第9話

 さて、脱走することを決めたとは言ったが、今すぐ何か事を起こせるわけではない。


『脱走するにしてもぉ、被検体さんは弱すぎますよぉ。毒の研究にも時間がかかりますしぃ、しばらくは真面目に修行して強くなってくださいねぇ』


 シャグマ曰く、そういう事らしい。

 理想としては誰にもバレずに逃げ出す事だが、不測の事態に備えて強くなっておくことに異論はない。というわけで今日も訓練だ。


 最近は魔力増加の訓練も水晶球ひとつじゃ足りなくなって3個を同時に使っている。この調子だとそのうち水晶球の海にダイブする事になりそうだ。


「うっ」


 しまった。魔力を、出しきれなかった。思わず膝をついて頭を抱える。

 頭が割れるように痛い。視界がぐるぐると回り、自分が今どんな状況なのかすら分からなくなる。ただただ気持ち悪くて吐き気が止まらない。

 二日酔いと乗り物酔いとインフルエンザの合体技がドロップキックをかましてきたような、そんな感覚だ。しかも無性に死にたくなり『俺なんで生きてんだろ』みたいなネガティブな思考が止まらない。


「大丈夫ですか?」


 俺の死体を片付ける役の人が何かの魔法で俺の命を刈り取る。


 目を覚ますと、不快感や痛み、鬱の症状は嘘のように消えていた。助かった。魔力欠乏症の症状はめちゃくちゃ辛いんだよな。

 この世界の人があまり意図的に魔力を鍛えたがらないと聞いたときは『もったいない』と思ったもんだが、今ならその気持ちもよく分かる。あんなの味わうくらいだったら、俺なら絶対魔力鍛えたりしない。俺だってこの『復活』の力が無かったら、絶対にやらなかった。

 それにしてもこの『復活』は便利だ。体力、魔力だけでなく、精神状態なども完全に回復した万全の状態で復活してくれる。おかげで夜に体を軽く拭いているだけなのに臭わないし、髪もサラサラ肌もつるつるもちもち。

 便利すぎて頼ってるとそのうち痛い目見そうだ。


「うーん大分死にづらくなってきたみたいですね」


 研究員の人が話しかけてくる。確かにこの調子だと困る。


「ってか魔力ってまだいるんすか? 今の俺の魔力ってどのくらいなんすかね?」

「そうですね。詳しい検査はしていないので正確ではないですが少なくとも3人力ぐらいは」

「3にんりき?」


 聞き慣れない単位に思わず首を傾げる俺を見て、研究員は水晶球を取り出した。


「この水晶球にいくつ魔力を満タンまで込められる魔力量か、という指標です」

「俺は3個でああなったからそれぐらい、と。それは分かったけど、なんで単位が人力なんだ? 水晶球の方を単位にすべきじゃ?」

「それはこのサイズの水晶球に込められる魔力が、平均的な魔法使いの総魔力量だからです」


 なるほど。つまり俺は常人の3倍の魔力量を持っているのか。始めは6歳児並とかだったのにだいぶ増えたもんだ。まあかなりズルい事してるもんなぁ。


「ってか、そんなに増えたのにまだこれ続けるのか? もう良くないか?」

「いえいえ。魔力はいくらあってもいいモノです。所長からも絶対に続けさせるように言われておりますので」

「へいへい。……そういえば今日はオルグ居ないのな」


 普段俺が目を覚ますと訓練場でトレーニングに励んでいる筋肉ダルマの姿がない。いるとむさ苦しいから別にいなくていいんだが、いないとそれはそれで気になる。


「所長はいま、別の実験の準備に忙しいので」

「へー。別の実験って?」

「それは言えません。機密ですので。ほらリンネさん。そろそろ訓練の続きを」

「はーい」


 それから俺の魔力訓練に介錯役が追加された。なんだかどんどん俺の訓練が人道を外れていく。


 〇


「ひひひ、授業の時間ですよぉ」

「え」


 午前の魔法の授業の時間、談話室に着いた俺が見たのは教鞭を片手に黒板を陣取るシャグマの姿だった。


「今日はシャグマがやるのか? いつもの人は?」

「代わってもらいましたぁ。最近何かと忙しいですしぃ、みんな自分の研究を進めたがってますしねぇ」


 なんだか悪い事を考えている顔だ。


「……ちゃんと授業はやるんだろうな?」

「もちろんですよぉ。被検体さんが弱っちいと後々困りますしぃ。せめて中級魔法使い試験ぐらいは合格してもらわないとぉ」

「試験? 魔法使いに試験があるのか?」

「ありますよぉ。合格すればちゃぁんと国からの証明書も出る、正式な奴ですよぅ」


 まじかよ。結局俺は異世界に来ても試験や勉強から逃れる事は出来ないのか。

 なんかむしろ異世界来てからの方が真面目に勉強してる気がする。英語はついぞ使いこなせなかったが、この世界の文字はだいぶ読めるようになってきたし。人間、環境が変わると変わるもんだな。


