君】

 Did my heart love till now? forswear it, sight!

 今までにわが心が恋したことがあるか?ないと誓え、目よ!


 初めて矢代やしろ皐月さつきを見た時に、脳裏にぎったのはロミオとジュリエットの一節だった。俺は帰国子女で、数年ぶりに日本に帰国し、入学した大学で彼女に出会った。見た目は完璧な大和撫子やまとなでしこ。綺麗で艶やかな長い黒髪。陶器の様に透き通った肌。何もかもが俺好みだった。だが、この女、見た目は良いが性格に難があって……


直樹なおき!あんたの無知っぷりには脱帽だわ」

「うるせー、皐月!そんなのわかるわけねーじゃん!」

 矢代皐月は俺が通う大学の理工学部の生徒で、同じビリヤードサークルに所属している、所謂いわゆる、リケジョだ。いつも俺に絡んできては、馬鹿にしてくる。俺は上野うえの直樹なおき。文学部。正直、帰国子女の推薦入試枠で入学したので、周りに比べると頭はそんなに良くないし、日本の一般常識もよく分からない。


「お前の名前の由来を聞いただけで、なんでそんなに怒られないといけないんだよ!」

「あんた、皐月賞とか、となりのトトロのサツキとか知らない訳?」

「馬鹿にすんなよ!となりのトトロくらい知ってるわ!」

「ほーん。じゃあ、『皐月』の意味くらい分かるわよね……」

「ええ……えーと」

「ヒントはサツキの妹の名前」

「メイだったっけか……メイ、メイ……May?」

「そう」

「え?『皐月』って五月って意味なの?」

「はあ~……あんたそれでも、ウチの大学の生徒なの?しかも文学部よね?日本の旧暦も知らないなんて」

「古文は俺の人生に何の意味ももたらさないから、どうでもいいんだよ」

「一般常識レベルよ」

 皐月は頭を抱えて、嘆息した。


 本当にこの女、顔は良いのに性格は最悪。帰国子女の俺は、自分でいうのもなんだが、個性を大事にする方だし、言いたい事をハッキリ言う方だ。そんな俺が辟易へきえきする程、矢代皐月の個性は凄かった。なんでもかんでも理詰めで考える、リケジョの特性の塊みたいな女。でも、そんな皐月の事を、俺はなんだかんだ言って嫌いではなかった。帰国子女の俺は敬語が上手く使えなかったし、空気を読むというのも、よく分からない。それで人に勘違いされる事も多かったが、皐月はいつもフォローしてくれて、とても助かっていた。


 サークル活動中、みんなでビリヤード台で球を突く事になった。俺も矢代皐月も素人だったので、先輩に色々教えて貰いながら球を突く。先輩のアドバイスは的確で、段々と上達していくのが自分でも分かる。楽しい。ちょっと二人で勝負してみなよ、と言われて皐月と軽く1試合する事になった。ナインボールバンク。ビリヤードの基本ゲーム。先攻、後攻を決めるのに『バンキング』と呼ばれる、最初に行われるゲームをしようとすると、先輩が男なんだからそこは先攻譲ってやれよ、と言ってきた。分かりましたよ、と言って、皐月に先攻を譲る。試合は皐月のブレイクショットから始まった。実力伯仲というのもあって、シーソーゲーム。最後に球をポケットに入れれば勝ち、という場面で皐月はブツブツと独り言を言い始めた。


「この角度で、この回転数なら必ず入る筈……」

 皐月が真剣な目で球を見つめながら、キューを構えているのを見て、俺は笑いそうになった。勿論、こういったスポーツには理論が大事だけど、素人考えで入るなら誰しもがプロプレイヤーになれる。


