第2話
異世界に来て不安だったことの1つが、生活レベルだ。中世のヨーロッパでは衛生観念が薄く、糞便を道に棄てていた、なんて話は有名だ。この世界でもそうだったらどうしよう、と思っていたが、想像以上に生活は豊かだった。
清潔な服、美味しい食事、隙間風のない部屋。
衣食住全てが、現代人の俺でも不満無いレベルで揃っている。惜しむらくは娯楽が無いことぐらいか。
まあそれは部屋付きのメイドさんと雑談していたので気にならなかったが。
「へー。あのオルグって人、そんなに偉い人なんすね」
「はい~。それはもう。魔法の研究だけで爵位を戴いた、なんて人そうそういませんよ~」
メイドさんはカレンと名乗った。
どこかほわほわとした印象を受ける人だが、仕事はきっちりこなしている。
「この平和な時代じゃあ~武勲で爵位を得るなんて無理な話ですしね~」
「なるほど」
あのオルグとかいう大男、実は貴族らしい。どうも1代限りの名誉職みたいなものらしいが、貴族は貴族だ。実はかなりすごい研究者なのかもしれない。
筋肉ダルマみたいな見た目してるくせに。人は見かけによらないな。
「あ、そろそろ就寝のお時間ですよ~」
「あれ、もうそんな時間ですか」
外を見れば夕陽が山の稜線へと沈みこんでいくところだった。日本で言うところの夕方6時くらいだろうか。夜更かしに慣れた現代人からするとまだまだ寝るには早すぎる。
「明日の朝も早いですし~魔石灯も勿体ないですから~」
「ませきとう? なるほど、それで灯りをつけているんですね」
天上からつる下げられたランタンのような物をカレンさんが取る。中には魔法陣のような物が描かれており、それが煌々とした光を放っている。
「それってどんな仕組みなんですか?」
「それについては~、また明日~お話しましょうね~」
「えー。まあ、はい、わかりました」
よく考えたらこの世界が日本と同じ1日24時間で回っているとは限らない。日が沈んでも直ぐに夜が明けてしまう、なんて事もあるかもしれない。
ここは大人しく寝ておこう。
……そう言えば俺はこの異世界に来る直前、風呂に入ってすぐに寝るつもりだった。あの時はたしか、夜の11時くらいだったと思う。そこから異世界に召喚され、何やかんやして体感では6時間以上経っている。つまり体内時計的には朝の5時。とっくに眠くなっていてもいいはずだ。なのに今の俺は全く眠くない。
ただ単に異世界に来た興奮で目が覚めているのか、それとも召喚された影響か。まあどうでもいいか。
「ではおやすみなさいませ、リンネ様。何かあればお呼びください。良い夢を」
ふっとカンテラ──魔石灯の光が消え、部屋が暗くなる。窓も閉められると、光源のない部屋の中は真っ暗になった。
音だけでカレンさんが部屋を出たのを把握すると、俺も目を閉じる。
一時はどうなるかと思ったが、カレンさんと話すうちに大分落ち着いた。よく考えたらオルグだって一方的とはいえ、ちゃんと説明しにきている。ただ単に文化と主義が違うだけで、キチンと人間扱いしてくれているのだ。だったらあまり心配する事はないのかもしれないな。
案外性能テストというのも、ただの身体測定だったりして。
〇
「それでは、まず最初は魔力を測定する。この水晶玉に死ぬまで魔力を注ぎ込め」
「え? 死ぬまで?」
「うむ。どうせお前は死なないからな」
翌日、オルグに運動場のような広場に連れてこられた俺はさっそく死を命じられていた。なんでこの人達はそんな軽率に死ねと言えるんだ。
周りの研究員達も平然としているし、やっぱりコイツら頭おかしい。
いやそもそも
「魔力を注ぐ? ってどうやるんすか? 」
「ん? ああ、そうか。お前は魔法のない世界から来たんだったな。とするとやり方もわからんか」
水晶球を触りながら色々試してみるが、何か起きているというようには見えない。
「ひひ、でしたら所長。『アレ』持ってきましょうかぁ?」
「ふむ、そうだな。それが手っ取り早い。頼めるか」
「お任せあれぇ」
包帯で右目を隠した女性がパタパタとどこかに走り去っていく。
「? 今のは?」
「毒物を専門に研究しているシャグマ・アミガサ女史だ」
「いやそっちではなく」
確かにそれも少し気にはなったが。今日はデータを取るためか、オルグの他にも多数の研究者がいる。今後俺がここで暮らすことになるなら自己紹介ぐらいして欲しいもんだが、まあそれは今は置いておこう。
「『アレ』ってなんです? 今毒物研究してるって言いましたけど危ない物じゃないですよね?」
「来ればわかる。安心しろ、毒ではない」
「それならそれでいいんですけど」
しばらく待っているとシャグマとかいう女性が何かを持ってきた。
それはパッと見はただ魔法陣の書かれた紙に見える。シャグマはそれを水晶球に貼り付けた。
「ひひひ、準備できましたよぅ」
「よし、それじゃあリンネよ。もう一度水晶球に触れてみろ」
「はあ」
紙を貼っただけ? これで何か変わったのか?
