おお勇者よ!死んでしまうとは情けない

おちょぼ

病の死

第1話

「あれ?」


 風呂場の戸を開けると、そこは異世界だった。


 本来なら白いタイルに覆われた狭い浴室があるはずなのに、目の前に広がるのは体育館並に広く、薄暗い空間だ。足元では幾何学的な魔法陣が朧気な光を発しており、その外周に沿うようにローブを着た怪しげな集団が驚いたようにこちらを見ている。


 思わず素っ裸の体を隠すことも忘れて呆然とする。


「え、え、なにこれ。ゆめ? どっきり?」


 思わず後ずさる。そのとき、背後に俺が開けたハズの戸が無いことに気づいた。じゃあ俺はどっから来たの?


「召喚は成功したようだな」

「しょ、召喚?」


 気づけば目の前に1人の男が立っている。

 デカい。一応俺も175cmあるから日本では標準的な身長だと自負していた。しかし目の前の男は優に2mはありそうだ。


 いやそんな事はどうでもいい。今、召喚、と言ったか?

 もしかして俺は異世界に召喚されたのか?


「そ、それはこの世界を救う勇者として!?」

「ふっ、勇者、か。そう在れるかは、お前次第だがな」

「おお!」


 なんと! 俺が異世界に召喚される日が来ようとは! 妄想の中の出来事に過ぎなかったのに、今、現実に起きている!


「お、おれ! がんばります!」

「まあ慌てるな。その前に確かめねばならない事がある」

「? なんですか?」


 なんだろう。勇者としての適性とかかな? もしくはステータスとか見るのかな?


「では、そこでじっとしていてくれ。狙いが外れると面倒だ」

「狙い? なにをねらっ……て……?」


 ずん、と臓腑に響くような衝撃が体を貫く。直後、口の中に生暖かい液体が溢れ返り、思わず吐き出した。


「……え?」


 血だ。真っ赤な、血。

 体に力が入らなくなり思わず膝をつく。突然何が起きたのか。自分の体を見下ろす。


「うそ……」


 心臓がなかった。心臓があるはずの場所には風穴が空き、とめどなく血が溢れだしている。どう見ても致命傷だった。


「な……で……」


 血溜まりに倒れ込みながら、頭に浮かぶのは疑問のみ。なんで。なんで。どうして。

 せっかく、俺、召喚。ああ、もう、意識、が。






「あれ?」


 気づくと、そこは異世界だった。

 先程と同じ薄暗く陰気な空間に、光を放つ幾何学的な魔法陣。目の前には先程と同じように大男もいる。


「生きて……?」


 思わず胸に手を当て、その奥で心臓が鼓動しているのを感じ、文字通り胸を撫で下ろす。

 なんだ、今の。夢?


「皆の者!!! 召喚は成功だ!!!」


「うわ」


 目の前の大男が突然声を張り上げる。すると今まで魔法陣の外周で静かにしていたローブの人々が野太い歓声を上げた。中には隣同士で抱き合ったり感動の涙を流している者までいる。


 なんなんだ、突然。ちょっと怖い。

 思わず後ずさると、ぐにゅりとした物を踏んで転んでしまった。びちゃり、と生暖かい飛沫が上がる。

 なんだよ、こんな所に物置く……な……?



「ひっ」


 赤い、赤い血の海。その中に沈む1人の人間、だったもの。人間と違うのは胸に風穴が空いている事。虚ろな瞳に光はなく、既に事切れている。


 だがどう言うことだ。これは、この顔は……


「俺、の死体……?」


「見ての通り! この者は『復活(リスポーン)』のスキルを持っている! 喜べ! 我らは正しかった!!」


 再び怒号のような歓声が響く。彼らの持つ熱に、狂気に圧倒され、思わず身を竦ませる。


 なんなんだ、こいつらは。

 リスポーン? スキル?

