【鳴かないカナリア】



 愛してるって言ってくれない悪戯いたずらな君の笑顔を愛してたよ。


 私の愛情はいつも一方通行だ。彼と体だけの関係になって半年。私は都合の良い女。いつか恋人になれる事を祈って、今日もベッドの上で歌う。


 テニスサークルの新歓で、彼と出会った。彼は高校時代からの彼女を追いかけて、この大学に入学してきた。なんでも、彼女の為に志望校を変えたらしい。惚れ込んでいる様だ。


 体育会系と言うよりも、お遊びのサークルだったので、飲み会は合コンみたいな物。男達は砂漠に住まうハイエナの様で、女達は女王蜂の様だった。どの男が一番多く蜜を運んでくるのかを品定めしている。


 私はタバコを吸いながら、そんな男女の腹の探り合いを見ていて楽しんでいた。本当に滑稽こっけいだな、と思っていると、トントンと肩を叩かれた。


「楽しんでる?おかわり頼む?」

 茶髪にピアスと言う、見るからに軽薄そうな男が私に話し掛けてきて、心の中で鬱陶しいな、と思いながらも、社交辞令でお酒弱いので、と断った。男は直ぐにターゲットを変えて、別の女に近づいていった。


「お酒、弱いんですか?」

 隣の席に座って居た男が私に言った。初めの自己紹介で、彼女を追いかけて大学に入学してきました!と言っていた男だ。アルコールで顔を真っ赤にしている。


「本当はザルなんですよ。内緒ね」

「あの人、ちょっと面倒くさそうですもんね」

 慣れない酒を口にした所為だろう。フラフラとした手つきでチェイサーの水を飲んで、彼は言った。


「タバコって美味しいですか?」

「最高です」

 指に絡ませていた紙タバコを口にくわえて、私は彼に聞いた。


「吸ってみますか?」

「良いんですか?」

 机の上に置いたタバコの箱から1本取り出して、彼に渡した。


「ちょっとドキドキするなあ」

 少しの間、私が渡したタバコを見つめてから、意を決して彼はタバコを咥えた。


「火を付けたら吸ってください。じゃないとタバコに火が付かないので」

「そうなんだ」

 私はライターに火を付けて、彼が咥えている細いタバコに近づけた。ジュッ……と言う音が鳴って、タバコの先が赤く染まった。


「ゴホっ」

 いきなりせて、彼は笑った。


「めっちゃ不味い」

「初めはそんなもんですよ」

「お酒より不味い」

「そんなもんです」

「未成年には禁止されてる意味が分かりますね」

「今、何歳なんですか?」

「19です。一浪してて」

「悪い事、覚えちゃいましたね」

「女性に歳を聞くのはアレなんですけど…」

 今度は噎せずに煙を吸って、彼は言った。


「あなたも未成年ですよね?」

「19です。私も一浪してて」

 右手の人差し指にめた指輪を、親指でこすりながら私は言った。緊張している時の癖だ。タバコを吸う彼の綺麗な横顔を見ていて、段々と緊張してきた。私もそこら辺にいる女王蜂と変わらないな。


「JUSTIN DAVIS?」

「そうです」

 指輪のブランドを当てられて、私は微笑んだ。


「よくご存知で」

「僕も大好き」

 彼はパーカーを脱いで、胸に付けたネックレスを指で摘んで私に見せた。シルバーのクラウン。JUSTIN DAVIS。


「あ、この音楽、高校生の時すげえハマってたなあ」

「FIVE NEW OLD?」

「なんで知ってるの」

「私も大好き」

 居酒屋で流れてきた軽快なロックナンバーが、私と彼の隙間を埋め始めた。


「今日、新歓に来て良かった。周りの人と話が合わなくて浮いてたんですよ」

「僕も。高校生の時にテニス部だったから、少し体を動かしたいな、って思ってたんだけど」

 彼は周りに聞こえないように小さな声で私に告げた。


「入るの止めるよ」

「私も」

 お互いに微笑を浮かべて乾杯をした。


 数日後、大学構内にある喫煙ブースで一人でタバコを吸っていると、ドアを開けて彼が入ってきた。


「あ、こんにちは」

「こんにちは。見かけたから入ってきたよ」

 煙の量はそれ程多くなかったが、ヤニの匂いがキツい狭い喫煙ブースに、わざわざ入って来てくれたのを私は嬉しく感じてしまった。


「一本くれる?噎せるかも知れないけど」

「これが最後の一本なんだ」

「そうか。残念」

 私は半分も吸ってないタバコを唇から離して、彼に差し出した。軽い挑発。奪える物なら奪ってみやがれ。


「ありがとう」

 躊躇ちゅうちょなくタバコを受け取って、さっきまで私が咥えていたフィルターに唇を付けた。


「ちょっと美味しく感じる様になってきた」

「本当に?でも吸わない方が良いよ。彼女が嫌がると思う」

「隠れて吸う事にするよ」

 タバコを根本まで吸って、灰皿にタバコを押し付けながら彼は言った。


「昼飯食べた?良かったら一緒に食べない?」

「いいよ。次のコマ、休講になったんだ。丁度良かった。」

 間接キスなんて、今時の中学生ですら恥ずかしがらない行為に頭をクラクラさせながら、私は喫煙ブースを出た。


 出席番号が近かったので、彼と語学の授業や必修科目がかぶった。嬉しかった。私は口数の多い方ではなかったので、友人は少なかった。逆に彼はコミュニケーションが上手く、いつも何人もの友人に囲まれていた。けれど、時折わざと一人になって、私の元へ来て話し掛けてくれた。