まあ言われた通りにするか。
「はい。それでこの後どうす……」
ずるり
「あれ?」
気がつくと俺は天井の木目を眺めていた。起き上がり周囲を見渡し、どうもここが俺が今日起きた部屋らしいと気づく。
「えっと夢……じゃないよな」
窓を開け外を見ると太陽は既に南中に差し掛かっている。あれが夢じゃないとすると
「俺、まさか死んだのか」
突然のこと過ぎて理解が追いつかない。というかなんで俺は死んだんだ? 最後に覚えているのは魔法陣の貼られた水晶球に触れたこと。
いや、そうだ。そのあと内臓を全て引きずり出されるような、気色悪い感触があって。その後意識がとんだんだ。
原因として考えられるのは、シャグマが持ってきたあの魔法陣か。
オルグの野郎。何が『毒ではない』だ。触れた瞬間即死とか。毒より危険じゃねぇか!
あの魔法陣が何かとか、俺の死因とか、色々問いただしい事はあるが、もう一度あの場に戻りたくはないな。どうせ性能テストと称してまた俺を殺すに違いないんだ。
しばらくココに隠れていよう。
「そういえば……」
昨日死んだ時はあの召喚の間みたいな所で復活していたが、今日はここなんだな。復活地点が変わったのはなんでだ?
考えられるのは──寝た場所、もしくは目覚めた場所か?
最後に寝た場所か目覚めた場所が次の復活地点になる……だと思う。
そのどちらが正解なのかとか、復活地点に物があったらどうなるとか、いろいろ分からないことはあるが、それを確かめる勇気はないな。
今回はちゃんと復活できたが、次は何かの間違いで失敗するかもしれない。他にも復活には回数制限があったり、条件があったりするかもしれない。そもそも原理も分からない謎の力に、あまり俺の命をかけたくない。
あともう1つ、復活について発見があった。
「服は復活しないんだな」
俺は肌寒さを覚え、身体を摩った。
昨日召喚された時は風呂に入ろうとしていたから素っ裸だった。その後殺され、復活した時も素っ裸。あの時は突然のことで気が動転としていてそちらまで気を回す余裕がなかった。
今回はここで寝た時も、死ぬ直前も服を着ていた。それなのに復活した時に服が無いというのは、服は復活の対象外ということなのだろう。
復活する度に裸になるとは、なかなか面倒なデメリットだ。まあ復活できるという大きすぎるメリットの前には些細な話かもしれない。
……しかし暇だな。スマホもゲーム機もないこの世界は現代人には暇すぎる。
「あーせめてカレンさんがいればなぁ」
「お呼びですか?」
「え?」
「あら?」
凄まじいタイミングでカレンさんが入ってきた。カレンさんも驚いているようで、しばしお互いに目を合わせたまま固まる。
まずい。せっかく隠れていたのに。見つかってしまった。
「あの~リンネさん。どうしてここに? というかなぜ裸に?」
落ち着け。ここで変に騒がれて研究員を呼ばれるとまずい。ここは冷静に平静を装って
「いやぁ、今休憩中なんですよ。カレンさんも一緒にどうですか?」
叫ばれた。
まあ裸の男に『一緒に休憩どう?』とか聞かれたら俺も叫ぶわ。
〇
「なるほど、『復活地点は寝る事で変更される』と。記録はしたか?」
「はい」
「ついでに『服は復活しない』もよろしく」
俺は運動場に再び連行された。
服は無かったので研究員からローブを借りている。裸にローブというかなり変態チックな格好だが仕方あるまい。
どうも俺が死んでも復活しない事でかなり騒ぎになったらしい。
まあ死んでも復活するとタカをくくっていたのに復活しなかったらそりゃ慌てるか。コレを機に俺の扱いが丁寧になればいいんだが。
「所長、今後は居場所が分からなくならないように、リンネの体に発信機を埋め込むのはどうでしょうか」
「名案だ。早速制作を」
「絶対にやめろ。あんたらにはプライバシーの概念はないのか」
オルグや研究員は首を傾げている。どうやら本当にプライバシーという概念が無いらしい。現代日本に生きる文明人として教えてやらねば。
だがそれは後回しだ。それより重要なのは
「これはいったいどういう事なのか、説明してくれ」
俺は水晶球の前で血溜まりの中に沈む俺の死体を指さした。なんで水晶球に触っただけで血を吹き出して死ぬことになるんだ。恐ろしくて近づけやしない。
「ふむ。それは急性魔力欠乏症だ」
「きゅうせい……つまりどういう事だ?」