 いったい何を言っているんだ。


「さあ立て! 今はまだ名もなき者よ。我らがお前を導いてやろう!」


 大男から手が差し伸べられる。今だ混乱の中にいる俺は、促されるままにその手を掴んでしまった。


 何が起きているのか、そして起ころうとしているのか。それは分からない。

 ただ、もはや平凡な生活には戻れないだろうということだけは理解できた。


 〇


 意外にも俺の扱いは丁寧だった。

 複数のメイドさんに血に塗れた体を拭かれ、小綺麗な服を着せられる。

 シンプルだが肌触りがいい。


 異世界、なのかなぁ。


 窓からは暖かな太陽の光が差し込んでいる。そこから外を見渡すと広大な平原が見えた。それだけ見ると何の変哲もないように感じる。


 そういえば俺が風呂に入ろうとしてたのは真夜中だったのに、ここは真昼間だな。だがそれだけで異世界と信じるのはちょっと難しい。


 これでドラゴンが飛んでたり、箒に跨り飛び回る魔女がいたりすれば納得出来たが。メイドさんに頼んだら魔法とか使ってくれないかな。


「ふむ、着替えは終わったかね」

「オルグ様! お待ちしていただければ私どもがお連れしたのに」

「いやなに、待ちきれなくてね。君たちはもう下がっていい」


 ぼーっとしながら外を眺めていると、先程の大男が入ってきた。メイド達は慌てふためきながらも、大男に頭を下げて部屋を出ていく。後には俺と大男だけが残された。


 大丈夫かな。さっき俺はこの大男に間違いなく殺された……ハズだ。あの苦しみは夢とか幻ではないし、変な話だが俺の死体も見た。だが事実として俺はココに生きている。あれはどういうことなんだろう。


「さて、まだ名前を聞いていなかったな。私はカラム王国魔法研究所所長、ヴイ・オルグだ。お前は?」

「は、はい。伏見(ふしみ)輪廻(リンネ)、です」


 フードを外したオルグは見た目通りの厳つい大男であった。この見た目で魔法研究所の所長なのか。魔法使うより拳で殴ってきそうなのに。


 魔法研究所……魔法、か。じゃあやっぱり、ここは異世界なのか?


「あの、オルグさん。俺、分からないことばかりで。できれば説明して欲しいんですけど」

「いいだろう。何から聞きたい?」

「じゃあ……ココはどこなんですか?」

「ふむ、ココはカラム王国王都カラムンドの外れにある魔法研究所の来客用の宿舎だが……お前が聞きたいのはそうではあるまい?」


 頷く。俺が聞きたいのは、ココが、この世界が


「ココは君から見たら異世界である。別世界からの来訪者リンネよ」

「異世界……。その、証拠とか、ありますか?」

「証拠、か。ふむ、そう言われると難しい。どうすれば納得するのかね」

「魔法! 魔法が、見たいです」

「ふむ、その程度でいいのかね? お前の世界には魔法が無かったのか? いやそれならば魔法という概念が存在しないか。とするとお前の世界では魔法は空想上の出来事だったのか。ふむふむ、それもまた興味深いが……それについては一旦置いておこう」


 オルグさんがパチンと指を鳴らす。すると小さな魔法陣と共に拳大ほどの火の玉が空中に現れた。


「おおー! すげー!」


 火の玉の周囲に釣り糸などはなく、手をかざすと確かに熱い。間違いない、手品や子供だましなんかじゃあない。正真正銘、魔法だ。


「納得していただけたかな」

「はい! 間違いなくココは異世界です!」


 ようやく心から信じられる。異世界転移、召喚、勇者! ああ、夢にまで見たファンタジー。ドッキリなんかじゃない。俺が主人公の異世界冒険譚だ。


 冒険、冒険か……。


「そういえば、俺はなんで召喚されたんですか?」


 召喚に成功した、とさっきオルグさんは言っていた。とすれば、ガキのイタズラじゃあるまいし、何か目的があるはずだ。


 魔王が現れた? それとも他国との戦争?

 戦争は嫌だなあ。いくら異世界とはいえ、人殺しの道具にされるのは嫌だ。そもそも俺、ホントに戦えるのか? まだコッチに来てから大した時間は経っていないが、何か自分の体に変わった様子はない。


「言っときますけど、俺戦い方なんて知らないですよ。それとも異世界人特典でなんかチートとかあるんですかね?」


 自慢じゃないが、俺は殴り合いのケンカなんてした事ないし、武道の経験もない。いきなり戦えなんて言われても無理な話だ。何らかのチートがある事に期待するしかない。


「リンネ、『絶対に成功する雨乞いの方法』を知っているか?」

「え? 何の話ですか?」

「答えは『雨が降るまで続ける』だ。では『絶対に勝つ戦士』とは?」

「……」


 なんだ? 話が見えない。

 いったいこの人は何を話しているんだ?


「答えは『勝つまで戦い続ける者』だ。しかし現実として、人に死という終わりがある以上、それは難しい」


 なんだか嫌な予感がする。

 さきほど、あの召喚された場所での出来事が蘇る。死んだはずの自分。そして自分の死体。


「単純な不死身は不可能だ。不死の者は神の逆鱗に触れる。だが世の中には居るのだ。死を超克したながら、神に許された生物──不死鳥(フェニックス)が」


「なるほどー。お話の途中ですがすみません、ちょっと御手洗に」

「まあ聞きたまえ」

「ぐえ」


 席を立とうとした俺の首根っこが捕まれ、強引に床に引き倒される。人間の力とは思えない。やっぱり魔法使わないでも強いじゃないか。


「不死鳥は死なない訳ではない。死を己の生活サイクルの1つとしているのだ。つまり殺しても死なない。それならば神の逆鱗に触れずに不死の生物を作れる!」


「ひぃ!」


 めきり、と掴まれた首から鳴ってはいけない音が出る。


「我々は探した。不死ではない、永生の力を人の身に降ろす方法を。そして見つけたのだ。過去の異界からの来訪者の中に『復活』のスキルを持つ者を。その時の召喚方法を研究し再現の果てに生まれた者! それがお前だリンネ!」


