第36話
シィはゴブリンに突き刺した剣を引き抜き、血を払った。周囲を見渡すが、既に動く影はない。シィは一息つくと、剣を納めた。
「……」
斬り殺したゴブリンを見つめる。その数は五体。しかしそのうち武器と言える物を持っていたのは二体ほどだ。後の二体は木製のスコップのようなものを抱えていた。
穴掘りでもするつもりだったのか、シィにはよく分からなかったが、ゴブリン達の目的などどうでもよかった。重要なのは結果だ。
一人で五体のゴブリンを斬り殺した。
「やれる。あたしだって」
シィはゴブリンの亡骸を蹴飛ばすと、魔石を剥ぎ取りもせずに次の獲物を探しに走り出した。金よりも名誉を。誰もが認めるような戦果を。
そのためにはこの程度では足りない。
「はぁ……はぁ……次」
視線の先に揺らめく火を見つける。次の
「シッ!」
暗がりから飛び出し、槍を持つゴブリンの首をはねる。突然の事に慌てふためくゴブリン達を続けざまに切り捨てていく。
一体切る度に弱い自分から離れていっているように感じた。動く者が自分以外に無くなった時、自分がまた一つ成長したと思った。
傭兵達が、騎士団が、リンネが、散々苦労しているゴブリンを自分はこんなにも容易く蹴散らせる。その証明がなされていく事が、身震いするほどの快感だった。
シィには知るよしも無いことだが、このゴブリン達は罠を作るための工作員であり、戦闘訓練はつんでいない。そのため鎧もなければ武器も申し訳程度にしか装備していなかった。そのため傭兵や騎士団が戦っているゴブリンとは天と地程の強さの差がある。
「足りない……もっと……もっと……っ!」
ゴブリンの松明の火を踏みにじり、次の獲物へと。より高くゴブリンの死体を積み上げ、その頂きに立てば、きっと父親も自分を認めてくれる。
シィはそれだけを希望に、再び夜の森へ
「っ!」
足を踏み出そうとした時、視線の先に何かがいた。それを見た時、シィは一瞬、自分を連れ戻しに来た傭兵かと思った。
シィと同じぐらいの身長。洗練された金属鎧。巨大な大剣。
しかし魔石灯で照らされたその体は、ゴブリン特有の緑の肌で覆われていた。
「ゴブリン……ヒーロー……」
話には聞いていた。確認されている支配種(ロード)の一匹。顔に斜めの傷が入ったゴブリンヒーローがいると。
慌てて剣の柄に手をかける。
しかしヒーローは顔を伏せたまま動かない。
何をしているのか。シィがその視線の先を追うと、シィが切り捨てたゴブリン達の亡骸があった。
(まさか、悲しんでる?)
ばかな、とシィはその考えを一笑に付した。ゴブリンにそんな感情があるなんて聞いた事がない。奴らは酷い時には共食いだってする。
じゃあヒーローは今何をしているのか?
シィには分からなかったが、今のヒーローの姿は酷く隙だらけに見えた。
(もしあたしがコイツを倒せたら……間違いなく英雄だよね)
ゴブリンの英雄(ヒーロー)の首を携えて拠点に凱旋する自分。傭兵も騎士も自分を讃えるだろう。もしかしたら勲章だって貰えるかもしれない。そうなったら間違いなく英雄だ。
(きっとお父さんも認めてくれる)
父親がよくやった、やはりお前は自慢の娘だ、と頭を撫でてくれる様を夢想する。いままでは夢想するだけだった。しかし今はそれを現実にする機会(チャンス)が目の前にある。
シィはその夢を現実にするため、剣を抜いてヒーローへ切りかか
「……………」
「ひっ!」
顔を上げたヒーローがシィを睨みつける。
ただそれだけでシィは動けなくなった。ヒーローがその目に宿すドス黒い感情にあてられたのだ。
足を踏み出す事も、剣を鞘から引き抜く事もままならない。何とか体を動かそうとするが、意思に反して体は強ばるばかり。剣を握る手がかたかたと震えて、いっそう恐怖を煽る。
「…………」
ヒーローは何も喋らない。普通のゴブリンのように喧しく騒ぐこともなければ、ことさらに威嚇するような事も無い。
ただ呪い殺さんばかりの憎悪の視線を浴びせながら、静かに歩みを進めるだけだ。
「ひっ……う……」
圧に呑まれ、呼吸すらままならない。心臓が早鐘を打ち、頭が真っ白になる。
迫り来る死の気配に、シィは自分の認識の甘さを呪った。明らかに強さの格が違う。自分が何人いても叶わない。
(で、でも……)
そんなのは分かりきっていた事だ。
ようやく転がり込んできた機会(チャンス)を前に、何もしないまま死ぬのか。そう自分を奮い立たせる。
(踏み出せ! 剣を抜け! 勝ってあたしの価値を証明しろ!)
