【海底撈月】
どんなボンボン学校にも、アウトローってのは居るもので、彼らは授業中は反体制を貫く革命家のようだったり、無言で瞑想する僧侶のようだったりしたが、授業が終われば隠れてタバコに火を付けたりして、下品なジョークを言い合ったり、弱者をイビったりするギャングのようだった。
彼らは、クラスの中で発言力と影響力を持っていた。
この小さな教室は、まるで世界の縮図。
彼らと意見がぶつかれば、この世界で、生きにくくなる。
成績の良い人間や、体育会系の人間は、彼らと関わることは、ほとんどなく、性格が悪いか、成績が悪いか、大人しい人間が、彼らのターゲットだった。
僕は性格が悪かった。
ターゲットロックオン。
彼らは、暇があれば、弱者をイビって楽しんでいた。麻雀も、その暴力の一つ。
ルールもろくに理解していない人間を無理矢理誘い、金をせびる。恐喝だと、密告されるが、ギャンブルだといえば本人も密告する理由がない。しかも、レートもそれほど高くなかった。月の小遣いギリギリで支払えるようなレート。だが、ボンボン学校の人間の月の小遣いは、世の中の妻子持ちサラリーマンの小遣いよりは高い。密告されず、支払いに困り、揉めることもなく、且つ、それなりの収入が見込める麻雀賭博は彼らの重要なシノギだった。
その頃の僕は、勉強もせず、毎日ギターをかき鳴らしたり、女子校の友人に女性を紹介してもらったり、親戚の兄さんの家で麻雀したりする毎日を過ごしていた。
親戚の兄さん達の麻雀は、異常にレベルが高く、僕はレートの安い時か、弱い人が卓に入る時だけ麻雀を打たせてもらえた。それ以外の高レベルの卓の時は、ずっと後ろで見て学ぶ。局が終了する度に、軽い解説をしてくれたので、短時間で色々なテクニックを覚えた。
「麻雀しようぜ。出来るんだろ?」
授業中に、麻雀漫画を読んでいたのを見られて、 僕は麻雀が出来ることが、彼らに知られてしまった。
僕は彼らと麻雀をすることになった。
彼らの目は、無機質に鈍く光っていた。
まるで深海に住むサメみたい。
食物を探して
噂では、彼らはとても強く、クラスの誰も彼らには敵わなかった。
正直、ビビっていた。
遂に僕も、彼らの収入源にされるのかと、半ば諦めて卓に着く。
開局早々、親にタンヤオドラ1を振り込んだ。
振り込んだ瞬間、あー、やっちゃったな。でも3900点か。良かった……と思っていると、「3000点!」と申告された。
え?なんで?安くなってる?
っていうか、親で3000点て、そんな計算あんのか?
彼らは点数計算もろくに出来ない素人だった。
その後、ずっと勝ち続け、その日だけで僕の勝ちは二万円を超える。
その日から彼らと延々、麻雀をすることになった。僕は、勝ち続け、いつしか彼らは僕を仲間だと認識するようになった。
「なあ、
「こっから二駅だ」
僕の定期で行ける、ギリギリの駅まで移動して、乗り換えの線路へ移動した時に、鷹山玲二は言った。財布から小銭を取り出して、握った手を僕に向かって差し出す。
「電車賃だ」
「ああ、悪いな。ありがとう」
彼らとの麻雀賭博のお陰で、僕の財布は、いつも分厚かったけど、全く乗り気でない今回の事を思うと、遠慮なんて気持ちは湧いてこなかった。
鷹山玲二の住んでいる駅まで10分程。途中でコンビニに寄って、ジュースやらお菓子やらを買った。
そこから徒歩5分。鷹山玲二の家に着いた。
高い塀に囲まれた、和風旅館のような門構え。見ただけで、金持ちだと分かる。テンプレの暴力団の親分の家って感じ。憂鬱な気持ちを隠して、無表情で敷居を
「こんにちは!お邪魔します!」
僕は、兎に角、ここでミスを冒さないように、礼儀正しく、元気よく、優等生を演じる事にした。鷹山玲二は笑いながら、気を遣うなよ、と言ったが、玄関に出てきたのは、明らかに、その筋の人だ。
「坊ちゃん、おかえりなさい。そちらは、ご友人ですか?」
「そうだよ。俺の親友。中川って言うんだ。さ、中川、入れよ」
靴を揃えて、玄関から長い廊下を歩いた。
「玲二……おかえり」