「おおおお落ち着いてください! ちょっ首が痛たたた!」

「おっとすまない。どうも研究の事になると熱くなってしまってね」


 なんとか解放してもらう。まだ首が痛い。

 この人怖いわ。話が終わるまでジッとしているべきか。


「お前の持つ能力(スキル)は『復活(リスポーン)』。死んだとしても即座に自身の複製を作り復活する。……もう一度試してみるか?」

「いやいやいや! 遠慮しときます! 」


 やっぱりあの場所で殺されたのは夢じゃなかったのか。確かに殺されて、そして『復活(リスポーン)』した。


 というかこの人、俺がもし『復活』しなかったらただの人殺しじゃないか。倫理観どうなってんだよ。それともこんなゴリゴリの見た目でマッドサイエンティストなんだろうか。

 ……さっきからちょくちょくその片鱗は見せているか。


「俺が何者なのかは分かりました。それで、俺は結局何のために召喚されたんですか?」

「? 今話したではないか」

「え?」


「我々には理論があり、仮説があった。とくれば、それを証明するのが魔法研究者の本懐だろう」

「……えっと、それはつまり」

「あえて言うなら『死を超克した者(お前)を召喚する事』。それ自体が目的だ」


 えっ、なにそれ。


「その、魔王を討伐するとか」

「魔王? 現在我が国は魔王と敵対していないが」

「戦争の道具にするとか……」

「広い目で見れば全ての進歩は戦争に繋がっている。まあ今のところ、特に何処かに攻め込む予定とかは聞いていないが」


 つまり


「呼べるかもしれないから、呼んでみただけ?」

「身も蓋もない言い方をすれば、な」


 なんだよ、それ。

 ガキのイタズラと一緒じゃないか。

 まだ日本にやりたいゲームも読みたいマンガもたくさんあったのに。勝手に呼び出しておいて、『呼べるから呼んでみた』だと? ふざけてんのか。


 しかも貰った能力(チート)も生き返るだけで、別にめちゃくちゃ強くなってるわけではないみたいだし。これもう帰ったほうがよくないか。俺を召喚する事が目的だったなら、もう帰っていいだろ。


 なんか冷静になったら帰りたくなってきた。

 今回の事は胡蝶の夢ということにしてくんないかな。


 いや、そもそも


「あの、俺って元の世界に帰れるんですよね?」

「その方法は今後の研究課題だ」

「おい」


 帰す方法無いなら勝手に召喚すんなよ。俺の人権は無視か、この野郎。いやそもそも初対面の人の胸に風穴開ける連中だ。倫理観には期待できないか。


 とはいえ目の前の怖い人に面と向かってそんな事を言う勇気はない。


「はぁ。じゃあ帰り方わかったら教えてくださいよ。なるべく早めに」

「? 何を言っている。帰らせるハズがないだろう」

「え」



「我々には『最強の戦士を作る』という最終目標(グランドオーダー)がある。『死を超克した者』はそのアプローチの1つだ。お前には今後、我々の元、訓練と実験のを受けてもらう」

「え、拒否権は」

「ない。これはカラム王国の国家事業である。王国のために貢献できる栄誉をしかと噛み締めよ」

「いや俺この国に尽くす義理とか何もないんですけど」


 お国のために強くなれ、って来て数時間の国にそんな事思えるわけないだろ。でもオルグの目は真剣そのものだ。


「明日、さっそくお前の性能テストを行う。今日はゆっくり休むといい」

「いや、ちょっと」

「では私は行く。何かあれば部屋付きのメイドに言いたまえ。では」


 オルグは言いたい事だけ言うと、とっとと出ていってしまった。なんて身勝手なんだ。くそったれ。


 いや、落ち着け、こういう時こそ冷静になろう。

 俺は異世界に召喚された。しかしそれは世界に危機が迫っているとかではなく、実験の一環として。

 つまり俺は勇者や英雄ではなく、被検体という事だ。


 あのオルグとかいう男、どうも目的のためなら手段を選ばないマッドサイエンティスト的な所がある。それは出会って数分で俺を1度殺したことからも明らかだ。

 そんな奴が行う性能テスト。言葉の響きからして不安しかない。というか人に使う言葉じゃないだろ性能テストって。


 俺、大丈夫なのか。この世界で生き残れるのか?

 いや、オルグの言葉を信じるなら俺は死なない──というより復活(リスポーン)するのか。だからと言って死にたくはないが。普通に苦しかったし。


「……帰りてぇ」


 念願叶ってやってきた異世界だが、もうホームシックにかかるとは。

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