【お節介キューピット】★


「別れよう」


 彼女から突然告げられた言葉に、俺は凍りついた。今日は彼女と付き合って、丁度一年目の記念日。バイトで汗水垂らして稼いだお金を、今日の日の為に貯めていたのに。ショルダーバッグには彼女へプレゼントする予定の指輪が入っている。こっちから持ち掛ける筈のサプライズを、こんな形で返されるなんて、青天の霹靂へきれきだ!


 彼女は俺の入っている野球部のマネージャーで、一つ年上。俺が野球部に入部した時から一目惚れ。決して美人と言うタイプではないけれど、とても愛嬌あいきょうのあるタイプで、傍に居るだけで癒される。本当に好きだ。


「嫌だ!別れたくない!」

 俺は声を荒らげた。夕暮れ時の公園には、俺と彼女しか居ない。多少、声を大きくしても平気だ。情けないと思われても良い。


「何か理由があるのか?だったら直すから聞かせてくれよ」

「理由なんてないよ。何だか好きじゃなくなっただけ」

「ついこの間まで、俺の事が世界で一番好きだって言ってたじゃないか!」


 諦め切れずに、俺は優しく声色を変えて続けた。


「なあ、そんな悲しい事を言わないでくれよ」

「ごめん。バイバイ」

 彼女は少しだけ悲しそうな表情を浮かべて、その場を去った。俺は泣きそうになって、しばらく何も出来ずにその場に立ち尽くした。


「おやおや?失恋ですかぁ?」

 急に頭上から声が聞こえて、俺は苛立って上を見上げた。喧嘩なら、いつでも買うぞ。今の俺を舐めるなよ。







 そこには白い羽を生やした幼女が居た。






「な、なんだ、お前!?」

「私ですかぁ?通りすがりのキューピットですよ」


 あまりのショックで頭がおかしくなったのかな、俺。フワフワと浮かぶ幼女を見つめながら、自分の頬をつねった。痛い。夢ではなさそうだ。


「あんな女諦めて、もっと良い女探しましょ〜」

「あんな女だと?」

 俺はキューピットの安い挑発乗った。


「彼女ほど良い女が居るかよっ!」

「え〜、でも振られたんですよね?」

「うるせえ!!」

 俺はジャンプして、キューピットの足を掴んで地面に叩きつけた。


「痛っ!何するんですか!」

 キューピットは直ぐに立ち上がり、そのままもう一度空中に浮かび始めた。そして怒りの表情をして、俺を睨みつけた。


「折角、新しい恋をさせてあげようって思ってるのに」

「どういう事だ?」

 俺はキューピットを睨み返して、鼻息を荒らげて言った。


「言葉の通りですよ。私の弓矢で心臓を射れば、どんな女もイチコロです」

「ほう……」

 俺はキューピットの魅力的な提案を聞いて、指をあごに当てた。


「どんな女も?」

「どんな女もです」

「学園のマドンナとか?」

「余裕ですね」

「アイドルとか?」

「問題ありません」

「女優は?」

「アカデミー女優でも良いですよ」

 キューピットはスラスラと俺の疑問に答えていく。ひょっとしてこれは、災い転じて福となすってやつか?


「なんで俺にそこまでしてくれるんだ?」

「貴方は記念すべき今週の大失恋者、100人目なんです。キャンペーンですよ」

「なんだよ、それ」

「なんでも良いじゃないですか。何はともあれ、貴方には『誰とでも恋に落ちる権利』が与えられました」

 キューピットはニコニコとして、背中から弓矢を取り出した。


「で?誰にします?」

「ちょっと考えさせてくれ」

「良いですけど、期限は一週間ですよ。次の失恋した人を待たせる訳にはいかないので」

「一週間か……うん。分かった」

 俺はキューピットに感謝を述べて、その場を立ち去ろうとした。すると、キューピットがフワフワと飛びながら、俺の後をつけてくる。なんだ??