「えい!」

 皐月は、力を込めてキューを球に当てた。果たして、球はポケットに嫌われたかのように、手前で止まった。


「え……なんで……私の計算に狂いがあったとでも……?」

「こういうのは感覚でいいんだよ。感覚、感覚」

 俺はぐにキューを構えて、軽く球を突いた。球がポケットに吸い込まれるのを見て、皐月は悔しそうに舌打ちをした。


「なんでも理詰めで考える癖、よくないぜ?」

「何言ってるのよ!ちゃんと理論立てて考えないと、人生後悔するわよ!」

「う~ん。これは俺の人生の教訓なんだけど、選択肢が生まれた時に、どちらを選んでいいか分からない時は直観に頼る方が、後悔しなくて済むよ」

「私は最後まで論理的に考えてみせるわ」

「まあ、生き方は自由だ」

 その日、皐月は口を聞いてくれなかった。


 皐月と話すのは、とても楽しい。俺は大学に居る時は、皐月を探しては話し掛ける様にしていたし、皐月も俺を見つけては話し掛けてくれる様になった。毎日、学食で食べる昼飯ランチは格別の味がした。これって恋なのかなあ、と自問自答しながらも、二人して憎まれ口を叩いては、笑いあうのが恒例行事の様で、皐月の気持ちがさっぱり分からない。


 学園祭のシーズン、ウチのサークルはクレープを売る事になって、女子達はメニュー作成、男子は店の看板の作成等をする事になった。店の看板にペンキを塗る段階になって、ペンキの量が足りない事に気付く。買い足しに行こうと上着を着て準備していると、皐月が部室にやってきた。


「直樹、どこか行くの?」

「あー、看板のペンキ買いに」

「私も買い出しに行くの。一緒に行っても良い?」

「ああ」

「結構買う予定だから、車で一緒に運んでくれると嬉しいんだけど」

 両手をすり合わせて、頭を下げる皐月に、分かったよ、と首を縦に振る。


「なあ、ペンキの缶ってどのくらい買ってくればいい?」

「えーと、各種、2,3本!」

「OK」

 部員から返事を貰って、そのまま部室を出ようとすると、皐月が看板の方に向かって歩き出した。看板を見つめて、そのまま嘆息混じりに部員に話しかける。


「まず、2.3本ってのは何リットル?各種って言ったけど、どう考えても白は、もう少しで足りるわよね」

「おい、皐月!そんなとこまで理詰めでいくなよ」

「無駄な部費を使わない為なんだからいいじゃない」

「まあ……それもそっか。ちょっと皆で計算しようぜ」

 部員達は、やれやれと言った感じに絵の近くに集合した。皐月に計算を任せて、ペンキの必要量を計算する。


「じゃあ、行ってくる」

「よろしく!」

 はいよ~、と軽く返事をして、車で皐月とホームセンターに向かった。ペンキを買って、その足で、業務用スーパーで必要な食材を買った。


「ねえ、直樹、お腹空かない?」

「そういえば、昼飯食べてないな」

「私も食べてないんだけど、私の家、すぐそこなんだよ。何か作ってあげようか?」

「え!?まじ!?助かる~。今月、ピンチだったんだよ」

「車、出してくれたお礼よ」

 皐月がフフッと笑うのを見て、少しドキッとした。こいつ、笑ってりゃ可愛いのにな。


 皐月の部屋に着いた。皐月はエプロンをして、その辺でくつろいでおいてよ、と言ってくれた。数分もせずにキッチンから良い匂いがし始める。皐月が笑顔で皿を取り出して、机の上に置いてくれた。皿の上にあった野菜炒めを口にして、俺は叫んだ。




「塩辛ええええええええええええ!!!」

「え?そうかしら?」

 皐月は表情一つ変えずに、パクパクと野菜炒めを口にしている。


「あんた、味覚おかしいんじゃない?美味しいよ、これ」

「んなわけあるか!ちょっと、キッチン借りるぞ!」

 俺は残ってる野菜を炒めて、皐月が作った野菜炒めの横に並べた。


「ほら、食ってみろよ」

 少し怪訝けげんな表情を浮かべながら、皐月は恐る恐る俺が作った野菜炒めを口にした。


「あ……美味しい……」

「だろ?お前の作ってる野菜炒めは、塩が効きすぎてるんだよ。目分量でやってるのか?料理ってのは科学実験と同じで、素材の分量なんかを、しっかりと守れば美味しく出来るんだ。科学家失格だな」

