【親バカスパイの諜報レポート】


「お父さんに会わせたい人が居るの」

 娘から告げられた言葉に、私は衝撃の余り飲んでいたお茶を吹いた。


「会わせたい……人?」

「うん……」

 私は人から朴念仁ぼくねんじんと呼ばれる男だ。物事の道理など分からぬ。わからず屋。だが、流石にこの言葉の意味を受け取らない訳にはいかなかった。


 男手一つで育ててきた可愛い娘。そんな娘が『会わせたい男』が居ると言う。私は感慨深い思いと拒絶したい思いに揺れ動かされて、思わずこう言った。


「会わない!」

「お、お父さん!?」

 私は席を立って、2階の自室に向かった。


「お父さん!次の日曜日に連れて来るから!ちゃんと家に居てよね!」

 娘からの追撃から逃げる様に、私は自室のドアを開けた。鍵を閉めて、直ぐにパソコンの電源を入れた。そして上司にテレビ電話を掛ける。数十秒で画面に白髪の男が映った。


「やあ。M-18。君は今日は休みだろう?どうかしたのかい?」

「ああ。だが、緊急事態なんだ、プロフェッサー」

 M-18。アメリカで活躍した戦車の名前。それは私のコードネームだ。


 私はこの国で暗躍するスパイ。娘にすら、その事は話していない。妻とは同じ職場で出会ったが、10年前に病死した。それから娘とは二人暮し。ずっと手塩にかけて育ててきた。私の宝物。そんな娘を、どこぞの馬の骨とも知らぬ奴に渡す訳にはいかない。私は机に仕舞ってある拳銃を取り出して、目をえて上司のプロフェッサーに告げた。


「とある男を暗殺したい。協力してくれ」

「物騒だな?どう言う事だ?」

「娘が……娘がっ……」

 思わず涙目になった私を見て、プロフェッサーは少し動揺しながら私に言った。


「まさか殺されたのか?」

「違う……」

「で、では乱暴されたとか?」

「違うんだ!」

「どんな酷い事をされたんだ!想像が付かない!」

 プロフェッサーは両手を口に当てて、心配して私の次の発言を待った。


「娘が……彼氏を家に連れてくるらしい……」

「は?」

「結婚する気なのかも知れない」

「そ、そうか。目出度い事だな……」

「その男を殺したいので協力してくれ」

「お前は何を言ってるんだ?」

 プロフェッサーは目を点にした。


 私は胸の内を叫んだ。


「娘が奪われるかも知れないんだぞ!」

「祝福するよ、M-18。私は忙しいので、これで失礼する」

 プツっとテレビ電話の通話が切られた。ふん!所詮しょせん、スパイは孤独な仕事。チームワーク等と言う甘ったれた考えは捨てなければならない。


 私は娘の携帯をハッキングした。男の情報を引き出さなければ。敵を知り己を知れば百戦殆からず、だ。


 少しだけ心が傷んだが、娘のメールボックスの中身を見た。そこには友人達との他愛のないメールや、同僚との仕事のメールが並んでいた。


「あったぞ、これか……」


 彼氏らしき男からのメールを発見した。さかのぼると、2年前の5月からメールのやり取りが始まっている。クソが。2年も前から私の娘に手を出していたのか。貴様には地獄すら生ぬるい。絶対に許さんぞ。


 男の名前を把握して、直ぐにパソコンで検索する。検索結果には何も出てこなかったが、スパイ御用達のソフトを使って、もう一度検索すると男の顔、職場、家庭環境等が表示された。


 顔は平々凡々。学歴は高卒。職場はソフトウェア開発の会社。システムエンジニア。両親を早くに亡くし、天涯孤独。こんな男の何処が良いんだ?


 私は娘と男のメールのやり取りを、ゆっくりとスクロールして確認した。


 二人の出会いは近くの公園。そこで迷子になっていた子供に助けを求められた男は、土地勘がなく、仕方なく近くに居た娘に助けを求めた様だ。迷子の親は直ぐに見つかり、二人は安堵して、公園の近くの喫茶店でお茶をする事になったらしい。


 おかしいだろ!なんでお茶をする事になるんだ!この男に下心があったとしか思えない。娘はとても器量が良いし、性格も良い。そこに漬け込んで、娘に声を掛けたに違いない。


 それから数日して、娘が同僚から貰った映画のチケットが余っていたので、一緒に見に行かないか?と誘った様だ。優しい娘だ。孤独な男の為に、慈悲を与えたんだな。そんな娘の提案を、一度男は断っている。なんだと!?有り得ない。貴様の様な男が、私の娘の誘いを断る等、法律が許しても私は許さんぞ。


 日取りを調整して、二人で映画を見に行った様だ。帰りに食べたイタリアンが、とても気に入った様で、娘はランチではなくディナーで来たいです、と言っている。男は、ここならリーズナブルですし、お友達と来るのには良いですね、と返信していた。娘は、友人ではなく貴方と来たいのですが、と返している。どうしたんだ?娘に何かおかしな薬でも飲ませたのか?分かったぞ!最近、ロシアで開発された例の媚薬を使ったな?許さんぞ!