「あ、ああぁぁぁああああああっ!」
恐怖をかき消すように大声をあげる。鉛のような重圧を振り払い、剣を振り抜いた。そのまま、ヒーローのスカした顔面へ剣を
「かはっ」
気づくとシィは大木に叩きつけられていた。喉の奥が焼けるような感覚、耐えきれなくなり全てを吐き出すと、黄色い胃液が溢れ出た。
「ぐ、あ」
動こうとすると体の奥で骨がきしんで激痛を訴えた。呼吸するだけで身悶えするほどの痛みが走る。
ざり
「ひっ」
視界の先でヒーローが動いた。
シィには何をされたのかは分からない。だがヒーローから目にも止まらぬ程の攻撃を受け、吹き飛ばされたという事は分かった。
(殺される……っ!)
天地がひっくり返ったとしても勝てない。シィはその事をまさしく痛感したが、後の祭りだ。
生存本能に突き動かされ、逃げようとした瞬間突き飛ばされ、大地に顔を擦り付ける。背後を振り向けば、いつの間にやら目と鼻の先にヒーローが立っていた。その目に宿るのは殺意だけではない。嗜虐、愉悦、復讐、そういう後暗い感情が潜んでいることが、シィにはわかってしまった。ヒーローが下手に人間に似ているばかりに。
恐怖に顔を強ばらせ、手足を震わせながらも立ち上がろうとすると再び突き飛ばされ、這いつくばらされる。
「……ったあ」
立ち上がろうとする度に蹴られ、殴られ、突き飛ばされ、その度に地を這うはめになる。
(弄ばれてる)
まるで虫の足を一本一本引きちぎるように、少しずつ抵抗する力を奪うようなやり方にシィはぞっとする物を感じた。だが同時に舐められている事への怒りが湧き上がってくる。
ゴブリンにさえ、女だから、弱いからと舐められる。そんな事シィには許せるハズもない。そんな感情を糧に地面に落ちていた石を握り込む。
「ふざけ、っっがはっ!」
怒りのままにヒーローに殴りかかる。だがその瞬間に今までのがお遊びであると言わんばかりの蹴りが突き込まれた。大地を転がり胃液で大地を濡らす。それだけでシィの反抗心はポッキリと折れた。
その後もヒーローは、少しでもシィが反抗的な態度を見せると、お仕置であるかのように容赦のない一撃を叩き込んだ。
ヒーローは待っているのだ。いずれシィが屈服する事を。
そして、その時は案外早くやってきた。
「ひぐ、もっ、やめ」
シィは幼子のように頭を抱え、逃げる事もやめて泣き出してしまう。恐怖と痛みで体は動かず、繰り返される攻撃に抵抗する気力も奪われた。
「ぐす、やだ、殺さ、ないで……助けて」
ヒーローは蹴飛ばしてもシィが逃げようとしなくなるのを見てとると、右腕でシィの首根っこを掴んで馬乗りになった。
そして左腕でシィの鎧に手をかけ、力任せに引きちぎった。
「ひ! いやぁぁあああ!」
叫んだ所でやめてくれるはずもない。ヒーローはそのままシィの鎧からインナーまで剥ぎ取り、シィの柔肌を露わにする。
『ゴブリンはどんな生物も孕ませる』
その事を思い出したシィは手足を振り回して抵抗しようとした。だが何発か顔や腹を殴られると、すぐにぐったりとして動かなくなる。
ヒーローはそれを確認すると指を鳴らした。すると鎧と大剣が消え、ヒーローの裸体が露になる。その腰には禍々しいシルエットがそびえ立っていた。
(ああ、どうしてこんな事に)
分かっている。自分が忠告を聞かず、森に入ったせいだ。機会さえあれば自分も英雄になれる。そんな奢りがあったせいだ。
その代償は死よりも辛い、尊厳の破壊。これから自分はこのゴブリンに犯される。それが終わった後、殺されるのだろうか。いやきっと巣に持ち帰られ、その次は他のゴブリン達にまわされるのだろう。よしんば助け出されたとしても、もう元のようには生きられない。この先には地獄しかない。
シィはこれから始まる絶望的な予感に顔を伏せた。
(あれ?)
