第37話

 (ヒーローの戦い方はもう知っている)


 圧倒的なパワーから振るわれる大剣。身の丈ほどの大剣をその重みを感じさせない自在さで操る。

 刀で受ければ数発撃ち合っただけで破壊されるだろう。


 厄介なのは謎の衝撃波による攻撃だ。この場所の破壊痕がその威力を物語っている。だがあの攻撃には特有のタメと大剣の発光があった。それに注意していれば大丈夫だろう。


(まずは様子見だ)


 ヒーローが肩に担いだ大剣を振りかぶる。大剣はその大きさから、どうしたって攻撃は大振りになる。つまりある程度軌道は読める。


 振り下ろし、横薙ぎ、切り上げ、突き。

 身の丈ほどの大剣とは思えないほどの自在な攻め。だがリンネはそれらを見切り、適格に避けていく。


(いける。戦える)


 リンネの戦法はシャグマに習ったカウンター戦法だ。このまま避け続ければいずれヒーローにも隙ができる。


「ギイッ!」


 ちょこまかと動き回るリンネに、ヒーローの顔にも苛立ちが見えた。

 もうすぐ苛立ちに任せた大振りな攻撃がくるはずだ。


 リンネは大剣が当たらないように一歩後ろに下がり……


 瞬間、ヒーローの大剣が僅かな光を放つ。


「っ!!」


 不可視の斬撃が飛び、リンネの体を切る。咄嗟に後ろに下がる事により傷は皮を切る程度ですんだが、傷がじくじくと熱を持つ。


「おいおい。お前そんな事も出来んのかよ」


 飛ぶ斬撃。意識外の攻撃にリンネは悪態をつく。


「今までは隠してたのか? 性格悪ぃな」

「ギ……」


 ヒーローは何も語らない。再び大剣を振り上げ、そして振り下ろす。


「くそっ」


 大剣の直線上から逃れるように動き回る。避け方の幅が狭められたせいで、リンネは余計に苦しい立ち回りを強いられた。避けきれなかった攻撃や攻撃の余波で少しずつ傷が増えていく。

 だがリンネが苦しんでいるのは飛ぶ斬撃のせいだけではない。


(なんか、コイツ、剣速、上がってないか)


 一週間ほど前に戦った時より明らかに大剣の速度が上がっていた。あの時でさえ一方的な戦いだったというのに、それに飛ぶ斬撃まで加わったとなれば、勝負の行方は明白だった。


(こんな短期間に強くなるとか、冗談じゃねぇぞ)


 いくらゴブリンの成長が早いからといって、それを相手にする側はたまったものではない。


「『石柱』」


 接近戦では勝ち目がないと悟ったリンネはヒーローが踏み込もうとした場所に石柱を生やした。踏み込みをずらされたヒーローは伸び上がる石柱を蹴って後ろに下がる。


「『火球』」


 リンネはその隙を逃さず魔法で追撃していく。着地の隙を狩るつもりだったが、リンネの火球はヒーローが投擲した大剣に破壊され、唸りをあげて大剣がリンネに迫る。


「ぐっ」


 大剣は避けられたが、大地に突き刺さった大剣が爆発を起こす。火炎に紛れた大剣の燐光に気づけなかったリンネはその爆発に飲み込まれ、木に叩きつけられた。


「いって……っ!」


 粉塵の中から現れたヒーローが大剣を振り上げている。


「おぉぉお!」


 咄嗟に横に飛んで避ける。ヒーローの大剣は背後の木をバターのように切り裂いていく。恐ろしい切れ味にリンネの頬に冷や汗が流れる。


「はぁ、はぁ、やってらんねぇな、まったく」


 ヒーローの引き起こした惨状に戦慄する。息もつかせぬ攻撃の嵐に、瞬く間に疲労が溜まっていく。


(勝てねえな。こりゃ)


