第18話
人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い。そう言ったのは誰だったか。
目標を得てからの訓練は時間がいくらあっても足りなかった。まだ弱い。まだ足りない。その思いに突き動かされるように、ひたすら自身を鍛えた。幸い、俺は死ねば最高のコンディションで復活する。本来は睡眠時間に当てなければいけない時間すら有効活用して、ひたすら訓練を詰んだ。
そして、約束の時が来る。
「おはようございまぁす。被検体さん」
「……シャグマ」
1寸先すら見通せない暗闇で、シャグマの声に起こされる。魔力で視力を強化することで、周囲を把握した。
「朝……じゃないよな」
「当然、夜中も夜中。闇夜の支配する真夜中ですよぅ」
外は小雨。雨音に紛れられるし、かと言って外にいるだけで体力を奪われる程強くもない。脱走の決行には最高のロケーションだ。
「見張りはどうした? 夜中でもいつも誰かいたはずだが」
「ひひひ。食堂の食事に遅効性の睡眠薬を混ぜておきましたぁ。今頃みんなすやすやですよぉ」
「さすが」
協力するというだけの事はある。研究所は死んだように、ひっそりと静まり返っていた。
「じゃあ行きましょうかぁ。忘れ物はしないように」
「ああ」
文字通りこの身一つで召喚されたんだ。もとより大した荷物はない。俺は数日分の食料と小さな毛布だけ袋に入れて、シャグマの後に続いた。
〇
巨大な塀を身体強化して飛び越しただけで、研究所からはあっさりと出れてしまった。正直拍子抜けだ。
「なんか、思ったより簡単だったな」
「ひひひ。それはワタシが事前に警報を切ってあるからですよぉ」
よく見ると塀の上部に魔法陣が刻まれている。なるほど、これが警報か。そういう魔法もあるんだな。
なんだかオルグにあれだけ大口叩いて『正面から出てやる』とか言ってたのに、普通に夜逃げになってしまったな。若干申し訳ない。
「さて、このまま東にまっすぐ進めば王都がありますよぉ。森に沿って進めばじきに見えてくるはずですぅ」
「ああ」
とうとうこの時が来た。
このままシャグマの言う通り、まっすぐ進めばそれで終わりだ。俺はこの研究所から解放され、シャグマは土蜘蛛との因縁に決着をつけられる。だがその代償としてシャグマは死ぬ。そんな事認めない。
「シャグマ。話が」
「『睡眠(スリープ)』」
「え」
唐突に激しい睡魔に襲われる。ずん、と鉛のように目蓋が重くなり、意識がかすむ。思わず膝をつき、必死に意識を繋ぎ止める。
「しゃ……ぐま。………なにを」
「被検体さんのやろうとしている事なんて丸わかりなんですよぅ。どれだけ一緒にいたとおもってるんですぅ?」
意識が明滅する。
揺らぐ景色の中、少し嬉しそうなシャグマの笑みが見えた。
「こんな面倒臭い女でも、救おうとしてくれてありがとうございます。そしてさようなら」
だめだ。ここで寝たら、全て終わる。シャグマが、死ぬ。
俺は最後の意識を、ふり絞って、まりょく……を
「ここは……」
気づくと俺はどことも知れぬ街の中に立っていた。異国情緒溢れる石造りの街。往来は人通りも多く、賑わっている。
「おおっ!」
巨大な剣を背負った戦士、馬車を引く巨大なトカゲ、箒にのって優雅に空を飛ぶ魔法使い! 目に入るどれもが、俺が思い描いていた通りの異世界だ。
こんな光景、あの研究所にいたら、絶対に見ることは出来なかった。連れ出してくれたシャグマには感謝してもしきれない。
「シャグマ、お前のおかげだよ! ありが……」
振り返ったそこに、シャグマはいない。ただ、シャグマだったモノの死体がある。口から血を垂れ流し、苦しげに喉を掻きむしった後が痛々しい。だというのに、その表情はどこか満足気だ。
「……なんでだ」
生きてさえいれば、まだ別の可能性があったはずだ。『土蜘蛛の呪い』を解く方法が見つかったかもしれないし、土蜘蛛だけを殺す方法も見つかったかもしれない。
だが、それでもシャグマは死を選んだ。
「なんで死のうとするんだよ」
それは以前話していた、幼少のころ父親を殺した罪の意識から逃れられていないせいかもしれない。もしくは、いつか土蜘蛛に取り殺されるぐらいなら、人であるうちに誇り高く死にたいからかもしれない。
だが、そんな事知るか。
俺は、シャグマに生きていて欲しい。仲良くなった人と、もっと一緒に過ごしたい。それだけでシャグマを生かそうとする理由には十分だ。
ばちん!
