第8話

「はぁ、さっむ」


 相も変わらず朝早くから訓練場に連れ出される。寒いからこの起こされ方は好きじゃない。せめてカレンさんが優しく揺すりながら起こしてくれるとかだったら良かったのに。


「ふむ。リンネよ。今日は起きるのが早かったな」

「そうか? いつもと変わんないと思うが」


 目を開けるといきなり視界に入るのが筋肉ダルマの筋トレ姿というのもマイナスポイントだ。朝っぱらからこの光景はカロリーが高すぎて胸焼けする。


「まあいいや。水晶球出してくれ。寒いからとっとと終わらせて中入ろう」


 研究員が水晶球と『魔力吸収』を付与するための魔法陣を貼り付けた。後はこれを100回やったらいつものノルマは終わりだ。


「ほいっと」


 水晶球に触れると丹田が強烈に引き込まれる。最近は魔力が増えてきたせいで、下手に抵抗すると死ねなくなってしまった。だからあえて水晶球に魔力を送るようにしている。こうした方が苦しまなくてすむ。


「なんて、死に慣れるなんてココに来たばっかの俺からしたら考えられなかったな」


 目を覚ますと、そこは見慣れた天井だった。

 天井がある。そう、ここは俺が寝るために使っている部屋だ。

 シャグマがやってきた後、俺は眠らずに起きていた。復活地点は最後に目覚めた場所というのはもう分かっている。こうすれば簡単にここに戻ってこれるというわけだ。


「こっちに来てから毎回律儀に実験だの訓練だのに付き合ってきたが、たまにはこういう日があってもいいよな」


 今日の訓練は臨時休業だ。まあどうせすぐに見つかるだろうが。今頃訓練場では俺が復活しなくて大騒ぎになっているんだろうなぁ。


 後の事を考えるとちょっと面倒だが、まあいいや。今日はやる事がある。


 俺は枕の下から包帯を引っ張り出した。


「忘れ物は良くないよな、うん」


 俺は財布を拾ったらしっかり警察に届けてあげる男だ。財布は。中身は知らんけど。



 〇


 いくらこの世界の人の朝が早いとはいえ、この時間から活発に動いている人は少ない。シャグマの研究室へは以前行ったことがあるのもあって、誰にも会わずに来ることができた。


