第一章 ⑧


 辺りがすっかり静かになり、リジェッタはレインシックスを下ろした。

「もう、大丈夫ですよ」

 頭を抱えて床に伏せていた赤マントが、よろよろと起き上がった。慌ててナイフを構えるも、降参したのか腕を下ろしてしまう。

「ど、どうして助けた?」

「はて。別に助けたわけではございませんわ」

「……礼は言わないぞ」

「ええ。構いません。それよりお話を」

 また、廊下から足音が聞こえた。

 赤マントが窓際へと駆け出し、鍵を開けた。窓を開け、足をかける。

「私は去る。もう二度と会わぬことを望む」

「まあ、そうですか。それは残念です。でしたら、せめてお名前くらい教えてくださいませんか?」

 リジェッタの提案に、赤マントがなにか言いたげに口元を動かした。

 そして、

「赤マントと告げておこう」

「まあ、なにもひねりのない」

「う、うるさい!!」

 赤マントのフード部分が、内側から押されたかのように蠢いた。

「この借りはいつか返そう」

「あら、もう二度と会わないのでは?」

「ええ、もう! お前なんて大嫌いだ!」

 赤マントが窓枠を蹴り、躊躇なく外へと身を投じた。

 人間一人が叩き付けられた音は、しない。

リジェッタが窓枠へと近付いて首を伸ばすと、細い裏路地にはもう人の姿は残っていなかった。

「なんと素早い方でしょうか。女性のようでしたが、一体全体なにを探していたのでしょう」

 そこまで言って、リジェッタの足がふらりとよろめいた。顔からは血の気が引き、額には汗が滲んでいる。息も、荒くなっていた。

 壁に背中を預け、ゆっくりと呼吸を整える。だが、肺に穴でも開いたかのように呼吸は一向に楽にはなってくれなかった。

「常人の血液量は体重の約八パーセント。全血液量の半分を失えば、死に至る。流石に、血を流し過ぎたでしょうか」

 とうとう四肢が痙攣を起こし始める。それでもリジェッタは倒れなかった。レインシックスを背中のホルスターへと戻し、両の拳を握る。

 すでに血は止まっていた。

 ならば、血を増やすだけだ。

 大きく息を吸い、意識を身体の内側へと向ける。

 全身にある骨、成人の倍以上ある五百十二個のパーツへと全神経を集中させていく。

 これも、魔造手術で得た能力だ。

 ただの短機関銃、拳銃弾程度で仕留められるのなら、リジェッタはとうの昔に死んでいた。

 通り名は《偽竜》。

 たとえ偽りだろうとも、リジェッタは〝竜〟なのだ。

それだけは嘘ではない。

 変化はすぐに訪れた。

あれだけ蒼褪めていた肌に、みるみるうちに赤みが差していく。四肢の痙攣は収まり、脂汗が引いていく。

急速に血が生成されていくのだ。

 骨の内部を満たす骨髄は、脂肪質である黄色と造血組織の赤色に分けられる。血を造るのは当然、後者だ。新生児は全身の骨で造血細胞を増やすが、歳を取るに連れて胸骨、椎骨、肋骨などに範囲が限られていく。割合ならば、半分近くまで低下する。つまり、それだけ血を造る速度が落ちるということだ。

リジェッタの場合、この造血組織が全ての骨に存在する。また、髄外造血――肝臓や膵臓が造血機能を働かせる現象を意図的に発動させられるのだ。

 強化された筋肉と皮膚が傷口を塞ぐ。穴を塞いだ樽に赤ワインを注ぐように、元の状態へと戻っていく。

 すっかりと血を取り戻したリジェッタは、周囲に転がっている死体を一瞥してお腹をさすった。

「お腹が減りましたわね」

 調べたいことは沢山ある。

 だが、今は食欲優先だった。

 今さっき死にかけたとは到底想えぬ軽い足並みで、リジェッタは優雅に虐殺現場を立ち去った。


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