第11話

「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」


 ああ、筋肉の鳴き声が聞こえる。

 微睡みから眼を覚ませばそこには躍動する筋肉。滝のような汗を振りまきながらスクワットをしているオルグに俺は声をかけた。


「……おはよう、オルグ。今日も朝からむさ苦しいな」

「おはようリンネ。お前も一緒にどうだ?」

「遠慮しておく」


 久しぶりに見るオルグは相変わらずむさ苦しく、特に変わった様子はない。昨日の召喚の失敗で落ち込んだりしているかと思ったが、特にそういう事もないようだ。


「そういえばオルグ、召喚魔法はもうやんないのか?」

「うむ。ひとまず中止だな。少なくとも、昨日の失敗の原因がわかるまではな」


 原因不明の失敗か。

 あれだけの準備期間と規模だ。時間だけでなく金も相当かかっているだろうし、そう何度も実験を繰り返すことはできないだろう。これはしばらく召喚魔法の実験は行われないか。実験のために朝の訓練にいなかったオルグがココにいるのがその証拠だ。

 まあ俺にはあまり関係の無い話か。


 俺は軽く伸びをして立ち上がると、いつもの日課をこなす為に水晶球を……準備しようとしてどこにも水晶球がない事に気づいた。


「ああ、リンネ。その魔力訓練だが、今日はしなくていい」

「はあ? なんで?」

「お前の魔力量もかなり増えてきたからな。空の水晶球を用意するのも大変なのだ」

「ふーん?」


 確かに今の俺の魔力は約5人力ぐらいある。その魔力を空にするのに毎回5個の水晶球×100回だ。今さらだが毎日毎日よく用意できたものだと思う。


 だがひとつ気になるのはこの間の召喚の時の事だ。魔法陣の周囲に並べられた、魔力の込められた大量の水晶球。おそらく魔法陣に魔力を供給するためのものだろう。そしてそれは俺が魔力訓練という名目で魔力を込めたものだ。


 もしかして水晶球を用意出来なくなったのは、召喚実験が中止になって水晶球の魔力を使う先が無くなったからでは?

 そうだとすると召喚実験の中止は俺にも関係のある話なのか。


「まあいいや。じゃあ俺は今日何すればいいんだ? 二度寝?」

「そうだな……では今日は私と手合わせでもしてもらおうか」

「えー……」

「最近は訓練を見ていなかったからな。どれだけ成長したか私に見せてくれたまえ」


 最近っていっても、10日間ぐらいだ。そんなすぐに成長できるようなら、俺はとっととココを逃げ出している。


「そんな大して見せるものなんてなぁ」

「男子3日合わざれば、とも言う。さあ、どこからでもかかってこい」


 オルグは既にファイティングポーズをとってやる気満々だ。面倒だが仕方ない。


「武器の使用は?」

「構わん。好きに使え」


 好きにしろって言われてもオルグは丸腰だ。武器どころか、防具すらつけていない。そんな相手に何の臆面もなく武器を振るえるわけがない。

 とはいえ相手は筋肉ダルマだ。何も持たないのはあまりにも心許ないので俺は木刀だけ借りる事にした。


「準備はできたか?」

「ああ、いくぞ」


 俺はオルグに向けてかけ出すと、木刀を振りかぶり振り下ろした。オルグはそれを防ぐでもなく、避けるでもなく肩の筋肉だけで受け止めた。


「え」


 まるで鉄骨を叩いたかのような反動が、木刀を握る手を襲う。なんだこれ、人間を叩いた感触じゃないぞ。本当にこいつ人間か?

 オルグはチラリと木刀に一瞥をくれると、その拳を







「あれ」


 空が青い。朝の肌寒い風が体を刺す。

 一瞬夢でも見ていたんじゃないかと思うが、服を着ていないことから自分が死んだのだと気づいた。


 体を起こすとオルグの前に首が前後逆を向いている俺の死体がある。いったい何をされたのかまったくわからなかった。ただ俺が死んだという結果だけがそこにある。


「……この程度なのか?」


 オルグはどこか悲しそうな表情で問いかける。

 失望した? 期待外れ? そんな感じの表情だ。


「いやまだだ。今のは油断しただけだ!」

「そうか。なら次は本気でこい」


 その表情がどうにもムカついて、思わずいきり立つ。

 俺は死体から服を剥ぎ取ると、血にまみれたそれを身につけた。べっとりと冷たくへばりつく感覚が気持ち悪い。


 俺は訓練場の隅に置いてある訓練用の武器置き場からバスタードソードを取り出した。さすがに刃は引いてあるとはいえ、刃渡り130cmほどの鉄の塊だ。ずっしりとした重量感が頼もしい。いくらオルグでもコレを喰らえば一溜りもあるまい。