鷹山玲二の部屋に向かう途中で、彼の父親らしい人が出てきた。イメージと違って、背が低く、
「親父、ただいま。こいつ、中川。俺のダチだ」
「こんにちは!中川翔大です!よろしくお願いします!」
僕は姿勢を正して、鷹山玲二の父親に挨拶した。
「そんなに
「はい」
その後、軽く言葉を交わして、鷹山玲二の父親に頭を下げて、鷹山玲二の部屋に向かった。
彼の部屋は、廊下の奥を抜けた離れにあった。部屋は、タバコと香水が混ざった、独特の匂い。部屋の隅には、高級なエレキギターがあった。ギブソンの黒いレスポール。僕の憧れの一品だ。キラキラとした目で、レスポールを見ていると、鷹山玲二は僕に言った。
「弾いてみるか?スゲェ音がするんだ」
いいのか?と聞くと、構わないぜ、と言われたので、アンプに接続して、軽くストロークしてみた。凄くパワフルで甘めの音がした。
僕の持っている、親戚の兄さんからのお下がりのギターと違って、明らかに音の質が良い。これ以上弾くと、欲しくて仕方なくなりそうで、怖くなって、僕はレスポールを鷹山玲二に返した。
暫く鷹山玲二と雑談をしていると、部屋のドアからノックの音が聞こえた。鷹山玲二が、返事をして、入ってきたのは、大学生くらいの男。茶髪で、中肉中背。左耳にピアスをしている。ニコっと笑って、男は鷹山玲二に言った。
「玲二、そいつが中川君か?」
「そうだよ」
「こんにちは、中川君。俺は
軽く頭を下げて、玲二の兄と名乗った、鷹山恭一が言った。慌てて、僕も頭を下げて、挨拶をした。
「中川翔大です。よろしくお願いします」
「礼儀正しい子だね。玲二の友達とは思えないな」
「うるせぇよ、兄貴」
顔を歪めて、鷹山玲二は怒気を
「で、中川君、打てるんだって?」
両手で麻雀を打つ仕草をして、鷹山恭一は僕に尋ねた。
「はい……まあ、それなりには」
「良かったら、少し打たないか?俺と玲二と……後はウチの者を誰か呼ぶよ」
どう答えていいか分からずに、僕は鷹山玲二を見た。鷹山玲二は、僕に、やってやろうぜ、と言って親指を立てた。
「じゃあ、少しだけ」
「OK!じゃあ、5分後に麻雀部屋においでよ。ウチには自動卓があるんだ。玲二、中川君を案内してあげて」
「分かったよ」
鷹山恭一は、笑顔で部屋を後にした。
「なあ……頼みがあるんだけど」
鷹山玲二は、少し苦しそうな声で、僕に言った。
「何がなんでも、俺を勝たせて欲しいんだ」
「どういう事?」
「毎回、恭一と俺で差しウマを握ってる。負け額は、もう俺の小遣いの
差しウマとは、2人もしくは2人以上のプレイヤー間において、終了時の着順が下位の者が上位の者に一定の点数を支払うルール。簡単に言うと、2人の点差が、そのまま金銭のやり取りになる、という物だ。
「面倒な事に僕を巻き込まないでくれ」
「頼む!俺の知り合いじゃ、お前が一番上手いんだ!」
「……負けても責任は取らないぞ」
「勿論だ。ありがとう」
僕は陰鬱な気持ちを隠せずに、大きく溜息を
麻雀部屋に入ると、鷹山恭一は既に卓に着いていて、ニヤニヤとしながら、僕と玲二を見ていた。
僕らも卓に着いて、無言で牌を触りながら待っていると、坊主頭の男が部屋に入ってきた。
「坊ちゃん、また麻雀ですか?」
「おお、マサ!兎に角、入れよ」
「分かりましたよ……」
マサと呼ばれた、坊主頭の男は、嫌そうにしながらも、卓に着いた。
ゲームスタート。
「夕飯くらいまで、打とうか」
鷹山恭一は、
たまたま手が入って、僕が高い手を上がり、その
「へえ……やるじゃん」
恭一は、目を見開いて、僕を見つめた。
「玲二には聞いてたけど、まだ高校生だよね?そこまで打てるヤツは、中々居ねえよ」
「ありがとうございます」
「なあ、もし良かったら、今度の日曜日、また一緒に打たないか?強い奴は大歓迎だ」
「あー、日曜日は予定があって」
絶対に参加したくない。もう、これ以上の面倒事は、ごめんだ。今回のゲームだって、たまたま勝てただけで、テクニック的には、向こうの方が上だと感じていた。運が味方しただけだ。
「そうか、また誘うよ」
恭一の目は、冷たく光っていた。