 リンネはこんなにも疲弊しているというのに、ヒーローの方はまだまだ余力を残している。どうにか攻撃しようとしたが、逆に対応されて反撃される。


 だがそもそも目的は倒す事ではなく、シィが逃げるまでの時間稼ぎだ。


 ヒーローは自らが切り裂いた木を蹴り倒して大剣を外した。そして再び大剣に光を蓄えていく。


「上等だ。俺の全力の時間稼ぎ。見せてやるよ」


 〇


 シィは森の中を走りながら自己嫌悪に涙を零した。


「あたし、また……」


 自身の弱さが人を殺す。かつてリネンリンネがシィの目の前で死んだ時のように、次はリンネがヒーローに殺されそうになっている。

 もうあんな思いはしたくなかった。しかし結局繰り返している。


「なにも、成長してないなぁ……」


 英雄になるためなら自分の命だって惜しくないと思っていた。しかしそれは本当の恐怖を知らないからこその妄言だった。ヒーローに殺されそうになって思った事は『死にたくない』だ。


「結局あたしは、英雄の器じゃなかったって事なのかな」


 どこの世界に敵に命乞いをする英雄がいるのか。

 そもそも自分のために英雄になるのが間違っているのだろう。真の英雄とは自分のために命をかけるのではなく、誰かのために命をかけられるような者で……


「ああ、そっか。リンネ、あなたが……」


 シィの中で、ようやく父親がリンネに期待する理由が腑に落ちた。

 もし、自身とリンネが逆の立場だったとして、リンネと同じ事ができるのか。シィは想像してみたが頭を振った。

 ほんの一月程度の付き合いの女が殺されそうになっていて、身を呈して飛び出していけるほどの意気がある人間はそうそういないだろう。陰に隠れて暴虐の手がこちらに伸びてこないよう震えて祈るのが関の山だ。


 英雄になるのなら、リンネのような者が。

 だがその英雄の卵も、いま殺されようとしている。

 他ならない、自身の身勝手によって。


「あっ」


 木の根につまづき、シィの体が浮く。

 しまったと思った時には地面に体を擦り付けていた。


「うぅ……」


 装備を破られ、むき出しになった肌を小石や砂利が削っていく。思い出したかのようにヒーローに嬲られた傷が痛みだし、シィの口から嗚咽がもれる。


(情けない)


 弱い。身も、心も。

 果たして自分はリンネが命をかけて救うほどの価値があったのか。かつてリンネとした約束を思い出す。

『亡くなったリネンが誇れるような人になる』

 今の自分はどうだ。自己中心的な欲望に周りを巻き込み、勇気ある人を生贄に生き延びて、自分だけは助かろうとしている。


「うぅ……あぁぁあああ」


 逃げなければならないのに、手足が動かない。無力感が重しのようにのしかかり、惨めさが手足を縛る。


「傭兵さん。見つけましたよぉ」


 それは暗がりから唐突に現れた。

 右目に包帯をまいた赤髪の女


「シャグマ、さん」

「どうしてこんな所で寝てるんですかぁ? 風邪引きますよぉ」


 シャグマが近寄り、シィに手を貸した。

 シィは震えながらその手をとる。

 とても戦えるようには見えない、細い腕。しかしその実力が類稀な事をシィは知っている。

 シャグマなら、あるいはリンネを助けられるかもしれない。


「シャグマさん、リンネさんが、ヒーローに襲われてて!」

「はぁ。そうですかぁ。とりあえず帰りますよぉ」


 シャグマはシィの涙ながらの訴えに、気のない返事をすると、シィに肩を貸す。

 シィにはその態度が理解出来なかった。


「ちょっと待ってください! リンネさんはあたしを守るためにヒーローの気を引いてくれているんです。このままだとリンネさんが殺されちゃいます!」

「大丈夫ですよぉ。死にませんから」

「ど、どうしてそんな事が言えるんですか!」


 シィにはどうしてもリンネがヒーローに勝てる様子が想像出来なかった。竜に匹敵すると言われるヒーローの力は伊達では無い。リンネがシィより強いと言っても、ヒーローに勝てるはずがないというのは両方と戦ったシィには分かりきっていた。