「おかしいな……レシピ通りなんだけど」

「どんなレシピだよ」

「これ」

 レシピを見ると、普通の野菜炒めの作り方だ。妙なところはない。


「塩少々って書いてあるぞ」

「『少々』って何よ!ちゃんとグラム表記してないのが悪いわ!」

「あー……それでか」

 こいつ、本当に頭が固いんだな。


「今度、料理の作り方、教えてやるよ」

 俺は塩辛い野菜炒めを無理矢理、口に詰めて言った。




 それから、皐月は必死で料理を研究したらしく、ちょくちょく俺を家に招いては手料理を振舞ってくれるようになった。しかし、こいつ、警戒心ってものがないのか。俺が襲い掛かったら、どうするつもりなんだ、と思いながらも、そんな勇気はなくて、いつも食事を食べては、アドバイスする日々が続いた。


 いつか、この距離が近づけばいいな、と感じながらも中々距離を詰められない。どうすればいいのか悩んでいると、皐月が同じ学部の男子生徒に告白されたという噂を聞いた。俺は動揺してしまって、皐月が誰かの物になってしまうのか、と思って夜も眠れなかった。このまま、誰かのものになる前に、自分の気持ちを伝えたい。でも、どうやって伝えればいいのか。


 寝不足で「百人一首の研究」という授業を受けた。古文なんて、研究する意味があるのだろうか。こんなもの、日常生活に何の意味も成さない。退屈だな、と思いながらも、テストに出そうなところをチェックする。ふと、スマートフォンを見ると、皐月からメッセージが来ていた。今日、ウチに来られる?とある。俺は覚悟を決めて、17:00には行くよ、と返事を返した。


 皐月の家に着いて、お土産に持ってきた安いチューハイを飲みながら、皐月と雑談する。この時間も失ってしまうのかも知れない。俺はたまらなくなって、今日受けた授業の百人一首を口にした。





陸奥みちのくのしのぶもぢずりたれゆえに みだれれそめにしわれならなくに」





 皐月は、それを聞いて顔を真っ赤にした。


「アンタ、その和歌の意味、知ってるの?」

「正直、古典なんて、俺の人生に何の意味も齎さないって思ってた。でも、こういう時に口にするんだな、って思ったよ。俺の気持ち、伝わった?」

「ちょっと見直しちゃった」

「答えは?」

「論理的に考えてみるわね……」

 皐月は、目を閉じて、うーんと悩み始めた。


「こういう時って感覚の方が良いって言ってたわね?」

「そうだよ。恋愛は数学でも科学でもない。正解なんてないよ」

「そうね……うん。私も直樹の事、好き。私、恋愛したことがないから、よく分からないけれど、分からないなら経験してみたい」

 俺は嬉しくて、思わず皐月に抱きついた。





 付き合い始めてからも、俺達は相変わらず、憎まれ口を叩いては笑いあったり、喧嘩したりと、楽しい関係を続けている。最近、皐月の料理の腕前が上がってきて、うかうかしてられない。


「ねえ、直樹!このカレー、凄く美味しいけど、隠し味って何?」

「そんなん決まってるじゃん。愛情だよ」

「それって何グラム入れればいいのかな?」

 いつもの皐月らしいリアクションに俺は笑い転げた。




 あの時、古文を学ばなければ、この関係はなかったかも知れない。


 陸奥の国の信夫の里のしのぶ草のもじり染めの模様は乱れに乱れている。その模様がさながらに私の心は乱れ初めてしまったのは、あなた以外の誰のせいでもないのに。







 あなた以外の、誰のせいでもないのに。






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