第二章 ④


 年季が入ったカップを傾け、リジェッタは満足そうに息を吐いた。柔らかい口当たりで、鼻孔を豊かな香りがくすぐる。

「よき紅茶です」

 窓際の席、テーブルを挟んでカレンとリジェッタが座る。部下達は駐車場で絶賛待機中だ。

「ここの喫茶店は部下から教えられたんだがの、若い店主だがなかなかいい腕をしている。クッキーも美味い。自分で淹れた紅茶と合うように工夫したんじゃろうて」

 そう言って、カレンがリジェッタの作ったサンドウィッチを一口齧った。

「……前々から想っておったんじゃがお主、菓子や軽食を作るのが得意じゃの。その風貌なら、ここみたいに喫茶店の一つでも開けばそこそこ儲かるだろうに」

「そこそこでは足りませんわ。私が目指すのは竜ですので」

「そこまでして強さを目指すか。個人の強さなど、組織の前では無力にひとしいと知らぬわけではないだろう」

 嘲るでも、責めるでもなく、嘆きに近い。

 カレンの歳を考慮すれば、警部の階級は異例だ。

 綺麗事では済まない世界を、カレンは知っている。

「ならばこそ、私は竜になりましょう」

「主が言う竜とはなんだ?」

「もっとも強いということですわ」

 カップを皿の上に置き、リジェッタはテーブルの上で両手を組んだ。

「疑いようがなく、間違いようがなく、迷いようがない。他と比べることすらおこがましいとさえ信じられるほどの強さを。あなたは、嵐や地震、津波や山火事に喧嘩を売りますか? 対象ですらない。文字通り、規格外の強さを私は求めるのです」

「主、この街に訪れる前は傭兵だったらしいの。生死溢れる戦場での出来事が要因だとか、そういう安い理由かえ?」

「さあ、どうでしょうか。根本的な部分は私にも分かりませんわ」

 再び紅茶を一口飲む。

 カレンが面倒臭そうにサンドウィッチを口へと放り込んだ。

「ともかく、此度の事件には首を突っ込むのだろう? 主が協力してくれるのなら、こちらとしても動きやすいんじゃがの」

 それは『協力してくれると助かる!』というよりも『面倒事はお前の役目だからな』と押し付ける類の口調だった。

「ワイバーン騎士団の方とは会いましたか?」

「劇場の支配人とは顔を合わせたぞい」

 マフィアと警察が表向き接触するわけにはいかない。

 偽の立場を用意するのは、裏の世界では珍しいことではない。

「その方は、オルムと名乗りましたか?」

「ああ。お高くとまったいけ好かぬ奴じゃ」

「良い子ですよ。ちゃんと挨拶が出来る子です」

「低い基準じゃのう」

「あら、挨拶は大事ですよ」

「いや、うん。そうじゃけど」

 新しいサンドウィッチに手を伸ばし、カレンがうめいた。

「それで、じゃ。向こうさんが言うには、昨日のオークションが終了して二十から三十分が経過したころらしい。商品を保管する部屋を強盗が襲撃した。その際に交戦になり、部下が数名殺されたと。で、商品の半分近くが奪われたと」

「あら、客に引き渡したわけではないのですね」

「パン屋で売っているバターロールとはわけが違う。競り落としてすぐというわけにはいかんじゃろう。正式な書類を交わし、双方で納得したのちに売買する予定じゃったんだろうて」

「となれば、競り落とした側つまりお客様達は大変怒ったのではありませんか?」

 商品が奪われたとなれば、マフィア側の責任だ。

 この世界、信用がなくなれば商売なと成り立たない。

「それなんじゃが、あのオルムという女は被害を受けた客に全額返金したうえで、別に商品を用意したらしい」

 これには、リジェッタも目を丸くした。

「まあ。それでは、タダで商品を渡したようなものではないですが」

「それどころか、赤字じゃな。じゃというのに、オルムは言った。『この商売は信用が大事です。損して得を取れと言うでしょう?』とな。実際、客からの信用は得たようじゃの。わしとしては、キナ臭いがの」

「警察はワイバーン騎士団から賄賂をいただいたのですか?」

「そういう真っ直ぐな言葉は、もっと別の状況で言うべきではないか?」

 苦笑し、カレンがサンドウィッチを一口で口内へと押し込んだ。

 ゆっくりと咀嚼し、喉を大きく動かして飲み込む。

「主にとっては今更じゃろうが、わしら警察は民間人に危害が加わらん限り、お前達みたいな人間がなにをしようと目をつぶってやる。金銭のやり取りだってある。しかし、直接手を貸すわけではない」

 矛盾している言葉になるが、混沌を支えるためには芯が通った〝筋〟が必要だ。

「オークションに関しても、それが盗品や生きている人間、帝国が定めた危険指定の魔物でなければ口は挟まんよ」

 リジェッタは空になったカップを握ったまま、右手側にある窓の外へと視線を向けた。いつもよりも、空が近かった。

「良い眺めですわね」

喫茶店があるのは地上十五階建ての複合ビルの内部、七階目の飲食エリアだ。

 地上から約三十メートル分、世界が高く見えた。

「わしは、この街が気に入っている。イーストエリアは、他の三つと比べ、もっとも秩序がカタチとして残っているからじゃ」

 同じく窓の外を見詰めるカレンの双眸は、至極真剣だった。焦燥とも義憤ともつかぬ、それは痛みに堪えるかのような表情だった。

「ノースエリアはマモン商会が牛耳り、全てが金によって管理される。ウェストエリアは破壊王代理惑わぬ者と化け物達が永遠と殺戮を繰り返す地獄じゃ。サウスエリアはアズラエル聖領の連中が民衆を〝飼育〟している糞の糞溜めじゃ」

「南と東が同一だった時代を、あなたは知っているのですか?」

「地獄が狂気と圧政で満たされた地上の暗黒じゃ。イーストエリアの覇者、フェンリル騎士団が騎士団長・ジャックス・ウィンディールドが反旗をひるがえさなければ、わしは生まれていなかったじゃろう」

 マフィアとして悪名を轟かせているジェックス騎士団長も、見る者によっては英雄だ。

「あの方も変わり者ですね。治安維持組織でも創れば、正義の味方でしたのに」

「下手に正義を振りかざしても、動きづらいだけじゃよ」

「《黒狗》の名を得た、今のあなたのように?」

 リジェッタの指摘に、カレンがわざとらしく肩をすくめた。

「主、いつか痛い目を見るぞ」

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