第4話



「あれ、もう忘れちゃった? 子供の頃はみんなお世話になったでしょう?」


「うん、覚えてる。ちょうどいい高さの樫の木が沢山あって、スリーポイントの練習にぴったりの場所だった」瀧が足で勢いをつけて起き上がった。


「綺麗な川が流れてて、そこで妹と暗くなるまで遊んでた。森がどうかしたんですか?」


「こんな辺鄙な村だけど、宅地造成で森とその一体が真っ平らに削られちゃうの」


「え、あんなにたくさん自然がある場所を? 動物だってたくさんいますよね」


 叔母が悲しげな顔で首を振った。「もうそれも思い出の話だわ。五年ぐらいから始まっていたんだけれど、人気ひとけのない誉田の森がどこかの悪い人たちに目をつけられた。不法投棄の産業廃棄物さんぱいの隠し場所としてね。いま森は投棄されたゴミが山になっている状況よ」


 小夜は言葉を失った。


「そのゴミのせいでだいぶ木が枯れてしまった。それで土がむき出しになっちゃうから砂埃すなぼこりとかすごいの。何とかならないかって、私たちから役場に訴えてみた。そうしたら村長さんの知り合いで、大手の不動産会社が名乗りをあげたわ――全部更地にして家を建てれば解決するという案を持って」


「それじゃあ森は……」小夜が不安そうに続きを尋ねる。


「残したいけれど、木々だけ動かすわけにはいかないじゃない。そんなお金なんてないし。どっちかを取るしかないんだわ」


 その台詞を言う叔母さんが、小夜にはとても疲れた大人に見えた。


「それでもほとんどの村人は賛成しているの。ただ昔から森の近くに土地をもっている年配の方々が納得してくれなくて。あそこで話をしている余一さんたちがそう。今日も役場に行ってきたみたい」


「訴えるって工事の中止?」


「そう。ただそれも効果が無くて。最近はああして、ずっとあきらめムードでしんみりとしているわ」


 叔母さんはお盆を片手に、ため息を付いて去っていった。


 残された小夜と瀧はお互いに顔を見合わせた。どうしたら良い? 首をかしげる小夜。瀧が目を閉じ小さく首を振って遺憾の意を示す。話は聞いた。けれど自分らに出来ることは無い。さあ忘れよう、と。


 だが小夜は瀧に非難の視線を送った。そんなの駄目! ソファから立ち上がった少女は躊躇することなく、叔母が余一と呼んだ老人の方に歩いていった。


 始まっちまった! 瀧は額に手をあててうめいた。


「こんにちは! 私、小夜です。お話に割り込んでいいですか? 叔母さんに、誉田の森が大変だって聞きました」


 視線がいっせいに小夜に注がれた。どれも疲れていて、普通なら子供には受け止められない重たさだ。けれど好奇心というバリアに守られた小夜は、臆するという感覚を忘れていた。


「お嬢ちゃん。その通りなんだ。残念だよね……まったく残念だ。あそこがただの野っ原になってしまうなんて。ずっと前からあの森は、村人を見守ってくれていたんだ。なあ、キヌさん」


 余一と名乗った老人は、向かいにいるほっかむり・・・・・を付けたおばあさん、キヌに同意を求めた。


「森は農作物を風から守ってくれてるさ。そんれを説明したんだけれど、偉いさんがわかってくれなくてさぁ……おや、嬢ちゃんは若いのに森に興味があんのかぃ?」


 小夜は何と答えようか考え込んだ。唯一の思い出の情景が口をつく。


「私、よく川で遊んでいました。秋になると周りが赤とか黄色であふれて、川も落ち葉で一杯になって、とにかく綺麗だったなあ」


「『森《もり》っ子のみず』だべ!」キヌの奥に座っていたもう一人の老人が、訛りの強い言葉で叫んだ。


「あの川は神社に通じてんだ。湧き水が森の命を運んで、最後はしも大川おおかわに流れ込む。ありゃあ神様がくれた貴重な水でな、ワシは毎日汲みに行ってとったよ。今だって足が動けば……」老人の言葉は強い咳で中断された。


「大丈夫かい」治兵衛の背中をキヌが優しくさすった。


「どうしようも、ないんでしょうか?」だんだん老人たちの悲哀が感染してきた。小夜は無念さに言葉をつまらせた。


 やり取りを見ていた余一が寂しそうな顔で答えた。「優しいお嬢ちゃん。頑張ってはいるけれど、工事の計画はどんどん先に進んでる。まだ頑張ってみるけれど、わしらはもう歳だから長くは戦えないんだ。だからといって、こんな文句を先の長い若い者たちに引き継ぐのは可哀想ってものだ。ただね……」


「心残りがあるんだ」キヌが話を引き取った。「森っ子が心配さ」


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