 いくら俺のような戦闘初心者でも、もうこの世界に来て数ヶ月だ。その間毎日、来る日も来る日も訓練してきたんだ。目にもの見せてやる。


「いくぞ!」


 俺はバスタードソードを型に担ぐように持つと、駆け出し





 そして気づくと空を仰ぎみていた。


「……今後は戦闘指導員を変える必要があるな」

「オルグ……」


 オルグは身を起こした俺にローブを被せると、訓練場を後にした。その背中はどうにも悲しそうに見えて、俺はかける言葉を見失った。


 〇


「って事があったんだ」

「へぇ~」


 魔法の勉強の時間、俺はシャグマに今朝の事を話していた。


「でぇ? その話がなんなんですかぁ? 被検体さんが弱いのは今に始まった話ではないですしぃ、そもそも被検体さんは強くなることにあまり興味はないんですよねぇ?」

「いや、それはそうなんだけど……」


 正直最強がどうとか、そういうのはどうでもいいんだ。ただ、低く見られるのは好きじゃないし、人からかけられた期待に応えられない、というのはどうにも気分が悪い。自分でも簡単な性格だとは思うが、そういう性分なんだ。

 自分でも言語化しにくいが、とにかくモヤモヤする。


「でもそうですねぇ。被検体さんが弱いのはぁ、今後被検体さんが脱走するに当たって良くないですねぇ」


 〇


「で、戦闘訓練をお前がやんのかよ」

「ひひひ、不満ですかぁ?」


 目の前に立つシャグマはあまりにも貧弱そうに見える。線が細いし、右目を覆う包帯と深いクマに覆われた左目は病人を思わせる。いや実際に病人なんだが。

 もっとも、シャグマが見た目通りのひ弱な女じゃないという事は知っている。だが戦闘というのはただ力が強いだけでは勝てない。シャグマがどれくらい戦えるのかは未知数だ。


「心配しなくても被検体さんよりは強いですよぉ。小さい頃から実験材料は自分で調達してたくらいですしぃ」

「……ならいいんだけど。怪我しても文句言うなよ」


 俺は木刀を中段に構えた。対するシャグマは丸腰だ。どころかローブのポケットに手を突っ込んだまま、構えようともしない。随分と舐められたもんだ。


「ふざけやがって」


 怒りに任せて突っ込む。木刀を上段に振り上げるが、それでもシャグマは動かない。


「おらぁ! ……あれ?」


 絶対に当たったと思った。だがシャグマは寸前で煙のように消えてしまった。狐に化かされたような気持ちになり思わず呆ける。


「どこ狙ってるんすかぁ?」

「あだっ」


 後ろから突き飛ばされて地面に倒れ込む。驚いて振り返るとちょうど足を下ろすシャグマと目があった。

 そんな、いつの間に後ろに回り込んだんだ?


「ほら、いつまで座ってるんすかぁ? それともこれが限界なんですぅ?」

「う、うるさい!」


 どうやらシャグマも少しはやるらしい。少しばかり驚いたが、俺もまだ本気をだしたわけではない。


 立ち上がりざまに木刀を振り上げる。しかしそれは一歩下がっただけで避けられた。


「くっ、まだまだぁ!」


 切り返し、横薙ぎ、突き、と続け様に木刀を振るう。だがそのどれもが空を切るばかり。シャグマには最小限の動きで避けられ続ける。まるで宙を舞う木の葉と戦っているように手応えがない。


「はぁ、はぁ。やるじゃねぇか」

「ん? もう終わりですかぁ?」

「まだだ。この力はあまり使いたくなかったんだが」


 俺は姿勢を整えると深呼吸をした。全身に酸素を送り込み、全身の筋肉と丹田を繋ぐ回路を形成する。


「点火」


 魔力を燃料に活性化した筋肉が燃え上がる。実際に燃えているわけではないが、重要なのはイメージだ。


「いくぞおらぁ!」


 一歩の踏み込みで大地を砕き、弾丸のように飛び出す。全身が軋み悲鳴を上げるが全て無視する。


「はっ」


 渾身の突きは避けられた。だがまだだ。ガムシャラに木刀を振るう。もはやその剣速は俺の目には捉えられないほどだ。だというのに


「なんで、1回も、当たんない!」


 シャグマはその全てを紙一重でかわしていた。余りの手応えの無さに幻を相手にしているんじゃないかと思ってしまう。


「そろそろ終わりにしましょおかぁ」

「な!」


 ピタリと木刀が止められた。

 振り下ろした木刀がシャグマの右手に掴まれている。そのまままるで固定されているかのように微塵も動かない。


「くそ」


 取り返せないなら仕方ない。俺は木刀を手放すと大きく距離を取った。


「おぉい。被検体さん? 終わりにしましょうよぉ」

「うるさい。やられっぱなしで終われるか!」

「存外負けず嫌いなんですねぇ」


 次の一撃に全てを込める。

 もっと、もっと早くだ。もっと魔力を燃やせ。


「うぉぉおおおお!」


 地面が踏み込みに耐えきれず弾け飛ぶ。

 景色が光のように流れ、急速に近づくシャグマ。俺はその横っ面に拳を






「あれ」


 気がつくと俺は夕焼け空を見上げていた。もうじき日が暮れるだろう。

 ってそうじゃない。


 身を起こして訓練場を見渡す。シャグマの目の前に、いつの間に出来たのか巨大な石壁がある。その石壁に赤い花が咲いていた。その周囲には大量の肉片が散らばり、そこで起きた惨状を彩っている。