「おじゃましまーす」


 シャグマは朝日を眺めながらコーヒーを飲んでいた。コーヒー豆で入れているわけではないから日本でいうコーヒーとは違うが、コーヒーみたいなモノだ。


「思ったより早かったですねぇ」

「俺が来るのが分かってたみたいな口ぶりだな」

「ひひひ。そのために包帯置いてきたんですからぁ。シャイボーイでも女の子のお部屋に行く理由があれば来てくれるでしょう?」


 そう言って立ち上がると、シャグマはもう1つティーカップを用意してコーヒーを入れ始めた。その顔には既に包帯が巻かれ、あのおぞましい右目は隠されている。


「それでぇ、今日ここに来たってことはぁ、ワタシの実験に協力してくれるってことでいいんですよねぇ」

「バカ言うな。俺が今日ここに来たのはあくまで包帯を返しに来ただけだ」

「……そうですかぁ」

「ただし」


 俺はシャグマのいれたコーヒーを奪い


「ついでにお茶でも飲みながら雑談するぐらいは、やぶさかではない」


 俺は散らかった資料を適当にどかしシャグマの前の席に座ると、シャグマの入れたコーヒーをすすった。


「ひひひ、素直じゃないですねぇ」

「ほっとけ」


 苦い。思わず顔をしかめそうになるがぐっと堪える。せっかく格好つけて来たのに格好つかん。


「ついさっき、被検体さんがいなくなったって伝令が来てましたよぉ」

「ああ、だろうな。俺がココにいることもすぐにバレるだろうし、とっとと本題に入ろう」

「そうですねぇ。何から聞きたいんですぅ? 脱走の方法? 実験の詳細? それともワタシのコ・レ?」


 シャグマがするりと包帯を解き、そのおぞましい右目を露わにした。どこか虫を思わせる、無機質な4つの瞳が俺を見る。

 だが俺は首を横に振った。


「いや、そのどれでもない」

「……? じゃあなんですぅ? 被検体さん」

「それだ」


 びしりとシャグマを指差す。

 指されたシャグマはキョトンとしている。なんの事か分かっていないようだ。


「その被検体さんという呼び方をやめろ。俺は人間だ。お前の被検体じゃないし、ましてやこの研究所に飼われるモルモットでもない」


 昨日シャグマに言われて気づいた。俺はいつの間にかこの研究所に飼われるのを受け入れてしまっていたという事に。

 せっかく異世界に召喚されたのに、この研究所内に一生管理されて生きるのか? そんなのはゴメンだ。


「ひ、ひひひひひひ。もしかしてぇ、そんな事気にしてたんすかぁ?」

「そんな事とはなんだ! こう見えて俺だって成人してんだぞ! 俺の生き方は自分で決める!」

「ひひひ。面白い人ですねぇ。……で・も」


 シャグマは身を乗り出して力説する俺をデコピンで追い返し、


「ダメでぇす」

「なんでだよ」

「呼び方なんてものに大した意味はありませんよぉ。結局被検体さんはココを出ない限り被検体のままですしぃ。脱走できたなら、ちゃぁんと名前で呼んであげますよぅ」

「だったら尚更ココを出ないとな」


 俺は空になったカップを置いて一息ついた。


「ひひひ。やっとその気になったんですねぇ」

「ああ。だがその前に詳しく話してもらおうか。お前の実験の内容、そしてお前の事を」


 なにより目につくのはシャグマのおぞましい右目だ。その周囲の甲殻も相まってどこか虫のような印象を与える。

 シャグマは俺が右目を見ている事に気づくと、右目をそっと撫で、


「ひひひ、そんなにこれが気になりますぅ? じゃあ、まずはコレから話しましょうかぁ。これはね、病気なんですよぅ」

「病気?」

「そぉう。少しずつ魔物になっていく、そんな病気ですよぉ」

「なっ!」


 少しずつ魔物になる、だと。さすがは異世界の病気だ。症状がぶっ飛んでいる。

 って待てよ。


「なあ、その病気って移ったりしないよな?」

「ひひひ、心配しなくても移ったりしませんよぉ」

「な、なんだ。よかった」


 日本で過ごしていた俺は、おそらく異世界の病原菌に対する抗体を持っていない。この世界の人が問題にしないような病原菌にも、あっさりやられる可能性がある。

 ……でももう1ヶ月以上この世界にいるのに病気になったことないよな。考えられるのは召喚された時の特典的な何かで病気に対する抗体を得たか、もしくは発症する前に俺が死んでいるか。思い返すと俺は24時間以上生きていた事ないな。


「ただしぃ、移る条件が2つありますぅ」

「えっ、やっぱり移るのか」

「そんなに怖がんないでくださいよぅ。知ってさえいれば絶対に移んないですからぁ」

「あ、すまん」


 唇を曲げて不満げな顔をしたシャグマに思わず謝る。確かに俺の態度は患者であるシャグマに対して失礼だったかもしれない。その病気の事をよく知りもしないのに、徒に怖がり偏見を持つのは良くない事だ。気をつけなければ。


「それで、その移る条件ってのはなんなんだ?」

「1つ目はぁ、コレですよぉ」


 シャグマは右手で人差し指を作ると、左手の人差し指をその中に突っ込んだ。ってそのジェスチャーは


「子作り……いわゆるセックスですよぅ」

「……まじか」


 つまり、シャグマのコレは性病なのか? 異世界の性病えげつねぇな。そんなの知ったらうかつにセックスも出来ねぇよ。する相手いないけど。

 ってかシャグマ、こんな女捨ててるみたいな見た目の割りにやる事やってんのか。


「……なに考えてるかだいたい分かりますけどぉ、ワタシはまだ処女ですよぅ」

「あ、ああ。なんだ。そういえば移る条件はもうひとつあったな」


 シャグマに移ったのはもうひとつの方が原因か。なんだろ。血液感染とかかな?


「もうひとつはぁ、罹患者を殺すこと」

「え?」

「刺殺、毒殺、絞殺、呪殺……方法はなんでも。罹患者を殺めた者が次の罹患者になる。それがこの『土蜘蛛の呪い』ですよぉ」


 殺す? それが移る条件?

 それじゃあシャグマは……


「ひひひ。被検体さんは何考えてるかすぐに分かりますねぇ」

「なに笑ってんだよ。お前、それって」

「そうですよぉ。ワタシは10年前、『土蜘蛛の呪い』の末期患者である父親を殺して、この病気を受け継ぎましたぁ」


 そう平然と語るシャグマは、いつもと何らかわった様子はない。とても親殺しを告白した者の態度ではない。


「お前、なんでそんなに平然としてられるんだよ。親を、自分の親を殺したんだろ?」

「ひひひ。もぉ10年前ですよぉ? いつまでも傷心に浸るほど子どもでもないですしぃ。……なによりどんどん魔物に変わっていってぇ、自分の子どもの顔さえ分からなくなった親を、人間であるうちに楽にしてあげたいっていうのも親孝行じゃあないですかぁ?」

「……すまん。今のは無神経だった」

「いやいやぁ、いぃんですよぉ。ワタシが親を殺したのは本当ですしぃ」


 少し自分の親に置き換えて考えてみれば、シャグマの気持ちも理解できるような気がした。苦しみながら、少しずつ化け物に変わっていく親。そしてやがては俺の事も分からなくなり……。10歳の頃の俺がそれを見たら、トラウマになっていただろう。