「なんでついてくるんだ?」

「いつ願いを思い付くか分からないじゃないですか。貴方が意中の相手を決めるまで、傍に居ますよ」

「え?家までついてくんの?」

「はい」

 俺は首を横に激しく振った。


「無理無理!家族が居るんだぜ?どうやって誤魔化すんだよ?」

「私は飛べるので、直接部屋に行きます」

「誰かに見られたらどうするんだよ?」

「私は、最近とても辛い大失恋をした人にしか見えないんです。多分、大丈夫ですよ」

 キューピットは淡々と言ったが、俺は不安だらけで、キューピットが部屋に来るのを断った。するとキューピットは、じゃあ権利は失効しますね、と言い出したので、渋々了承した。


 部屋に戻った。まだ失恋の痛みが引かずに、俺はベットの上に倒れ込んだ。ああ、なんでこんな事になったんだろう。気付かない内に、彼女に嫌われる様な事をしたのかな?終わらない自問自答を心の中で繰り返しながら、俺は携帯を取り出した。


「まさか振られた相手に連絡するんですか?」

 部屋の窓からキューピットが入ってきて、携帯を弄り始めた俺に憐れむ様に言った。


「うるせえな。まだ望みはあるかも知れないだろ」

「ないと思いますけどね〜」

 キューピットはハッキリと言った。その言葉に傷ついて、俺は携帯を机の上に置いて溜息をいた。


「何が悪かったのか、それだけでも知りたいな」

「恋愛なんて錯覚みたいな物です。ある日突然、錯覚から覚める事なんてざらにありますよ」

「そうか……」


 俺は半泣きになりながら、鞄の中から、彼女にプレゼントする筈だった指輪が入った箱を取り出した。そのままゴミ箱に投げつける。ストライク。バッターアウト。俺の恋愛はゲームセット。明日からどんな顔をして部活に行こうかな。


「他に気になる相手は居ないんですか?」

 キューピットからの問いかけに、俺は首を横に振った。


「普通の男子高校生なら、性欲持て余して、色々な女性に興味を抱きそうな物ですけどね」

「う〜ん。彼女の事がとても好きだったから、他の女に目がいかなかったんだよな」

「でも、今ならどんな女性でも貴方の物ですよ」

「確かに。誰でも落とせるとなると、逆に迷うな……」


 俺は机の上に置いた携帯を手に、連絡先のフォルダを開いた。


「誰にしようかな〜。お!この子、美人なんだよな。あ!この子もスタイル良くて可愛いよな」

「身近な人で良いんですか?アイドルとだって付き合えますよ?」

「そうだよな!ネットで検索するか」


 俺はネットで「可愛い芸能人」で検索を掛けた。


 次々と、顔の造形の整った女性が画面に表示される。


「この女優、綺麗だな〜。あ、このアイドル、友人がファンなんだよな。可愛いな」

「誰にしますか?」

「うーん。悩むな。やっぱり、もう少し考えさせてくれ」

「分かりました」

 俺は携帯をポケットに入れた。


 母親に夕食に呼ばれて、食卓の席に座った。どんなに辛くても食欲は湧くんだな。俺はテーブルに並べられたおかずを次々に口に運んだ。


「あんた、よく食べる様になったね」

「部活の所為せいだよ。体、めっちゃ動かすし」

「おかわりする?」

「うん、頼む」

 母親に茶碗を渡した時、携帯が揺れた。


 なんだろう?と思って、携帯の画面を見た。そこには同じ部活の友人からのメッセージが届いていた。


「食事中よ。携帯仕舞いなさい」

「ごめん」

 俺は食事のペースを上げて、食事を終えると直ぐに部屋に戻ってメッセージを読んだ。


「なあ、今日のデートどうだった?」

「実は振られたよ」

「え?どういう事だよ?」

「俺にも分からない」

「明日、部活の練習来れるか?」

「休みたいけど、行くわ」

 友人とのメッセージを終えて、その日は早めに眠った。




 次の日、目を覚ますと、キューピットは部屋に居なかった。何処かに行ったのかな?


