第六章 ⑥


 誰もが見た。オルムの身体が、汚泥の塊が不自然に停止した。まるで、周囲の空間がそのまま固定されたかのように。

「カレンさん。少し、離れてください」

 リジェッタが誰よりも前に立った。

 オルムを見上げ、目を細める。

「やはり、こうなりましたか」

 黒い汚泥の表面が乾いていた。本物の泥のように。あちこちに亀裂が走り、独特の艶が失われていた。

 亀裂からまた新鮮な汚泥が滲むも、また乾いていく。その光景は大気にさらされて冷えていく溶岩に似ていた。

「これはいったい、どういうことじゃ?」

「限界が訪れたのですわ。そうですね、お腹が減りすぎて動けなくなったと例えるべきでしょうか。このまま放置していれば、いずれは消滅するはずです」

 しかし、そのときだった。汚泥の中心部分に放射状の大きな亀裂が走った。山崩れのように汚泥の塊が剥がれ落ち、中からオルムが顔を見せた。

「マダ、終ワリ、デハ、アリマセン、ヨ?」

 一応は、人のカタチをしていた。ただし、服はなにも纏っていない。それでも、ここに残っている男性達は誰一人として劣情を覚えなかっただろう。

オルムの身体中から汚泥が滲み出していた。爪の隙間、口、耳、鼻、大量の涙を流しているかのように双眸が黒で埋まっていた。肉体がすでに制御を失っていた。最初から、汚泥を制御するなど不可能だったのだ。

「ふん。哀れじゃのう」

 嘲弄の笑みを浮かべたカレンがマシンガンの銃口をオルムへと向けるも、それをリジェッタが手で制した。

「ここは、私が」

「これ、無理をするでない。ヌシも限界じゃろう」

「それでも、これは私が始めたパーティーですから」

 カレンは一度だけオルムとリジェッタを交互に見た。

「……なら、なにも言わんさ。ただし、きっちり決めろ」

「ふふふ。ありがとうございます」

 カレンの指示を受け、警官達がオルムと距離を取る。相対的に、リジェッタは彼女と二人きりになった。

 リジェッタは散歩する気軽さでオルムに近付く。

「オルムさん、お久しぶりです」

「《偽竜》。オ前サエ。オ前サエ、イナケレバ」

 突如、亀裂が大きくなった。内側から汚泥の腕が伸びる。爪を槍のごとく伸長させて数十、リジェッタへと迫った。

 眼前に死が迫っても、リジェッタは臆さなかった。両腕はだらりと下がり、身体からは余計な力が一切抜け落ちる。


 ――轟雷が、黒き汚泥を吹き飛ばした。


 六発の弾丸が汚泥の腕を砕き、貫き、そのまま飛翔する。最初から、そうなると決まっていたかのようにオルムの左胸を貫いた。壊れかけたオルムの肉体が痙攣し、硬直する。

 汚泥の山が音を立てて崩れていく。乾きながら連鎖的に崩壊し、辺りに黒い岩石が転がった。

 その岩石さえ、白い蒸気を上げながら体積を減少させていく。

「魔造手術だけに頼るからこうなるのですわ。人は魔物と違います。道具を使ってこそ、人なのですよ」

 その言葉が届いているかどうか。

 リジェッタの足元に、大きな塊が転がった。

 それは、オルムの生首だった。苦悶の表情を浮かべたまま固まり、濁った双眸がこちらを睨み付けていた。

 まるで、お前もこちら側だと呪っているかのように。

 リジェッタはレインシックスをホルスターに戻し、礼儀正しく頭を下げた。

「パーティーは楽しんでいただけましたか?」

 当然、返事はなかった。


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