【真夜中のレンタサイクル】✩


 それに気付いたのは、本当に偶然だった。





 私の住むアパートには、駐輪場がない。オンボロの中古の自転車を、私は、いつも無許可でアパートの前の道路に停めていた。何台もの自転車が、そこにはあった。アパートの住人達は、軽い罪悪感を覚えながらも、こぞって、そこに自転車を置いた。


 管理人が、たまにアパートの掲示板に、「道路に自転車を停めないで下さい」と言う張り紙を貼っていたが、住人達は全く意にかいさない。管理人は、どうせ言っても聞かないだろうと、半ば諦めて、黙認している。人通りも殆どない細い道。誰も気にしない。


 私の所有する、このオンボロの赤い自転車は、店で4000円強で買った物だ。鍵は壊れていて、ライトもかない。漕ぎ始めると、ギィときしむ。しかし、使用するのは、職場であるコンビニまでの移動くらいだ。距離にして、500メートル。動いてくれさえすれば良い。


 よわい五十を超えて、体力の衰えた私は、真夏の陽射しや、真冬の向かい風に耐えきれず、少しでも早く職場に着きたいと言う欲求から、近くの中古自転車屋で、この自転車を購入した。


 コンビニのシフトは、いつも早朝から午後までの8時間。立ち仕事は、正直、とても疲れるが、給料も人間関係も良い。何より、この年齢でも、是非働いてくれ、と言われたのが嬉しくて、ほぼ毎日、シフトに入っている。私の入っている時間帯は、基本的に、2人で店を回す事になっていた。最近の私の相棒パートナーは、美大に通う女の子と、私と年齢の変わらない、主婦の2人だ。




 それに気付いたのは、本当に偶然だった。



 その日も、職場に向かう為に、始業の30分前に家を出た。ドアを開けた瞬間に流れ込んでくる刺すような冷気で、ブルっと少し震えた。真冬の凛とした空気と、早朝の静けさが、背筋を正してくれた。手袋をめて、マフラーを巻き、私はアパートの階段を降りた。


 道路に停めてある自転車にまたがって、私は違和感を感じた。なんだか、少しサドルの位置が高い気がする。


 まあ、気の所為せいだろう、と、ペダルを漕ぎ始めて、私は驚いた。違和感は気の所為でなかった。いつもならガタガタ言う、空気が抜けて、パンクしかけの後輪が、音を立てずに動いたのだ。スイスイと進む、スムーズな車輪の動きを感じて、私は確信した。





 誰かが、この自転車を使っている。





 気味が悪い。しかし、盗まれた訳ではないし、悪戯いたずらされた訳でもない。私は少しの不快感と不安感を抱えながら、職場に着いた。


「おはようございます、オーナー」

「ああ、久保さん!おはようございます!今日は一段と冷え込みますね」

 店に入ると、オーナーがレジに立っていた。


 オーナーは、まだ30代も半ばで、非常に真面目な人だ。脱サラして、元々酒屋だった実家の店を畳み、このコンビニを建てた。奥さんも一緒に店に立ち、熱心に接客している。


 コンビニのオーナーの平均年収は700万と言われているが、夫婦共働き。正直、そんなに豊かな暮らしはしていないよ、と言っていた。


「久保さん、まだ時間あるから、事務所で、ゆっくりしてきて」

「いえ、着替えて品出ししますよ」

「そう?いつも悪いね」

 事務所に入って、着替えていると、ノックの音がした。慌てて着替えを素早く済ませて、ドアを開ける。同僚の美大生、原田はらだこころが部屋に入ってきた。


「久保さん、おはよぉ〜」

「原田さん、おはようございます」

 原田心は眠そうに欠伸あくびをしながら、私に挨拶をした。両耳にジャラジャラと、幾つもピアスを開けて、派手なファッションをしている。


「着替えますよね?直ぐに外に出ますね」

「ありがと!久保さんって本当に優しいね」

「そんな事ないですよ」

 原田心は、大きな手鏡を机の上に置いて、両耳のピアスを外し始めた。どうせ外すんだったら、してこなければ良いのに、と毎回思うのだが、口には出せない。自分の娘よりも若い女性の考えなど、到底理解出来る筈がないのだ。


