第一章 ①


 たっぷりとバターを練り込んだ白パンに豚の腸詰を挟んだ物、牛の肩肉を香草と一緒に炙って塩を振った物、ウツボの丸ごと焼き、秋野菜とベーコンのスープ、サラダとデザートに果物の盛り合わせ。

 クレッゼルの酒場、一番奥の丸テーブルをリジェッタが占領していた。背筋を伸ばして椅子に座り、両手を組んで神に祈りを捧げる。

 世界が夜色に変わりガス式の街灯が通りを照らすころ、リジェッタの夕食が始まった。

 六本の腕を生やした演奏家が一人でギターを弾き、バグパイプを鳴らし、ドラムを叩く。

 娼婦兼歌手の女性が兎の耳を頭の上でピクピクと揺らしながら甘く切ない歌を紡いだ。

 それに混じって、リジェッタの祈りが続く。

 澄んだ声は、周囲にも届いていた。

 大衆酒場で律義に神へ感謝する阿呆は今時リジェッタしかいない。それでも、周りで飲んでいる粗暴な連中は誰一人馬鹿にしなかった。

 両肩から熊にひとしい毛皮と筋肉で包まれた腕を生やした大工も、身体中が蛇に似た鱗で覆われた傭兵もなにも言わない。床に座ってもまだ山のごとく大きな半巨人も、リジェッタを一瞥しただけで子豚の丸焼きに齧りついた。

 女相手に優しい、のではない。

 リジェッタの背中に吊るされたレインシックスが言外に語っていたからだ。私の食事を邪魔すれば容赦はしません、と。

 この街で長生きしたければ、リジェッタにだけは喧嘩を売ってはいけない。

 祈りが終わり、さっそく食事に取りかかる。

 フォークとナイフが構えられ、閃光が駆け抜けた。

 牛の肩肉ステーキが消えた。成人男性の拳二個分はある塊が、どこにも見当たらない。白い皿には肉汁と焦げがわずかに残るのみだ。

「大変に美味です」

 リジェッタの唇に牛の脂で艶が生まれていた。

 魔法ではない。

 速射砲のごとく伸びたフォークが肉に突き刺さり、そのまま口内へと押し込まれたのだ。あまりの速さに、常人には過程が視認出来ない。嬉しそうに頬を綻ばせるリジェッタの横顔だけが、事実を物語っていた。

 突如、うつぼの丸焼きを中心として極小の嵐が巻いた。頭から尻尾へと進みながら身が消失していく。骨は綺麗に残されていた。ナイフが烈風となった結果だと誰が理解出来るか。身だけが融けてしまったと表現した方がまだ現実味があった。

 周囲の人間は誰も驚かない。当然だ。グローウエン帝国領、医療協和都市リベレイズ。イーストエリアでリジェッタを知らぬ者などいない。

 食器の上から料理は一欠けらもこぼれず、口元もほとんど汚れない。その光景は貴族の食事風景と遜色なかった。ただ、過程だけが豪快であり苛烈だった。

「相変わらずよく食べるな《偽竜》。そんなんで金は溜まるのかよ。一日の食事が貴族の馬車よりも高いって本当か?」

 ハスキーがかった皮肉と共に椅子を引きずってきたのは、小洒落た灰色のコートを纏った妙齢の女性だった。テーブルを挟んで対面するようにリジェッタの正面に座る。

 身長はリジェッタよりも指二本分高い。肌は小麦色で、海の深さを知る青色の瞳は切れ長だった。腰まで伸びる黒髪を頭の後ろで一本に束ねている。

全体的に細身でなかなか整った顔立ちだが、薄っぺらい笑みが鼻につく。物陰から一瞬で獲物を飲み込む蛇を想わせた。

あるいは、その蛇さえ翻弄する狡猾な鼠か。

 リジェッタは一瞥し、音もなくスープを飲み干す。皿は微塵も動かなかった。

「それなら馬を捌いた方が安上がりですわね。馬肉はあまり火を通さずにんにくや生姜と合わせて食すのが美味です」

 ところで、とリジェッタが言葉を続ける。

「頭に葉巻を入れておく穴が欲しいと想ったことはありませんか? 今なら、お財布に入っている有り金全てでお受けしますが、いかがですか? 《泥鼠》」

「そうやって稼いでんのかよ。追剥と変わらねえな」

「いえいえ。私は知り合いには優しいのです。開いた穴に融けた蝋を流し入れて脳味噌がこぼれないようにして差し上げます」

「そいつはお優しいことで」

 女が意地汚く林檎に手を伸ばす。果梗、果実の頭からちょっとだけ伸びる枝を摘まんだそのときだった。

「それは私の林檎です」

 果梗から下が消失した。

 テーブルには落ちていない。

かわり、リジェッタの口元が動いていた。

「相変わらずの早技だな」

 女が、鼻を鳴らしながら笑う。

「ちょいと、良い話があるんだが聞かねえか?」

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