【ゲームセンターピカソ新宿店へようこそ】
この物語は、僕、
バイト先で出会った僕の想い人が就職の為、他県へと引っ越す日に告白出来なかった事を後悔しながら、友人達に慰められていた五月中旬頃の中間テスト前、皆で新宿のゲームセンターに遊びに行く事になった。友人達が酷く落ち込んでいる僕を見かねて、
ピカソは四階建ての遊技場になっていて、一階はUFOキャッチャーや、プリント倶楽部などが並ぶ、華やかなフロア。二階はメダルゲームが並んでいて、三階は音ゲーやスポーツ系のゲームが並んでいた。僕の目的の格闘ゲームが置いてあるのは最上階の四階だった。エレベーターに乗って、真っ直ぐに目的の四階に向かった。
僕は今、流行りの格闘ゲーム、『熱血伝説』が得意で、家でもゲームセンターでも、友人達と毎日の様に
対戦が始まった。
僕の使うスピードタイプのムエタイ選手に対して、相手はパワータイプの覆面プロレスラーのキャラクターを使ってきた。序盤、
格闘ゲームは剣道と同じく、一試合の中で先に2回、相手をKOした方の勝利となる。(
次の試合に勝てば、僕の勝利だ。レバーを持つ手に、じんわりと汗が噴き出るのを感じた。
相手は思い切り良く、接近戦を挑んできた。これはマズい。接近戦だと相手の使うパワータイプのキャラクターが有利だ。距離を取りながら、相手の攻撃を必死で
すると相手は数秒もせずにクレジットを入れたようで、再戦を申し込んできた。望むところだ。僕は手首を回して、少しストレッチをした。よし、次も勝つ。
結果、何度再戦を申し込まれても、僕は一度も負けなかった。新宿は格闘ゲームの
「おい、お前ちょっと来いよ」
筐体の向こう側に居たのは、髪を真っ赤に染めてタトゥーが両腕に入っている20代前半の男だった。僕はビビってしまって、言葉が出てこなかった。友人達に助けを求めたかったが、友人達は三階にある音ゲーに熱中しているのだろう。後ろを振り返っても、誰も居なかった。終わった……と僕が覚悟を決めた時、赤髪の男の背後から一人の男が現れて、やめろよ、と言った。
「ああ?なんだてめぇ……あ!
「『さん』を付けろよ、ド三流。俺の
「すいません」
「とっとと消えろ」
「はい……」
赤髪の男は一瞬、僕を
七瀬と呼ばれた男は、黒髪のマッシュヘアーで、左耳にピアスを開けている、中肉中背の大学生風の男だった。黒いタンクトップに白いシャツ。筋肉質である事が、服の上からでも分かる。
「おい、お前、大丈夫か?」
「は、はい。助けて頂いてありがとうございます」
「気にすんな。
七瀬と呼ばれた男は吐き捨てる様に言った。
「えーと、七瀬……さん?であってますか?七瀬さんはここの店員さんですか?」
「ちげーよ。ただの常連。まあ……昔、ちょっとだけ働いてたってのもあって、趣味で、この店の監視員的な事をやってんだよ。お前、名前は?」
「綾辻遊里です」
「遊里か。俺は
そう言うと、七瀬康生はスタスタと歩き出した。僕は七瀬康生の後ろを歩いて、自動販売機の前まで来た。
「コーヒーでいいよな?」
「あ、はい」
正直、コーヒーより紅茶派だったけれど、それを口に出来ない雰囲気を七瀬康生は身に
「お前、『熱血伝説』が好きなのか?」
「はい。格闘ゲーム全般が好きですけど、『熱血伝説』を一番やりこんでます」
「へえ。強いのか?」
「えと……そうですね。多分、普通のプレイヤーよりは強いと思います」
「よし。ちょっと勝負しようぜ」
七瀬康生は飲んでいたコーヒーの缶をゴミ箱に投げ捨てて、早くしろよ、と僕を
ちょうど筐体に空きが出来て、七瀬康生が向かい側に座った。赤髪の男と対戦する前と同じような緊張感を抱きながら、椅子に座った。
対戦が始まった。
七瀬康生は上級者向けのテクニカルなキャラクターである、空手家を選んだ。そのキャラクターは現環境では最弱と言われていて、使っているプレイヤーを僕は
「まあまあ強いな、お前」
七瀬康生が、席を立って僕の顔を見ながら言った。僕は悔しくて、思わず顔を
「七瀬さん……めっちゃ強いですね。ひょっとして、何かの大会とか出てたりしませんか?」
「ん?まあ、出てるよ」
「でしょうね。全国レベルだと感じました」
「今年、ベスト4だった。少なくとも俺より強いやつは居るってこったな」