 品出しをしながら、自転車の事を考える。私の就寝時間は大体22時前後。起きるのは決まって6時半。その8時間半の間に、私の自転車を誰かが使っている。別に減る物でもないし、どうでもいいと言えばどうでもいい。むしろ、タイヤに空気を入れてくれた事に感謝したいくらいだ。


 始業の時間になって、レジに立った。オーナーと原田心が時間ピッタリに入れ替わる。


 この時間は、とても忙しい。仕事前に、朝食や、コーヒーやタバコを買いに来る客で、ごった返す。段々と増える客の流れを感じながら、原田心と2人で、必死に客をさばいた。


 昼前になると、ピタリと客の流れが止まった。原田心が、暇つぶしをする為に、私に話し掛けてきた。


「ねえ、久保さんって一人暮らしだよね?」

「そうですよ」

「料理って自分でするの?」

「はい。料理するのは、好きです」

「へー。得意料理とかある?」

「煮豚が得意です」

「そうなんだー。久保さんって独身なの?」

「情けないですけど、10年前に妻に逃げられまして」


 その一言に、原田心は、暫く言葉に詰まった様だ。


「ごめん」

「気にしないで下さい。もう過去の事です」

「ねえ、前から思ってたんだけど、久保さんは、なんで私に敬語なの?なんか距離感、感じるんだけど」

「一応、原田さんは、ここでは先輩ですから」

「なんか久保さんって、体育会系〜」

 ケラケラと明るく笑う、原田心を見ていると、こちらまで明るい気持ちになる。得な性格をしているな、と思って、今度はこちらから質問する事にした。


「原田さんは、ここのバイト長いんですよね?」

「そうだよ。高校生の頃からだから、3年くらいかな」

「大学って楽しいですか?」

「うん。自分のしたい事に集中出来るし、毎日、充実してるよ」

「私は中卒で、そう言った世界には縁がなかったので、憧れます」

「高校にも行かなかったんだ?」

「ここだけの話、若い頃はヤンチャしてたんですよ」

「へー!見えないね。そんなに優しい顔してるのに」

 会話が盛り上がってきた所で、客が店に入ってきたので、会話を終えた。


 終業時間になって、事務所で着替えを済まし、帰宅する事にした。客の邪魔にならない様に、コンビニの裏に停めた自転車にまたがって、ペダルを漕ぎ始めた。この自転車を勝手に使っている、「誰か」の事を考えると、今朝感じた「気味の悪さ」は、「怒り」や「苛立ち」に変わっていた。良く考えれば、いつか自分の物にしたくなって、盗まれるかも知れないし、そうでなくてもパンクでもされたら、たまったものではない。