 シャグマはその問いに難しそうな顔をした。

 なんと答えたらいいか、答えあぐねているようにも見える。やがてシャグマはゆっくりと口を開いた。


「世の中に自分の命を捨ててでも人を助けようなんて、そんな殊勝な人間はいませんよぉ」

「え? でも」

「みんな、生きがいとか、生きる目的があって生きてるんですよぉ。相手を助けても自分が死んだら意味ないじゃないですかぁ。自分から命を捨てるのはただの大馬鹿者か、……ひひひ、あるいは世の中に絶望した人ですかねぇ」


 シャグマは自嘲気味に笑い、シィを引っ張って歩き出した。


「リンネさんだって、自分が生きて帰って来れるってわかってるからやってるんですよぉ。分かったら早く帰りましょお。案外、もう拠点についてるかもしれないですよぉ」

「本当、ですか……?」

「ほんとうほんとぉ」


 その時夜の森に轟音が響いた。何かが爆発したかのような轟音にシィは首を竦める。


(ほんとうに……?)


 確かにリンネは機転に優れていた。魔法により相手を崩し、場を有利にすすめられる。だがそれは実力が近しい場合だけ。小手先の技では竜を殺せない。


 ここでシャグマの言葉を信じてシャグマとともに拠点に帰ることは簡単だ。それが一番楽だし、本当にシャグマの言う通りリンネは無事に帰ってくるかもしれない。


 ……だがもしリンネが帰ってこなかったら?

 シャグマがシィを納得させるための方便だったら?


 シィは二度と自分を許せなくなるだろう。


(それは……だめ)


 シィは立ち止まると、シャグマに担がれていた肩をほどいた。


「傭兵さん?」

「シャグマさん。あたしはもう大丈夫です。もう一人で帰れます。代わりにリンネさんの所に行ってあげてください」

「いやいやぁ、危ないですよぉ」

「大丈夫です。もう迷いませんから」


 シィはリンネから受け取ったコンパスを見る。


「あたしも、帰れるって分かってるから言うんです。もう命を捨てるようなマネはしません」


 シャグマはしばらく言葉を探すように頭をかいていたが、シィはその隙に走り出した。


「あ、傭兵さん」

「リンネさんをお願いします!」


 遠ざかるシィの背中に手を伸ばすシャグマ。しかし諦めたようにその手を下げた。どうせ口下手なシャグマには、強情なシィを説得できるような言葉は思いつかない。


「どう言えば良かったんですかねぇ」


 馬鹿正直に『復活』の事を話してもその場しのぎの突拍子もない嘘ととられるのがオチだ。


「ま、こうなったらしょうがないですねぇ」


 シャグマは振り返ると先程爆発音が聞こえてきた方を振り返った。


「いい加減、ここに足止めされ続けるのもウンザリしてきた所ですしぃ、ヒーロー倒しに行くとしますかぁ」


 〇


 森は惨憺たる状況だった。ヒーローが放つ衝撃波で木々は破壊され、地面にはリンネの放った魔法により石柱や瓦礫が散乱している。


「はぁ……はぁ……」


 あとどれだけ時間を稼げばいいのか。

 先の見えない戦いというのがここまで辛いとはリンネは思っていなかった。


「『石柱』」


 距離を詰めようとするヒーローを石柱で牽制し距離をとる。ヒーローが石柱を破壊し、弾丸のような瓦礫が飛ぶが、既にその先にリンネはいない。


「はぁ……はぁ……」


 先ほどから終始こんな感じだ。時折放たれる衝撃波を命がけで避け、距離を詰めようとするヒーローから逃げ回る。それは一見成功しているように見えたが、既に限界が近づいていた。


