【ナイトメア・ファーム】


 ばく。その姿は鼻はゾウ、目はサイ、尾はウシ、脚はトラ。邪気をはらい、悪夢を食らうと言う想像上の生き物。悪夢を見た後に「この夢を獏にあげます」と唱えると、同じ悪夢を二度と見ずに済むと言う。


 睡眠障害を患っている私は、ようやく寝付いたと思ったら1時間後に目が覚める、と言った生活を繰り返していた。医者から貰った強い睡眠薬も、最早ラムネの様な物だ。仕事にまで影響が出ている。日中、眠くて仕方がない。今日も真夜中に目が覚めて、トイレを済ませ、キッチンで水を飲んでいた。


 もう一度、眠れるだろうか?私は少しの焦燥感を抱きながら、寝室に戻った。眠れなくても、目を閉じて横になるだけでも、起きているより、かなりマシらしい。


 目を閉じて、十数分した頃、やはり眠れないな、と思って目を開けた。すると、私は何かの気配を感じて、寝室の床に目をやった。





 そこに丸々としたフォルムの化け物……獏が居た。





 驚いて、私はベットから飛び起きた。


「こんばんは。いや、おはようございます?かな?驚かせてごめんなさい」

 獏は優しく私に話し掛けてきた。


「貴方って獏よね?信じられない。本当に居たんだ」

「わあ!直ぐに理解してくれて嬉しいよ。そう、僕は獏。悪夢を喰らう存在」

「私の悪夢を食べに来てくれたの?」

 私は、自分の『眠りたい』と言う望みが叶うかも知れないと思って、獏に、願いを込めて尋ねた。


「君の夢からは、とても美味しそうな匂いがするね。是非、ご馳走になりたいな」

 丸々とした可愛らしいフォルムからは、想像も付かない、似つかわしくない低い声で獏は言った。


「眠れる様になるかしら?」

「君の不眠症は不安からくる悪夢が原因だよ。僕が眠らせてあげる」

 獏は優しくささやくと、その可愛い口を私の頭に向けた。フラっとして、私はベットに倒れ込んだ。




 一瞬で朝になった。頭がスッキリしている。こんな感覚は何時いつぶりだろうか?5時間くらい眠れた。出社には遅刻確定の時間になっていたが、罪悪感よりも、眠れた喜びが勝った。獏に感謝を言いたかったが、家中の何処を探しても、獏は居なかった。私は会社へ遅刻の連絡を入れて、シャワーを浴びる事にした。


 出社して直ぐに、会議が始まった。昨日までは眠気に襲われて、苦痛で仕方なかったが、今日は、どんどんとアイデアが浮かんで、会議で様々な提案をした。上司から褒められて、私は有頂天になった。


 昼休みになった。いつもは昼寝をして過ごしていたが、同僚とランチに出掛けた。充実している。睡眠とは、これ程までに大切な物だったのか。


 その日、充実した1日を過ごして、私は逆に怖くなった。今日は眠れるのだろうか?また眠れない日々に戻ったら、どうすれば良いのか?あの苦しみを、また味わうのか?


 夕飯を済ませて、お風呂に入り、睡眠薬を飲んで、直ぐに寝室へ移動した。体は疲れて、重かったが、やはり寝付く事は出来なかった。




 ここの所、毎晩、悪夢にうなされる。





 眠るのが、怖い。




 閉じ込められる

 愛する人の裏切り

 死

 迷う、迷子

 けが、傷つく

 歯が抜ける

 人前で裸になる、露出する

 試験に落ちる

 追いかけられる

 高い所から落下する





 様々な悪夢が私を襲う。


 もう嫌だ。逃げ出したい。


 頭の中は苦しみでいっぱいだった。


 死すら願った。




「こんばんは」

 ベッドで上半身を起こして、うつむいていた顔を上げると、そこには私の救世主が居た。獏だ。


「獏!お願い!今日も私の悪夢を食べて!」

「こちらからお願いしたいくらいだよ。君の悪夢は、フレンチのフルコースより美味だった」

 獏は、その口を私の頭に向けた。一瞬で私の意識は途絶えた。




 朝になっていた。時計を見ると、出社するにはギリギリの時間だった。私は急いで身支度をして、会社に向かった。


 今日も頭はスッキリとしていて、業務をとどこおりなく行う事が出来た。獏のお陰だ。感謝しかない。今晩も、獏は来てくれるだろうか?まるで、遠く離れた恋人を待つ、哀れな女の様に、私は不安で胸が潰れそうだった。


 家に帰って、食事も風呂も、すっ飛ばして、睡眠薬を口にした。寝巻きに着替えて、寝室へ向かう。目を閉じた。勿論、眠れる訳はない。時計は、まだ、19時にもなっていなかった。それでも、私は祈る様に頭の中で獏を呼んだ。