最寄り駅まで、玲二に送って貰う事になった。歩きながら、さっきの麻雀の話をした。玲二は興奮気味だった。久しぶりの勝利に酔っているようだ。
「なあ、また麻雀、手伝ってくれよ」
「いや……正直、今回勝てたのは、マグレだよ。恭一さんは、僕より強いよ。あと……」
これを言うのは迷ったけれど、ハッキリ言っておいた方が良いだろう。
「あのマサって人……あの人、別格だよ。何回か、わざと僕に振り込んできてた」
「マサが?」
「多分、ここの所、玲二が負けてるのを知って、ゲームバランスを調整してたと思う。絶対に本人に言うなよ」
駅に着いた。僕は玲二の方を振り返って、強めの口調で言った。
「お前の事は友達だと思ってる。でも、これ以上、協力は出来ない。責任が取れないし、何より僕自身が打つのが怖い」
「……」
「じゃあな、また明日」
そのまま、振り返らずに、僕は帰宅した。
次の日、玲二は学校に来なかった。嫌な予感がしたけれど、関わりたくなくて、僕は玲二に連絡しなかった。次の日も、その次の日も、玲二は学校に来なかった。
放課後、帰宅しようと校門を抜けると、見知った顔の男が居た。マサと呼ばれていた、坊主頭の男だ。
「中川翔大君、だよね?この間は、楽しかったな。少し話せるか?」
嫌です、とは言えない雰囲気があった。最悪だ、と思いながら、マサに連れられて、近くの喫茶店に入った。二人してアイスコーヒーを頼んだ。
「俺の名前は
「あらためて、中川翔大です、マサさん」
頭を下げる僕を、目を細めて見つめて、マサは、胸ポケットに仕舞ってあるタバコを取り出して、火を付けた。
「早速、用件に入らせてもらう。俺の相棒として、今夜、麻雀を打て」
「は?」
僕は混乱して、思わず声が出た。
「どういう事ですか?」
「話すと長いんだがな……」
恭一と玲二は、腹違いの兄弟らしい。玲二を
玲二が麻雀を覚えた事は、恭一に取って、千載一遇のチャンスだった。3日前、地下カジノに玲二を連れていき、そこで玲二に膨大な借金を負わせた。勿論、玲二も、父親に泣きつけば何とかなる。しかし、プライドの高い玲二は、負けを認めず、今も地下カジノに居る。
「俺はな、何としてでも、坊ちゃんを救いたいんだよ」
「どうして、僕なんですか?」
「お前が組に一切関係なくて、それでいて坊ちゃんに関係していて、更に言うと麻雀の見込みがあるからだ」
「……断ったら?」
「さあ?断ってもいいけど……」
津波正孝は、目を据えて僕に言った。
「月のない夜には気をつけろよ」
完璧に
「今夜、19:00に家の前まで迎えに行く」
「……僕の住所を知ってるんですね」
「たまたまだよ」
津波正孝は、微笑を浮かべて、言った。僕は恐怖を覚えながらも、覚悟を決めた。
19:00になる数分前、母親に期末試験の勉強しに、友人の家に行くよ、と告げて家を出た。黒塗りの高級車が、家の近くに停まっていた。後部座席の窓が開いて、スーツ姿のマサが手を振った。
近所の人に見られないように、そそくさと車に乗った。
「逃げなかったんだな」
「逃げたかったです。麻雀で言えば、ベタオリしたかった」
「させねえよ」
車は、ゆっくりとしたスピードで、繁華街へと向かっていた。僕は緊張から吐きそうになって、常備している吐き止め薬を口に入れた。
「そんなに緊張したら、打牌が狂うぞ。深呼吸しろ」
「無茶言わないでください。こっちは、ただの一介の高校生なのに、これから地下カジノに連れていかれて、自分も知らないレートで麻雀打たされるんですよ?」
「負けなきゃいいんだよ」
駄目だ、話にならない。僕は半ば諦めて、座席を倒して、目を閉じた。
「着いたぞ」
数分後、肩を揺らされて、僕は目を開けた。雑居ビルの前だった。こんな所に地下カジノがあるのか。不思議そうしながら、車を降りた僕に、マサが話し掛けてきた。
「地下カジノってのはな、定期的に摘発されるから、ちゃんとした物件に居を構えることはないんだ」
この人と居ると、どうでもいい知識ばかり増えそうだ。僕は、そうなんですね、と驚いた振りをして、雑居ビルに入って行くマサの背中を追った。