「初級、中級、上級とあってぇ、初級をとれば傭兵としてある程度はやっていけます。中級をとれば基本的に食いっぱぐれる事はないですよぉ」

「へぇ。ちなみにその試験てのはどんな試験なんだ?」

「初級は『10種の魔法を使える事』。これは暗記さえすれば誰でもとれますよぉ。難しいのは中級から。『自分で魔法陣を組んで簡単な魔法を作れる事』ですよぉ」


 それは確かに大変だ。魔法の勉強を始めてわかったが、ゼロから魔法陣を組むのはかなりの知識と練習がいる。

 魔力回路の組み方、指示の出し方、処理の順序、正確なライン、などなど覚える事は多い。


 ……やっぱり日本での生活の方が楽なんじゃないか?


「それでぇ、被検体さんはどれくらい勉強したんですぅ?」

「まあ、一通りは、いちおう」


 基礎はいちおうやった。どれくらいそれが身についたかは……自信がないが。


「じゃあ、テストしましょうかぁ」

「げっ」

「ひひひ、なんだか学生の頃を思い出しますよぉ。あの時の先生方はこんな気持ちでテストを出してたんですねぇ」


 楽しそうに笑うシャグマ。だがコッチは何も楽しくないぞ。俺がこの世で最も嫌いなのは突然くるテストとゴキブリなのに。


「そう身構えないでくださいよぉ。被検体さんの実力を見るだけですしぃ、出来なかったとしても特に何もしないですよぅ」

「……ならいいけど」


 俺の前に2枚の紙とペンが置かれる。1枚は問題用紙、もう1枚は回答用紙だ。

 異世界モノだと紙は貴重な物として描かれる事も多いが、この世界では割とありふれている。ただ、鉛筆がないから書き直せないのは不便だ。


「問題用紙が足りなくなったら言ってくださいねぇ。じゃあ始め」


 仕方ない。やってやる。

 どうせココから脱走した後も魔法は使うことになるんだ。今やっておくのに越した事はないだろう。


『問1、発火系統の魔法陣を書け』


 1問目は、まあ簡単だ。指令は『炎を出す』だけだから。綺麗な線さえ引ければいい。


『問2、火球を飛ばす魔法陣を書け。また、セーフティとして『シャグマ先生素敵』を呪文として組み込むこと』


 2問目は……一部ふざけた文があるが、問題自体はちゃんとしている。火球を出すには『炎を出す』『燃え続ける』『形を整える』『発射する』といくつかの工程が必要だ。それらを処理順を間違えないように回路で繋ぎ、さらに最後にオリジナルの呪文を入れる。かなり正確な理解が求められる。


『問3、北西に10メルト離れた場所にシールドゴブリンと、その背後に隠れるようにゴブリンアーチャーがいる。この2体を1度の魔法で倒す魔法陣を書け。なお、風は南東方向に強風、空気中魔力は低濃度状態とする。また、任意の呪文を設定する事』


 3問目、なんだこれは。いろいろとよく分からない条件がたくさん書いてある。10メルト? 風向きを考慮? 空気中魔力とは?

 うん、わからん。


「素敵なシャグマせんせー。おわりましたー」

「お疲れ様ですよぉ。じゃあ採点していきましょうかぁ」


 シャグマは俺の回答用紙を持つとどこかへと行こうとする。


「あれ、どこ行くん?」

「どこって訓練場ですよぉ。魔法陣が合ってるかどうか確かめるには実際に起動してみるのが一番ですしぃ。被検体さんも早くきてくださいよぅ」

「あ、俺も行くんか」


 〇


「さぁて、今回の問題ですがぁ、それぞれ初級、中級、上級の問題を再現してあるんですよぉ」

「なるほど」


 確かにそれぞれ難易度がはっきり別れていた。3問目とかわけわかんなかったしな。


「さぁてまず一問目ですねぇ。じゃあ被検体さん、実際にやってください」

「え、俺がうつのか。でも俺、空中に魔力で魔法陣を書くやつ出来ないんだけど」


 以前オルグがやってみせたアレ、案外難易度が高い。繊細な魔力操作が求められる。俺が魔力で線を引こうとすると、どうしてもブラシのように拡散してしまうし、すぐに空気中に魔力が散ってしまう。