 明日は久しぶりの休み。どんな奴が、私の自転車を使っているのか、確かめてやろう。そう決意した。


 いつもは寝る前に、焼酎を楽しむのだが、今日は濃いめの緑茶を淹れて、眠くならない様にした。厚着をして、部屋を出る。寒い。耳が千切れそうだ。


 物陰に隠れて、安物の腕時計で時間を確認した。20時。私の予想が当たっているなら、ここから数時間の間に、「誰か」は来る。


 数人が、アパートの前を通り過ぎた。毎回、人が通る度に緊張していたが、一時間もすると、慣れきって冷静に観察する様になった。


 22時になる頃、1人の若い女性が、小走りでアパートの方に近付いてきた。真っ黒な服を来て、マスクをしている。


 一瞬、周りを見渡した後、慣れた手つきで私の自転車のハンドルを握り、ペダルに足を乗せた。


「おい!」

 物陰から飛び出して、私は女性の目の前に立った。女性は驚いて、目を見開いて、大きく口を開けたまま、動きを止めた。


「この自転車は、私の物だ。勝手に使うな」

 冷静に怒りをぶつけて、私は女性に抗議した。女性は固まったままだ。


「兎に角、降りろ」

 私の言葉に従って、女性は自転車を降りた。しかし、ハンドルからは手を離さずに、私に言った。


「すいません。今日限りにするので、見逃して貰えませんか?」

巫山戯ふざけるなよ」

「お願いします。仕事に間に合わなくなるんです」

 真剣な口調で、瞳に涙を浮かべ始めた女性を見て、私は逡巡しゅんじゅんした。


「必ず返す、と約束出来るか?」

「はい。明日の早朝、6時半には返します。これ、預かっておいて下さい」

 女性は鞄の中から財布を取り出して、素早く開き、免許証を差し出した。


「分かった。明日の6時半、ここで待っている」

「ありがとうございます」

 女性は頭を下げるなり、ペダルを必死に漕いで、駅の方へと向かった。女性から預かった免許証を確認する。写真には、ちゃんと本人が写っていた。間違いなく、彼女の物だろう。名前は阿部あべ美由紀みゆき。年齢を確認すると、25歳。住所は近くのマンションだ。


 少し、眠ろう。私は家に戻って、女性の免許証を机の上に置いて、床に就いた。


 6時半になる前に目を覚まして、上着を着て、アパートの前に行った。寒くて、堪らなかったが、それ程、待つことはなかった。10分もせずに、女性が凄いスピードで、こちらに向かってくるのが見えた。


「本当に、すいませんでした!」

 女性は、自転車から降りるなり、何度も頭を下げて、私に謝罪した。悪い人間には見えない。私は、理由を尋ねた。


「初めは、偶然だったんです」

 女性……阿部美由紀は、独白する様に、理由を話し始めた。とある理由で、借金を抱えて、夜の仕事で働いている彼女は、ある日、過労のあまり、寝坊をしてしまった。店に遅れると、罰金が発生する。慌てて駅に向かっていたが、間に合うかどうかという、瀬戸際だった。そんな阿部美由紀が、私の住むアパートの前を通った時、偶然、目立つ赤色の自転車が目に入った。そう、私の自転車だ。チラリと見ると、鍵が掛かっていない。一瞬、悩んだが、背に腹は変えられない。罪悪感を感じながら、彼女は私の自転車に跨った。


 帰り道、ドキドキしながら、自転車を元の場所に戻した。そのまま、自宅に戻って、泥の様に眠った。


 そもそも自転車くらい、買えば良かったな。そう思いながらも、毎月の返済でギリギリの生活を送っていると、その数千円が惜しくなった。来月こそ、買おう。来月こそ。来月こそ。そうこうしている内にも、数ヶ月が経った。自転車を使うと、10分間、多く眠れた。いつしか彼女は、毎日の様に、赤色の自転車に乗って、駅に向かう様になった。


「本当に悪いことをしてるって自覚はあったんです」

 彼女は、真摯に謝罪して、財布から一万円札を取り出した。


「これで足りるか、分かりませんが、受け取って頂けますか?」

「結構です」

 私は強い口調で、断った。


「貴方の仕事は、いつも、この時間に終わるのですか?」

「はい」

「昼間は何をしているのですか?」

「帰宅して、2時間、仮眠を取って、家の近くにある建設会社で事務をしてます」

 あまりの過酷な境遇に、私は彼女を責める気持ちを失ってしまった。


「貴方が罪悪感を感じないのなら」

 私は、提案を持ち掛ける事にした。


「これからも、この自転車を使ってください」

「そんな、そんな!自分で自転車を買います!」

「どうせ、貴方が使う時間、私は使いません。昔、私も借金で苦しんだ事があります。とてもキツかった。毎日、絶望感で目が覚めて、不安感を抱えて眠った。もし、借金を返し終えたら、新しい自転車をプレゼントしてください」

