宇宙という膠着

 男は草原の中心で一心不乱に泥を捏ねた。より固く、より高くなるように、念入りに泥を捏ねた。

 男は草原の中心で一心不乱に泥を焼いた。より強く、より早くなるように、念入りに泥を焼いた。


 男は何度も何度も泥を捏ねて焼き、宇宙船を作った。究極の自由を求めて、男は宇宙へ発った。宇宙船は雲を超え、空を超え、大気圏を超えた。男はついに、閉じ込められることも、座っていることもなくなった。また、人間たちの社会からも、地球という生態系からも男は自由になった。


 男はもう、笑いすらしなかった。目の前に広がる無間の空をただ、落ち窪んだ瞳で見つめるのみだった。

 幻聴がほほほほほと嗤った。宇宙空間が、星々が目まぐるしく動き、目の前には蛇の貌が浮かんだ。男は何もしなかった。


「あなたって、学ばないのね。」


 男は応えない。


「どこまで逃げたって、自由になれやしないわ。私は、なのよ。」


 男は応えない。


「あなたはもはや、何も得ることはできないのよ。究極の孤独こそ、究極の密室だわ。あなたはもはや、あなたが持っているもので生きていくしかないのよ。」


 男が、不意に口を開く。


「お前は、僕の妄想だ。」


「ええ、そうね。」


 星々の唇をさらに歪ませて、女は楽しそうに答えた。


「あなたがいる限り、私はいるわ。あなたが思う限り、私はいるのよ。」


「お前の貌も、言葉も、僕が勝手に囚われているだけなんだ。」


 星々は、さらに醜く歪んだ。


「あなたが思うということと、私が思うということに、どれだけの違いがあるのかしら。私は密室という概念なの。たとえあなたの肉体が滅び、あなたの魂が四散したとしても、あなたがあなたを認識する限り、私はあなたを閉じ込め続けるわ。」


 びくり、と、男が身を震わせた。女の声が、自分の喉から聞こえたようだった。

 男は、熱に浮かされるようにしながら、そっと鏡をのぞいた。白く、透き通った肌をした、美しい女がそこに立っていた。


「逃げられないといったでしょう? 私は、密室という概念なの。私は、あなたの体。あなたの知覚、あなたの心、あなたの意思、あなたの認識。あなたは、に閉じ込められているべきよ! 」


 はっきりと骨伝導を伴って、鏡の中の女はそう言った。美しい顔を蛇のように歪ませながら、女はただ、鏡の向こうの男を見つめ続けた。


 男の精神はついに、限界を迎えた。透き通った肌を傷つけながら、男は鏡を砕いた。砕けた鏡のすべてのかけらで、蛇の貌は嗤い続けた。


 男は、目につくすべてを破壊した。窓を砕き、椅子を粉砕し、計器を放り投げ、操縦桿をけり砕いた。

 天地がひっくり返り、星々は狂ったように瞬いた。崩れた床や壁からは、噴煙と、火花と、液体窒素とがあふれ出し、荒れ狂った。


 宇宙船は墜落した。男が漂着したのは、緑色の夕焼けに包まれた、珪素質の果実が実る星であった。


 男は、極彩色の花畑でただ、緑の空を眺めた。目に映るすべてが蛇の貌をして、もはや彼に言葉を投げかけることもなかった。彼は、彼の持てるすべてを尽くして、ついに逃れることはできなかった。


 やがて、緑色の太陽が暮れ、辺りには闇だけが残った。大気の向こうに見る星と、夜の色だけは、この星でも変わらぬようだった。


 夜の静寂を割いて、長く髭を伸ばした女が、猫のような足音を立て、魚のように息を荒げてやってきた。男の覗く世界の中で、彼女だけが蛇の貌をしてなかったが、もはやそのようなことにも、男は何の反応も示さなかった。


「異邦の人よ、どうなさったのですか。」


 異星の女は、男のそばに腰かけてそう尋ねた。男は一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、やがてあきらめたように、洗いざらいすべてを喋った。


 異星の女は、それはかわいそうに、と嘆息した。男は応えなかった。


「それでは、私は鍵という概念になり、あなたを外にしてあげましょう。」


 異星の女の献身に、男は手をひらひらと振ってこたえた。彼はもはや、全てを無駄と悟ったようだった。異星の女は、にっこりとほほ笑むと、身をよじらせて、男の鍵穴に飛び込んだ。


 男は、になった。

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