 なんやかんやでオルグは凄い奴なのだ。魔法の勉強を始めてからその事はよくわかった。ただの筋肉ダルマではないのだ。


「仕方ないですねぇ。紙に書いた魔法陣に魔力を流して起動させていいですよぉ」

「前それで火傷したことあるんだが」

「その紙は耐火性の紙ですし大丈夫ですよぉ」

「……そうか、じゃあ、わかった」


 まず1つ目だ。

 初めて魔法を使った日の二の舞にはなりたくないので、なるべく体から離して使う。


「ほい」


 ぼ、と小さな火が生まれ、地面に落ちていく。

 まあこんなもんだろう。


「はぁい、よくできましたぁ。じゃあ2問目どうぞぉ」


 ぱちぱちとシャグマの拍手が響く。若干照れくさい。だが真に恥ずかしいのは次だ。

 線に沿って魔力を流し、魔法の待機状態にする。後はセーフティとなっている呪文さえ唱えれば発動するのだが……ええい躊躇してもしょうがない。悪いのは俺じゃないし。


「しゃ、シャグマ先生素敵」


 ぼっと魔法陣に火がつく。だがその火は火球として打ち出される事無く地面に落ちていってしまった。


「あれ?」

「失敗、ですねぇ」


 シャグマが近づいてきて俺が書いた魔法陣の一部分を指差す。


「『炎を出す』と『火球の形成』の間に『炎の保持』が抜けてますねぇ」

「あ、そうか」


 確かにこれだとせっかく出した炎が落ちてしまう。机の上に置いて上に打ち出す分にはこれで良いかもしれないが、標的に向けて打ち出す場合には魔法陣は横向きになるし、これではダメだ。


「うーん。もしかしてぇ、被検体さんは魔法陣を暗記してないんですかぁ?」

「え? まあしてないな。オルグに『丸暗記しても応用が効かない』みたいな事言われたし」

「それはちょっと違いますねぇ。本当に特定の魔法陣の暗記だけをして終わる場合は確かに応用は効かないですけどぉ、ある程度理論を覚えたらむしろ魔法陣は暗記するべきですよぉ」

「どういう事だ?」


「魔法の応用なんてのはそんなに難しいモノじゃないんですよぉ。例えば問3の場合、普通の火球の魔法に、風の影響を受けにくい形に整形、低濃度の魔力でも打てるように使用魔力を多めに、2匹を同時に倒せるように着弾後に爆発、などの司令を追加すればぁ」


 シャグマが空中に魔法陣を描いた。すると燃え盛る炎の槍が現れ勢いよく飛んでいく。炎の槍は大地に突き刺さると爆発し、周囲を炎で飲み込んだ。


「この通りぃ」

「おおー」

「でもぉ、毎回一から魔法陣書いてたら面倒ですし時間かかりますよねぇ。だからよく使う基本的な魔法陣は覚えとくんですよぅ。その方が楽ですしぃ、例を憶えておくと別の魔法陣を書く時に役に立ちますよぉ」

「……なるほど」


 確かに英語でも例文を覚えるのは役に立つって言うしな。I have an appleを暗記しても日常では役に立たないが、その文法自体は役に立つ、みたいな。ちょっと違うか。


「よし、じゃあいっちょ覚えるか。シャグマ、よく使う魔法陣って例えばどれを覚えればいいんだ?」

「そう言うと思ってリストをまとめておきましたよぉ」


 ばさりと10枚ほどの紙束を渡される。やたら用意がいいが有難い。


「どれどれ……『火球』『水流』『石柱』『自爆』『風刃』『氷槍』……『自爆』!?」


 使い勝手の良さそうな魔法の中に、一つだけ何食わぬ顔でとんでもない魔法が混じっている。


「おいシャグマ。なんだこの魔法は」

「んぅ? 何か問題でも?」

「問題大ありだ! なんで『自爆』がよく使う魔法陣の中に入ってるんだよ!」

「でもぉ、被検体さんにとっては使いやすいでしょぉ? 使っても死なない上に高威力ですからねぇ」

「いやそれはそうだけど……」


 確かにそう言われると合理的な気がしてきた。それにもう何度も死んでるし、今更な気がする。


 ……まあ切り札として考えておくか。

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