【共有パスワード】



 彼とキスしている所を、クラスメイトの篠原しのはら葉月はづきに見られた。深夜だった。地元から遠く離れた繁華街だった。久しぶりのデートの帰りで、テンションが上がっていて、彼に甘えたくなったのが失敗ミステイク。その後の帰り道、彼と絡めた手の指先が凍るのを感じた。


 完全に油断していた。最悪だ。『僕』、宝井たからい翔吾しょうごは男性と恋をしている。





 昔から、恋愛対象は『男の子』だった。中学生までは、その事に悩んで、誰にも言えずに苦しんでいた。高校受験のシーズン、親から買い与えられたスマートフォンが切っ掛けで、僕の世界は変わる。


 SNSを始めて、僕と同じように悩んでいる人達は、とても多いと知った。この国におけるLGBTの割合は10%くらいと言われていて、「佐藤」さんと「鈴木」さんと「高橋」さんと「田中」さんの苗字を持つ人の合計の割合より高い。段々と、自分は別に『特別』ではないのだと思い始めたけれど、その事をカミングアウトする勇気はなくて、日々を淡々と過ごしていた。けれど、思春期特有の性欲や、興味はある。そして、出会い系サイトに手を出した。そこで、現在の彼氏パートナーと出会った。彼は三歳年上の大学生で、都内で一人暮らしをしている。


 次の日、胃痛で目が覚めて、朝、早めに登校した。篠原葉月がクラスメイトの皆に、昨夜の事を言いふらして、僕に差別的な行動をしてくるんじゃないかと思ったのだ。いつもの時間に登校するのが、怖かった。


 けれど、それは杞憂きゆうで終わる。友人達は、登校してくるなり、僕にいつもの様に挨拶をしてきたし、僕を見る皆の目に、奇異きいの視線を感じる事もなかった。


 篠原葉月が登校してきた。彼女は何事もなかったかのように、席に着いた。


 ひょっとしたら、彼女は僕の事が分からなかったのかも知れない。深夜だったし、その時の僕は普段の瓶底びんぞこメガネではなくて、コンタクトだったし、髪型もシッカリと整えて、彼に合わせて大人びた格好をしていた。安堵して、授業を受けて、昼休みに食堂で弁当箱を開いて箸に手をつけたところで、篠原葉月が近づいてきて、こう言った。


「昨日、一緒に居たのって恋人よね?」


 その一言に凍りついて、僕は顔をこわばらせた。


「な、何のこと?」

「放課後にでも、少し話そうよ」

 彼女の提案……いや、脅迫に、僕は従うしかなくて、弱々しくうなずいた。


「ありがとう。じゃあ、放課後に中庭で」

「分かったよ」

 彼女から、何を言われるのだろうか。脅されて金銭でも要求されるのだろうか。何にしても、僕にとって良いことでないのは確かだ。憂鬱な気分のまま、午後の授業を受けた。足元が綿菓子の様にフワフワするのを感じた。


 放課後になった。天気予報では、夕方から大雨。灰色の空よりも、どんよりした気分で、僕は中庭に向かった。篠原葉月は、中庭のベンチに座って、僕を待っていた。


「来てくれて、ありがとう」

「うん……」

「宝井はさ、ゲイなの?」

 真っ直ぐな瞳で尋ねられて、僕は少し躊躇ちゅうちょしたけれど、頷いて答えた。


「そうだよ」

「そっか」

 篠原葉月は、微笑んで続けた。


「実はさ……私、金崎かなさきの事が好きなんだよね」

 金崎かなさき茉莉まつり。僕達のクラスメイト。明るくて、体育会系の部活に入っている、ハキハキした性格の、れっきとした女の子。


「同性愛者の知り合いって居ないんだよ。私達、友達にならない?」

 拍子抜けして、僕は彼女の提案に乗ることにした。まるで秘密のパスワードを共有している様な関係になった。







 それから、放課後や休み時間に二人で話す事が増えた。お互いにするのは、いつも恋の話。篠原葉月は、金崎茉莉が本当に好きらしくて、『今日の茉莉は、こんな可愛い事をした』とか『髪型を変えて、また美人になった』とか、ずっと金崎茉莉の話をしていた。僕は僕で、彼氏の話をして、たまに恋愛相談に乗ってもらった。