 見たところ、シャグマも俺と同い年か少し上くらいか。シャグマが他人の感情に疎い理由が何となく分かった気がする。


「その『土蜘蛛の呪い』だっけか? 治療法は無いのか?」

「無いですねぇ。それを見つけるのがアミガサ家の宿願なんですけどぉ」


 憂いを帯びた瞳でティーカップを揺らすシャグマ。

 アミガサの宿願……恐らくシャグマの親も、親から『土蜘蛛の呪い』を受け継いで治療法を探していたのだろう。親の親も、そのまた親から。

 なんて過酷な運命だろうか。


「……それで、どうして『死にたい』なんて目的が出るんだ?」


 シャグマの話はわかった。だがそれと以前シャグマが語った目的が繋がらない。


「この『土蜘蛛の呪い』はぁ、名前の通り土蜘蛛っていう強力な魔物を御先祖様が討伐したときにかけられた呪いみたいなモノなんですよぅ。土蜘蛛の体は死んだんですけどぉ、その魂はまだ生きていてぇ、ワタシの体を乗っ取って復活しようとしている。それがこの『土蜘蛛の呪い』の正体なんですよぉ」

「……」

「だからその土蜘蛛の魂を完全に殺す毒を作る。それがワタシの研究課題なんですよぉ」

「でも、それってお前も」

「えぇ、死ぬでしょうねぇ。でもワタシの命ひとつで土蜘蛛を殺すことができるなら本望ですよぅ」


 それがシャグマが『死にたい』って言った本当の理由か。ようやく腑に落ちた。

 そしてそのための毒を作るための実験が、あの毒物の調査か。


「でも、何か無いのかよ。お前が死なないでも済む、そんな方法」

「およよ。ワタシの命を心配してくれてるんすかぁ? 可愛い所もあるんすねぇ」

「当たり前だろ!」


 思わず語気が強くなってしまった。シャグマが目を丸くし、珍しく驚いている。


「この世に死んでいい人間なんているかよ」

「ひひひ。綺麗な心してますねぇ。自分はしょっちゅう死んでるくせにぃ」

「俺は死んでも終わらない。だが他の人は違う。死んだらそれで終わりだろ」


 死は永遠の別れだ。もうその人と言葉を交わすことは出来ないし、その先に有り得た可能性全てを摘む。

 確かにシャグマは初対面の印象も最悪で、その後もことある事にムカつく奴だったが、それでも関わった事のある人間が死ぬのは嫌だ。


「優しいですねぇ。……でも大丈夫ですよぉ」

「何がだ」

「死ぬ覚悟が出来てるって話ですよぅ。ワタシはねぇ、土蜘蛛を殺したくてしょうがないんですよぉ」


 そう語るシャグマはやっぱり何も変わった様子はない。いつもと同じ、まるで世間話でもするかのようだ。


「自分の親を殺して、そしてワタシに手をかけさせた土蜘蛛に、何の禍根もなく生きれるほどワタシも人間捨てちゃいないですよぉ。今までに何度この右目をナイフで引き裂いてやろうと思ったことかぁ」

「お前……」

「今でもよく夢に見るんですよぉ。ほとんど魔物に成り果て、ワタシを殺そうとしてきた親をナイフで何度も何度も刺し続けたあの日を」


 そうか。シャグマは親や土蜘蛛に対して何も思っていないわけじゃない。逆だ。

 常に自分が殺した親を思い、土蜘蛛への殺意を募らせ続けている。だからこそその事を話しても何も変わらないんだ。


「そもそもワタシは放っといても土蜘蛛に取り殺される運命なんですよぉ。だったらせめて、土蜘蛛に一死報いれる可能性を探りに行った方が懸命じゃないですかぁ?」

「それは……そうかもしれないけど」


 シャグマの言いたい事もわかる。だが、本当にそれでいいのか? 俺が実験に協力する事は……ただ単にシャグマの死期を早めるだけなんじゃないのか?


 俺にとれる選択肢は2つだけだ。この研究所で永遠に飼い殺しにされ続けるか、シャグマの実験に協力する事と引き換えに研究所を脱出する事。すなわち、俺の人生とシャグマの命の両天秤。


 俺の中の悪魔がささやく。

 別にいいだろう。こんな大して深い仲でもない女がどうなろうと。それよりも俺の人生を楽しいモノにすべきだろう。どうせ死ぬ運命。それが少し早まるだけだ。この女もそれを望んでいる、と。


 俺は……俺は……っ!


「わかっ……た」

「ん?」

「お前の実験に、協力する。だから、……俺の脱走に、協力、してくれ」


 絞り出すような声。それにシャグマは心の底から嬉しそうに笑った。


「ひひひひひ! もちろんですよぅ! よろしくお願いしますねぇ!」

「あ、ああ。よろしく……」


 シャグマが右手を差し出したのにつられ、俺も思わず右手を出す。シャグマはそれをがっしりと掴むと、よほど嬉しいのか激しく上下に振った。


 しかし、目に見えて舞い上がるシャグマとは対照的に、俺の心は晴れなかった。



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