【野球嫌いの唄】
眠らない
僕には男の子らしい趣味がない。
「野球も嫌いなのかよ!」
学生の頃から、仲の良かった友人は、ちょっと批判的に、僕に言った。 彼とは、麻雀を通じて知り合った……言うならば博打仲間だった。
都会の地下で、トランプを絞り、大敗して、
ウン十万する時計を質に入れるハメになったり、 ワンクリックで3万BETするようなインターネットカジノのスロットで10連勝したり、 派手で、明るくて、勝負強くて……
それでいてどこか、自殺願望でもあるのかと思うようなギャンブル狂だった。
野球賭博は、ギャンブル好きの彼の中でも、特に彼のお気に入りだった。
元高校球児の彼は、とても野球が好きだったからだ。
「いらっしゃいませ〜!あ、なんだ、お前かよ」
「お前って何だよ。一応、客だぞ」
夕方、繁華街の裏路地にある雀荘に、彼に会う為に訪れた。第一声がコレだ。本当にプライベートと仕事の区別が、ついていない。それでも許されてしまう
1年前、俺は大学を出て、中小企業の営業職に就いた。彼は大学を留年し、フラフラしながら、この雀荘で
「打ってく?」
「うん。空いてる卓のレートは?」
「0.5だね」
「ああ、丁度良かった。今、手持ちが殆ど無いんだよ」
1000点50円のレート。客同士で打つ麻雀なら、恐らく最低レートだろう。大勝もしないが、大負けもしない。時間を潰すには、持って来いだった。
「はーい。お預かり料金、頂きまーす」
フリー雀荘と呼ばれる、見知らぬ人同士で麻雀打つ店では、現金を賭けて遊ぶのだが、現金を、そのまま持ち込むのではなく、『チップ』に変えて打つのが一般的だ。パチンコやスロットで、銀色の玉やコインに変えるみたいな物。現金を、そのまま裸の状態で賭けると、ガッツリ賭博罪!って感じになるので、そこをマイルドに誤魔化す訳だ。店に、ある程度の
「預かりは、5000円?1万円?」
「お前の腕は信頼してるから、別にどっちでもいいよ。もし払えなかったら、店側からアウト出しとくし」
アウトと言うのは、客が払えなくなった負けを、一時的に店側が負担する事。よっぽどの信頼がないと、この恩恵は受けられない。
「念の為、1万円で」
「はいよ」
彼は、レジに手渡した1万円札を仕舞って、小さな
「はい、これ、1万円分」
「確認するわ」
「ほーい」
チップの枚数を確認して、自分が次に入る卓を確認した。ひょうきんな
「仕事、どんな感じだ?」
「んー。営業ってのは、ある意味、天国、ある意味、地獄だな。成績が良ければ、何してても怒られないし、悪ければ、どれだけ真面目で、熱心にやってても詰められる」
「成績良ければ、お前みたいに、仕事の途中で麻雀打つ事も出来るしな」
「今日は、もう仕事してきたんだよ」
「まだ17時だぜ?」
「うるせえな」
「今日もバカラに行くんだろ?」
「当たり前だろ。何のためにお前に会いに来たと思ってるんだよ。貸してた金の回収と、トランプを
「はいはい。仕事が終わるのが21時だ。それまで、ゆっくり打っててくれ」
今日は麻雀をしに来たのではない。「バカラ」と言うギャンブルを、彼と一緒に、裏カジノへやる為に来た。先週、ギャンブルで金が無くなった彼に15万円を貸していて、それを軍資金に、今日という夜を熱い物にしに来たんだ。
『バカラ』は、とても単純なルールのギャンブル。
「右と左のどちらに9に近い数字が出るかを当てるカードゲーム」
ただ、それだけ。ただ、それだけなのに、このゲームの面白さったら、これまでやってきたギャンブルの何よりも俺の心を奪った。
総額、100万は負けている。それなのに、一晩で100万勝つこともある、このギャンブルは、そんじょそこらの麻薬よりも中毒性がキツかった。
「お客様、こちらの席へどうぞ!」
「何を飲まれますか?」
「アイスコーヒー、アリアリで」
「畏まりました!」
『アリアリ』と言うのは、『砂糖、ミルク、アリ』の略。
「よろしくお願いします!」
卓に着いてる3人に挨拶をして、俺は勢い良く牌を握った。
2時間ほど打っていると、そこそこ勝ってきて、1回、休憩するか、と思い、メンバーに伝えた。メンバーは、分かりました!と言って、準備を始める。その
「勝ったみたいじゃないか」