その時、首にかけていたペンダントに気づいた。このペンダントはシャグマから貰ったものだ。
(確か、これ)
『護身用の魔道具ですよぉ。魔力を流せば飾り部分に刻まれた魔法が発動して傭兵さんを守ってくれる、らしいですよぉ』
シャグマの言葉がよみがえる。
実際に何が起きるのかは分からない。だが他に頼れるモノもない。シィは藁にもすがる気持ちでペンダントに魔力を込めた。
「きゃっ」
「ギッ」
ペンダントが光り輝く。
異変を察知したヒーローがペンダントに手を伸ばす。先程までの暴力を思い出し、思わず目を閉じたシィだったが、いつまで経っても何も怒らない。恐る恐る目を開けたシィの目に、必死にペンダントに手を伸ばすヒーローの姿があった。だがその手はまるで何かに阻まれているかのようで、苦しげに宙をかいていた。
気づけば喉元を掴んでいた手も外れ、ヒーローは弾き飛ばされそうになるのを必死に堪えているようだ。
「これは……結界?」
光り輝くペンダントから波動のようなものが溢れ、ヒーローを押し返している。それどころか力の奔流に抵抗するゴブリンの体からは血が吹き出していた。
「い、今のうちに!」
ペンダントの力もいつまで持つか分からない。もはやどちらが森の出口か分からないが、少しでもヒーローから離れようとシィは駆け出した。
「ギィィィィ」
ぞくり、シィの背筋に冷たいものが走る。振り返ると、光り輝く大剣を肩に担いだヒーローが力を溜めている。
「ガァァァッ!」
大剣が振り下ろされる。
すると巨大な衝撃波が放たれ、轟音とともに進行方向上にある木々をなぎ倒しながらシィに迫った。
「きゃああ!」
ミシミシと結界とペンダントから嫌な音がする。何とか衝撃波は防ぎきったが、数秒の後、ペンダントは儚くも砕け散った。更地になり見晴らしのよくなった森で、シィはペタンと尻もちを付く。
「なに、今の」
竜の吐息(ブレス)を彷彿とさせるような破壊の跡。それを耐えきったペンダントの結界もたいしたものだが、もう壊れてしまった。もう防ぐ手立てはない。
今度こそ終わり。
憎しみの中に苛立ちと僅かな疲労を滲ませたヒーローが光の消えた大剣を手に近づいてくる。もう、今度こそ本当に万策尽き
「そこだぁあああああ!」
ヒーローとシィの間に割り込む影。長細い特徴的な剣を奮う黒髪の男。彼は何度かヒーローと切り結ぶと、『火球』を放って距離を取った。
「おいシィ! ようやく見つけたぞ! 立てるか!」
「リンネ……さん。どうして……」
「ばっか。こんなデカい音立てれば誰だって気づくわ!」
注意深くヒーローを睨みつけながら、リンネはシィに手を貸す。
ヒーローはリンネを見ると驚いた顔をしながらも、再びその瞳に憎悪の炎を燃やした。ヒーローは指を鳴らすと、その身に鋼鉄の鎧を身にまとう。
「おいおい、なんだその便利そうな技は。俺にも教えてくれよ」
「そんな事言ってる場合ですか! 早く逃げないと!」
「はっ、そしたら誰が逃げる時間を稼ぐんだよ」
リンネは懐からコンパスを取り出すとシィに手渡した。
「ほら、西に進めば森を出られる。多分今の轟音を聞きつけて他の傭兵も来てくれるはずだ。早く行け」
「で、でもそしたらリンネさんが!」
「俺なら大丈夫だよ。俺は一度アイツと撃退てんだぞ。適当に誤魔化してすぐに追いつくさ」
「でも」
「時間がない! 早く行け!」
リンネの剣幕に身を竦めるシィ。
よく見ればリンネの体は震え、冷や汗が頬を伝っている。彼は自分の身を呈して守ろうとしてくれているのだ。その意志を無下にすることは出来ない。
「ああ、そうだ。これ、忘れモン」
リンネが懐から取り出したのは一枚の封筒に入った手紙だ。その表には見覚えのある字が書かれている。
「これ……」
「お前の親父からの手紙だ。無事に拠点に帰ったら読め」
「……うん。リネンさん、ごめんなさい!」
シィが木々の中へと走り去っていくのを耳で確認して、リンネは息を吐いた。
「そこは『ありがとう』でいいんだよ、ばかめ」
ともかく、これで悩みの一つが片付いた。それと同時にもう一つ大きな悩みの種も出てきてしまったが。
「…………」
鋭い目付きで睨みつけてくるゴブリンヒーロー。
初陣の時にリンネが出会って以来、一度も戦場で発見されていなかったヒーローがこの場に立っていた。
「ずいぶんと待ってくれてありがとうな。もしかしてお前って結構空気読めるタイプなのか?」
その目には深い警戒の色が現れていた。
間違いなく殺したハズのリンネがこうして現れたのだ。警戒するのも当然だ。
「それともビビったか? 本当にあの程度で俺を殺せたと思ったか? バーカ」
リンネはどうにかシィからヘイトをリンネに移そうと精一杯煽ってみる。それが効いたのかは分からないが、ヒーローは大剣を肩に担いで構えた。
リンネも刀を中段で構える。そしてどちらからともなく斬りかかった。
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