「きちぃな」


 リンネの体にたまった乳酸が筋肉を鈍らせ、張り詰め続けている緊張が精神をすり減らす。既に肉体も精神も限界に近い。

 そしてそれは最悪な形で現れた。


 石柱を壁に逃げ続けるリンネに瓦礫が投げつけられる。瓦礫と言ってもそれは一抱え程もある大きさだ。そんなモノをもろに喰らえば命はない。


 慌ててしゃがむとそれは背後に立っていた石柱に当たり


「あ」


 瓦礫の破片がリンネに降り注ぎ、そのウチの一つがリンネの後頭部を直撃した。一瞬、意識が飛んで地面に倒れ伏す。








「はっ!」


 意識が飛んでいたのはほんの一瞬のことだった。だがそれだけあればヒーローには充分だ。


 頭を起こしたリンネが見たのは間近で大剣を掲げるヒーローの姿だった。


(終わった)


 ヒーローが振り上げた大剣が光を反射し、キラリと輝く。断頭台を思わせる重厚な刃が、確実にリンネの命を刈り取るために振り下ろされ


(ん? 光?)


 曇り空の中、光を照らすものなどあるハズがない。いったい何が、とリンネが思った直後、リンネの頭の上を巨大な火球が通り過ぎ、ヒーローに直撃した。


「おわっ!」


 燃え上がり吹き飛ばされるヒーロー。近くにいるだけでも火傷しそうな程の熱量に、慌てて後ろにずり下がると、何かにぶつかる。顔を上げると見慣れた顔が見えた。


「これまた、ずいぶんと手酷くやられましたねぇ」

「シャグマ!」


 思わぬ助けにリンネの顔に笑みが浮かぶ。

 だが、直ぐにその顔を引き締めた。


「シャグマ、シィが西の方に逃げた。俺が時間を稼ぐからお前はそっちに」

「その傭兵さんから言われたんですよぉ。リンネさんを助けに行ってくれって」

「え? いやいや。シィがそう言う気持ちも分かるけど、お前は分かってるだろ。俺は別に死んでも復活するんだから」

「まあまあそう言わず、いい加減ワタシも旅立ちたいですしぃ。それより来ますよぉ」


 ずん、と燃え上がるヒーローを中心に衝撃波が放たれ、火がかき消された。ヒーローは大地に突き刺した大剣を引き抜くと、その視線の先にシャグマを捉える。


 次の瞬間、その瞳がこれまで以上の憎悪に染まる。


「グゥゥゥッ! ァァァアア!」


「おわっ」


 シャグマがリンネを抱えて横に飛び退く。次の瞬間、リンネ達がいた場所を衝撃波が破壊し尽くした。


「怖ぁ。何ですぅ? あれ」

「アイツの特殊能力か何かだ。大剣が光ったら衝撃波が飛んでくる」


 ぎろりとヒーローの眼光がシャグマを射抜く。ヒーローは地面にめり込んだ大剣を引き抜くと、再び大剣に光を溜める。


「何か怖い顔してますねぇ。そんなにヒーローって感じじゃないですよぉ」

「ああ。多分だけどアイツは俺とシャグマに恨みを持ってる。見つかった以上、もう逃がしてもらえないぞ」

「はぁ? なんでそんな。ゴブリンから恨みを買うような事なんて……いっぱいありますねぇ」


 散々ゴブリンを殺してきた事に思い当たり、シャグマはまあそういう事もあるだろう、と納得した。実際に目の前に憎しみを放つゴブリンがいるのだ。納得せざるを得ない。


「ガァアアアアアア!」


 ヒーローが大地を震わせるような咆哮を放った。ビリビリと肌が震え、リンネの全身が粟立つ。質量すら感じるほどの圧に、しかしリンネは口角を釣り上げた。


「まあ来ちまったもんは仕方ないしな。いっちょやるか」

「ええ。もとからそのつもりですよぉ」


 満身創痍の体で刀を握るリンネ。その顔に恐れはない。背中を任せられる仲間がいるというのはこんなにも心強い。

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