「ぐっ!!」
「きゃっ」
胸に走る痛みを伴う衝撃に意識が覚醒する。咄嗟に身を起こすと、急に起き上がった俺に驚いたのか、シャグマが尻餅を着いていた。
「な、なんでぇ?」
「はっ、シャグマのやろうとしてる事なんて丸わかりなんだよ。どれだけ一緒にいたとおもってるんだ?」
先ほどの意趣返しのように言ってやると、シャグマは表情を歪めた。
今まで事あるごとにシャグマに眠らされてきたんだ。いい加減対策もする。
「なるほどぉ。服にあらかじめ魔法陣を書いてあったんですねぇ」
「そういう事だ」
俺の服に浮かび上がった魔法陣の形の焦げ跡を見て、シャグマが納得したように頷いた。
俺はあらかじめ、服に気付け用の魔法陣を書いておいたのだ。もし不意に眠らされても魔力を流して時限的に発動するように。
「さあ話の続きだ、シャグマ。俺は絶対にお前を死なせない。どうしても死にたければ、俺を倒してからにしな!」
「まったく、聞き分けのない人ですねぇ。ワタシの事は忘れて、自分の幸せを探せって言いませんでしたぁ?」
「探したさ。だからこそ俺はこうしている。俺の幸せには、シャグマ、お前が必要だ」
誰かの命を犠牲にして得た自由なんてクソ喰らえだ。たとえ俺がシャグマを犠牲に自由を得たとしても、そこには一生、『シャグマを犠牲にした』という後ろめたさがついてまわる。俺はそんなのはゴメンだ。
「覚悟しろよシャグマ。お前がどんなに嫌がったとしても、絶対に俺と一緒に生きていてもらうからな!」
「………こんな熱烈なプロポーズを受けたのは初めてですよぉ」
「え?」
俺の気持ちが伝わったのかどうなのか。若干顔を赤くしたシャグマが俯きながらも、立ち上がった。
「でも、ごめんなさい、ですねぇ。ワタシは、どぉしても今すぐ死にたいんですよぉ。たとえこの先どんな未来があったとしても、それが輝かしい未来とは限らない。だったら、せめて幸せな現在(イマ)の内に死んでおきたいっていうのはオカシな話じゃあないですよねぇ?」
シャグマの意思は硬い。
だがそうなるだろうという事は分かっていた。シャグマだって生半可な気持ちで死のうとしている訳ではない。過酷な過去、幸せな現在、不確かな未来。それらを天秤にかけ、その上で死を選んでいる。
「どうも、この話は平行線みたいだな」
「そのようですねぇ」
結局、話あった所で結論が出るハズもないんだ。どっちの主張にも、正解や間違いがない。だからこそ、答えも出ない。
「だったら、ふん縛ってでも生かし続ける!」
「やれるものなら」
俺は大地に向けて手をかざし、魔力で魔法陣を描く。すると大地が隆起し、石の棒が現れた。俺はそれを取ると、剣のように構えた。
「へぇ。少しは様になってるじゃあないですかぁ。まだまだ不格好ですけどぉ」
「うるせぇ。見た目はほっとけ」
確かにそれは剣と言うより、ただの棒だ。普段練習に使っていた木刀とは重心が違うし、何より重い。だがそれでも、何も持たないよりマシだ
「剣っていうのはぁ、こぉやって作るんですよぉ」
シャグマが大地に向けて手をかざす。俺と同様、大地が隆起する。だが違うのはここからだ。隆起したそれは材質を変え、形を変え、瞬く間に鉄刀と化した。
「ひひひ。そういえば本気で戦うのは初めてですねぇ」
シャグマが鉄刀を構える。相変わらず、やる気なさげな脱力した構え。そのまま世間話でもするような気楽さで、ゆったりと近づいてくる。
「そういえば所長と何かやっていたみたいですよねぇ。何やってたのか教えてくれませんかぁ?」
その姿が忽然と消える。
「っ!!!」
直感に突き動かされ、石刀を大地に突き立てる。
ぎゃりん!と耳障りな音を立て、シャグマの鉄刀がその表面を削っていく。
視線を下に向ければ、地面スレスレの異様に低い構えのシャグマが刀を振り切った姿勢でこちらを見ている。
瞬きの間にここまで近づかれていた事に、背筋が凍る
「っらぁ!」
咄嗟に蹴りを放つと、シャグマはするりと離れた。石刀を見ると半ばまで切り込みが入っている。刀って石を切れるもんだっけ? ともかくこれはもう使えない。
俺は新たな石刀を作ると、壊れた石刀を投げ捨てた。
「ひひひ。脆いですねぇ」
シャグマの言う通りだ。鉄と石では硬さが違う。まともに打ち合っていては勝てない。ならば攻める。
いくらシャグマでも人間だ。魔力で肉体を強化しているのは同じ。ならば渾身の一撃を叩き込めれば、それで動きは止まるはず。
「今度はこっちからだ!」
軽い、牽制気味の横なぎ。あえて剣で受けさせず、避けさせる。そのまま繰り返し、牽制を続ける。
何度もシャグマと訓練してわかった事がある。シャグマの戦い方の癖なのか、それとも剣の流派の問題なのかはわからないが、シャグマは剣を剣で受けたがらない。避けれる時には極力避ける。
それを利用するのだ。避けられている、そう見えるようして、誘導する。
とん、とシャグマの背が研究所の塀に当たる。もう逃げ場はない。ここで決める。
俺は石刀をシャグマの脳天めがけて振り下
がつん
「は?」
その腕が硬い感触に阻まれる。見れば歪に隆起した塀が石刀を防いでいる。馬鹿な。さっきまでこんなの。って、しまった!
