第7話
翌日の訓練場で、俺はオルグに出してもらった石柱の前で深呼吸をして心を鎮める。重要なのはイメージだ。ガスバーナーをイメージして……
「せやぁ!!」
ずん、という胃の腑に響く音とともに石柱にヒビが入る。よし、成功だ。
「どうよオルグ! 俺は1日でモノにしてやったぜ!」
「うむ。後は腕が折れてなければ完璧だな」
近づいてきたオルグに首をへし折られ意識が暗転する。俺は復活地点から起き上がると自分の死体から服を剥ぎ取った。首をへし折られると血で服が汚れないからいいな。
「それなんだよなぁ。どうも筋肉に魔力を送るのはできるんだけど、それ以外がどうにも難しくて」
俺がガスバーナーをイメージしているせいか、皮膚だの骨だの神経だのを強化するというのが上手くいかない。なにか別のイメージを当てはめることができればいいんだが、なかなか見つからない。
「ふむ。まあ筋肉でできたなら他もすぐだろう。今日は別の訓練だ」
「別の訓練? まぁいいんだけどさ。たまには休日ってのが欲し」
「今日は魔法を教える」
「さあやろうぜオルグ先生! 準備はとっくにできてるぜ!」
俺はオルグの前で敬礼を決める。
魔法、魔法だ。これを待ってたんだよ俺は。異世界に来て死んでばかりだったが、ようやくファンタジーらしくなってきたじゃないか。
「ほう、ようやくお前もやる気を見せだしたな。良い事だ。そうだな、理論と実践、どちらからやりたい? 私としては理論からやるのをオススメするが」
「当然実践だ! 異世界来てまで勉強してられっか!」
「……そうか」
理論からやるのも悪くないが、俺は文字が読めないからな。全部口頭で説明するのも面倒だろう。それになにより、早く魔法を使いたい。
オルグは少し残念そうな顔をしながら、懐から1枚の紙を取り出し手渡してきた。紙には幾何学的な魔法陣が描かれている。
「これは?」
「見ての通り魔法陣だ。その魔法陣に魔力を流し込み『ファイア』と唱えてみろ」
「おう」
まずは魔力を流す。筋肉に魔力を送った時のように、魔法陣と丹田にパイプを作るイメージで、
「お、なんか光りだした」
「うむ、魔法陣に魔力が通った証拠だ」
「よし。なら『ファイア』あっつつつ!!!!」
呪文を唱えた瞬間、持っていた紙ごと魔法陣が燃え上がった。当然俺の手も燃え上がる。必死にバタバタと手を振るが、火傷してしまった。
「いってぇ。紙ごと燃えるなら先に言ってくれよ」
「すまんな。あんまり痛いようなら一度死んでおくか?」
「治療感覚で人を殺そうとするな。なんか冷やすものくれればいいよ、こんくらい」
確かに死ねば毎回傷は治るが、だからといってこの程度の火傷でいちいち死んでいられない。
俺はオルグが作り出した氷を患部に当てながら
「にしても今のが魔法か。どういう原理なんだ?」
「うむ。原理を詳しく説明すると1日2日では終わらないからざっくり説明するが、魔力を糧に魔法陣に書き込まれた命令を実行したもの、それが魔法だ」
「ほーん」
要するにプログラミングみたいなものなのか?
「今回の場合は『炎を出す』という命令だ。だがそれだけでは魔力を流した瞬間に火がつき危ない。よって『ファイア』の呪文で起動するようにセーフティをかけてあった」
「そのセーフティ意味あったか?」
セーフティあったのに火傷してるんだが。
まあでも思ったより仕組みはシンプルだな。
神の奇跡でなんか知らんけどできる、とかだったらお手上げだったが、しっかりとした理論のあるものなら理解しやすい。
「つまり魔法に必要なのは魔力と魔法陣だけなんだな。呪文だのなんだのは必ずしも必要なわけではないと」
「そういう事だ。もっとも、起動のためのセーフティがないと危険だから初心者は何かしらの呪文でセーフティをつけるべきだが」
「あれ、でもオルグやシャグマが魔法使う時魔法陣なんて出てたか?」
例えば石柱を出した時、どこにも魔法陣のようなものはなかった。まさか地面にあらかじめ魔法陣を書いた紙を埋めてあった訳でもあるまい。
「あったとも。少し見ているがいい」
そう言ってオルグが手をかざすと、その前に薄く光る魔法陣が現れた。
「これは……魔力で書かれた魔法陣?」
「うむ。一流の魔法使いは紙に魔法陣を書き起こさなくとも、頭に思い描いた魔法陣をそのまま魔力だけで形作れる。『ファイアボール』」
魔法陣から炎の玉が射出される。数10mは飛んだ火炎玉は地面に着弾すると火柱をたてた。
すごい。魔法使いっぽい。
「お前の当面の目標は、今のように紙に書いた魔法陣などを使わずに、そらで魔法を使う事だ」
「おっけーおっけー。いいぜ。やってやる」
今の俺は過去最高潮にやる気がある。なんせ憧れの魔法使いだ。まさか30歳を迎える前に魔法使いになれる日が来るとは思わなかった。
なにはともあれ実践だ。
まずは頭の中に魔法陣を思い浮かべて……?