「魔力が急激に無くなったことで臓器不全を引き起こして死に至ったのだ。恐らく脳を含む臓器や血管はぼろぼろになっているだろう」
「えぇ……」
なかなか悲惨だ。幸運なのは一瞬で意識を失ったことで苦しまなかったことぐらいか。
オルグは水晶球に近づくと、水晶球に貼ってあった魔法陣の書かれた紙を剥がした。
「これは『魔力吸収(マジックドレイン)』を付与する魔法陣だ。ふむ、吸収強度が最大になっているな。これは私たちでも触ったら意識を持ってかれかねない」
「なるほど。要は事故か。俺だからよかったものの、次からは気をつけてくれよ。マジで」
「ひひひ、被検体さん。ワタシが失敗したみたいに言うのやめてくださいよぅ。どうせ元から、死ぬまで魔力吐かせるつもりだったんですからぁ、とっとと吐かせきった方が効率的でしょう?」
「うわ」
気がつくとすぐ後ろに女性が立っていた。
右目が包帯で隠されているのが特徴的だ。残った左目も濃いクマに覆われ、お世辞にも健康的とは言えない。赤い髪もボサボサで見た目に気を使っていないのが伺える。
「シャグマ、アミガサ……さん」
「およよ、名前おぼえてくれたんすねぇ。うれしいなぁ」
シャグマは口ではそう言いつつも、特に表情を変えるでもなく、コチラを値踏みするように見ている。なんだか居心地の悪い視線だ。
「ふぅん。ホントに復活するんすねぇ」
「……だからってあんまり殺して欲しくは無いけどな」
「またまたぁ、見た所魔力も力も弱いしぃ。復活しない被検体さんなんか価値ナシすよぉ」
「は?」
なんだコイツ、ケンカ売ってんのか?
「だってそうじゃないすかぁ? 死ぬしか能がないのにぃ、死なないなんて勿体ないですよぅ。少しでも多く死んでぇ、ワタシ達の研究成果になるってのがぁ、世のため人のためじゃあないですかぁ?」
「てめぇ。ふざけんなよ」
俺の命より自分の実験の方が大事ってか?
マジで倫理観どうなってんだよココの連中は。
「およ。怒ったんすかぁ? ひひひ、どうもワタシは人の感情に疎くてぇ、すんませんねぇ」
「シャグマ女史、そろそろ戻れ。もう気は済んだだろう。後はコチラでやっておく」
「はいはい。邪魔者は消えますよぅ。被検体さんもばいばぁい。今度、ワタシの研究にも協力してくださいねぇ」
シャグマは手を降って運動場を出ていく。俺はそれを無言で見送った。
なんなんだよアイツ。ムカつく奴だ。
しかも人のこと名前じゃなく被検体とか呼びやがって。
「すまんな、リンネ。気分を害したのなら謝ろう」
「悪いと思ってんなら俺をココから解放してくれ」
「それはできない相談だ。お前は我々の希望という事を理解してくれ」
「ふん。勝手に召喚して妙なもの背負わせやがって。よく言うよ」
次の復活が成功するという保証はない。
もしかしたら失敗するかもしれないし、不測の事態が起こるかもしれない。そんな中で殺される事の不安、コイツらにはわからないだろう。
俺が憧れた異世界召喚というのはこんなモノじゃないんだ。俺tueeeしたり、異世界ガールとイチャついたり、そんな中にも冒険のスリルがあって……。
決してマッドサイエンティスト共の研究対象(モルモット)になるタメではない。
くそぅ、どうしてこうなった。
「はぁ、もういいよ。それで、次は何をするんだ?」
「うむ。次は体力テストだ。まずは持久力を見る。とりあえず限界まで走ってくれ」
「えぇ……。普通に嫌なんだが。俺は自慢じゃないが貧弱だぞ」
「本当に自慢ではないな。いいから走れ。データがとれん」
オルグに追い立てられ、運動場に引かれたトラックをしぶしぶ走り出す。
ああ、小中高での持久走を思い出す。大学生になったらこんな苦行とはおさらばだと思っていたのに、まさか異世界に来て持久走をやることになるとは。
「せんせー。疲れたんでもう止めていいですかー」
「誰が先生だ。まだ走り始めて半刻も経っていないぞ」
「そうは言ってもゴールが無いと走る気起きないすよ。なんか目標作ってください」
「目標ならあるぞ。死ぬまでだ」
「は?」
どうしてそう簡単に死ぬまでとか言えるんだこの筋肉ダルマは。確かに死は人生のゴールではあるが、そういう意味ではない。
「我々はお前の限界値を知りたいのだ。となれば死ぬまでやるのが合理的だろう」
「いやいやいや! そんな簡単に言わないでくださいよ! そんな手の込んだ自殺、人間ができるわけないでしょうが!」
