第六章 ⑤


 カレン達が一度場を離れ、再びリジェッタはオルムと二人きりになった。

 リジェッタは深く頭を下げた。竜の手ではスカートを掴めないから、掴んだフリだけで済ます。

「それでは、始めましょうか」

 リジェッタが地面を蹴った。汚泥の山が蠢きながら近付き、腕を伸ばす。

 全てを相手する余裕はない。回避を続けつつ、自分に当たりそうなものだけを叩き落す。たったそれだけの行動で、身体が悲鳴を上げていた。

 鱗に半分覆われた顔に、びっしりと汗が浮かぶ。

 いくら肝臓を魔造手術したとしても、やはり限界がある。これだけの肉体強化を恒常的に続けるのは難しい。かといって、解除も出来ない。どこから必殺の攻撃が飛んで来るのか予測がつかないからだ。

「まったく、楽しい時間ですこと」

 浴びるほど紅茶が飲みたい気分だった。

 それか酒、肉、ともかく胃に詰め込みたい。

 汚泥の山が動く。

 また腕が伸びた。しかし、手はなかった。手首から先が硬質化し、槍のごとくねじれた。槍の豪雨となって真上からリジェッタを襲う。

 やはり、完全に知性を失ったわけではない。こちらを確実に殺すために工夫を施す。厄介な敵だとリジェッタは奥歯を噛んだ。腕が鞭のようにしなり的を絞らせてくれない。これでは、とてもではないが避けきれなかった。

 両腕で頭を護り、身を屈める。刹那、質量の暴力がリジェッタを叩いた。地面が陥没し、足首まで埋まる。いったい、いつまで続くのか。永遠にも想える苦痛が鈍い殴打となって身体を蝕んだ。鱗が剥がれ、そのたびに新しく生える。治癒と体力で強引にオルムの攻撃を耐える。

「厄介ですわね。ああ、しかし、気持ちは分かりますよ。どうしても、叶えたい願いがあったのですね」

 イーストエリアの平和は非常に危うい均衡の上で成り立っている。破壊王代理惑わぬ者を完全消滅させなければ、いつこうして汚泥が持ち込まれるか分かったものではない。マモン商会が過剰な利益追求をやめなければ、いつかまた同じ失敗を繰り返す。アズラエル聖領を滅ぼさなければ、未だ圧政に苦しむ民を救えない。

 いつか、東とぶつかる日が訪れる。

 そう、いつか。いつか、いつか、いつか。これはあくまで仮定の話だ。しかし、必ず起こる。

 だからこそ、イーストエリアは強い力を持たなければいけない。それこそ、古来より最強の象徴である竜がごとく。

「私、それなりにこの街が気に入っているのです。食べ物は美味しいですし、知り合いも愉快な方が多いのです」

 ですから、と。

「私がなんとかします」

 両足に力を込め、汚泥の山を押し返す。オルムだった塊が、全身を震わした。まるで、こちらの力に驚いているかのように。

「ここからですよ、オルムさん」

 視界が低くなった。

 リジェッタの片足が、膝をついた。

「あら?」

 口の端から血が滲んだ。肋骨が折れていた。なのに、治癒が遅い。内臓が赤熱した石炭にでも変わってしまったかのように、身体の内側が灼熱の苦しみで満たされていた。

 コッセルの言葉を想い出す。どうやら、魔造手術のせいで不調が発生したらしい。元々、肝臓とは数多の機能を持つ臓器だ。そう簡単に馴染むものではない。

 腕から鱗が剥がれ落ち、段々と縮んでいく。エネルギーの貯蔵はまだ十分なはずなのに。器官と器官を繋ぐ神経に異常がきたしたのか。

「……不味い、ですかね」

 顎に伝った汗が落ちる。

 オルムは、こちらを嘲弄するかのように体積を増大させた。肉の山が天高く伸び、広がり、リジェッタを飲み込もうとする。


 ――紅蓮の鉄槌がオルムを打った。


「《偽竜》! 退け!!」

 カレンの叫びに、リジェッタは片足で強引に後方へと飛んだ。一秒と待たず、再び紅蓮の猛火がオルムを包む。

「間に合いましたか、カレンさん」

 真横からオルムを襲ったのは警察、カレン達だった。榴弾砲、迫撃砲、対戦車砲、マシンガン、手榴弾、ダイナマイト、ともかく武器をありったけ用意して。

 ワイバーン騎士団の要塞から〝拝借〟した火力だ。

 マシンガンの引き金に指をかけたカレンが、部下達へと叫ぶ。

「総員、ともかくぶちこむんじゃ! あれを街に出してはならん。ここで討つんじゃ!!」

 砲弾が、爆薬が、銃弾が、暴力の塊が纏めて放たれた。黒と赤の爆風が汚泥の山を包み込む。

「やはり、要塞とは戦うための物。探して正解でしたわね」

「まあ、探したのはワシとワシの部下じゃがのう」

 マシンガンが火を噴き、弾丸の華を咲き乱す。どれもこれも、対魔造手術を想定した高火力を誇る。

「おい《偽竜》。ヌシも手伝え」

「はいはい、分かりましたわ」

 リジェッタはバナナの皮を剥く感覚で手榴弾の安全ピンを外し、投擲する。箱一杯の爆薬を投げつけた。

「しかし、これで倒しきれるかのう?」

「いえ、これだけでは足りないでしょう。目的はあくまで、向こうの体力を削ることです」

 はた目からすれば、オルムの体積は減っていなかった。しかし、それがすでにおかしいのだ。凄まじい速度の再生とはつまり、凄まじい速度でエネルギーを消費しているということなのだから。

 変化は間もなく訪れた。

 カレンが再び叫ぶ。

「総員、いったんやめ!」

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