 私からの提案を、彼女は最初、断ったが、遂に折れて、感謝を述べて、その場を後にした。


 次の日、仕事を終えた私は、自転車屋に行って、赤色の自転車に鍵を付けて貰った。鍵は2つ。


 夜、彼女を待って、鍵を渡した。これで、駅前に停めても、盗まれる心配は減った。彼女は何度も頭を下げた。


 恋でも同情でもなかった。敢えて言うなら、もう1人、娘が出来た様な気持ちだった。





 真夜中のレンタサイクルは、こうして始まった。





 毎日、6時半、私はアパートの前で、彼女を待った。彼女は、私が待っているのを見ると、満面の笑みを浮かべて、ペダルを漕ぐスピードを上げた。甘い物が好きだと言う彼女に、職場のコンビニで売られているスイーツを買って渡したり、朝ごはんにしてくれ、と数個のおにぎりを渡したりした。数分間だけ会話をして、早く寝なさいと言って、彼女を見送った。


 彼女も、私を父親の様にしたってくれた。血の繋がった、実の娘には、もう数年間、会っていない。私は、恐らく、その虚無感を彼女で埋めようとしていた。


 季節は巡り、梅雨を迎えた。そんな、ある日、私が、いつもの様に6時半に家から出ると、既に彼女が自転車を返しに来ていた。


「珍しいね。仕事、早く終わったのかい?」

「ううん。違うの。実はね……」

「何かあったのか?」

「別れた旦那が、店に来たの。だから、早退してきたんだ」

「結婚していたのか。別れた旦那とは何かあったのか?」

「何もかも、あいつの所為なの」

 彼女は、泣きながら、過去を話した。


 元旦那は、水商売をしていた。彼女が20歳になる前から、交際しており、彼女が20歳になった月に結婚した。親には大反対された。家を出て、両親の許可なく、新生活を始めた。幸せだった。元旦那は、毎日、深夜まで働いているので、中々、夫婦の時間は作れなかったが、それでも構わなかった。元旦那が、BARを開業して、益々、夫婦の時間は減った。孤独感と不安感を感じる様になった。


 ある日、旦那が朝になっても帰ってこなかった。心配になって、何度もメールを送り、何度も電話を掛けた。連絡がないので、旦那の店に向かった。ドアを開けると、そこは空き物件になっていた。もぬけの殻だった。あまりの出来事に、涙も出なかった。捨てられたのだ。


 家に帰って、数日間、寝込んだ。そんな彼女に追い討ちをかけるように、闇金融業者から、借金の催促があった。元旦那が、BARを開業する時に、連帯保証人になっていたのを、その時になって思い出した。結婚する少し前の事だ。今更、親には頼れない。彼女は、夜の仕事を始めた。