 ある日、休日に一緒に映画でも見ない?と提案された。篠原葉月は、どうやら金崎茉莉を誘いたいようだった。けれど、金崎茉莉と二人きりというのは恥ずかしいらしく、僕にも来て欲しいようだ。僕は快諾して、金崎茉莉に篠原葉月と三人で映画見に行こうよ、と誘った。金崎茉莉は、楽しそうね、と言って、僕たちと土曜日に映画に行く事を承諾してくれた。


 前日の金曜日の夜、篠原葉月は電話で延々と三人で行くデートについて、ああでもない、こうでもない、と僕に相談を持ちかけてきた。着ていく服から、話す話題について、詳細に決めたいようで、真夜中になるまで、僕は彼女の話を聞いた。途中で寝落ちしそうになって、彼女に、そろそろ寝ようと言って、通話を終えた。


 デート当日、篠原葉月は目一杯オシャレをしてきた。気合いを感じる。ナチュラルメイクにロングスカートを履いていた。少し遅れて、やって来た金崎茉莉は、イメージ通りのスポーティな格好。篠原葉月は、緊張しているようだ。普段、よく喋る篠原葉月の、その様子に思わず笑い転げそうになったけれど、おくびにも出さずに、僕は二人に話し掛けた。少しでも緊張がほぐれれば良いな、と思った。


 映画館に着いた。


「今日は何の映画を見る?」

「私はアクション映画が好き!」

 金崎茉莉は子供っぽい目で、上映中と書かれてるタイトルを見ながら言った。


「篠原は何が見たい?」

「私は金崎さんと同じ」

 金崎茉莉の問いかけに、間髪入れずに篠原葉月は答えた。


 絶対、嘘だ。と確信しながら、僕は二人の要望に合わせて、洋画のアクション映画のチケットを買いに行った。篠原葉月は、割と少女趣味なので、ラブロマンス系の映画が見たいはず。けれど、好きな人に合わせる辺りが、可愛らしい。二人はドリンクとポップコーンを買いに行った。


「後ろの方の席にしたよ。スクリーンが見やすいと思う」

「ありがとう!」

 二人から感謝を述べられて、僕は微笑んで、どういたしまして、と言った。


 映画が始まった。


 ド派手な演出や、ギャグセンスの塊の様な台詞回し。中々の傑作だ。面白いな、と思って集中して見ていると、主人公とヒロインのベットシーンが始まった。


 気まずい。


 僕は男女のラブシーンを見ても、そんなにドキドキしないし、恐らく篠原葉月も同じだろう。しかし、金崎茉莉は違う。チラリ、と金崎茉莉の方を見ると、顔が紅潮こうちょうしているのが分かった。


 映画を見終わって、三人でファミレスに入った。ドリンクバーを頼んで、さっきまで見ていた映画の感想を言い合う。やはり、金崎茉莉はベットシーンが気まずかったらしく、その事を口にした。僕はブラックコーヒー、篠原葉月はメロンソーダ、金崎茉莉はカフェラテをコップに注いだ。


「ブラック飲めるの、大人っぽいね」

 金崎茉莉が目を大きくして、僕に言った。


「そんな事ないよ、慣れれば誰だって飲めるよ」

「ぜーったい無理!私は甘いヤツじゃないとダメ」

 金崎茉莉は笑顔で言い切った。


「金崎は紅茶よりコーヒー派?」

「そうね、カフェラテとか、カフェオレばかり」

「まさか部活終わりにカフェオレとか飲んでないよな?」

「それはないよ!ちゃんとスポーツドリンク飲んでる」

 ハハハ、と三人で笑って、しばらく雑談した。


 帰り道、わざと用事が出来たと言って、篠原葉月と金崎茉莉を二人きりにした。電車に乗って帰っていると、篠原葉月からは感謝のメールが、金崎茉莉からは、また遊ぼうというメールが来ていた。