全国ベスト4……。凄い人と知り合ってしまった、という興奮が僕を奮い立たせた。
「また、対戦してくれませんか?」
「いいぜ」
七瀬康生がニコッと笑いながら言うと、店員っぽい女性が話しかけてきた。
「ちょっとナナ!あんたこんな若い子虐めてるんじゃないわよ!」
「うっせーな、
「そうなの?」
玲と呼ばれた金髪でショートカットの女性が、心配そうに僕を見つめて言った。僕は、絡まれてるところを助けてもらったんです、と女性に伝えた。
「そうだったんだ。ナナ、いつもありがとね」
「別にいいよ。昔の
七瀬康生は軽く
「えーと、君の名前は?」
「綾辻遊里って言います。玲さんは、ここの店員さんですか?」
「そうだよ~。黒崎玲です。よろしくね、綾辻くん」
黒い
「じゃあ、僕は友達の所に戻ります」
「うん。また来てね」
「はい」
僕は心の中で、絶対にまた来ようと思った。実際、七瀬康生に憧れを抱いた僕は、その日から毎日の様にピカソに通うようになった。
中間テスト明けの休日、いつもの様に自転車でピカソへ向かっていると、黒崎玲の後ろ姿が見えた。丁度、出勤するタイミングだったようだ。僕は、黒崎玲に声を掛けようと、ペダルを強く踏んだ。すると、例の赤髪の男が急に道の端から現れて、黒崎玲に絡み始めた。
「おい。俺の出禁を解けよ」
「申し訳ございません。当店で迷惑行為をされたお客様は、一度出禁になると、それを解くことは出来かねるんです」
どうやら、赤髪の男は出禁を食らったようだ。僕は恐怖感を覚えながらも、黒崎玲を助けないと、という気持ちが生まれて、急いで自転車を道端に停めて、赤髪の男と黒崎玲の間に割って入った。
「あ、てめぇ。あの時のガキじゃねえか」
「黒崎さんから離れてください」
「俺に指図すんのか?」
赤髪の男は、僕を睨みつけて右の
「おい」
突然、僕達の背後から七瀬康生の声がした。その低い音が、赤髪の男の動きを止めたのだ。
「お前、ここには来るなって言ったよな?」
七瀬康生は眉を吊り上げながら、赤髪の男の前に立った。赤髪の男は、少し
「『新宿のセブン』がどれ程のものか見せてもらおうじゃねぇか!」
赤髪の男が、言い捨てるなり軽くジャブを放つ。七瀬康生は、なんと放たれた拳を右手で受け止めて、そのまま力任せに引っ張った。引き寄せた赤髪の男の腹に、膝蹴りを入れた後、左の拳で赤髪の男の
「大丈夫か、玲」
「う、うん。ナナ、ありがと」
「おい、遊里。お前、勇気あるな。見直したぞ」
七瀬康生がニコッと笑って、僕の肩を叩いた。
「めちゃくちゃ怖かったです」
「ははは。でも、ちゃんと玲を守った。お前は男だよ」
じゃあ、ピカソに行くか、と七瀬康生が言って、歩き始めた。僕はそのカッコいい背中を追った。
七瀬康生は、ピカソではカリスマ的存在だが、意外にも
黒崎玲も、七瀬康生の事が好きなんだろうな、と感じていた。いつも、僕を可愛がってくれる、年上の女性に、正直、僕は好意を持っていたけれど、七瀬康生には敵わないな、と思って、いつも二人の仲を見守っていた。黒崎玲に貰ったゲームのポスターを部屋に飾りながら、叶わぬ恋を思って、少し気分が沈んだ。
「遊里は高校何年生だ?」
「2年です」
「進学か就職か決めてるのか?」
「一応、進学しようとは思ってるんですけど、成績悪くて……」
「ははは。まぁ、格ゲーばっかやってたら、仕方ないよな」
その日も七瀬康生に何度も挑んで、一勝も出来ずに落ち込んでいると、七瀬康生が飯でも一緒に食おうぜ、とファーストフードのハンバーガーチェーン店に連れてきてくれた。
「なんかさ、俺だけかも知んねーんだけど、500円のハンバーガーセット見ると、5クレかー、とか思わないか?」
「あ、それ分かります!」
「だよな!俺ら、やっぱゲームが大好きなんだな」
七瀬康生は、何度も頷いた。そして、急に真剣な目をして僕に言った。
「俺、再来月、東京を出るんだよ」
僕は驚いて、言葉を失ってしまった。
「大好きなゲーム会社に就職が決まったんだ。俺、そこのゲームが昔から好きでさ。まだ誰にも言ってないから、内緒だぜ?」
「そのゲーム会社は何処にあるんですか?」
「岐阜だよ」
関東なら、会いに行けるのに、と言う
「黒崎さんにも言ってないんですか?」
「玲?ああ、言ってない」
「黒崎さんには言った方が良いんじゃないですか?」