「今日、飲みに行かない?」

「お酒、好きじゃないって言ってたじゃない」

「飲みたい気分なのっ」

 昼休み、キャンパスにある広場のベンチに座っていると、彼から誘われた。勿論、答えはYES。彼の授業が終わるのを待って、二人で近くの居酒屋に行った。


「聞いてくれよ。彼女とケンカしてさ」

 ただの愚痴かよ。私は少し落ち込んだが、顔には出さずに彼の話を聞いた。原因は彼が色々な友人と遊ぶ所為せいで、彼女の為の時間を取れていない事だった。


「けどさ、彼女が一番大事なんだよ。なんで分かってくれないのかな」

「惚気話ね。一番だって言うなら、友人からの誘い、断ったら?」

「え〜。でも彼女だけって人生もつまらないじゃないか」

 三杯目のビールを口にしながら、甘えた様に彼は言った。本当にずるい男。とてもチャーミングだ。


「酔ってるんじゃない?家まで送るよ」

「酔ってないよ!一人で帰れる!」

 顔を真っ赤にして、千鳥足で歩く彼の肩を支えながら帰り道を歩いた。


「酔ってるよ。家、何処だっけ?」

「そこを左に曲がった所にあるマンション……」

「ほら、行くよ」

 私は歩幅を早めて、彼を家まで送り届ける事にした。


「酔ってないよ」

「酔ってる人は毎回そう言うの!」

 マンションのオートロックを解除して、エレベーターに乗った。


「何階?」

「5階」

 口数が少なくなってきてる彼を見て、こりゃダメだな、と思った。多分、今日の記憶はない。


 あー、飲みに付き合うんじゃなかった。


 私は彼の部屋に入って、うずくまっている彼の為にコップに水を入れた。手渡そうと彼に近づいた時、急に抱き締められた。




「酔ってないって言ったよな?」





 その夜、彼とベットを共にした。突然の出来事に頭はパニック。寝ている彼を置いて、私は家を出た。


 その日の朝の授業に彼は来なかった。ほっとして、喫煙ブースでタバコを吸っていると、彼が入ってきた。


「昨日、なんで帰ったの?」

「どうしろって言うのよ。朝から一緒に夜明けのコーヒーでも飲めば良かった?」

 私は怒りを覚えて、彼に言った。


「彼女が一番なんでしょ?今回の事は犬に噛まれたと思って忘れるから……」

 次に続く言葉を遮って、彼は私の唇を塞いだ。


「じゃあ、お前は二番目。俺の二番目になってよ」

「ふざけてんの?」

 言いながら、顔が真っ赤に染まるのを感じた。ダメだ。私、この男が好きだ。


「今日も飲みに行こうよ」

「……分かった」

 こうして、彼との関係は始まった。


 彼は彼女にバレない様に、大学で私に話す事が少なくなった。寂しかったけど、その何倍もの時間を彼の部屋で過ごした。二人でタバコを吸って、酒を飲んで、動画配信サイトの映画を見た。夜にしか会えない事が不満だったけど、それでも構わない。


 タバコを吸わない彼女に気付かれたくて、ヤニの匂いを部屋中に撒き散らす為に、いつも多めにタバコを吸った。いつか彼の一番になれるように祈って、今日もベットの上で歌う。


 季節が変わる頃、彼女が私に話し掛けてきた。


「こんにちは!ねえ、アイツ何処行ったか分かる?教室に居なくて」

「どうして私に聞くんですか?」

「一番仲の良い女友達だってアイツから聞いてるの」

「何処だろう……多分、F棟の何処かの教室だと思います」

「ありがとう!」

 私は立ち去りそうになった彼女の手を掴んだ。


「なに?」

「あの、SNSやってます?」

「やってるよ。」

「アカウント教えてくれません?私、あまり友達が居なくて」

「勿論だよ。今度、アイツと三人で飲みに行こうよ」

「ありがとうございます」

 立ち去る彼女の背中を見送って、彼女のSNSのページを開いた。そこには私が知らない彼が居た。


 良いなあ。昼間ならこう言う所に遊びに行けるんだな。


 激しく落ち込んで、私は携帯の電源を落とした。


「なんで電話に出ないの?」

 授業を終えた彼が、私を見つけて駆け寄ってきた。


「電池切れ。今日、部屋に行って良い?」

「今日は彼女がウチに来るんだよ。ごめんね」

「分かった」

 私は泣きそうになりながら帰宅した。


 冷静になった。多分、私は一番にはなれない。


 もう終わりにしよう。どうせ終わりにするなら、ぐちゃぐちゃにしてやる。私は彼と撮った写真をSNSに上げた。気付いた彼女は、きっと彼と別れるだろう。もうどうでも良い。


 その夜、彼からの電話はなかった。


 次の日、いつもの喫煙ブースに居ると、ドアが開いた。彼は笑いながら私に話し掛けてきた。余裕ぶりやがって。


「あの写真、彼女から見せられたよ」

「ざまあみろ」

「俺達、終わるのか?」

「そうね。もうベットの上で歌うのには飽きた。喉が枯れそうよ」


 彼はようやく辛そうな表情を見せて、私に言った。


「楽しかったよ。好きだった。これは嘘じゃない」

「私の方が好きだったよ」

 終わりの合図。


「さよなら」

「またね」

 彼は私に手を振って、喫煙ブースを出た。


 さよなら愛しい人。


 愛してるって言ってくれない悪戯な君の笑顔を愛してたよ。


 私は又、タバコに火を付けた。











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