 私は、それ以上メールを見る事を止めて、男に会いに行く事にした。この目で実際に確かめてやる。お前に娘は似合わない。


 私は娘に気付かれないように、スパイのスキルを使って、一切足音を立てずに外に出た。男の会社に向かう。途中にあった公園の公衆トイレで、特殊メイクをほどこし、別人に変装した。


 男の会社は駅前のビルの一室にあった。私は客の振りをして、ビルの中に入った。何人かにいぶかしがられたが、堂々と共有スペースでコーヒーを飲み始めると、誰も私に声を掛けずに黙々と自分達の仕事に没頭し始めた。


 男が共有スペースにやって来た。近くに備え付けられた自販機で、私と同じ銘柄のコーヒーを買って、机の上に置いた。同僚らしき人物が少し遅れてやってきて、二人で雑談を始めた。


「お前、今度結婚するんだって?」

「いや……まだ、結婚するまでには至ってないんですけど、今度、向こうの親御さんに挨拶に行こうと思ってるんです」

 私は二人の方向を一切見ずに、耳を大きくした。


「例の美人の彼女だろ?羨ましいぜ」

「先輩に聞きたいんですけど」

 男は少しだけ間を置いて、同僚に聞いた。


「親御さんに結婚の許しをう時って、何て言ったんですか?」

「俺?俺はストレートに、必ず娘さんを幸せにします、娘さんを僕にください、だよ」

「俺はそんな風には言えそうもありません。収入も低いし、天涯孤独の身です。必ず幸せにするなんて、断言出来そうにないです」


 おい、お前。そんな意志の弱さで、私の娘と結婚しようとしているのか。これはもう、絶対に結婚は許さない。私はコーヒーを飲み干した。


「けれど、彼女の事が大好きです。一生、傍に居たい」

「ご馳走様!」

「冗談ではなくて、本当に良い子なんですよ。とても優しくて、気遣いが出来て、美人で俺には勿体無いです」


 よく分かってるじゃないか。そうだろう?私の娘は世界一の器量良しだ。お前には似つかわしくないんだよ。とっとと諦めろ。


「プロポーズは何て言ったんだ?」

「あ、実はプロポーズは向こうからでして……」

「へー!彼女の方から?最近の女性は情熱的だな。何て言われたんだ?」


 私は男を撃ち殺そうと、懐に忍ばせた拳銃に手を掛けた。


「私と家族になって下さい。私のお父さんは、とても素晴らしい人なので、貴方のお父さんにもなって欲しいわ。貴方は、ずっと孤独だったから、その心の隙間を私達二人で埋めさせて下さい、と言われました」

「ファザコンだな。でも素敵なプロポーズだな」


 私は一度取り出そうとした拳銃を、懐に仕舞って、話の続きを聞く事にした。


「はい。とても素敵でした。彼女も母親を亡くしていて、僕と同じ様に愛情に飢えていたんです。彼女と出会って、僕が常に抱えていた孤独感は埋まりました。彼女と一緒になりたい」


 男は少しうつむいて、呟く様に言った。

「向こうのお父さんに許しても貰えるのか、と思うと、とても不安で、最近眠れません」


 同僚は、大丈夫、大丈夫、と男の背中を叩いた。他の社員に呼ばれて、男の同僚は共有スペースから出ていった。


「なあ、君。わざとじゃないんだが、話が聞こえてしまってね」

 私は男に話し掛けた。


「すいません。お恥ずかしい所をお見せしました」

「いや、こちらこそ盗み聞きの様な真似をしてすまない。ところで、どうしてそんなに不安なんだい?」

「彼女はとても素晴らしい女性です。僕に似つかわしくない。彼女は僕と一緒に居たいと言ってくれていますが、僕みたいな男で本当に良いのか、と」

「それを決めるのは君じゃなくて、彼女だろう。自信を持て!」

「ありがとうございます。あぁ、なんて挨拶しようかな」

 男は頭を抱えた。


「先程の先輩の様に、ストレートに伝えるのが一番だよ。変に飾り気のある言葉など使っては、場が白ける」

「そうですよね。アドバイスありがとうございます。少し自信が付きました。次の日曜日に挨拶に行く予定なんです」

「必ず上手くいくよ。手土産はワインとチーズがオススメだ」

「そうなんですね。じゃあ、そうしようかな」

 じゃあな、と私は手を振って、男の元を離れた。





 日曜日になった。




 娘は何故か興奮しながら、男と共に家に入ってきた。男はオドオドしながら、初めまして、これ、お口に合うか分かりませんが、とフランスワインとチーズを渡してきた。


「ああ、私はワインとチーズに目がなくてね。これはとても良い物だね。ありがとう。上がってくれ」

「失礼します」

 男は覚悟を決めた顔で、我が家の敷居を跨いだ。


 リビングで男と30分程会話した。娘は場の空気に耐えられなくなって、お茶を淹れに行った。男はキリっ、と表情を硬くして私に言った。


「娘さんを僕にください!必ず幸せにします!」


「こちらこそ、よろしく頼む」

 彼なら、娘を必ず幸せにしてくれる。私の諜報活動のレポートはいつも正しい。私は渋い顔をしながら頷いた。






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