「こんばんは」

 低い声がした。その声を聞いた瞬間、私は飛び上がって、声の主……獏に向かって、叫ぶ様に懇願こんがんした。


「早く、私の悪夢を食べて!眠らせて!」

「構わないけれど、最近、体調はどうだい?不眠症から過眠症に変わってないかい?」

 気付かなかった。確かに、どんどん睡眠時間が増えている。昨日は22時に寝て、起きたのは8時だった。10時間も寝たのか。


「悪夢を食べるのは構わないさ。むしろ食べたい位だしね。ただ、君の体調を考えると、今日は止めておいた方が良い。体調を整えて、悪夢を見ない様に、心を落ち着けなよ」

「そんな……あの恐怖に耐えろと言うの?」

「君の為だよ」

「嫌よ!お願い……お願いします。どうか今夜も眠らせて下さい」

「……明日は、耐えるんだよ?」

「ありがとう!」

 獏は、いつもの様に、口を私の頭に向けた。





 目を開けると、小鳥の鳴き声がした。時計を見ると、8時。昨日は20時過ぎに寝たから、12時間、寝た事になる。出社まで時間が無い。私は、昨日と同じ様に、急いで身支度をした。


 同僚に、最近、顔色が良いね、と言われた。常に、まぶたの下にあったくまは消え失せて、血色が良くなっているのが、自分でも分かる。人間の3大欲求の中でも、睡眠は1番大事だと思う。その日も私はテキパキと業務にたずさわって、1日を終えた。


 帰宅して、食事を取って、風呂に入った。


 寝たい。寝たい。寝たい。


 睡眠欲で、頭の中が、いっぱいだった。



 耐えられなくなって、残っていた睡眠薬を、全て、一気に飲んだ。過剰摂取オーバードーズ。致死量には達していない筈だ。


 寝室へ移動して、直ぐにベッドに倒れこんだ。これは眠れそう。頭の中が、グルグルと回って、瞼が勝手に下がった。


 そして、何時間も悪夢を見た。


 夜中に目が覚めて、私は絶望感でいっぱいだった。もう薬に頼るのは止めよう。眠れたとしても、悪夢を見るだけだ。


 獏、獏に会いたい。


 その日は朝まで寝付く事は出来なかった。


 仕事に行って、同僚に朝の挨拶をすると、今日は体調悪いの?と聞かれた。睡眠不足で、化粧のノリも悪い。肌だけでなく、胃や、頭もボロボロだった。その日は仕事で、細かいミスを沢山した。


「獏!獏!何処に居るの?助けて!」

 帰宅して、玄関から直ぐに寝室へ移動した。助けを請う私の叫びを聞いて、獏はゆっくりと私の元に来た。私は獏を抱き抱えて、スーツ姿のまま、ベッドに倒れ込んだ。


「これ以上は止めておいた方が良い。どうなっても知らないよ」

「構わない!悪夢に殺されるよりはマシよ」

「分かった」

 獏に悪夢を食われて、私は睡魔に襲われた。そのまま、眠りに就いた。


 起きると、夜だった。そんなに眠れていないのか?と思って、携帯を見た。会社から、何件もの着信履歴が残っている。数件、メッセージが届いていて、どうして無断欠勤したのか?と問い詰められていた。


 つまりは、24時間、寝ていたのか。


 食事をして、風呂に浸かった。そして、また眠たくなってきた。もう獏なしでは、生きていけない。


 寝室の床に、獏は居た。


「またお願いできるかしら?」

 私の許しを乞う様な声色を聞いて、獏は溜息混じりに言った。


「もう、どうなっても知らないよ」

「ええ。早く眠りたいわ」










「ここがそうなの?」

 同僚の獏に聞かれて、僕はうなずいた。

「お腹減ったんだよね。早く、その悪夢農場ナイトメア・ファームと言う所に行きたいわ」

「ここだよ」

 マンションの一室に彼女を案内して、僕は照明を付けた。十数個のベットに、何人もの人間達が眠っている。


「彼等は永遠に悪夢を見続ける。僕達に取っての農場だよ。オススメは最近、入荷した20代OLかな。フレンチのフルコースの様に、濃厚で様々な味が楽しめるよ」

「頂くわ」

 1口食べて、目を見開き、その味に賞賛する同僚を見て、僕は彼女を農場に連れてきて良かった、と思った。


「農場をこれから、どうして行く気なの?」

「手広く、商売にするよ。お願いがあるんだけど?」

「何かしら?」

「僕のパートナーとして、公私共に支えて欲しい」

 僕は彼女にプロポーズした。


 現代社会、眠れない人間は、これからも増え続ける。僕のビジネスの未来は明るかった。














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