 帰宅して、夕飯を食べて、風呂に入った。そろそろ寝るか、と思ってベットに横になった時に、スマートフォンが震えた。


 篠原葉月からの着信だった。


 仕方なく着信に出ると、今日の事を、とても嬉しそうに話し始めた。帰り道にした話、また今度遊ぼうと誘われた事、長話になりそうだったので、また明日話そうよ、と提案して、僕は電話を切った。






 月曜日、登校すると、篠原葉月は少し暗い顔をしていた。何かあったんだろうか、と心配になって、話し掛けると、昼休みに中庭で話そうよ、と言われた。


 昼休み、不安になりながら、中庭に向かった。篠原葉月は、泣きそうになりながら、僕に言った。


「茉莉がさ、アンタの事が好きなんだって」

 その言葉に、僕はどうしていいのか分からなくなって、無言で目をせた。


「ねえ、私、どうすればいいかな。いっそ、この気持ちをぶつけてしまいたい。どうせ叶わないなら、ちゃんと区切りをつけたい」

 篠原葉月の想いに、普通なら賛同する方が良いのだとは分かっているけれど、僕は首を横に振った。人生は、そんな綺麗な物じゃない。もしも彼女が同性愛者だとバレたら、その先にあるのは、あまり良いものではないはずだ。責任が取れない。ちゃんと区切りをつけたいというのは、彼女のエゴだ。


「どれだけ辛くても、耐えるべきだよ」

「だよね……」

「また色々と話そうよ。僕で良ければ、いつでも話を聞くから」

「宝井……ありがとう……」

 弱音を吐く篠原葉月を見て、思わず抱き締めそうになったけれど、周りに勘違いされては困るので、必死で耐えた。彼女の想いが、数秒でも早く風化する事を祈るしかない。





 その日の放課後、駅まで歩いている途中で、忘れ物に気付いて、僕は慌てて教室に戻った。教室の前まで来て、篠原葉月と金崎茉莉が話しているのが聞こえた。盗み聞きするつもりはなかったけれど、二人の真剣な声色を聞いて、僕は思わず教室のドアの前で立ち止まった。


「篠原、本当に宝井と付き合ってないの?」

「だから、付き合ってないって言ってるじゃない」

「でも、今日、私の友達が二人が真剣そうに話しているのを見たって……それに、二人はいつも一緒に居るし。ねえ、本当の事を言ってよ」

「本当に本当に、付き合ってない……」

「そっか」

 金崎茉莉は安心した様子で、篠原葉月に言った。


「私、好きな人が居るんだ」

 篠原葉月は覚悟を決めた声色で言った。


「え?そうなの?安心した〜!」

 金崎茉莉は安堵の声を上げた。


「誰誰?私も知ってる人?クラスメイト?」

 金崎茉莉の悪気のないナイフのような言葉に、篠原葉月はやられてしまって、自分の気持ちを吐露とろしてしまった。


「私が好きなのは、茉莉。貴方なの」

 その発言に、金崎茉莉は無言になってしまった。数十秒経って、笑い声を上げた。


「なーに、冗談言ってるのよ。私も篠原の事、好きだよ!また映画とか行こうね!」

 じゃあね、と言って、金崎茉莉が教室を出ようとしたのを感じて、僕はわざと教室に入った。このままだと、盗み聞きしていたのがバレると思ったのだ。


「お?二人とも何してるの?」

「あ、宝井!宝井こそ何してるの?」

「忘れ物してさ」

「そうなんだ!私、先に帰るね」

「おう!また明日!」

 バイバイ、と金崎茉莉が言って、教室を出た。


「ねえ……宝井。アンタ、話聞いてたでしょ?」

 確信を持っているようだ。僕は、聞いてたよ、よく頑張ったな、と言った。篠原葉月は、涙をポロポロ流して、独白するように言った。


「我慢出来なかった……でも、言えたよ、言えた!私、ちゃんと言えた!気持ちを伝えられたよ!」

 僕は大泣きし始めた篠原葉月を抱き締めて、ただただ彼女が泣き止むのを待った。





 高校を卒業した後、僕は彼氏と同棲を始めた。たまに篠原葉月が僕達の愛の巣に遊びにきては、恋愛相談をする。今度、好きになった人は、職場の先輩らしい。今度は、その人とパスワードを共有出来ればいいな、と僕は神様に祈ってる。

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