【風俗嬢の神様】


 なんか暖かいな…


 寝起きに人の温もりを感じて、私はゆっくりとまぶたを開けた。そして、白い肌をあらわにした女性が、仰向けになった私の体に密着しているのを見て、飛び起きた。


「ちょっと!風俗嬢さん!やめてっ!」

 風俗嬢は、私のパンツを脱がせようとしている所だった。危ない。もう少しで食われる所だ。


「え〜。寝起きに一発やっておこうよ」

「やめて!そういう事はしなくていいの!」

 風俗嬢は、口をとがらせて続ける。


「だってさー、仮にも命の恩人に何か返したいじゃん?でも、あたし金持ってないし、取り敢えず、体で返しとこうかなって」


 色街から逃げてきた風俗嬢を救ったのは、二週間前。私はこの村で土地神をしている。ちなみに生まれてこの方、女性経験はない。童貞だ。三十年間童貞なら魔法使いになれると言うが、私は三百年間童貞なので、魔王にでもなれるのだろうか。まあ、そもそも土地神だけどね。


「風呂に入ってくる」

 部屋のふすまをゆっくりと開けて、しがみついてきた風俗嬢を払い除け、私は風呂場に向かった。私の住んでいる屋敷は、やしろと併設していて、自分で言うのもなんだが、結構立派だ。庭園も美しく、居間も応接室もある。けれど、私はこの風呂が一番のお気に入りだ。何せ天然の露天風呂。ひのき作り。


「んん〜。気持ち良いな」

 地下から湧き出る天然温泉の湯の効能は、筋肉痛、腰痛、肩こり。二百歳を超えた辺りから体の節々が痛くなってきて、私は衰えを感じてきていた。


 私は元々、山の中に住む熊だった。


 毎年、冬になる前は、冬眠の為に多くの食料が必要だった。ある冬の日、私は森の中で、行き倒れている人間を見つけた。食ってしまおうかと考えたが、痩せ細った人間の肉は全く食欲をそそらず、私はたわむれに、その人間を住処へと運んだ。丁度、冬眠する前の夜で、食料を大量に住処に蓄えていたし、腹が一杯だったのだ。食わなくても良いなら食わない。それが私の主義だった。


 人間は目を覚ますと、私を見て恐慄おそれおののいた。お構い無しに、私は口に果物をくわえて、人間に与えた。すると、人間は感謝の言葉を述べて、果物を口にした。


 数日後、回復した人間は村へと帰った。人間は村の長だった様だ。村では私に対する信仰が始まり、毎日の様に供物くもつが私の住処の前に置かれた。村の祈祷師きとうし達は、供物にまじないをかけて、私を神格化し始めた。私は段々と熊ではなくなり、人の姿に変貌を遂げた。そんな私を見て、村人達は私を土地神として崇め、私の為に社を建ててくれた。