「……なあ、遊里」
「はい」
「俺はさ、どちらかと言えば鈍い方だけど、玲の気持ちに気づかない程、鈍感なつもりはないぜ?でも、今の俺の最優先事項は仕事だし、遠距離恋愛となると、玲に寂しい思いをさせてしまう。黙って東京から出て行った方が良いんだよ」
「そんな事、ありません!」
僕は語気を荒げて、七瀬康生に言った。
「……俺は言うつもりはない」
「言うべきです」
「しつこいな」
「じゃあ、こういうのはどうですか?僕が『熱血伝説』で七瀬さんに勝ったら、黒崎さんに岐阜に行く事を伝えてください」
「……いいぜ。本気でやってやるよ」
七瀬康生は素早く立ち上がって、プレートにあったハンバーガーセットの残骸をゴミ箱に捨てた。
ピカソに戻ってきた。七瀬康生とは、何度も対戦しているけれど、一度も勝ち越した事はない。僕は、これから一度も勝てなくなってもいいから、今回の試合だけは勝たせてくれ、と神様に祈った。
試合が始まった。
一試合目、七瀬康生の流れるような動きに
追い詰められた二試合目、僕は急上昇する体温と相反するように、頭の中が冷えていくのを感じた。七瀬康生の
いつの間にか、ギャラリーが出来ていた。
あの七瀬康生を追い詰めている、という状況が人を集めていた。僕はギャラリーから、声援を貰って、さっきと同じように頭が冷えていくのを感じた。
最終試合、僕は先手を取ろうと、七瀬康生のキャラクターに近づいて、画面端に追い込んだ。かなり有利な状況だ。七瀬康生が、そこから抜け出そうとするのを、一つ一つ、冷静に処理した。体力的にかなりのアドバンテージを得て、勝負を決めるべく、僕が放った必殺技を、七瀬康生はカウンターで防いだ。上手すぎる。流石、全国ベスト4。
でも、今日だけは負けられないんだ、とレバーを素早く回転させて、僕は七瀬康生のカウンターを、防いで、逆にカウンターを入れた。それが決め手となって、僕は勝利した。ギャラリーが沸いて、僕は嬉しい気持ちよりも先に、安堵感が生まれて筐体に突っ伏した。七瀬康生は、深く溜息を吐いた後、僕の元にやってきて、約束だからな、今日の内に玲には話すよ、と言って僕に背を向けた。
次の日、ピカソに行くと黒崎玲に話しかけられた。
「遊里、ナナの話、聞いたよ。遊里が私に話すように言ってくれたんだって?ありがとう」
「いえ……黒崎さん、ちゃんと七瀬さんに気持ち、伝えた方が良いですよ」
「ナナとは長い付き合いだけど、アイツの性格上、仕事に夢中になったら、恋愛なんてしてられないと思う」
「それでも伝えるべきです」
僕は、前にした恋と、その恋が叶わなかった理由を話す事にした。
彼女とは、飲食店のバイト先で知り合いました。二つ年上の笑顔の素敵な女の子です。帰りの方向が一緒で、僕はいつも帰り道にする、彼女との他愛のない話が、とても好きでした。休日に、彼女の趣味のカラオケに付き合った頃には、もう完全に惚れていました。
彼女が他県に就職する事になった時、僕は気持ちを伝えようとしたけれど、勇気が出せずに言葉にする事が出来ませんでした。僕の恋は、始まりもしないまま、終わったんです。その事を僕は死ぬほど後悔してます。
僕は、黒崎さんには、後悔して欲しくないです。
そこまで言うと、黒崎玲は涙目になりながら、じゃあ今から、気持ちを伝えてくるね!と笑顔で言った。そのまま、4階まで階段を使って、走り始めた。
ゆっくり歩を進めながら、僕は黒崎玲を追いかけた。丁度、七瀬康生と黒崎玲が対峙する形で見つめあっていた。僕はドキドキしながら、その様子を見ていた。いつの間にか、ギャラリーが二人を囲んでいる。七瀬康生と黒崎玲の事を知る、関係者達だ。
「ナナ!気づいてると思うけど、私、アンタの事が好き!」
「おう」
「岐阜に行っても、絶対にこの気持ちが途絶える事がないくらいに好き!」
「おう」
「だから……私と付き合ってくれませんか?」
七瀬康生は一瞬、天井を見上げてから、黒崎玲を見つめて、いつものようにニコッと笑って、返事をした。
「すげぇ
ギャラリーが沸いた。
黒崎玲の事が、とても好きだったけれど、僕も二人の幸せを願って歓声を上げた。
それからも、僕はピカソに通っている。僕の恋は2
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