【7番目のピアス】



 彼と同じ場所に残る傷が欲しい。それは永遠に残る絆になると思って、いつも彼と同じ場所にピアスを開けた。


 彼がピアスを開けるたびに、耳に空間が増えていく。

 

 彼は、あの女を選んだけれど、それでもいい。今の関係で構わない。









「俺」は次に開けるピアスの場所を探している。









 好きになったのが、たまたま男だった、ってだけで、こんなにも苦しまなきゃいけないのかよ、ってのが本音だ。


 俺、神楽かぐら正樹まさきは、大学で出会った雉子谷きじたに祥平しょうへいが好きだ。


 彼は誰にでも優しくて、面白くて、皆の人気者だった。とても幼い顔をしていて、コンビニで酒や煙草を買う時に、何度も年齢確認されるんだよ……と、よく愚痴ぐちっていた。


 真面目な印象で、口調も柔らかく、基本的には敬語を使う祥平が、その長い黒髪をき上げると、両耳にピアスがジャラジャラと付いていて、そのギャップがまたたまらなく俺の恋心を燃やした。


 アルコール中毒かよ、ってくらいに毎晩、酒を飲んで、二日酔いのまま大学に来るのは、いつもの事だ。


 その日も祥平は、アルコール臭い息を吐きながら、大学の食堂でグロッキー状態だった。


「祥平、おはよう。昨日も飲んでたのか?」

「あー、正樹。昨日は由佳ゆかのバースデーだったから」

「あ、由佳ちゃん誕生日だったのか。後で何かプレゼントしようかな」

「酒がいいと思うよ。由佳、僕より酒豪だから」

「そんなに強い印象、なかったけどな」

「僕と付き合ってから、毎晩飲んでるから、強くなったんだと思う」





 毎晩。





 祥平と付き合ってる田中たなか由佳ゆかは、祥平と毎晩会ってるのか、と思うと胸焼けがする。


 正直、祥平への恋心を差し置いても、そんなに良い女だとは思えない。顔も十人並だし、頭もそんなに良くない。性格も、女らしいと言えば聞こえは言いけれど、ハッキリ言ってしまえば、女々しくて気持ちが悪い。ただ女だってだけで、祥平の隣に居座る、この女が憎い。


 本音を言ってしまいたいけど、それを口にすれば祥平との仲が壊れてしまいそうで、俺はいつも田中由佳と仲のいい振りをしていた。





 舞台俳優みたいだ。





「今日は何限から?」

「あー、三限から語学」

「祥平、チャイ語だっけ?」

「そうだよ。中国語が一番簡単だろうな、って思って履修したんだけど、発音とか意外に難しくて、心が折れそうだよ」

「俺らまだ二回生だぜ?そんなんじゃ、卒業が危ぶまれるな」

五月蝿うるさい」

「はいはい。兎に角、ちゃんと授業出ろよ」

「分かったよ」

 机の上に突っ伏して、頭痛え……と祥平は溜息混じりに言った。


「水、るか?」

「お、助かる。ありがとう」

 食堂にあるウォーターサーバーから、備え付けの紙コップに水を入れて、祥平の元へ持っていった。ごくごくと、水を飲み干して、祥平は俺の顔を見て言った。


「正樹、またピアスの数増えた?」

 そう。また開けた。今回は右耳の軟骨。お前と同じ場所。


「ああ。なんか季節変わる毎に開けたくなるんだよ」

「なんだよ、それ」

「お前だってピアス開けまくってんじゃねーか」

「僕、ドMだから」

「なんだよ、それ」


 同じような言葉を発して、二人で大笑いした。


「祥平!」

 少し離れた距離から、祥平を呼ぶ声がした。視線をその先にやると、田中由佳が大きく手を振って、こちらに向かってくる途中だった。


「あんた、二日酔い大丈夫?」

「由佳こそ大丈夫かよ」

「私は平気。それより、これ飲んで」

「お、二日酔いの薬?」

「わざわざ買ってきてあげたんだよ〜」

 二人がイチャつくのを見て、胃が荒れそう。


「由佳ちゃん、昨日、誕生日だったんだって?よかったら、この後、飯でもおごらせてよ」

「え?いいの、正樹くん」

「うん。俺の親友の彼女だし」

「やったー!祥平の彼女で良かった」

 くそ女。思いっきり殴りたい。


 その日の夜、田中由香を誘って、大学の近くの居酒屋に行った。


 他愛のない話をしながら、何杯もビールを飲む田中由香は、端的に言えば「隙の多い女」だな、と思った。誰にでも股を開きそう。簡単に口説けそうな雰囲気が、田中由香にはあった。


 段々と目がトロンとしてきた田中由香を、自宅まで送り届ける事にした。酒豪と言われるだけあって、意識はハッキリしている。面倒な事にはならなさそうだな、と思っていたら、突然、手を握られた。