 そんな経緯から、私は行き倒れている人間を見ると、必ず手を差し伸べてしまう様になってしまった。今回、風俗嬢を助けたのもその所為せいだ。


「そろそろ体洗うか」

 湯船から出て、頭に乗せていたタオルを手にして、洗い場に向かっていると、突然、風呂場のドアが開いた。


「お背中、流しましょうか?」

 髪を上げた風俗嬢が、真っ裸で入ってくる。


「ちょ、ちょっと!大丈夫ですから!」

 慌てて目に両手をやって、私は風俗嬢の裸を見ない様に背を向けた。風俗嬢はスタスタと近づいてきて、その豊かな胸を私の背中に当てた。


「まあまあ、そう言わずに一緒に入ろうよ」

「はわわわわ」

 私は動揺して言葉を失った。風俗嬢はそんな私の手を引いて、洗い場に誘導する。


「神様って背中大きいね」

「まあ、元々は熊だったもので……」

 観念した私は、風俗嬢の体を見ない様に目を閉じて、なすがままにされていた。


「熊か!だから毛深いの?お髭剃ろうよ。折角可愛い顔してるんだし」

「土地神としての威厳を保つ為です!」

 慣れた手つきで背中をゴシゴシと洗われて、あまりの気持ち良さに、違う意味で昇天しそうになる。力加減が絶妙だ。


「あぁ〜。気持ち良いなあ」

「もっと気持ち良い事する?」

「結構ですっ!」

 風俗嬢からの甘い誘いを全力で断って、私は桶に溜めた水を頭から被って、泡を落とした。体が冷えたので、もう一度湯船に浸かる事にした。


 風俗嬢は、鼻歌を歌いながら、自分の体を洗い始めた。


 う〜ん。このまま居座られると困るなあ。


 私は温泉の湯を両手ですくって、顔を洗った。ようやく目が覚めてきたぞ。頭をフル回転させて、どうやって風俗嬢を追い出すか考え始めた。


「隣、失礼しまーす」

 体を洗い終えた風俗嬢は、湯船に浸かって私の隣に来た。温泉の湯は白濁しているので、風俗嬢の肢体したいは見えない。しかし、風俗嬢が湯船に浸かる前にチラリと見えた体が、私の心をチクリと刺した。私は優しく包み込む様に言った。


「腹の傷痕、少し残ってしまいましたね」

「これくらい平気よ。命には変えられないわ」

 左の脇腹に、刀で斬られた痕があった。行き倒れていた時は出血が酷く、このまま助からないかと思われた。私の力でなんとか命には別状なかったが、傷痕はしっかりと残った。


「何故斬られたのか、聞かないの?」

「話してくれるまで、待ちますよ」

「じゃあ話そうかな」

 風俗嬢は上半身を湯船から出して、近くの岩に腰掛けた。湯で温められた体は、紅潮していた。


 風俗嬢は、色街でも有名な花魁おいらんだった。何人もの富豪をたぶらかし、破滅させる程だった。恨みを買う事も多かったが、それでも、その美貌のお陰で人気にかげりは差さなかった。稼いだ金は、自分が育った貧民街の住人の為に送金していた。


 貧しかった幼少時代、風俗嬢の為に毎日食事を与えてくれた少し年上の少年が居た。彼は隣町へ煙突掃除の仕事に行き、日銭を稼いでは、近くに住んでいる年下の少年少女達に食事を与えた。


 風俗嬢は、彼に惚れていた。色街へ売られて行く夜、その想いを告白し、少年に抱かれた。この思い出を一生抱えて生きていこうと誓った。


 ある日、身請けの話が風俗嬢の元へやって来た。国の重鎮。これで将来は安泰だ。莫大な金が手に入る。ようやく貧民街の皆は救われるだろう。風俗嬢は安堵の気持ちに包まれて、身請けを待った。


 ある日、新規の客がやって来た。


 久しぶりだね、と言った客は風俗嬢が初めて抱かれた少年だった。少年は侍になっていた。侍は風俗嬢に一緒にならないか?と聞いた。風俗嬢は迷った。自分の想いを優先するべきなのか、街の皆を救うべきなのか。


 風俗嬢は強欲だった。全てを手に入れる事にした。身請けの前日、金を手にした風俗嬢は全額を街に送金し、侍と逃げた。


 幸せな日々が数年間続いた。


 けれど、やはり長くは続かなかった。追っ手が風俗嬢が住んでいる村にやって来た。風俗嬢は侍と共に真夜中の森へ逃げたが、追っ手に侍はあっさりと殺された。風俗嬢も腹を斬られた。恐らく死ぬのだろう。このまま捕まるくらいなら、と崖の上から飛んだ。どうせ死ぬのなら、侍と共に死にたい。そして、体が冷たくなっていくのを感じながら、風俗嬢の意識はそこで途絶えた。


「神様のお陰よ」

 風俗嬢は、自分の腹をさすりながら微笑んだ。


「子供も無事だったし」

「それは救いですね」

「神様には本当に感謝してるの。私と、この子を救ってくれてありがとうございます」

 風俗嬢は、真面目な顔で頭を下げた。


「貴方が良ければ、この村に住みますか?ここなら安全です。私の力が及んでいるので、外部の人間は、許可なく入る事は出来ません。」

 私は、風俗嬢に提案を投げかけた。ここで見捨てては土地神の名がすたる。


「いいの?でも、あたし、迷惑じゃない?」

「私は必死に生きる人間が好きなんです。この村は、子供を育てるには最高の環境ですよ」

「じゃあ、甘えちゃおうかな」

 風俗嬢は、感謝を述べながら私に近づいてきた。あれ?なんか変な笑顔してるぞ?


「じゃあ取り敢えず、一発やっとこ!お礼お礼!このまま、この屋敷に住む予定だし!」

「きゃーーー!!」

 突然、男性器を掴まれた私は、村に響き渡る悲鳴を上げた。


 この村に土地神の跡取りが産まれるのは、もう少し後の話。めでたしめでたし。




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