第17話
遠くから聞こえる雨の音で目を覚ました。
視線を巡らせる。ひどく散らかった研究室。シャグマの部屋だ。どうしてここに?
ゆっくりと身を起こすと、体にかかっていたシーツが滑り落ち、裸体が露わになる。それを見て、昨日あった事を思い出した。
「……俺は」
媚薬をもられ、シャグマとやった。
自分の獣欲を抑えきれなかった。
深い後悔が、重くのしかかる。
「そうだ」
やった、という事は『土蜘蛛の呪い』が移ったという事だ。とすると体のどこかにシャグマと同じような症状が出ているかもしれない。
しかし体を見回しても、どこにも変化した様子はない。顔や背中も触ってみたが、特に違和感はない。もしかして俺には移らなかったのか? それとも潜伏期間とか? ……いや、まさか、もう
「実験は終了しましたよぉ。お疲れ様です、被検体さん」
「……シャグマ」
両手にコーヒーを持ったシャグマが姿を見せる。俺は差し出されたそれを受け取ると口をつけた。独特の苦味が口内に広がる。
「実験は終了って事は……もう毒薬を使ったのか」
「えぇ。しっかり撮影ずみですよぉ。見ますぅ?」
「いや、いい」
誰が好き好んで自分が死ぬ様を見たいと思うのか。
だが俺が裸だった理由はわかった。事後だからではなく、俺が死んで復活したからか。
「それで、実験は成功したのか?」
「えぇ。バッチリですよぅ。土蜘蛛は完全に死滅しましたぁ」
シャグマは心から嬉しそうに語る。だが俺の胸にはいまだに黒いモヤがわだかまっていた。だってそうだろう。これでシャグマはいつでも死ねる。これではまるで、俺がシャグマを殺したといっても
「まぁだウジウジ考えているんですかぁ」
「あだっ」
びしっ、と指先で額を弾かれ仰け反る。
「そんなにワタシが死ぬのが嫌なんですかぁ?」
「当たり前だろ。どんだけ一緒に過ごしてきたと思ってるんだ」
「ひひひ。愛されたもんですねぇ」
「茶化すな。ばか」
愛がどうとか、そういう理由ではない。ただ、近しい人間に少しでも長く生きていて欲しいというのは、人間として当然のエゴだ。たとえ、相手が死を望んでいたとしても。
「ま、もう来るとこまで来ちゃったんですからぁ。被検体さんはワタシの事は諦めて、自分の幸せを追い求めてくださいねぇ」
「俺の、幸せ……」
俺がしたい事。俺の望み。それはなんだ?
俺は……
「……わかった」
「ひひひ。分かってくれたならいいんですよぅ。さぁて、それじゃあ脱走の方法について話しましょうかぁ」
「ああ。それなんだけど、一月、待ってくれないか?」
「ええ?」
シャグマが表情を歪める。
当然だ。そもそも俺は脱走したいからシャグマに協力していたんだ。それを今更待ってくれと言われても、なぜ、となるだろう。
それにシャグマが毒薬を飲むのは、俺が脱走した後という約束だ。見た目によらず真面目なシャグマはそれを反故にして一人で毒薬を飲むなんて事はできないだろう。
「少し、この研究所でやり残した事があるんだ。一月で終わらせるから、待っててくれないか」
「一月ぐらいならいいですけどぉ。それ以上は待ちませんよぉ。駄々こねても外にほっぽり出しますからねぇ」
「ああ、それでいい」
俺はその辺に脱ぎ散らかされていた服を着ると扉に手をかけた。
俺は諦めない。俺の周りで死んでいいのは俺だけだ。
〇
俺はとある研究室の扉の前に立つ。ここを訪れるのは初めてだ。少しばかり緊張する。
とはいえ今更引けない。俺はその扉を叩いた。
「誰かね」
「リンネだ」
「入りたまえ」
短いやり取りの後、中に入る。
「お前が私の研究室を訪ねるとは、珍しい事もあるものだな」
「オルグ」
オルグの研究室はシャグマとは対照的に整然としている。研究者として男爵の地位まで上り詰めただけはある。ただ一点、その中に釣らされている巨大なサンドバッグだけが異様に浮いていた。
「話がある」
「聞こう」
オルグは書類と奮闘していた手を止めると、促すようにこちらを見た。
「俺は1ヶ月後、ココを出る」
「ほう? それはつまり、脱走する、という事かね?」
「そうだ」
オルグは不審そうに眉をひそめた。
当然だ。わざわざ脱獄の計画を囚人が話しに来たようなものだ。オルグからすればワケがわからないだろう。
「なぜだ? なぜわざわざ話しに来た?」
「最低限の義理は果たして置こうと思ってな。それに、今からするお願いを考えたら、大して意味はないさ」
「お願いだと?」
「俺が脱走するまでの一月。それまでに、俺をこの研究所内の誰よりも強くしてくれ」
誰よりも……そう、シャグマよりも。
毒薬を完成させてしまったシャグマは、もう言葉で止める事はできないだろう。だったら力ずくで止める。そして、シャグマが死ななくてもすむ方法を探しに行く。
それが俺の望みだ。
「なんたる傲岸不遜。お前は私に、私自ら脱走の手助けをしろと言うのか」
「そういう事だ。俺は逃げない。俺は一月で最強になって、正面から大手を振って外に出る」
ここまで呆気に取られた表情のオルグは初めてだ。この顔が見られただけでもここに来たかいはあるかもしれない。
「ふっふっふ。面白い。その挑発に乗ってやろう。もとよりお前を最強にするのが私の目的なのだ。これより一月、私自らお前を鍛え上げる。もしかしたら私を超える事すら可能かもしれないな。お前が着いてこれれば、の話だが」
「当然。俺にはやらなきゃいけない理由がある。やってやるさ。どんな事でも」
ふっ、とオルグが相好を崩す。するりと右手が差し出された。握手だろう、俺もそれに応じる。
「よろし……えっ」
ぐん、と圧倒的なパワーで引かれ、体が宙に浮く。そのまま急速に近づく壁。咄嗟に全身を魔力で強化する。
「がはっ」
壁をぶち抜き、地面に投げ出された。魔力で強化したはずの肉体にも、体がバラバラになったかと思うほどの衝撃が走り、一瞬呼吸が止まる。
「はっ」
砂煙の奥から飛んできた石槍をスレスレで避ける。寝転がっていてはいい的だ。連続で飛んでくる攻撃を避けながら、何とか体勢を整える。
「どうしたリンネよ。既に訓練は始まっているぞ」
「へっ不意打ちしといてよく言うぜ」
「不意打ちとは人聞きの悪い。教育的指導と言ってもらおう」
姿を表したオルグの前方に無数の魔法陣が現れ、石槍を発射された。
避けきれない事を悟った俺は感覚を強化し、地面に刺さっていた石槍を引き抜き、それらをうち払う。
「ほう。成長したではないか。今ので殺せると思ったが」
「当然だ。死ねない理由があるんでな!」
こんな所で死んでいたら、脱走など夢のまた夢だ。俺は石槍を手に、不敵に笑うオルグへと突っ込んだ。
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