 察するに、俺が突っ込んだ瞬間にシャグマが石壁を作り、俺はそれに激突して死んだって所か。なんとマヌケな。


 ばさり、と顔を何かに覆われる。剥がしてみるとシャグマのローブだった。そういえば今死んだせいで全裸だったな。シャグマが投げ渡してきたローブを羽織る。


「気は済みましたかぁ?」

「……ああ。すまん。熱くなりすぎた」


 あまりにも攻撃が当たらなすぎた。攻撃を透かされ続けるのがあんなにストレスになるとは。こんな無力感は久しぶりだ。


「シャグマ。俺は何がダメだったんだ?」

「うぅん、全部?」

「全部!?」

「まず攻撃が愚直すぎますよぉ。次にどこに攻撃したいのか、どういう風に攻撃したいのか丸わかりでずしぃ。相手は案山子じゃないんですから、もっとフェイントや牽制をいれないとぉ」

「うっ」

「あと姿勢が悪いですねぇ。本当に剣をならったんですかぁ? 振った後、体が剣にもってかれてますよぉ。そのせいで次の攻撃への繋ぎ方がぎこちないですぅ。まずは素振りと型の練習ですねぇ」

「ううっ」

「それとあの程度の手合わせで息切れしてるのはいただけませんねぇ。スタミナ不足ですよぉ。訓練メニューに赤い靴ランニングを追加しましょうかぁ?」

「それだけはやめてくれ!」


 ううっ、トラウマが蘇る。

 呪われた赤い靴を履き延々と走らされて死んだ、苦い思い出だ。この世界に来て何度も死んだが、あれを超える苦しみはない。


「まぁでも、一番はアレですねぇ」

「まだ何かあんのかよ」

「どうして感覚を強化しないんですかぁ?」


 痛い所をついてくる。そりゃ気づくか。


「筋肉は強化しているのにぃ、感覚を強化しないせいで完全に体に振り回されてましたよぉ。感覚を強化していれば、ワタシの出した壁も見てから反応出来たはずですしぃ」

「それなんだけどさ、俺2つ以上の器官を同時に強化するの出来ないんだよ」


 筋肉だけの強化、感覚だけの強化はできる。だがそれを併用する事が出来ないのだ。だから筋肉を強化する時も骨を痛めないようにギリギリの出力にしている。


「なるほどぉ。どぉりで」

「なんかコツとか無いのか?」

「うぅん。こればっかりはセンスと練習量の問題ですしぃ」


 センスかぁ。

 2つ以上の器官を強化するのは、例えるなら右手でけん玉しながら左手でヨーヨーしているようなものだ。練習すればいずれはできるようになるかもしれないが、そもそもの才能(センス)によるところも大きい。

 単独の強化自体は出来るから、後は地道な努力しかないのか。まあそう簡単な抜け道みたいのはないよな。


「結局、ものを言うのは地道な努力か」

「そういう事ですよぅ。じゃあ地道な努力、やりましょうかぁ。まずは素振り1000本ですよぉ」

「え」


 〇


 夜、自室に帰ってきた俺は崩れ落ちるようにベットに倒れ込んだ。


「おやおや~リンネさん。今日は随分とお疲れですね~」

「カレンさん……。シャグマの奴、酷いんですよ。アイツ、アイツ……っ! 俺の事殺してくれないんです!」

「……何が酷いのか分かりかねます~」


 シャグマの訓練は見かけによらずスパルタだった。素振り1000回、型練習、シャグマとの手合わせ。どれも辛いが、何より辛いのはそれらの訓練の中で1度も殺されることがなかった事だ。

 俺の復活は死ぬと体力も回復する。だから疲れたら1度死んでおくと体力も気力も回復して万全の状態で再び訓練に望めるのだが、シャグマはそれをしてくれなかった。


『万全の状態で万全の動きをするなんて、当たり前じゃあないですかぁ。重要なのは、極限状態でも万全の動きができるかどうか。少し疲れただけで動きが崩れるようじゃあ、身についているとは言えませんよぅ』


 という事らしい。一理ある。一理あるが……めちゃくちゃ辛い。


「確かに~世の中にはスキルを封印してくるダンジョンや魔物もあると聞きますし~そういう時に復活に頼りきりだと困ったことになりますしね~」

「え、まじで。そんなのがあるんすか?」

「ありますよ~。とはいえ~そういうのはかなり限られた存在ですから~そうそう出会う事は無いでしょうけど~」


 まじか。俺の復活を封印してくる、だと。

 復活の無くなった俺とか味のしなくなったガム、音の出ないスピーカーみたいなモノじゃないか。


 これはもっと真面目に訓練しないとまずいかもしれない。

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