第23話



 その時だった。小夜の顔から苦しそうな表情が消えた。体がビクッと動き、肩が上に持ち上がったまま硬直した。やがて小夜の瞳が焦点を失っていった。肩が下がり、握りしめていた拳が力なく腿の辺りに垂れ下がった。


 小夜は頬に流れ落ちてくる涙を拭いもせず、老人たちに向き直った。


『治兵衛、キヌ。そなたらの森をうれう心、誠に嬉しいぞ』


 開かれた口から出たその言葉は、少女のか細い声ではなかった。森の大地から発せられたように優しく強く立ちでて、大人たちの胸の中を吹き抜けていった。


『だが大地に降りた最初の時から、私はこの森が滅ぶ運命にある事を知っていた。それは変えようのない時の流れ。天の力も及ばない自然のことわりだった。


 だからこそ私は、そなたらにときの選択を受け入れて欲しい。森を守ろうとするが故に、お前たちを危険な目に合わせたくないと強く願う。森と森の使い我が子を愛でてくれた優しい村人たちに、つつがなく生を全うしてほしいのだ』

 

 言葉が語られるあいだ、治兵衛もキヌも余一も誰ひとり、小指の先すら動かせなかった。


 やがて小夜の体がふらふらと揺れ始めた。声がだんだんとかすれていく。


『森は……お前たちの心の中で……永遠に生きていく。私の……つかいと共に……』


 斜めに傾いていく少女の頭が、突然ビクッと跳ね上がった。


「あ……」


 静かにまぶたを開く小夜。瞳だけが左を見て、右を見て、そして最後に自分に注目している正面の老人たちに焦点が合った。


「あ……もしかして……私、立ったまま眠っていたみたい……え、嘘? いや、何か喋っていたような気もするけど。でも覚えてない! あ、しまった!」


 すっかり呆けていた小夜だったが、ついに自分が老人たちを説得している最中だったことを思い出した。しかし全部が遅すぎる予感しかしなかった。小夜は恐る恐る治兵衛とキヌを見た。


 そこにいた三人は、もう先程までの小夜と対立する村人では無くなっていた。すっかり覇気の無くなった治兵衛は、車椅子にのろのろと腰かけた。


「帰るべ。余一、押してくれんか」


「じ、治兵衛さん?」小夜がこわごわ尋ねる。「あの、私……すみません……興奮しちゃって、つい生意気なこと口にしてしまって――」


「オレも行く。晩飯の支度したくさ、せにゃなんね」


 キヌは小夜に目もくれず、背を向けて歩き出した。


「私ら先に行くから……お嬢ちゃんたち・・も早く帰るんだよ」


 余一の言葉を最後に、誉田の老人たちは二度と神社の方を振り向かぬまま、もと来た道の方へ去っていった。


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