「あの、なんか魔法陣貸してくれない?」
「そうだな。まずお前がやるべきなのは魔法陣を覚える事だ」
目の前に突き出される『ファイア』の魔法陣。
……こんな意味のわからん幾何学模様を丸暗記すると? 自慢じゃないが俺は頭が悪いぞ。
「さて、ここでお前には2つの道がある」
俺が絶望に固まるなか、オルグが前に立つ。オルグは左手にもった魔法陣を掲げ、
「1つはこのまま魔法陣を丸暗記する方法。手段としては有効だが、この方法で魔法を覚えたとしても応用が効かない。お前は永遠に『ファイア』だけを打ち続ける魔法使いとなる」
それは嫌だな。せっかく魔法を使えるようになったというのに、できる事がライターと同じなのはあまりにもしょっぱい。
「もう1つの道は魔法陣の理論を覚えることだ。魔法陣は意味の無い模様ではなく、その全てに意味のある情報の塊だ。それらを読み解き、理解すれば、お前は自由自在に魔法を扱えるようになるだろう」
オルグが掲げた右手には分厚い本があった。鈍器の一種なんじゃないかと思うレベルで分厚い。多分オルグがアレで俺をぶん殴ったら俺は死ぬだろう。アレの中身を覚えて理解するのはかなりの苦行だ。
だがそれを補ってあまりあるリターン。自在に魔法を扱えるようになる。それだけで挑戦する価値はあると思う。
「さて、これらを踏まえた上でもう一度聞こう。お前は実践と理論どちらからやりたい?」
……答えは分かりきっていた。
〇
俺の朝は早い。日の出と共に訓練場で目を覚ます。まずやることは魔力の強化だ。今まで魔力を使ってこなかった俺の魔力は貧弱であり、それを強化することは急務だ。雨が降ろうが槍が降ろうがかかせない。
強化と言ってもやる事は単純だ。『魔力吸収』が付与された水晶球を触るだけ。これを1日に100回。これだけで常人が1年間に積む鍛錬と同じ効果が得られると言うのだからチョロいもんだ。
問題点があるとするなら、その過程で体力の死体が出るという事と全裸にならざるを得ないという事か。まあ些細な問題だ。
その後朝食をとり、続いて談話室に向かう。ここが俺の教室代わりだ。そこで俺は文字の勉強と魔法の講義をうける。
文字の勉強は思ったより順調だ。なにせ言葉は通じているわけだしな。後は基本の文法と単語さえ覚えてしまえば、簡単な文ならすぐに読めるようになった。
だが気になるのは言葉が通じるという事だ。どうも俺は日本語を喋っているわけではないらしい。喋りながら鏡で口の動きを見ると、動きと合っていなかった。どうやら勝手にこの世界の言葉を喋っているようだ。なんだか自分の体が自分の知らないうちに改造されているようで気持ちが悪い。だが今の所は便利であるので喜んでおこう。
魔法の勉強は……うん。どこの世界でも勉強とは大変なものだ。理屈としてはプログラミングみたいなものなんだが、いかんせん暗記が多い。そして突然テストをだしてくるのはやめてくれ。
昼の鐘がなると授業は終わる。食堂で代わり映えのない日常を楽しんだ後は再び訓練場で戦闘訓練だ。
訓練の内容は様々だ。肉体強化の練習をしたり、武器術の訓練をしたり、はたまた訓練とは名ばかりの実験に付き合わされたり。そしてこの時間は大抵死ぬ。
訓練でも実験でも、どちらにせよここの奴らは容赦がない。『どうせ生き返るし』とか思ってるのが丸わかりだ。実践稽古だとか言っていきなり真剣を渡されたときはチビった。
訓練が終われば部屋に戻りカレンさんが用意した飯を食べつつ、その日の出来事やら愚痴やらを聞いてもらう。今日はこれができるようになった。あの研究員は厳しすぎる。オルグはむさ苦しい、とか。
俺がどんな話をしてもカレンさんは穏やかに微笑みながら聞いてくれるから、俺も気分がいい。
そうして一日のストレスを吐き出した後は、穏やかな気持ちでベットに入る。
何かと大変な事も多いが、なかなか充実しているとは思う。魔法を使いこなすという目標もあるし、モチベーションもある。娯楽こそ少ないが、それでも日本にいた頃では味わえなかったような事が無数にある。俺は今では今の生活も悪くないと思って
「本当にぃ、それでいいんですかねぇ?」
〇
それは枕元に幽鬼の如く立っていた。
