偽竜のリジェッタ

砂夜

序章


 轟音一つ。大気の層が硝子のごとく砕け散った。杖と見紛うほど馬鹿長い銃身から放たれた弾丸が、一直線に飛翔する。

 強靭な毛皮と巌のごとく分厚い筋肉に覆われた狼男ワーウルフの頭部が上半分、跡形もなく吹き飛んだ。頭蓋と牙の破片が周囲に四散し、ペースト状になった脳が廃屋の壁にベットリと張り付く。

 肉厚の銃口から朦々と硝煙が立ち込めた。

壮絶な破壊力に反し、銃把を握る指は細く柔らかかった。

「郊外まで訪れたのというのに、貧相な輩ばかりですわね」

 これでは前菜オートブルにもならない。

「それでも仕事は仕事。仕方ありませんわね」

 憂鬱な溜め息が硝煙と一緒に大気へ溶ける。

 涼音の声が不浄な場を凛と清める。

「ですから、可及的速やかに済ませましょう」

 具現化した悪夢として化け物達の前に君臨した少女の名は、リジェッタ・イースト・バトラアライズ。この街では本名よりも《偽竜》と呼ばれることの方が多い掃除屋だ。

 歳だけなら十六歳のうら若き乙女の範囲。身長は百六十センチ前半、体重は地球に隕石がばら撒かれても永遠の秘密。

 肌はラズベリー系の蜂蜜を煮詰めたような褐色で、瑞々しい張りがある。

 艶やかな紅の唇に浮かぶのは、己が勝利を疑わない不敵な笑み。

双眸は刃のごとく鋭く、緋色に限りなく近い濃い橙色は夕日よりもなお深い。

 たぎった戦意は、轟々に燃えていた。

 ほどけば膝まで伸びている髪を頭の左右で分けている。それも、一部の髪を三つ編みして、リボン代わりに巻いていた。ボリュームたっぷりで、なんと我儘か。

そのうえで、頭上からグラデーションをかけるように赤から白へと変化していく。

遠目から見れば、氷菓子に似ている。極上のいちごジャムと猛毒を等分に混ぜたシロップで飾られた。

 胸元は小振りのメロンと同等の実りを誇り、しなやかな背中から腰にかけての曲線美が目を見張る。尻はキュッと上を向き、肉付きの良い太腿の艶やかさよ。これだけの色気を持ちながらも、凛々しさは一切損なわれない。リジェッタとは、人のカタチをした竜そのものだった。

 西部劇のカウボーイ、シンデレラのドレス、そこにたっぷりの艶美と狂気を混ぜてポケットとポーチをダース単位で追加する。この世で唯一、リジェッタのために作られた服を纏う。足元の革靴は鋼板入りで、戦車用の対物地雷だろうとも貫けない。まさに、動く要塞か。

 今は廃棄された奴隷用の旧住宅区の掃除を頼まれ、飲み代稼ぎに訪れ一時間弱。いつの間にか住み着いた魔物の群れがリジェッタを襲った。

 細い十字路を埋め尽くすように狼男達が牙を剥く。

 農夫が使う鎌よりも鋭い爪は、人間の皮膚など薄紙一枚の抵抗もなく切り裂く。その牙は骨を噛み砕き、肉を喰い千切り、内臓を貪り、細長い舌で容赦なく血液をすする。 

 だからこそ化け物。だからこそ魔物なのだ。

 ただし、狼男達は選択を間違えた。

今日の相手は素人連中ではなく、リジェッタだった。その右手に握っている銃器が魔物達の平穏をぶち壊す。

拳銃とカテゴライズするにはあまりにも長大で無骨すぎる回転式拳銃リボルバー、レインシックス。

 血の雨を降らせと名に刻まれた銃器の口径は、十四ミリ。対魔物用の特注品だ。

 背後から一匹、狼男がリジェッタへと飛びかかる。

 剛腕を振りかざすも、こちらが振り返る方が速い。

 爪が届くよりも先に、人差し指が引き金を絞った。

 銃声は落雷にひとしかった。銅合金で被甲された弾丸が音を追い越して射出される。弾丸は吸い込まれるように狼男の左胸へと突き刺さった。瞬間、巨体が後方へと吹っ飛ぶ。あまりの衝撃に背中が爆発し、肉と骨が上空に高く舞い上がった。毛皮部分が、カーペットのようにめくれ上がる。

「学習するべきです〝子犬さん〟。この十四ミリ弾薬はホローポイント弾ですが、あなた方の肉体など砂糖菓子のようなもの。防げる道理などありません」

 リジェッタの穏やかな声に、狼男達が一斉に飛びかかった。

 レインシックスを片手に、リジェッタが舞う。その場から一歩も動かず、右足を軸にして回った。

 地面を這おうとも、頭上に飛ぼうとも、どの位置も角度もタイミングも無駄だった。

 頭を吹き飛ばし、腹部に大穴を開け、下半身を消し去る。

 成人男性でも撃てば肩と肘が砕ける威力を、リジェッタは軽々と使いこなす。

「あら」

 前方、遠くからこちらへと疾駆する狼男の影があった。

 リジェッタはレインシックスの引き金に指をかけ、気付く。

 もう撃ち尽くしてしまった。

「あらあら」

 敵も狙ったわけではない。

 それがどれだけ強力でも、銃器ならば回数制限がある。弾丸を撃ち尽くせば、ただの重りへと成り下がる。

 それでも、リジェッタは慌てなかった。

 この程度は想定済みですわ。

 リジェッタが息を吸った。眼前の空気がごっそりと失われ、相対的に風が巻いた。あまりの勢いに足元の落ち葉が舞い上がる。肺へと空気が押し込まれ乳房が、いや胸郭が二回り以上も体積を増大させた。

 狼男が眼前に迫るも、リジェッタは間に合った。

「カッ!!」

 唇を真横に引き結んで数瞬、一気に吐き出される。同時、牙のように尖った上下の犬歯が叩き合わされた。轟と音を立てて朱が咲き誇る。冷えた白い吐息が灼熱の猛火に塗り潰された。

 瞬く間に狼男の身体が業火に飲み込まれた。そのまま押され、地面に叩き付けられる。

 地面を転がりながらもがくも、炎は消えなかった。地獄の悪鬼が血だらけの手を伸ばし、魂を束縛せんと離さない。

 リジェッタが唇を妖艶に舐めた。

「食した物から油を精製し、蓄える特殊な器官。火炎妖魔イフリートから移殖したモノですのよ? さあ、ローストチキンになりたい者から前に出なさいな。うふふふ。子犬なのにチキンとはおかしいですね。けれど、今日は牛が食べたい気分です」

 周囲に残っていた怪物達が寒さに襲われたかのように身震いした。

 化け物がようやく理解するも、もう手遅れだった。魔造手術により人外の力を手にしたリジェッタに勝てるはずもない。

 蹂躙と呼ぶに相応しい大掃除が始まった。

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