「元旦那と、闇金融業者がグルだったみたい。返済を急かされて、もっと稼げる仕事をしろと強要されたわ」

「そうか……」

「私、死にたい。こんな人生に、意味なんてあるのかしら?毎日が辛い。久保さんから貰う、お菓子や、ご飯を食べる時だけが、救いの時間だった」

 彼女が慟哭どうこくするのを聞いて、私は決心した。


「私が、君を助けよう」

「無理よ。借金の額も額だし、アイツら、暴力団とも繋がってる」

「なんて組だ?」

「聞いてどうするの?」

「良いから、言え!」

 私の発した怒鳴り声に、ビクッとして、彼女は暴力団の組の名前を言った。


 赤色の自転車に乗って、私は、その組事務所に向かった。ふぅ、と軽く息を整えて、事務所の玄関のベルを鳴らす。


何方どなたですか?」

「阿部美由紀の件で話がしたい。開けろ」

 数十秒して、ド派手なシャツを来た、若い男が、ドアを開けた。私を睨みつけながらも、丁寧な声で対応する。


「阿部美由紀さんの件ですね?彼女は、私達の関連会社の顧客ですけど、貴方は、阿部美由紀さんの、親族か何かですか?」

「親族じゃない。話し合いがしたくてな」

「話し合い……ですか」

 男は下卑げひた笑いを、顔に貼り付けて、どうぞ、と部屋に私を招き入れた。部屋には、数人の男が立っていた。


「単刀直入に言う。チャラにしろ。利子を考えれば、もう、元は取ってる筈だ」

 部屋の中央に置かれた革張りのソファに腰を下ろすなり、私は言った。


「そう言う訳にはいきませんね。彼女は、連帯保証人です。彼女の意思で、判を押した。我々が強要した訳じゃない」

「ハメたんだろうが。古い手口使いやがって」

「いい加減にしろよ、ジジイ」

 男は凄んで、私の胸ぐらを掴んだ。薄い生地で出来た、ヨレヨレの長袖のTシャツが、少し破れた。


「俺らの商売はな、子供でも、年寄りでも関係ねえんだぞ!」

「やってみろよ」

 その軽い挑発に、顔を真っ赤にして、男は私を殴った。口の中に鉄の味が広がって、私は笑った。


「ジジイ、何が面白いんだ?」

「これで、正当防衛だ」

 机の上に置かれた、ガラスの灰皿を男の頭に叩きつけた。男は、仰向けに倒れて、泡を吹いた。周りに居た、数人の男達が慌てて男の元に駆け寄る。


「てめえ、何したか分かってんのか!?」

「ただの害虫駆除だ」

 激昂げっこうした男達が、各々、壁に飾ってあった日本刀やら、木刀やらの武器を持って、襲いかかってきた。私は、狭い部屋と言う地の利を活かして、1体1の状況を作って、一人一人、殴り倒した。


 暴れ回っている内に、着ていたTシャツが破れた。鬱陶しくなって、脱ぎ捨てる。


「!?」


 男達の動きが、一瞬止まった。


 私の背中には、鮮やかで、力強く天を昇る、昇り龍の刺青があった。


「お前、俺らと同じ、極道スジモンか?」

「どうでも良いだろ」

 ひるんだ男を見て、素早く拳を顔面に叩き込んだ。




「何事だ!」

 突然、高級そうなスーツを着た、目の上に大きな切り傷のある男が、部屋に入ってきた。


「く、組長。このジジイが、阿部美由紀の借金をチャラにしろと言い出したんで、今、シメてる所です」

「俺から見たら、お前らがシメられてるけどな」

 組長と呼ばれた男が冷静に言って、私の方に視線をやった。そして、驚いた顔で、口を開く。


「く……久保さん?」

「おお、お前か。久しぶりだな。俺がムショに入ってたのが8年間だから、10年振りくらいか」

「いつシャバに?」

「2年前だ。誰も迎えに来てくれなかったぞ。寂しいなあ、おい。俺が向こうの組長のタマ取ったお陰で、てめえらが助かって、懐が潤ったってのに、冷てえなあ」

「く、久保さん、勘弁してください」

 男は両膝に手を置いて、頭を下げた。


「く、組長のお知り合いですか?」

「10年前、本部で幹部をなさってた久保さんだ。てめえら、何してくれてんだよ」

 男は、ゆっくりと顔を上げて、手下を睨みつけた。


「阿部美由紀の件だが」

「何も言わないで下さい。対処します」

「そうか。なら、俺も何も言わない。じゃあな。多分、二度と会う事はないし、会いたくもないし、会いにも来るなよ」

「分かりました」

 倒れてる男のジャケットを奪って、羽織り、事務所のドアを開けた。


 事務所の前に停めてある、赤色の自転車に乗って、帰路に着いた。阿部美由紀が、私のアパートの前で、待っているのが見えて、ペダルを強く踏んだ。


「久保さん……何したの?さっき、闇金融業者から連絡があって、借金をチャラにしてくれるって……」

「あー。話をしてきたんだよ。知り合いに弁護士が居てね」

「その格好は何?」

素肌に、男から奪ったジャケット。明らかにファッションセンスがない。


「お洒落でしょう?」

 阿部美由紀は、プッと吹き出してから、我慢出来ずに、ゲラゲラと笑い始めた。笑い終えると、今度は泣き出して、私に感謝を述べた。


「久保さん、本当にありがとう。感謝してもしきれない」

「大した事はしてませんよ。それより、約束通り、新しい自転車、買ってくださいね」

「ええ、勿論!」

 阿部美由紀は、深くうなずいた。


「じゃあ、私は、このまま仕事に行きます。もう数時間、遅れていますので、急がないと!」

 言い放って、私は急いで店に向かった。


 真夜中のレンタサイクルは、これにて閉店。私の赤色の自転車は、いつもの様に、ギィっと音を立てて、きしんだ。

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