暗い。この世界の明確な時間は知らないが、丑三つ時と言える時間ではないだろうか。
「シャグマ・アミガサ」
俺は最近ようやくできるようになった肉体強化で視力をあげ、魔石灯をつけた。ぼんやりとした光が幽鬼を照らす。
右目を覆う包帯、手入れのされていないボサボサの赤髪。左目のクマは暗さのせいか一層増したように思える。
「こんな時間になんの用だ。非常識だぞ」
「別にいぃ? ただワタシは聞きたいだけですよぅ。ホントにこんな生活でいいのかなぁって」
「はぁ?」
こんな時間に来て何を言うかと思えば。
ばかばかしい。
「前と違って俺は今の生活に満足してるんだよ」
「モルモットとして飼われる生活に、ですかぁ?」
「……なんだと?」
「だってそうじゃあないですかぁ。訓練と称した実験を繰り返してぇ、毎日餌をもらってぇ、ストレスで壊れないようにケアされてぇ。至れり尽くせりですよねぇ」
「ふざけた事言いやがって。ここの人達はそんな扱いする人達じゃねぇ!」
「ひひひ。数日でずいぶんと飼い慣らされたもんですよねぇ」
「てめぇ!」
思わず相手が女だということも忘れて胸ぐらに掴みかかる。
「あんまふざけた事ぬかすと……」
「ぬかすと、どうなるんですぅ?」
「がっ」
ぐるりと天地が逆転し、気づくと硬い床に組み伏せられている。くそっ、忘れてた。ここにいる奴らは見た目によらず強いんだった。
「ココにいても被検体さんは永遠に被検体さんのままですよぅ」
「くそっ。一体なにが目的なんだよ! 俺の脱走がお前に何のメリットがある」
「ワタシが被検体さんを脱走させてあげます。代わりにワタシの実験に協力してください。……ワタシが被検体さんに提供出来るモノなんてこれぐらいしかないですしぃ」
「はぁ?」
『──死にたいんですよぉ。できるだけ惨たらしく、苦しみながら』
脳裏に過ぎるシャグマの言葉。シャグマが語るその常人には理解し難い目的。
ふざけやがって。結局そうか。結局自分の私欲のために俺を使いたいだけ。俺の事を道具としか見ていない。
「ふざけんな! 俺は被検体でもモルモットでもねえ! 人間だ!」
「きゃっ」
魔力で強化した肉体で力任せに暴れてシャグマを振りほどく。思ったより可愛らしい声を上げてシャグマが尻もちをつく。そのままマウントをとってやろうとした所で、ぴたり、と思わず硬直する。
「頼みますよぉ」
暴れた時に手足がシャグマの包帯にぶつかったのだろう。シャグマの包帯がはらりと落ちた。そこに隠されていたモノを見て思わず目を見張る。
「もう、時間がないんですよぅ」
包帯の下にあったのは異形の4つの目だった。ギョロリ、ギョロリと忙しなく動き回り、まるで獲物を探しているようだ。目の周囲は甲殻で覆われており、女の顔につくにはあまりにもアンバラスだ。タチの悪い仮面の類いだと笑いとばしたかったが、縋るような左目が俺の心に氷柱をつきこんだ。
「な、お前、それ……」
「……変なモノ見せちゃいましたねぇ。今日はもう帰りますよぅ」
シャグマはふらりと立ち上がるとそのまま覚束無い足取りで出ていこうとする。俺は……なんて言葉をかければいいのか分からない。引き止めればいいのか? それともその右目の事を聞く?
悩んでいる間にシャグマは戸を開けて出ていこうとする。シャグマは最後に左目だけで振り返ると
「実験への協力考えといてくださいよぅ。被検体さんは、ワタシの希望なんですからぁ」
それっきり部屋は静かになった。
いつもと同じ、静かな部屋。
きっとこのまま眠りにつけば、またいつも通りのそこそこ充実していて、まあまあ刺激的な生活が始まるのだろう。
だが
「アイツ、包帯置いてくなよな」
いつもと違うモノがひとつ。
どうしたものか、しばし逡巡する。
『お前は我々の希望という事を理解してくれ』
『被検体さんは、ワタシの希望なんですからぁ』
「ったく。どいつもこいつも、勝手に人に妙な期待背負わせやがって」
俺は包帯を拾い上げると、置き場に困ってとりあえず枕の下に押し込んだ。
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