「ふむ。それもそうか」
オルグは少し考え込むと、何かを思いついたかのようにポンと手を打った。
「リンネ! ひとまず止まっていい。誰か地下倉庫に保管してある『赤い靴』を持ってきてくれ」
「はい。『赤い靴』ですよね。了解しました」
研究員が頷き、どこぞへと向かう。
俺はオルグの前で座り込みながら首を傾げた。
「『赤い靴』? なんすかそれは」
「まあ簡単に言えば走るのを補助してくれる魔道具の一種だな」
「へー」
まどうぐ……魔力で動く道具のことかな。
なんかファンタジーぽくていいじゃん。
しばらく待つとそれは来た。見た目は赤色の木靴であるという点以外に特筆すべきものはない。少し古ボケているような事ぐらいか。
「木靴か。初めて見たなぁ。これ普通に履いていいんすか」
「ああ。履けば後は勝手に作動する」
硬くて履きずらそうに思えたが、案外すんなりと履けた。ソフトな履き心地で、圧迫感もない。正直スニーカーよりもよっぽどいい。
「お、おお?」
履き心地を確かめていると、足が勝手に動き出した。自然と腕もリズムをとるように動き出す。やがて体は理想的なフォームで走り出した。
なるほど、これは確かに魔法の靴だ。履くだけでこんな走りができるとは。
「これ面白いっすね。さすが魔法の世界」
「ふむ、そうだろうそうだろう。気に入ってくれて何よりだ」
テンポよく肩で風をきる。だんだんと体があたたまり、さらにパフォーマンスが上がるのが自分でもわかる。なんだか楽しくなってきた。
この調子ならもう少し頑張れそうだ。
走り始めて30分ほど経っただろうか。そろそろ飽きてきたし、何より疲れてきた。もうそろそろいいだろう。
俺は走るペースを落とし、その場にふらふらと……
「あれ……?」
足が止まらない。それどころか腕も。体は規則正しいペースの走りを続けている。
「ちょっ、なに、これ」
そのとき、俺の頭に1つの童話が過ぎった。
赤い靴を履いた少女の話だ。その少女は赤い靴を履くと踊り出し、その踊りは死ぬまで止まらなかったとかなんとか……。
まさか……!
「ちょ、すいませーん! 足が、止まらないんすけど!」
「気にするな。想定通りだ」
「想定通りだ、じゃねーよ! 何が魔道具だ! 完全に呪いの装備じゃねーか! いやだー! こんな風に苦しみながら死にたくなーい!」
気がつくと俺はもはや見慣れてきた天井を見上げていた。
あの後のことは思い出したくない。
疲労で人が死ぬなんて。これが過労死の実態か。
「逃げるか」
こんな施設にいたら、文字通り命がいくつあっても足りない。とんだブラック研究所だ。
外は夜の帳が降り、脱走にはいい機会に見える。服もない、金もない、ツテもない。だが俺にはこの復活の力がある。それだけで生きるには十分だろう。生きるだけなら。
「じゃーな。クソ研究所。俺は自由に生きる」
窓から華麗に飛び降り……は無理そうだから普通に扉から出るか。
俺はそっと扉を開け
「あら~リンネさん。もう消灯の時間ですよ~」
「ひっ! ってなんだ。カレンさんか。脅かさないでくださいよ」
暗くてよく見えないが、声で分かった。もし研究員に見つかってたら、またデータだ実験だと、理由をつけて殺されていただろうからな。まあ適当に誤魔化すか。
「いや、実はトイレに行きたくて」
「トイレは部屋の中にありますよ~?」
「……ついでに水を飲みたくて」
「リンネさん~井戸の場所わからないでしょう~? 私が持ってきますから~、リンネさんはお部屋でお待ちください~」
くぅ、反論できない。
というか今更だがこの研究所の出入口もわからん。
どうしたものか、と考えているとカレンさんに背中を押されて部屋に戻されてしまった。
まぁいい。カレンさんが水を取りに行っている間にこっそり外に出れば……
がちゃん
「がちゃん?」
扉から聞こえた不審な金属音。背中に伝う冷や汗に突き動かされるように扉に手をかけるが、先ほどまで容易く開いたその扉は、固く閉ざされている。
そしてようやく俺は悟った。
この研究所内に、俺の味方がいないということを。
ここは俺に与えられた部屋ではなく、俺を捉えておくための籠(ケージ)だったんだ。
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