「あ〜、5000円くらいかな?」
「飯、
「いいぜ。出前って何があるの?」
「オススメは中華かな」
「じゃあ、それにしよう」
俺は彼のオススメの中華弁当を頼んで、椅子に座ってゆっくりとしていた。
カランコロン、と店の扉に備え付けられたベルが鳴る音がして、明らかに堅気でない雰囲気の、サングラスを掛けた男が店に入ってきた。
「あ!兄貴、お疲れ様です」
「おー、わざわざ届けにきてやったぞ」
「ありがとうございます」
「ほい、これ、今週分。また連絡くれ」
「勿論ですよ。今週のパ・リーグは熱い試合が多いですからね」
野球賭博か。
野球賭博は、とても危ういギャンブルである。 非合法で、極道の絡む、とてつもなく危険なギャンブルだ。
なにより危険なのは、その場で現金を持っていなくても、口約束で、大きな額の金額をBETできること。
彼は男から分厚い封筒を受け取ると、頭を下げて、見送った。
「幾ら勝ったんだよ」
「ん?50万くらいかな」
「飯、奢ってくれよ」
「やだよ」
21時になって、彼は仕事着の安っぽいスーツから、チャラチャラした蛍光色のシャツに着替えて、待たせたな、と俺に声を掛けた。雀荘の社員の1人が、彼に、あんまり派手に遊ぶなよ、と注意したが、彼は大丈夫っすよ!と笑顔で聞く耳を持たなかった。
裏カジノの店に着いた。一見、フレンチレストランに見える、その店は会員制で、誰かからの紹介がないと入れない。俺は彼に店を紹介して貰った。因みに新規の客を紹介すると、5000円分のチップが貰える。
「さあ!熱い夜にしようぜ!」
「絶対に勝ってやる!」
両目を血走らせて、俺達はバカラの卓に着いた。
数時間後、俺はスッカラカンになって燃え尽きた。もう一銭も残っていない。喪失感で胸がいっぱいになったが、これもギャンブルの楽しい所。勝つことは、勿論、楽しいが、負けた時に感じる喪失感も又、苦いブラックコーヒーの様に、胃に染みる。ちなみに、俺はブラックコーヒーは飲めない。ちくしょう。
彼は勝ちに勝ちを重ねていて、卓に置いてあるチップが高く積まれていた。200万くらいは勝ってるな、と予想して、羨ましい目で彼の後ろに立った。
「なんだよ?金なら貸さないぞ?賭場での
「10万だけ!」
「だめだめ!さ、向こうでジュースでも飲んでろよ。折角、裏カジノに来たんだから、無料のジュースとお菓子で腹を満たしてこいよ」
「冷たいなあ!」
彼の後ろから移動して、ソファに座り、飲み物を注文した。高級なパインジュース。周りを見渡すと、俺と同じく敗者の目をした男達が、恨めしそうにバカラの卓や、ルーレットの卓を
その日の彼の勝ちは400万。日本のサラリーマンの平均年収と同じだった。
数週間後、彼から電話が掛かってきた。
「なあ、悪いんだけど、金、貸してくれないか?」
「はあ?お前、こないだバカラで400万勝ってたじゃないか。その金は、どうしたんだよ」
「とっくに負けたよ」
「お前って自殺願望でもあんのか?」
「うるさえな。幾らまでなら貸せる?」
「給料日前なんだよ。30万くらいかな」
「じゃあ、悪い。30万、貸してくれ。今日、取りに行く」
「ちゃんと返せよ?」
「俺が金を返さなかった事、あったか?」
原因は、野球賭博だった。
バカラで大勝した彼は、いつもの10倍の金額を賭けて、野球賭博をしたらしい。
彼の負けが1000万を超えた時、もう笑い話では、すまなくなっていた。
消費者金融に、学生ローン、知人友人から集められるだけの金を集め、そして、彼はギャンブルに負けた。
もう何も残っていない。
あるのは返済しなければならない、8桁の数字だけだった。
彼は、ペナントレースの中盤に、最後の賭けに出た。
今までの負けを取り返すために、負けている額をそのまま口約束でBETしたのだ。
正確な金額は知らない。
3000万近くだったと聞いている。
借金に借金を重ねて、誰にも救ってもらえない状況で、彼が最後に頼ったのは、皮肉にもギャンブルだった。
そして、その結果は……
プロ野球が終わった、この時期に、いつも思い出すのは、彼のこと。
そして、僕は野球をより嫌いになった。
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