 今日は早朝練習。重い気分で登校し、部活に顔を出すと彼女は来ていなかった。ほっとして、俺は安堵の溜息を吐いた。訳を知ってる友人が背中を叩いた。


「大丈夫か?」

「大丈夫に見えるか?」

 その日の練習には身が入らなかった。





 練習後、監督が全員を集めてミーティングを始めた。


「あー。残念な知らせがある」

 言いにくそうにして、監督は咳払いをした。


「実はマネージャーが急に転校する事になった」

 俺は驚きの余り、手に持っていた金属バットを地面に落とした。


「皆に挨拶出来なくてごめんなさい、だそうだ。後で色紙を渡すから、皆、マネージャーへのメッセージを書いてくれ」

 中には泣き出す部員も居たが、俺は悲し過ぎて涙も出なかった。


「監督!俺、急用が出来たんで、ここで失礼します!」

「あ、お前、今日グランド整備の当番だろ!?」

 監督の言葉を途中で遮って、友人が代わりに俺がやっとくから、と言ってくれた。俺は駐輪場に走って、直ぐに自転車にまたがった。


 彼女の家まで飛ばせば15分。最後に会いたい。もう彼氏でも何でもないけど、今までありがとうと言いたい。


「そんなに飛ばして何処に行くんですか?」

 何処からともなくキューピットが現れた。


「彼女が引っ越すらしいんだよ!最後にお別れを言いたい」

「もう振られたんですから、逆に迷惑では?」

「うるせえ!これは俺のエゴなんだよ!」

 信号が黄色になっても、無視してペダルを漕いだ。


 10分で彼女の家の前に着いた。インターホンを押すのに躊躇ためらいは無かった。今ここで迷う意味がない。時間が勿体無い。


 インターホン越しに彼女が「はーい」と言った。俺は最後に挨拶したいから、出てきてくれ、と言った。


 彼女が出てきた。


「何?」

「お前、引っ越すんだって?」

「そうよ。だからアンタとの関係を終わらせたの。スッキリしたわ」

「最後にお礼が言いたくて」

「お礼なんて言わなくて良いよ」

「それでも、言わせてくれ」


 俺は深呼吸して、心を落ち着かせた。


「俺と付き合ってくれてありがとう。お前との思い出は一生忘れない。向こうでも元気でいてくれよ」

「別に私の事なんて忘れて良いよ。終わり?じゃあ私、荷造りがあるから……」

 全部言えた。これでもう未練はない。


「終わりましたね〜」

 頭上からキューピットが降りてきた。


「うるせえな」

 小声でキューピットに注意する。今、最後の言葉を考えてるんだよ。


「ねえ……その子……何?なんで空中に浮いてるの?」

 彼女が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして言った。


「コイツが見えるのか!?」

 俺は吃驚びっくりして、彼女に尋ねた。


「う、うん。」

「そうか……コイツはキューピットらしい。俺にしか見えなくて、頭がおかしくなったかと思ってたけど、お前にも見えるんだな」

「キューピット……そんなのおとぎ話の中のフィクションだと思ってたわ」

 彼女は口に手を当てて、驚きの余り言葉を失っていた。


「あれれ〜?どうして私が見えるんですかあ?」

「どうしてって言われても……見えるから見えるのよ」

 キューピットからの問いかけに、彼女は口を尖らせて言った。


「私の事が見えるのは『最近とても辛い大失恋をした人』だけなんですよ〜。貴方は大失恋したんですか?」

「そんな訳ないじゃない!コイツと別れて清々してる所よ!」

「嘘ですね〜。この男の事が大好きなのに別れたとしか思えません」

 キューピットからの言葉で、彼女は無言になった。


「なあ、本当の事を聞かせてくれないか?」

 俺は意を決して彼女に言った。




 彼女が泣き出した。



「だって!だって!私の事なんて忘れて、アンタには幸せになって欲しかったんだもん!言わせないでよ!離れたくないよ!辛いのは私も同じだよ!」

 俺は思わず彼女を抱き締めた。


「離れてても、お前への想いは絶対に変わらない。俺達、大丈夫だよ。これからも俺の彼女でいてくれよ」

「うん……うん!」

 彼女は涙を拭きながら、俺に言った。


「キューピット、ありがとう。お前はまさに俺と彼女の恋のキューピットだよ」

 俺が感謝を述べると、キューピットは拗ねた顔をして、俺達の頭上をクルクルと回った。


「仕事が無くなってしまったので、私は失礼しますね。どうぞ、お幸せに」


 お節介キューピットは、微笑んで俺達を祝福した。








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