「かはっ」
一瞬の意識の空白をつかれ、強烈な打撃が鳩尾めがけて叩き込まれる。咄嗟に身をひねり急所は逸らしたが、メキメキと肋から嫌な音がなる。
「くっ、……ぅ」
慌てて距離をとる。
折れては……いないと思う。だがヒビは入っているかもしれない。吐きそうなほど痛いが……この程度の痛み、何度も味わってきた。動けるなら問題はない。
もし今の打撃を鳩尾に受けていたら意識が飛んでいたかもしれない。それに比べれば安いものだ。
「ひひひ。まだまだ甘いですねぇ」
嘲笑うようにシャグマが笑う。
さっきまで塀にあんな隆起はなかった。つまりあの隆起はシャグマが魔法で作ったものだ。
「へっ、誘導されてたのは俺の方って事か」
「そぉいう事ですよぉ」
攻め時を見誤らせて、手痛いカウンターを入れる。シャグマの得意技だ。
何度も受けているはずなのに、まんまとくらってしまった。
「それにしても殺さないように手加減するというのは、なかなか難しいものですねぇ」
「別にいいんだぞ? 一思いに殺してくれても」
「じょぉだん。こうしてみるとなかなか面倒ですねぇ。復活というのは」
もしあの刀でモロに一太刀くらえば俺は容易く命を落とすだろう。しかしそうした場合、俺は復活する。直前に目覚めたこの場所で。
だからこそシャグマは、最初に機動力を削ぐために足を狙ってきたし、簡単に殺せる場面でも刀を使わずに打撃を使ってきたのだろう。
だがこれは逆にヒントたりうる。シャグマは俺が死ぬような攻撃はできない。足や腕などの機動力、戦闘力を削ぐ攻撃をしてくるハズだ。つまりそこに気をつければ
「ってうお!」
するりと顔面すれすれに突き出された鉄刀を何とか交わす。死んでも問題ないとはいえ、顔面に飛んできた物は反射的に避けてしまう。
「くっ」
無理に避けたせいで体勢が崩れた所を狙われる。狙われるのはやはり足や腕。何とか全力で感覚と肉体を強化して距離をとる。
「ひひひ。やっぱり復活するとはいえ、死は怖いものなんですねぇ」
「ったり前だ」
最悪の場合、無理やり急所で受けて復活する戦法も考えなかったわけじゃない。だがこうして実際に目の当たりにしてわかる。無理だ。反射的に避けてしまう。これは生物なら仕方のない反応だろう。
「ほらほら。これで終わりなんですかぁ? 毒薬飲んじゃいますよぉ?」
「っ!」
ポーチに手を伸ばしたシャグマを見て、咄嗟に剣を振るう。攻め手を緩めてはいけない。しかし突破口も見い出せない。
攻撃は当たらないし、無理に責めすぎればカウンターをくらう。
「ほいっ」
「あっづ!!!」
膠着した戦闘へのイラつきを見透かされたか。一歩踏み込んだ所で目の前に突如生じた炎に顔が飲み込まれる。
炎は雨もあってすぐに消えた。だが一瞬の目くらましでも十分すぎる。
「ぐあっ!!」
咄嗟に避けたが胴が浅く切りつけられる。痛みに呻く。だが足を止めればそれこそ格好の的だ。
「『石柱』! 『石柱』『石柱』」
「おっとと」
地面からせり出した3本の石柱がシャグマの追撃を阻む。何とか致命傷は避けられた。だが、このままではまずい。あまりにも素の戦力差が違いすぎる。
「そろそろ分かったんじゃあないですかぁ? 被検体さんじゃあワタシには勝てないですよぉ」
「うるせぇ。できるできないの問題じゃねぇんだよ」
悪態をついたはいいが、勝ち目は思いつかない。
「それにぃ、被検体さん気づいてます? 今ワタシが胴を切った理由」
「え?」
確かに、なぜだ。さっきまで俺の復活を恐れて命に関わる場所は避けていたのに。もし俺が避けなかったら、間違いなく俺は死んで……まさかっ!
「気づいたみたいですねぇ」
シャグマの背後、遠く離れた場所に歪に隆起した塀が見える。俺の復活地点はあの付近だ。もし俺が死んで復活してからここまで戻ってくるのには短く見積もっても数十秒はかかる。
そしてそれだけあれば、シャグマが毒薬を飲むには十分すぎる。
「戦力差は歴然。復活も封じられた。さぁ、被検体さんはどうしますぅ」
絶望が、重く体にのしかかる。
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