地下2階に、カジノはあった。扉の前に、SPが二人居て、マサが片手を挙げると、二人とも深々と頭を下げて、直ぐに扉を開けた。
キラキラした光が、僕の目に飛び込んできた。歓声やら、嬌声やら、なんともいえない叫び声やらが聞こえてきて、鼓膜が破れそうになる。そこは、テレビの世界でしか見た事のない、ラスベガスなんかで見られる、カジノの姿があった。
「奥に行くぞ」
マサは、低い声で僕に言うと、スタスタと歩いて行った。僕は慌てて追いかけた。
奥には、入口よりも大きな扉があった。入口と同じように、SPが居る。マサは、入口での態度とは違い、こちらからペコり、と頭を下げて、スーツの上着の内ポケットから、名刺を取り出して、SPに差し出した。
「鷹山会の津波正孝と申します」
SPは、少し待っててください、と無表情で言って、片耳に付けているインカムで、何やら話し始めた。何度か
中に入ると、恭一が居た。
「マサ……お前、本当にお節介な野郎だな」
「恭一坊ちゃん。どうか、これ以上、玲二坊ちゃんを苦しめないでください。後生ですから」
「うるせぇよ。アイツの存在は、今後、俺の邪魔になる。今の内に白黒はっきり付けときたいんだよ」
「……今日は1人の客として来ました。打たせて頂きますよ」
「……いいぜ?お前に玲二が救えるかな?」
マサは、僕の方を振り返って、行くぞ、と言った。思わず、はい!と返事をして、僕は卓に着いた。
「中川君じゃないか。マサに頼まれたのか?」
「……」
「まあ、いいさ。俺も卓に着く。1回勝負にしようぜ」
おい、と
「気をつけろ……俺と同じく、組を代表する打ち手の一人だ。ルールは、ナシナシ。裏ドラも一発もない。あと、イカサマなんかは、俺が注意して見る。純粋な勝負だ。緊張すんな」
励ますつもりで言ったんだろうが、マサの言葉は僕の緊張感を増すだけだった。
ゲームスタート。
立ち上がりは、マサと髭面の男の上がり合いで始まった。ボクシングで言うところの、ジャブでの
いよいよ終盤に差し掛かった時、恭一が気持ち悪い微笑を浮かべて言った。
「リーチだ!」
傾けられた打牌に、場が凍りついた。捨牌から、その手が異様に高いのは丸見えだった。
そのリーチに、髭面の男は、シッカリと振り込んだ。三倍満。圧倒的点差で、恭一がトップに立った。状況は絶望的。
最後の親、僕の出番になった。必死で打牌を繰り返し、手役を作った。逆転まで、あと一歩。しかし、リーチしても一役足りない。この一役が、限りなく遠かった。どうしようもなくて、諦めかけた、その時に恭一は言った。
「玲二は、暫く学校を休んで、留学する事になりそうだな……」
さっきと同じく、気持ち悪い微笑を浮かべて、恭一は髪をかきあげた。
「どういう事ですか?」
「さてね……日本には居られない状況になるんじゃないかな?と思ってさ」
諦めかけた心が、燃える音がした。
僕の最後の打牌になった。チラリ、と牌の山を見た。もしも、運命が玲二に味方するなら。もしも、運命が恭一を認めなければ。僕の牌は、そこにある。
渾身の力で、牌を傾けて、卓に叩きつけた。
「リーチです」
卓に居る3人が、驚いて僕を見た。僕が上がりを目指した役の名前は、
海の底に浮かび上がる満月をすくい取る、という意味がある。
必死で僕の上がりを阻止しようと、恭一と髭面の男が牌を打ったが、叶わず、僕の最後のツモになった。震える右手で、牌を掴んだ。
僕は、満月をすくいあげた。
後日、玲二が登校してきて、僕にレスポールを手渡した。お礼だよ、と恥ずかしそうに言う玲二に、足りねえよ!と突っ込んで、僕は笑った。
あの時、すくいあげた月は、どうやら僕の右手を離れて、空に浮かんだようだった。暫くの間、僕は麻雀で1回も勝つことが出来なくなったのだ。
それでも麻雀を止めようとは思わない。
あの時、掴んだ月の感触を思い出して、今日も僕は仲間と卓に着く。
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