「なんだよ」

「ちょっと酔ったから、倒れない様にして欲しくて」

 この売女ばいた。最低な女。彼氏の親友に手を出す気か。


「祥平に悪いよ。止めよう」

「そうだね」

 言葉にしながらも、田中由香は俺の手を握っている力を少し強めた。


「ホントはね」

 田中由香は、上目遣いで俺に言った。


「私、正樹くんが好きだったんだ」

「止めろよ」

「ねえ、最後に思い出をくれませんか?一度だけでいい。そしたら、忘れるから」





 その日の夜、近くのラブホテルで、俺は田中由香と体を重ねた。





 朝になって、ルームサービスを頼んだ。二人で一言も話さずに黙々と朝食を食べた。最悪だ。祥平の女と寝てしまった。しかも、別に抱きたかった訳じゃない。これが原因となって。これがこの女の罪悪感になって。これがこの女をさいなんで。二人が別れればいいのに、と思ったんだ。


 一緒に大学に行くと、勘づかれるかも知れないから、と先にホテルを出た。


 その日の授業は、全く集中出来なくて、午後からの授業は全てサボる事にした。


 食堂に行くと、祥平がいつもの席に居るのが見えた。田中由香を抱いた罪悪感で、胸がチクリと痛んだ。


「よお、祥平!また二日酔いか?」

「いや、今日は素面しらふだよ」

「そうか」

「昨日、由香と飲んだの?」

「おお、近くの居酒屋に行ったよ。由香ちゃん、お前の言う通り、無茶苦茶飲むなあ」

「でしょ?」

 ケラケラと笑う祥平を見て、いっそ昨日の事をぶちまけてやりたい、と思った。そしたら、祥平は田中由香と別れるだろう。でも、それをしてしまったら、俺も祥平を失う。


「そういえば、今日は由香を見かけないな。LINEも未読のままなんだよね」

「そうなのか」

「何時くらいまで飲んでたの?」

「結構遅かったな……23:00くらい……かな?」

「あー、じゃあ流石に酔いつぶれて、寝ちゃってるのかもなあ」

 嘘だ。今頃、二度寝から目覚めて、風呂にでも浸かって、化粧でもしてるだろう。


「そろそろ授業戻るわ」

 いたたまれなくなって、俺は祥平から離れる事にした。


 そのまま自宅へと戻る。ワンルームの部屋は、晩秋の寂しげな空気で満たされていた。


 この恋心をどうすればいいのだろう。たまらなく好きで、胸が張り裂けてしまいそうだ。けれど、祥平の女と寝たのは、なんだか背徳感があって、関節キスのような感覚を覚えていた。


 携帯が鳴った。


 田中由香からだった。


「あ、正樹くん?」

「由香ちゃん……どうしたの?」

「今日の事は、絶対に祥平には言わないって約束するって事だけ、伝えたくて」

「うん」

「あと、ありがとう。最後の思い出になった」


 それから田中由香とは、出来るだけ接点を持たない様にした。祥平と居る時間は減ったけど、仕方ない。何かあったら、祥平を失う。その恐怖感が、俺を支配していた。


 クリスマス間近になって、街の装いが派手なイルミネーションで飾られ始めた12月初旬、田中由香からLINEが届いた。






「妊娠しました」






 ぐに通話ボタンを押した。


「祥平との子供?」

「違うと思う。祥平とは、毎回、ちゃんと避妊してたから」

「じゃあ俺の子?」

「かも知れない。今日、産婦人科に行くわ。時間ある?着いてきて」

「どういう事?」

「妊娠初期から、血液検査で誰の子供か分かるの。貴方のDNAが欲しいから、一緒に来て」


 最悪だ。


 町外れの産婦人科で、DNA鑑定をする事になった。最短5日で結果が出ると言われた。地獄のような5日間。飯が喉を通らなくて、3キロ痩せた。


「法的な中絶の期限である22週未満までには十分間に合う」と医者は言っていた。費用などを説明されたけれど、不安なのは、そこじゃない。


「由香ちゃん……どうする気?」

「私は……ろしたくない」

「本気で言ってる?大学は、どうするの?祥平には何て言うの?」

「堕ろさない。絶対に堕ろさないから!」

 どうしていいか分からずに、俺は言葉を無くした。




 数日して、結果が届いたから、一緒に見て。と言われて、俺は田中由香の部屋に行った。


「じゃあ……開けるわね」

 田中由香は、封筒をはさみでゆっくりと開けた。その右手は震えていた。


「ごめん。怖い。正樹くんが見て」

「分かった」






 診断書には、「DNA不一致」とあった。






「由香ちゃん。由香ちゃんのお腹にいるのは、祥平との子供だよ」

 安堵からか、落胆からか、それは分からないけれど、田中由香は泣きながら床に座り込んだ。


「祥平に伝える?」

「うん……私、産みたい」

「そう……じゃあ、その時は一緒に居るよ。少しでも不安が消えるように」

「正樹くん、ありがとう。そうしてくれると助かる」


 自分の子供ではなかった安心感と、祥平への恋心が終わる絶望感で、家に帰った瞬間、嘔吐おうとした。


 もう、この恋は終わり。


 机から安全ピンを取り出して、俺は自分の左耳に穴を開ける事にした。






 7番目のピアス。

 それは、祥平の耳にはない。


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