6

 私は重度の口頭癌だった。

 通常は喉に腫瘍が出来た時点で声がかれ始める。しかし、私の場合は違かった。私のそれは喉より少し下の方でできて、症状が出る喉に辿りつくまでかなりの時間がかかった。だから声の調子がおかしいことに気付いた頃にはもう手遅れだった。

 私はその話を医者から聞いたわけでも、親から聞いたわけでもない。自分で気付き、自分で病気のことを調べた。それまではただの風邪だと言われ、病院のベッドに寝かされていただけだった。

 入院して一ヶ月もすると声を出せなくなり、呼吸すら困難な状況だった。その間何度も手術をしたのだが、いっこうに治る気配を見せなかった。私は人工呼吸器をつけてからはほとんど意識がなく、何があったのか覚えていない。

 親や医者から聞いた話だと、人工呼吸器をつけてからしばらくは病気の進行は緩やかだったらしい。両親は毎日見舞いに来て、ずっと私の名前を呼んでいたのだが、私が返事をすることはなかった。

 ある日の夜中。私の容態が急変し、すぐに集中治療室に運びこまれた。両親は廊下でただ、祈ることしかできなかった。

 そして数時間後、私はそこで息を引き取った。


 私は暗闇の中で声を聞いた。

“ここは今まで一度も罪を犯したことのない、なおかつ霊感が強い者だけが来れる世界だ。普通の人間ならすでに死んでいるところだがお前は生きることが許された。どうする、このまま死ぬか、それとも生きるか?”

 わけがわからず戸惑っていると、その声はかまわず続けた。

“このまま死ぬ場合は冥界に行き、転生するまで待つことになる。生きたいのなら元の世界に帰してやろう”

 私は黙って話を聞いていた。

“ただし、生き返るには条件がある。人間を五人殺すことだ”

「殺す……?」

 生きたい。私にはやりのこしたことが沢山あるし、まだ死にたくない。しかし生きるには五人もの人をこの手で殺さなくてはならない。

 ―――五人。私はじっと考えた。そして結論を出した。

「生きます」

このときの私がなんでこう言ったのか、今はもうわからない。ただ、生きたいという気持ちが強かった。

私はこの声からいくつかの『ルール』を聞いた。

 たとえ自分は直接手を下していなくても、その人が死んだ原因に加わっていれば殺したことになること、必ず一人、大切な人を殺すこと。

 ――そして、運命は変えてはならないということ。

 そして、私は目を覚ました。

 目を覚ました後、一週間程で退院できた。

 私の体の中の癌細胞はすべて死滅していた。両親は驚き、そして喜んでくれた。医者は不思議そうな顔をして私の顔とカルテを交互に見比べているだけだった。

 そんな人達の顔を見ながら幸せそうに私は笑う。まるで、これから自分が五人もの人間を殺さなくてはならないことなんて忘れているかのように。

 このまま、人を殺さなくても生きていけるんじゃないかと思う。

 ───運命を変えてはならない───

 あの声が、蘇った。


 しばらくは普通に生活していた。年内に殺さなければならないという期限もつけられていたのだが、なかなか踏み切れないでいた。

 ある日、近所の本屋で雑誌を立ち読みしていると、猪瀬くんが入ってくるのが見えた。彼はそそくさと店の奥の方へと向かっていった。気になり、私は後をつけてしばらく様子を見ていた。

 彼が来たのは店の一番奥にある漫画本の棚である。しきりに周りを気にしながら、漫画本を数冊手にとって、リュックに入れた。そこは監視カメラの真下で、ちょうど死角になる場所だった。気がつくと、私はケータイのカメラを構えてその様子を撮影していた。

 それが私の『きっかけ』になった。

 ある日の放課後、私は猪瀬くんを屋上に呼び出した。そして私が軍手をはめた手で写真を見せると、彼の表情が変わった。

「かえせっ!」

 と言いながら、飛びかかってきた。

 私は横にかわし、彼の背中を思いきり押した。屋上には転落防止のための金網が張ってある。だから通常、ここから人が落ちるなんて自殺以外に考えられない。しかし、そのとき私の後ろの金網には大きな穴が空いていて彼は、飛びかかってきたときの勢いと、背中を押された勢いとでそこに突っ込んでいくはめになってしまった。

 彼はクラスの中でも浮いた存在で、話が下手で、誰にも相手にされなかった上に、それが理由でひどいいやがらせをされていたと聞く。自殺の動機はそれだけで十分だろう。背中を押した手には軍手がはまっていたし、足には全校生徒共通の上履きが履かれていた。立ち入り禁止にはなっているが他の生徒も頻繁に出入りするため猪瀬くん以外の足跡があっても何も不思議がることはない。屋上は人を殺すのに最適な場所だった。

 次は部活の都合上、遅い時間帯に一人で下校する大貫晴菜をターゲットにした。

 何日か下校中の彼女の後をつけて下校時間、道順を調べた。そしてパソコンのウェブ上に彼女の自己紹介サイトを作り、そこに載せた。この手のサイトはネット上には腐るほどあるから珍しくもなんともない。さらにそのサイトに父親の年収を載せた。当然、嘘の情報だ。なので金額は一般家庭の年収より、やや高くなっている。これで誰かに彼女を誘拐させ、殺させようとした。

 しかし、こんな作戦がうまくいくわけないだろうと思っていたので、遊び半分で実行したものだった。時間にはまだ余裕があるし、駄目だったらまた違う方法にしようと考えていた。

 だから、女子高生が誘拐されたというニュースを見て正直驚いた。犯人は一体何を考えているのだろうと思ってしまった。それと同時に胸の中に鉛でも入れられたかのような重みがある苦しさが襲ってきた。罪悪感。それがあるうちはまだ安心できた。そのうちこんな感覚もなくなって、普通の人間として生きられなくなるのが怖かった。

 次も家まで一人で下校する生徒に狙いをつけた。同じクラスの沢田由香だ。

 こうしてほとんど意識せずに殺す人間を選んでいたので、教室の席の順で人が死んでいるという妙な事態になってしまった。しかし私はあまり気にしなかった。だから順番については本当にただの偶然なのだ。

 そして私はまたしばらく彼女を尾行した。彼女の場合は、時々寄り道をしたり、学校で友達と喋っていたりと毎日家に帰る時間が違っていた。だから私は毎日、彼女の後をつけながら、どうやって殺そうかと考えた。

 そして尾行を始めてから三日目。今日も彼女は学校でしばらく友達と喋った後、だいぶ辺りが暗くなってから下校した。

 そしてその途中、とある工事現場の前を通った。その現場は、もうすでに足場が組み上がっていて、その横に鉄骨を積んだトラックが沢田さんの歩く道に後ろを向けて止まっていた。

 そして彼女がその現場の横の道を通ろうとしたとき、トラックに積まれていた鉄骨が崩れ落ちてきた。彼女は鉄骨の下敷きになってしまった。

 しまった、と思い、慌てて彼女の方へと駆け寄り、様子を見た。事故で死なれてしまっては今まで尾行していた意味がなくなる。鉄骨の下敷きになっている彼女の顔を覗いてみると、頭から出た血で真っ赤に染まっていた。しかしまだ呼吸をしていた。

 チャンスだ。今、ここでとどめを刺せば自分が殺したことにできる。しかも、事故のせいにできる。

 私はいざというときのために鞄の中に潜ませておいた金槌を取り出し、思いきり振り上げた。しかしその時、呼吸音と共に沢田さんの声が漏れた。

「た…すけ…て…………」

 その声を聞いて、ためらった。

 でもそれはほんの一瞬のことで、すぐに考えを戻した。私は振り上げた金槌を頭の傷口に向かって、思いきり落とした。

 ぐちゃっ、とした感覚と共に頭蓋骨を砕く感覚と、沢田さんの血しぶきが襲ってきた。

 私は顔についた血をハンカチで拭きながら、彼女の死を確認した。そして、服についた血はどうしよう。親に、鼻血を出したと言えば信用してくれるだろうか。そんなことを考えながら、私は帰路についた。

 伊沢くんは、私と金井くんの三人でカラオケに行った時に実行した。

 私と伊沢くんは金井くんが来る十分前には例のカラオケ店の前に立っていた。

 伊沢くんの表情は気のせいかいつもより暗く感じた。

「どうしたの?なんか顔色が悪いみたいだけど…」

 理由はわかっている。だからこうやって準備もしてきたのだ。でもあえて聞いてみた。

「えっ、いや……そうか?別にそんなつもりはないんだが…」

 彼は少し動揺した。じれったい。早く本当のことを行ってしまえばいいのにと、私は心の中で舌打ちした。

「由香が死んだから?」

 堪えきれず、自分から言ってしまった。彼は驚いた表情をしていた。

「いつから?」

「結構前から。腕組んで一緒に街の中歩いてるとこ見ちゃった」

 私は少し微笑んで言った。

「そうか……、うん、まぁそうだな」

 そう言って彼も微笑みながら、頬を伝っていく涙を袖で拭った。

「楽になる方法、教えてあげようか」

 伊沢くんは少し目をこすった後、私の方を向いた。

「今日、私は一回トイレに立つわ。そして私が戻って来たらすぐに男子トイレに行き、奥から二番目の個室に入って。タンクの裏に便利な物を置いておくから必要なら取っていくといいわ」

 そう言いながら私はポーチの中に入っている注射針の先端を覗かせた。彼にはそれが何なのかすぐにわかったのだろう。しばらく目を丸くして、黙りこんでいた。


 私は予告通り席を立ち、トイレにそれを置いてきた。戻って来ると部屋には何やら重苦しい空気が漂っていた。二人が何を話していたのか気になったが、伊沢くんはすぐに席を立ち、トイレに行ってしまった。

 彼が戻って来たときそれを持っていたかは分からなかった。帰り際、こっそり男子トイレに行って確認すると、タンクの裏にガムテープで張り付けてあった注射と覚醒剤が取られていた。

 ある程度薬を使わせた所で、私は伊沢くんを人目につかない山奥の洞窟に連れていった。そこに伊沢くんを放置して、彼の貯金で買った大量の覚醒剤と注射器を置いていった。

 そして後日。私は彼が死んだことを聞かされた。崖から落ちて死んでいたと聞いたとき、発狂したか、幻覚から逃れようとしている途中で落ちたのだろうと推測した。

 私は心の中で、妙な満足感があることに気付いた。

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